第1章 年〜年

西日本フィナンシャルホールディングス:福岡無尽と西日本無尽の設立

1924年〜資本金20万円の福岡無尽と、東令三郎氏の呼びかけで5つの無尽会社が合併した西日本無尽

福岡無尽は1924年6月8日に資本金20万円で設立され、福岡県下で無尽業法に基づく営業を始めた。本店は福岡市に置かれ、1951年に相互銀行へ転換して福岡相互銀行となった。昭和初期の金融恐慌から日中戦争、太平洋戦争にかけて、金融機関の統合と改廃が相次いだ。福岡無尽は他の無尽会社との合併も、大手金融資本による経営参加も受け入れず、単独で経営を続けた。会社銀行八十年史(1955年)は、この時期に家族的経営の基礎が固まったと記している。統合の波を単独で越えた経緯が、北九州の無尽会社が合同した西日本無尽とは別の道を歩む出発点になったとみられる。

  • 会社銀行八十年史(1955)「福岡相互銀行」
    • [1]福岡無尽は1924年6月8日に資本金20万円で設立、福岡県下で無尽業法に基づき営業開始。戦時の統合改廃のなかで他社との合併・大資本の経営参加を排して自主独往を通し、家族的経営の基礎を確立
    • [3]福岡無尽は1924年6月8日に資本金20万円で設立、福岡県下で無尽業法に基づき営業開始。戦時の統合改廃のなかで他社との合併・大資本の経営参加を排して自主独往を通し、家族的経営の基礎を確立
    • [4]福岡無尽は1924年6月8日に資本金20万円で設立、福岡県下で無尽業法に基づき営業開始。戦時の統合改廃のなかで他社との合併・大資本の経営参加を排して自主独往を通し、家族的経営の基礎を確立
    • [5]福岡無尽は1924年6月8日に資本金20万円で設立、福岡県下で無尽業法に基づき営業開始。戦時の統合改廃のなかで他社との合併・大資本の経営参加を排して自主独往を通し、家族的経営の基礎を確立
  • 証券 28(5) 1976年5月号(新規上場会社紹介)
    • [2]福岡相互銀行は1924年(大正13年)福岡市で福岡無尽として設立、1951年(昭和26年)相互銀行法施行に伴い現商号に改め相互銀行へ転換

西日本無尽は1944年10月1日に5つの無尽会社が合併契約を結び、同年12月に福岡を本店として開業した。合併したのは西日本(小倉)、九州(福岡)、共立(久留米)、南筑(久留米)、三池(大牟田)の5社。設立時の資本金は310万円で、野村銀行(のちの大和銀行)が経営に参加した。野村銀行は九州北部に福岡支店と信託会社から引き継いだ小倉支店の2店しかなく、営業地盤が浅かった。福岡支店長の東令三郎氏が各社に合同を呼びかけ、金融機関の統合を進めていた大蔵省も計画に協力した。2店では集めきれない中小の商工業者や家計の積立を、5社の契約者と店舗ごと引き受ける狙いがあったとみられる。

  • 大和銀行四十年史(1958)「一三、西日本無尽会社への経営参加」
    • [6]大和銀行(野村銀行)は北九州に福岡支店と信託会社から引継いだ小倉支店の2店のみで地盤が浅く、福岡支店長東令三郎を通じ各無尽会社へ合同を呼びかけ大蔵省とも連絡。当局も協力し、1944年10月1日に5無尽会社の合併契約成立、福岡本店の西日本無尽を12月開業
    • [9]大和銀行(野村銀行)は北九州に福岡支店と信託会社から引継いだ小倉支店の2店のみで地盤が浅く、福岡支店長東令三郎を通じ各無尽会社へ合同を呼びかけ大蔵省とも連絡。当局も協力し、1944年10月1日に5無尽会社の合併契約成立、福岡本店の西日本無尽を12月開業
    • [10]大和銀行(野村銀行)は北九州に福岡支店と信託会社から引継いだ小倉支店の2店のみで地盤が浅く、福岡支店長東令三郎を通じ各無尽会社へ合同を呼びかけ大蔵省とも連絡。当局も協力し、1944年10月1日に5無尽会社の合併契約成立、福岡本店の西日本無尽を12月開業
  • 会社銀行八十年史(1955)「西日本相互銀行」
    • [7]西日本無尽は1944年12月、九州・西日本・共立・南筑・三池の5無尽会社が合併し、野村銀行の経営参加のもと資本金310万円で設立。1955年時点の社長は東令三郎
    • [8]西日本無尽は1944年12月、九州・西日本・共立・南筑・三池の5無尽会社が合併し、野村銀行の経営参加のもと資本金310万円で設立。1955年時点の社長は東令三郎
参考文献[1]-[10]
  • 会社銀行八十年史(1955)「福岡相互銀行」
    • [1]福岡無尽は1924年6月8日に資本金20万円で設立、福岡県下で無尽業法に基づき営業開始。戦時の統合改廃のなかで他社との合併・大資本の経営参加を排して自主独往を通し、家族的経営の基礎を確立
    • [3]福岡無尽は1924年6月8日に資本金20万円で設立、福岡県下で無尽業法に基づき営業開始。戦時の統合改廃のなかで他社との合併・大資本の経営参加を排して自主独往を通し、家族的経営の基礎を確立
    • [4]福岡無尽は1924年6月8日に資本金20万円で設立、福岡県下で無尽業法に基づき営業開始。戦時の統合改廃のなかで他社との合併・大資本の経営参加を排して自主独往を通し、家族的経営の基礎を確立
    • [5]福岡無尽は1924年6月8日に資本金20万円で設立、福岡県下で無尽業法に基づき営業開始。戦時の統合改廃のなかで他社との合併・大資本の経営参加を排して自主独往を通し、家族的経営の基礎を確立
  • 証券 28(5) 1976年5月号(新規上場会社紹介)
    • [2]福岡相互銀行は1924年(大正13年)福岡市で福岡無尽として設立、1951年(昭和26年)相互銀行法施行に伴い現商号に改め相互銀行へ転換
  • 大和銀行四十年史(1958)「一三、西日本無尽会社への経営参加」
    • [6]大和銀行(野村銀行)は北九州に福岡支店と信託会社から引継いだ小倉支店の2店のみで地盤が浅く、福岡支店長東令三郎を通じ各無尽会社へ合同を呼びかけ大蔵省とも連絡。当局も協力し、1944年10月1日に5無尽会社の合併契約成立、福岡本店の西日本無尽を12月開業
    • [9]大和銀行(野村銀行)は北九州に福岡支店と信託会社から引継いだ小倉支店の2店のみで地盤が浅く、福岡支店長東令三郎を通じ各無尽会社へ合同を呼びかけ大蔵省とも連絡。当局も協力し、1944年10月1日に5無尽会社の合併契約成立、福岡本店の西日本無尽を12月開業
    • [10]大和銀行(野村銀行)は北九州に福岡支店と信託会社から引継いだ小倉支店の2店のみで地盤が浅く、福岡支店長東令三郎を通じ各無尽会社へ合同を呼びかけ大蔵省とも連絡。当局も協力し、1944年10月1日に5無尽会社の合併契約成立、福岡本店の西日本無尽を12月開業
  • 会社銀行八十年史(1955)「西日本相互銀行」
    • [7]西日本無尽は1944年12月、九州・西日本・共立・南筑・三池の5無尽会社が合併し、野村銀行の経営参加のもと資本金310万円で設立。1955年時点の社長は東令三郎
    • [8]西日本無尽は1944年12月、九州・西日本・共立・南筑・三池の5無尽会社が合併し、野村銀行の経営参加のもと資本金310万円で設立。1955年時点の社長は東令三郎

1945年〜大分・豊国相互・肥前の3無尽の合併と、預金封鎖のさなかに始めた新円無尽

西日本無尽は1945年、福岡の本店を戦災で焼失した。同年9月には大分無尽と豊国相互無尽を合併。2社の合併により、設立時に福岡県一円だった営業区域へ大分県が加わった。1946年2月には肥前無尽も合併し、終戦から半年で3つの無尽会社を取り込んだ。西日本相互銀行二十年史(1965年)は、大分無尽と豊国相互無尽の合併を西日本無尽の創立を扱う節の中で記している。その後は大衆向けの金融機関として、中小企業への資金の融通に力を入れた。本店の再建を待つより、既存の無尽会社の契約者と店舗を引き継ぐほうが、短い期間で営業の基盤を立て直せると判断したのだろう。

  • 企業の歴史 明治百年(1968)「西日本相互銀行」
    • [11]西日本無尽は設立時に福岡県一円が営業区域。1945年に本店を戦災で焼失したが、終戦後ただちに大分無尽・豊国相互無尽を吸収合併して大分県を営業区域に加えた。以後大衆の金融機関・中小企業金融に注力
    • [13]西日本無尽は設立時に福岡県一円が営業区域。1945年に本店を戦災で焼失したが、終戦後ただちに大分無尽・豊国相互無尽を吸収合併して大分県を営業区域に加えた。以後大衆の金融機関・中小企業金融に注力
    • [16]西日本無尽は設立時に福岡県一円が営業区域。1945年に本店を戦災で焼失したが、終戦後ただちに大分無尽・豊国相互無尽を吸収合併して大分県を営業区域に加えた。以後大衆の金融機関・中小企業金融に注力
  • 会社銀行八十年史(1955)「西日本相互銀行」
    • [12]西日本無尽は1945年9月に大分無尽・豊国相互無尽、1946年2月に肥前無尽の3無尽会社を合併し規模を拡大
    • [14]西日本無尽は1945年9月に大分無尽・豊国相互無尽、1946年2月に肥前無尽の3無尽会社を合併し規模を拡大
  • 西日本相互銀行二十年史(1965)目次
    • [15]二十年史の第2章第1節「西日本無尽株式会社の創立」に「大分無尽株式会社および豊国相互無尽株式会社の合併」の項がある

西日本無尽は1946年5月に新円無尽という商品を考案し、取り扱いを始めた。当時は金融緊急措置令に基づく預金の払い出し制限が敷かれ、中小企業者は手元の新円の不足に悩んでいた。新円無尽はこうした中小企業者から支持を得て、その後の業績拡大の基礎になった。新円無尽は預金とともに終戦直後の営業を担い、続いて会社は戦時補償の打ち切りを受けた再建整備に当たった。新円無尽で得た中小企業の取引先が、1951年10月の相互銀行への転換を支える顧客層になったと推察される。

  • 会社銀行八十年史(1955)「西日本相互銀行」
    • [17]西日本無尽は1946年5月に「新円無尽」を創案。金融緊急措置令の預金払出制限で新円の枯渇に悩む中小企業者から好評を得て、業績発展の基礎となった。1951年10月に相互銀行へ移行
    • [18]西日本無尽は1946年5月に「新円無尽」を創案。金融緊急措置令の預金払出制限で新円の枯渇に悩む中小企業者から好評を得て、業績発展の基礎となった。1951年10月に相互銀行へ移行
    • [19]西日本無尽は1946年5月に「新円無尽」を創案。金融緊急措置令の預金払出制限で新円の枯渇に悩む中小企業者から好評を得て、業績発展の基礎となった。1951年10月に相互銀行へ移行
  • 西日本相互銀行二十年史(1965)目次
    • [20]二十年史の第2章第2節「戦後激動期の当社」に「新円無尽と預金業務」「戦時補償の打切りと当社の再建整備」の項がある
参考文献[11]-[20]
  • 企業の歴史 明治百年(1968)「西日本相互銀行」
    • [11]西日本無尽は設立時に福岡県一円が営業区域。1945年に本店を戦災で焼失したが、終戦後ただちに大分無尽・豊国相互無尽を吸収合併して大分県を営業区域に加えた。以後大衆の金融機関・中小企業金融に注力
    • [13]西日本無尽は設立時に福岡県一円が営業区域。1945年に本店を戦災で焼失したが、終戦後ただちに大分無尽・豊国相互無尽を吸収合併して大分県を営業区域に加えた。以後大衆の金融機関・中小企業金融に注力
    • [16]西日本無尽は設立時に福岡県一円が営業区域。1945年に本店を戦災で焼失したが、終戦後ただちに大分無尽・豊国相互無尽を吸収合併して大分県を営業区域に加えた。以後大衆の金融機関・中小企業金融に注力
  • 会社銀行八十年史(1955)「西日本相互銀行」
    • [12]西日本無尽は1945年9月に大分無尽・豊国相互無尽、1946年2月に肥前無尽の3無尽会社を合併し規模を拡大
    • [14]西日本無尽は1945年9月に大分無尽・豊国相互無尽、1946年2月に肥前無尽の3無尽会社を合併し規模を拡大
    • [17]西日本無尽は1946年5月に「新円無尽」を創案。金融緊急措置令の預金払出制限で新円の枯渇に悩む中小企業者から好評を得て、業績発展の基礎となった。1951年10月に相互銀行へ移行
    • [18]西日本無尽は1946年5月に「新円無尽」を創案。金融緊急措置令の預金払出制限で新円の枯渇に悩む中小企業者から好評を得て、業績発展の基礎となった。1951年10月に相互銀行へ移行
    • [19]西日本無尽は1946年5月に「新円無尽」を創案。金融緊急措置令の預金払出制限で新円の枯渇に悩む中小企業者から好評を得て、業績発展の基礎となった。1951年10月に相互銀行へ移行
  • 西日本相互銀行二十年史(1965)目次
    • [15]二十年史の第2章第1節「西日本無尽株式会社の創立」に「大分無尽株式会社および豊国相互無尽株式会社の合併」の項がある
    • [20]二十年史の第2章第2節「戦後激動期の当社」に「新円無尽と預金業務」「戦時補償の打切りと当社の再建整備」の項がある

出典・参考

6件
出典・参考
  • 大和銀行四十年史(1958)「一三、西日本無尽会社への経営参加」
  • 西日本相互銀行二十年史(1965)目次
  • 会社銀行八十年史(1955)「福岡相互銀行」
  • 会社銀行八十年史(1955)「西日本相互銀行」
  • 企業の歴史 明治百年(1968)「西日本相互銀行」
  • 証券 28(5) 1976年5月号(新規上場会社紹介)

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