第1章 年〜年

アルバック:日本真空技術の創業と国産真空装置の製造

1952年〜資本金600万円で輸入販売から出た日本真空技術と、大森工場の国産装置

日本真空技術は1952年8月、資本金6百万円で創業した。事業の目的は各種真空装置の輸入販売であり、米国NRC Equipment Corporationとの総代理店契約は将来の技術提携を前提に結ばれた。初代社長の石川芳次郎氏は、原子核物理の研究者を志していた林主税氏を、研究所の新設を約束して入社に誘った。資金面の後ろ盾には日本生命が立った。戦後の日本生命は、まだ実績を持たない技術系の新会社であっても、率いる経営者の力量を判断の拠り所として資金を出す運用方針をとっており、日本真空技術をその筆頭の例に数えている。この回顧録の筆者自身も、創立時から日本真空技術の役員を兼ねた。製品も販売実績も持たない会社が発足できたのは、米国メーカーの代理権と生命保険会社の長期資金という外部の裏付けを得たためとみられる。

  • アルバック 有価証券報告書(2025年6月期)沿革
    • [1]1952年8月、各種真空装置の輸入販売を目的に日本真空技術株式会社(資本金6百万円)を創業
    • [2]1952年、米国NRC Equipment Corporationと技術提携を前提とした総代理店契約を結び創業
  • 日経ビジネス 1991年6月10日号
    • [3]初代社長石川芳次郎が研究所新設を条件に原子核物理志望の林主税を誘い入社させた
  • 私の生命保険昭和史(1988)2章「一万田総裁の尽力で産業金融再開」
    • [4]日本生命は技術力は高いが実績のない新設会社にも経営者を見込んで協力し、筆者は創立以来日本真空技術の役員、同社をその代表格とする
    • [5]日本生命は技術力は高いが実績のない新設会社にも経営者を見込んで協力し、筆者は創立以来日本真空技術の役員、同社をその代表格とする
    • [6]日本生命は技術力は高いが実績のない新設会社にも経営者を見込んで協力し、筆者は創立以来日本真空技術の役員、同社をその代表格とする

日本真空技術は1955年4月に大森工場を新設し、国産装置の製造に着手した。創業から3年間の本業は、米国NRC Equipment Corporationの代理店としての真空装置の輸入販売であった。研究者として招かれ、後に会長となる林主税氏は、会社ができたばかりで研究に打ち込む余裕はなく、真空機器の売り込みに回ったと1991年に振り返った。営業先では自分で作ったわけでもない製品について顧客から厳しく叱責され、何度も退社を考えたという。他社製品の不備を詫びるしかない立場が、自社で設計し作り直せる工場を持つ動機になったと推察される。

  • アルバック 有価証券報告書(2025年6月期)沿革
    • [7]1955年4月、大森工場を新設し国産装置の製造に着手
    • [8]1952年の創業目的は各種真空装置の輸入販売(米NRC Equipmentの総代理店)
  • 日経ビジネス 1991年6月10日号
    • [9]創業直後は研究どころでなく林主税も真空機器の売り込みに出され、他社製品で顧客に叱られ退社を何度も考えた(1991年の回想、当時会長)
    • [10]創業直後は研究どころでなく林主税も真空機器の売り込みに出され、他社製品で顧客に叱られ退社を何度も考えた(1991年の回想、当時会長)

日本真空技術は1956年11月、株式会社東洋精機真空研究所を合併した。合併先の拠点は尼崎工場となり、真空化学装置と真空ポンプなどの規格品の製造が始まった。大森工場の国産装置に加え、型の決まった規格品を尼崎工場が受け持つ体制となった。1959年4月には本社と大森工場を横浜市へ移転。もともと初代社長の石川芳次郎氏は、林主税氏を誘う際に研究所の新設を約束していた。研究所の名を持つ会社の合併は、その約束に応えつつ、ポンプのような汎用品で売上の土台を厚くする手立てだったのだろう。

  • アルバック 有価証券報告書(2025年6月期)沿革
    • [11]1956年11月、東洋精機真空研究所を合併し尼崎工場として真空化学装置・真空ポンプ等の規格品の製造に着手
    • [12]1956年11月、東洋精機真空研究所を合併し尼崎工場として真空化学装置・真空ポンプ等の規格品の製造に着手
    • [13]1956年11月、東洋精機真空研究所を合併し尼崎工場として真空化学装置・真空ポンプ等の規格品の製造に着手
    • [14]1959年4月、本社及び大森工場を横浜市に移転
  • 日経ビジネス 1991年6月10日号
    • [15]石川芳次郎は林主税に立派な研究所をつくると約束して入社を誘った
参考文献[1]-[15]
  • アルバック 有価証券報告書(2025年6月期)沿革
    • [1]1952年8月、各種真空装置の輸入販売を目的に日本真空技術株式会社(資本金6百万円)を創業
    • [2]1952年、米国NRC Equipment Corporationと技術提携を前提とした総代理店契約を結び創業
    • [7]1955年4月、大森工場を新設し国産装置の製造に着手
    • [8]1952年の創業目的は各種真空装置の輸入販売(米NRC Equipmentの総代理店)
    • [11]1956年11月、東洋精機真空研究所を合併し尼崎工場として真空化学装置・真空ポンプ等の規格品の製造に着手
    • [12]1956年11月、東洋精機真空研究所を合併し尼崎工場として真空化学装置・真空ポンプ等の規格品の製造に着手
    • [13]1956年11月、東洋精機真空研究所を合併し尼崎工場として真空化学装置・真空ポンプ等の規格品の製造に着手
    • [14]1959年4月、本社及び大森工場を横浜市に移転
  • 日経ビジネス 1991年6月10日号
    • [3]初代社長石川芳次郎が研究所新設を条件に原子核物理志望の林主税を誘い入社させた
    • [9]創業直後は研究どころでなく林主税も真空機器の売り込みに出され、他社製品で顧客に叱られ退社を何度も考えた(1991年の回想、当時会長)
    • [10]創業直後は研究どころでなく林主税も真空機器の売り込みに出され、他社製品で顧客に叱られ退社を何度も考えた(1991年の回想、当時会長)
    • [15]石川芳次郎は林主税に立派な研究所をつくると約束して入社を誘った
  • 私の生命保険昭和史(1988)2章「一万田総裁の尽力で産業金融再開」
    • [4]日本生命は技術力は高いが実績のない新設会社にも経営者を見込んで協力し、筆者は創立以来日本真空技術の役員、同社をその代表格とする
    • [5]日本生命は技術力は高いが実績のない新設会社にも経営者を見込んで協力し、筆者は創立以来日本真空技術の役員、同社をその代表格とする
    • [6]日本生命は技術力は高いが実績のない新設会社にも経営者を見込んで協力し、筆者は創立以来日本真空技術の役員、同社をその代表格とする

1961年〜真空溶解炉から入った真空冶金と、米リライアンスと提携した日本リライアンス

日本真空技術は1961年7月、真空技術の基本を応用して真空冶金事業を始めた。装置を納める側から、真空の中で金属を処理する工程そのものを担う側へ事業の範囲を広げた。1962年9月には真空材料株式会社を設立し、耐火材料の販売を開始。同年10月には熱分析機器の専門メーカーとして真空理工株式会社を設けた。冶金と材料と分析機器という3つの隣接分野を、2年のうちに事業部や別会社の単位で立ち上げた。真空冶金事業部は1966年4月に分離され、真空冶金株式会社となった。装置の受注だけに依存せず、真空を使う工程と周辺の材料・計測をグループで持てば受注の幅が広がると判断したと思われる。

  • アルバック 有価証券報告書(2025年6月期)沿革
    • [16]1961年7月、真空技術の基本を応用し真空冶金事業を開始
    • [17]1961年7月、真空技術の基本を応用し真空冶金事業を開始
    • [18]1962年9月、真空材料株式会社(現アルバックマテリアル)を設立し耐火材料の販売を開始
    • [19]1962年10月、熱分析機器の専門メーカーとして真空理工株式会社(現アドバンス理工)を設立
    • [20]1961年7月、真空技術の基本を応用し真空冶金事業を開始
    • [21]1962年9月、真空材料株式会社(現アルバックマテリアル)を設立し耐火材料の販売を開始
    • [22]1962年10月、熱分析機器の専門メーカーとして真空理工株式会社(現アドバンス理工)を設立
    • [23]1966年4月、真空冶金事業部を分離し真空冶金株式会社を設立

日本真空技術は1963年10月、1929年創立の新生産業株式会社に吸収合併され、同日に社名を日本真空技術株式会社へ改めて旧社の事業を継いだ。1964年1月には社内の外国事業部リライアンス部を分離した。分離した部門は米国Reliance Electric and Engineering Co.との共同出資による日本リライアンス株式会社となり、現在の株式会社REJにつながる。輸入代理の部門を米国企業との合弁へ移し、取引を出資関係に置き換えた。同年7月には香港万豊有限公司との共同出資で、合弁会社Hong Kong ULVAC Co.,Ltd.を設立した。1964年に相次いだ2件の合弁は、次章の北米・台湾・西独への展開に先立つ海外との資本提携の起点になったと考えられる。

  • アルバック 有価証券報告書(2025年6月期)沿革
    • [24]1963年10月、新生産業株式会社(1929年創立)に吸収合併され同日日本真空技術株式会社に改称し事業を継続
    • [25]1964年1月、外国事業部リライアンス部を分離し米Reliance Electric and Engineering Co.と共同出資で日本リライアンス(現REJ)を設立
    • [26]1964年1月、外国事業部リライアンス部を分離し米Reliance Electric and Engineering Co.と共同出資で日本リライアンス(現REJ)を設立
    • [27]1964年1月、外国事業部リライアンス部を分離し米Reliance Electric and Engineering Co.と共同出資で日本リライアンス(現REJ)を設立
    • [28]1964年7月、香港万豊有限公司と共同出資で合弁会社Hong Kong ULVAC Co.,Ltd.を設立
参考文献[16]-[28]
  • アルバック 有価証券報告書(2025年6月期)沿革
    • [16]1961年7月、真空技術の基本を応用し真空冶金事業を開始
    • [17]1961年7月、真空技術の基本を応用し真空冶金事業を開始
    • [18]1962年9月、真空材料株式会社(現アルバックマテリアル)を設立し耐火材料の販売を開始
    • [19]1962年10月、熱分析機器の専門メーカーとして真空理工株式会社(現アドバンス理工)を設立
    • [20]1961年7月、真空技術の基本を応用し真空冶金事業を開始
    • [21]1962年9月、真空材料株式会社(現アルバックマテリアル)を設立し耐火材料の販売を開始
    • [22]1962年10月、熱分析機器の専門メーカーとして真空理工株式会社(現アドバンス理工)を設立
    • [23]1966年4月、真空冶金事業部を分離し真空冶金株式会社を設立
    • [24]1963年10月、新生産業株式会社(1929年創立)に吸収合併され同日日本真空技術株式会社に改称し事業を継続
    • [25]1964年1月、外国事業部リライアンス部を分離し米Reliance Electric and Engineering Co.と共同出資で日本リライアンス(現REJ)を設立
    • [26]1964年1月、外国事業部リライアンス部を分離し米Reliance Electric and Engineering Co.と共同出資で日本リライアンス(現REJ)を設立
    • [27]1964年1月、外国事業部リライアンス部を分離し米Reliance Electric and Engineering Co.と共同出資で日本リライアンス(現REJ)を設立
    • [28]1964年7月、香港万豊有限公司と共同出資で合弁会社Hong Kong ULVAC Co.,Ltd.を設立

出典・参考

3件
出典・参考
  • アルバック 有価証券報告書(2025年6月期)沿革
  • 日経ビジネス 1991年6月10日号
  • 私の生命保険昭和史(1988)2章「一万田総裁の尽力で産業金融再開」

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