第1章 年〜年

エルピーダメモリ:NEC日立メモリの設立とエルピーダメモリへの改称

NECと日立の脱DRAMが生んだ合弁の資金制約

1999年〜日本電気と日立製作所によるDRAM事業の折半統合

両社のDRAM事業を折半出資の新会社へ移管する

エルピーダメモリの前身は、日本電気と日立製作所が折半出資して設立したNEC日立メモリである。両社はDRAM事業をひとつにまとめる目的でこの会社を設立した。設立は1999年12月で、韓国企業などの追い上げによって日本の半導体メーカーが競争力を失いつつあるなか、規模の経済性を保ったまま事業を存続させることを統合の狙いとしていた。ただし、出資した二社にとっての位置づけはそれぞれ異なっていた。日本電気の西垣浩司社長は、設立の時点で脱DRAMの方針を示したと語っており『1999年末に日立製作所との折半出資でエルピーダメモリを設立した際にも「脱DRAM」の方針をはっきり示したつもりだ』、多額の投資を要して当たり外れの大きい事業を本体から切り離すことに主眼を置いていた。統合される側の事業は、親会社にとって伸ばす対象ではなく、手放す対象として新会社へ移された。

  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【沿革】
    • [1]エルピーダメモリは日本電気と日立製作所の折半出資により、1999年12月にNEC日立メモリとして設立された
  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 50-54頁
    • [2]両社は日本の半導体メーカーが韓国企業などの追い上げで力を失うなか、規模の経済性を維持しつつ生き残りを図る狙いでDRAM事業を統合した
  • 日経ビジネス 2002年9月16日号 65-67頁
    • [3]DRAMは多額の投資資金を要し、当たり外れの大きい事業と位置づけられていた
商号を改め、五つの地域に営業拠点を設置して販売を始める

新会社は2000年4月にDRAM製品の開発事業を始め、5月に商号をエルピーダメモリへ改めた。営業の足場は同じ年のうちに海外へ広がり、6月にドイツ、7月に香港とシンガポールと台湾、9月には親会社二社との共同出資で米国に拠点を置いた。ただし、製品を売る体制が整うのは設立から1年余りを経た2001年で、国内市場での販売業務が2月、北米・欧州・アジアでの販売業務が3月の開始だった。この間に市場の序列は動かなかった。2000年の世界のDRAM売上高シェアは、韓国サムスン電子が22.9%、米マイクロン・テクノロジーが20.4%、韓国ハイニックス半導体が18.9%と続いた。日本電気の6.4%と日立製作所の3.7%は、足し合わせても4位の独インフィニオンテクノロジーズの9.4%をわずかに上回るにすぎなかった。

  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【沿革】
    • [4]2000年4月にDRAM製品の開発事業を開始し、同年5月に商号をエルピーダメモリへ変更した
    • [5]2000年6月にドイツ、7月に香港・シンガポール・台湾、9月にNECグループおよび日立グループとの共同出資で米国に営業拠点を設立した
    • [6]2001年2月に国内市場での販売業務を、同年3月に北米・欧州・アジアでの販売業務を開始した
  • 日経ビジネス 2001年7月30日号 10頁(IDC調べ)
    • [7]2000年の世界DRAM売上高シェアはサムスン電子22.9%、マイクロン・テクノロジー20.4%、ハイニックス半導体18.9%の順だった
    • [8]同じ調査で日本電気は6.4%、日立製作所は3.7%、4位のインフィニオンテクノロジーズは9.4%だった
開発を相模原に間借りし、生産をNEC広島へ委託する

統合の実体は、親会社の設備と人員を借りたまま組み上げられていた。設計・開発部門の総勢400人は、神奈川県相模原市にある日本電気の建屋に間借りしていた。生産を担う自社工場は稼働しておらず、製品の製造は設立直後からNEC広島が請け負い、日立製作所の関連会社であるシンガポールの工場も使った。人員の構成も親会社が占め、2002年10月末の時点で社員は日本電気と日立製作所からの出向者がそれぞれ49%、プロパー社員は2%にとどまった。DRAM事業の統合を目的に設立した会社が、その生産を統合元の工場へ委託していたことは、統合が資本の形だけで止まっていたことを示している。

  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 50-54頁
    • [9]エルピーダメモリの設計・開発部門400人は神奈川県相模原市の日本電気の建物に間借りしていた
    • [10]NEC広島はエルピーダメモリの設立直後から同社製品の製造を請け負い、日立製作所の関連会社であるシンガポールの工場も受託生産していた
    • [11]2002年10月31日時点の社員構成は日本電気からの出向者49%、日立製作所からの出向者49%、プロパー社員2%だった
  • 日経ビジネス 2002年9月16日号 60-62頁
    • [12]DRAM事業の統合を目的に設立された会社がNEC広島へ生産を委託している状態は矛盾と指摘されていた
参考文献[1]-[12]
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【沿革】
    • [1]エルピーダメモリは日本電気と日立製作所の折半出資により、1999年12月にNEC日立メモリとして設立された
    • [4]2000年4月にDRAM製品の開発事業を開始し、同年5月に商号をエルピーダメモリへ変更した
    • [5]2000年6月にドイツ、7月に香港・シンガポール・台湾、9月にNECグループおよび日立グループとの共同出資で米国に営業拠点を設立した
    • [6]2001年2月に国内市場での販売業務を、同年3月に北米・欧州・アジアでの販売業務を開始した
  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 50-54頁
    • [2]両社は日本の半導体メーカーが韓国企業などの追い上げで力を失うなか、規模の経済性を維持しつつ生き残りを図る狙いでDRAM事業を統合した
    • [9]エルピーダメモリの設計・開発部門400人は神奈川県相模原市の日本電気の建物に間借りしていた
    • [10]NEC広島はエルピーダメモリの設立直後から同社製品の製造を請け負い、日立製作所の関連会社であるシンガポールの工場も受託生産していた
    • [11]2002年10月31日時点の社員構成は日本電気からの出向者49%、日立製作所からの出向者49%、プロパー社員2%だった
  • 日経ビジネス 2002年9月16日号 65-67頁
    • [3]DRAMは多額の投資資金を要し、当たり外れの大きい事業と位置づけられていた
  • 日経ビジネス 2001年7月30日号 10頁(IDC調べ)
    • [7]2000年の世界DRAM売上高シェアはサムスン電子22.9%、マイクロン・テクノロジー20.4%、ハイニックス半導体18.9%の順だった
    • [8]同じ調査で日本電気は6.4%、日立製作所は3.7%、4位のインフィニオンテクノロジーズは9.4%だった
  • 日経ビジネス 2002年9月16日号 60-62頁
    • [12]DRAM事業の統合を目的に設立された会社がNEC広島へ生産を委託している状態は矛盾と指摘されていた

2001年〜300mmウェハ工場E300Fabの着工と市況の崩落

広島に300mmウェハ対応の自社工場を着工する

自前の量産拠点を持つ判断は、設立から1年余りで下された。2001年2月、直径300mmのウェハに対応する自社工場E300Fabの建設に着手した。建屋は2002年に竣工し、延べ床面積は約2万2000平方メートルに達した。ところが導入済みの設備は300mmウェハで月産3000枚の能力にとどまり、工場の内部はがらんとしたまま残った。坂本幸雄氏が社長に就いた後に立てた計画では、利益を生み出す最低ラインは月産1万5000枚で、そこまで引き上げるには800億円の設備投資を要した。着工の判断を下せても、能力に変えるための資金は親会社の同意なしには動かなかった。

  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【沿革】
    • [13]2001年2月に直径300mmのウェハに対応する自社工場E300Fabの建設へ着手した
  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 50-54頁
    • [14]エルピーダメモリの工場建屋は2002年に竣工し、延べ床面積は約2万2000平方メートルだった
    • [15]導入済みの設備は直径300mmウェハで月産3000枚の生産能力にとどまっていた
    • [16]坂本幸雄氏は利益を生む最低ラインを300mmウェハで月産1万5000枚とし、そのための設備投資資金を800億円と見積もった
DRAM価格が9カ月で10分の1に下がる

主力の128メガDRAMのスポット価格は2000年10月に17ドル前後だったが、2001年7月には1ドル後半から2ドル程度まで下がり、9カ月で10分の1近い水準になった。128メガの損益分岐点は最大手の韓国勢や米マイクロン・テクノロジーでも5ドルを上回るとみられ、2ドルでの販売は各社に赤字を強いた。1個売るごとに100円の損失が出る計算だという指摘もあった。世界4位の独インフィニオンテクノロジーズは2001年4〜6月期に5億9800万ユーロの赤字を出し、汎用DRAMからの撤退を探り始めた。日本勢では日本電気が海外生産からの撤退を決め、日立製作所はシンガポール工場の生産を中止した。着工から1年半のうちに、投資の前提に置いた価格は10分の1になっていた。

  • 日経ビジネス 2001年7月30日号 10頁
    • [17]128メガDRAMのスポット価格は2000年10月の17ドル前後から2001年7月には1ドル後半から2ドル程度へ下落した
    • [18]128メガDRAMの損益分岐点は韓国勢やマイクロン・テクノロジーでも5ドルを上回るとみられていた
    • [20]独インフィニオンテクノロジーズは2001年4〜6月期に5億9800万ユーロの赤字を計上し、汎用DRAMからの撤退を検討し始めた
    • [21]日本電気は海外生産からの撤退を決め、日立製作所はシンガポール工場の生産を中止した
  • 日経ビジネス 2002年1月14日号 6-7頁(ウエストLB証券・南川明氏)
    • [19]2001年秋に128メガDRAMの単価が1ドルを割り、1個の販売につき100円の損失が生じる水準と試算された
設立から赤字を重ね、2002年3月期に266億円の最終赤字を出す

2002年3月期の決算は、連結売上高783億円に対して経常損失262億円、最終損失266億円という内容だった。2003年3月期になると売上高は632億円まで細り、経常損失226億円・最終損失261億円と、損失の大きさはほぼ同じまま事業だけが縮んだ。年商が700億〜800億円台で推移するなか、毎期の赤字は200億円の線を下回ることがなく、景気の一時的な沈み込みでは片付けられない状態が続いていた。人員も2002年3月期末の630人が翌期末に582人となった。この間、国内の半導体各社は撤退へ向かい、汎用DRAMをやめた東芝は、米国に持つDRAM工場の土地と設備をまとめて米マイクロン・テクノロジーに売り渡した。

  • エルピーダメモリ 連結損益(07_pl_long)
    • [22]2002年3月期の連結売上高は783億円、経常損失は262億円、当期純損失は266億円だった
    • [23]2003年3月期の連結売上高は632億円、経常損失は226億円、当期純損失は261億円だった
    • [25]連結従業員数は2002年3月期末の630人から2003年3月期末には582人となった
  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 50-54頁
    • [24]エルピーダメモリは年間700億〜800億円の売上規模に対して毎年200億円を超える赤字を出していた
  • 日経ビジネス 2002年1月14日号 6-7頁
    • [26]東芝は米国のDRAM工場の土地・設備一式を2002年1月末にも米マイクロン・テクノロジーへ売却すると決め、汎用DRAM事業から撤退した
参考文献[13]-[26]
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【沿革】
    • [13]2001年2月に直径300mmのウェハに対応する自社工場E300Fabの建設へ着手した
  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 50-54頁
    • [14]エルピーダメモリの工場建屋は2002年に竣工し、延べ床面積は約2万2000平方メートルだった
    • [15]導入済みの設備は直径300mmウェハで月産3000枚の生産能力にとどまっていた
    • [16]坂本幸雄氏は利益を生む最低ラインを300mmウェハで月産1万5000枚とし、そのための設備投資資金を800億円と見積もった
    • [24]エルピーダメモリは年間700億〜800億円の売上規模に対して毎年200億円を超える赤字を出していた
  • 日経ビジネス 2001年7月30日号 10頁
    • [17]128メガDRAMのスポット価格は2000年10月の17ドル前後から2001年7月には1ドル後半から2ドル程度へ下落した
    • [18]128メガDRAMの損益分岐点は韓国勢やマイクロン・テクノロジーでも5ドルを上回るとみられていた
    • [20]独インフィニオンテクノロジーズは2001年4〜6月期に5億9800万ユーロの赤字を計上し、汎用DRAMからの撤退を検討し始めた
    • [21]日本電気は海外生産からの撤退を決め、日立製作所はシンガポール工場の生産を中止した
  • 日経ビジネス 2002年1月14日号 6-7頁(ウエストLB証券・南川明氏)
    • [19]2001年秋に128メガDRAMの単価が1ドルを割り、1個の販売につき100円の損失が生じる水準と試算された
  • エルピーダメモリ 連結損益(07_pl_long)
    • [22]2002年3月期の連結売上高は783億円、経常損失は262億円、当期純損失は266億円だった
    • [23]2003年3月期の連結売上高は632億円、経常損失は226億円、当期純損失は261億円だった
    • [25]連結従業員数は2002年3月期末の630人から2003年3月期末には582人となった
  • 日経ビジネス 2002年1月14日号 6-7頁
    • [26]東芝は米国のDRAM工場の土地・設備一式を2002年1月末にも米マイクロン・テクノロジーへ売却すると決め、汎用DRAM事業から撤退した

2002年〜親会社の脱DRAMと外部からの社長の招請

日本電気が半導体を分社し、エルピーダを本社管理に置く

親会社の側の事情が、新会社の扱いを決めた。日本電気の半導体事業は2002年3月期に1481億円の営業赤字を計上し、連結最終損失は3120億円と過去最悪になった。西垣浩司社長は脱DRAMとシステムLSIへの特化を掲げ、2002年11月に半導体事業を完全分社してNECエレクトロニクスを設立した。ただしエルピーダメモリはこの新会社へ引き継がず、本社の管理下に置いた。本社主導で生き残りの道を探るためである。日本電気の連結株主資本比率は2002年3月期末に11%まで低下しており、DRAMへ追加で投じる資金の余力は本体にも残っていなかった。

  • 日経ビジネス 2002年9月16日号 60-62頁
    • [27]日本電気の半導体事業は2002年3月期に1481億円の営業赤字を計上し、連結最終損失は3120億円と過去最悪となった
    • [28]日本電気は2002年11月に半導体事業を完全分社してNECエレクトロニクスを設立した
    • [29]日本電気はエルピーダメモリを半導体新会社へ引き継がず、本社管理とした
    • [30]本社管理としたのは本社主導で新たな生き残りの道を模索するためだった
  • 日経ビジネス 2002年9月16日号 65-67頁
    • [31]日本電気の連結株主資本比率は2002年3月期末に11%まで低下していた
折半出資の構造が設備投資の決定を止める

出資比率が等しいことは、意思決定の速さを奪った。2002年3月に日立製作所と三菱電機がシステムLSI事業の統合を発表した際、富士通の首脳は『50対50の会社でうまくいくのか』と述べて折半出資の会社に懐疑を示し、その例としてエルピーダメモリを挙げた。親会社間で設備導入を巡る対立があるとされ、戦略遂行の遅れが伝えられていたためである。日本電気はてこ入れ策として、両親会社の工場を使う自前主義を修正し、外部のファウンドリーの活用と資本の多様化によって投資リスクを軽減する方針を示した。半導体の競争では投資の時機が収益を左右するが、決定に二社の合意を要する構造は、その時機を逃す仕組みとして働いていた。

  • 日経ビジネス 2002年4月1日号 10頁
    • [32]2002年3月18日に日立製作所と三菱電機がシステムLSI事業の統合を発表し、富士通の首脳は折半出資会社の実効性に懐疑を示した
    • [33]エルピーダメモリは親会社間で設備導入を巡る対立があるとされ、戦略遂行の遅れが伝えられていた
  • 日経ビジネス 2002年9月16日号 60-62頁
    • [34]日本電気は両親会社の工場を利用する自前主義を修正し、外部のファウンドリー活用と資本の多様化で投資リスクを軽減する方針を示した
DRAM専業の経営者を外部から招いて社長に据える

日本電気が選んだ打開策は、増資ではなく経営者の交代だった。西垣浩司社長はてこ入れ策の一つとして、『エルピーダのトップにDRAMビジネスの専門家をリクルートする』と述べた。当時の社長は日本電気出身の徳山賢二氏で、順番から言えば後任は日立製作所から出るはずだったが、業界ではユー・エム・シー・ジャパンの坂本幸雄社長の名が取り沙汰された。坂本幸雄氏は日本テキサス・インスツルメンツで副社長を務めた後、神戸製鋼所を経てKTIセミコンダクターと日本ファウンドリーの業績を急回復させた実績を持っていた。2002年11月1日、坂本幸雄氏は徳山賢二氏の後任として社長に就いた。親会社は資金ではなく人を入れることで、設立から3年の会社の再建を託した。

  • 日経ビジネス 2002年9月16日号 60-62頁
    • [35]日本電気の西垣浩司社長はエルピーダメモリのてこ入れ策として、DRAMビジネスの専門家を外部から招く方針を示した
    • [36]当時のエルピーダメモリ社長は日本電気出身の徳山賢二氏で、後任にはユー・エム・シー・ジャパンの坂本幸雄社長の名が取り沙汰されていた
  • 日経ビジネス 2000年6月26日号 170-172頁
    • [37]坂本幸雄氏は日本テキサス・インスツルメンツの副社長を務めた後、神戸製鋼所を経てKTIセミコンダクターと日本ファウンドリーの業績を回復させた
  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 50-54頁
    • [38]坂本幸雄氏は2002年11月1日に社長就任会見に臨んだ
参考文献[27]-[38]
  • 日経ビジネス 2002年9月16日号 60-62頁
    • [27]日本電気の半導体事業は2002年3月期に1481億円の営業赤字を計上し、連結最終損失は3120億円と過去最悪となった
    • [28]日本電気は2002年11月に半導体事業を完全分社してNECエレクトロニクスを設立した
    • [29]日本電気はエルピーダメモリを半導体新会社へ引き継がず、本社管理とした
    • [30]本社管理としたのは本社主導で新たな生き残りの道を模索するためだった
    • [34]日本電気は両親会社の工場を利用する自前主義を修正し、外部のファウンドリー活用と資本の多様化で投資リスクを軽減する方針を示した
    • [35]日本電気の西垣浩司社長はエルピーダメモリのてこ入れ策として、DRAMビジネスの専門家を外部から招く方針を示した
    • [36]当時のエルピーダメモリ社長は日本電気出身の徳山賢二氏で、後任にはユー・エム・シー・ジャパンの坂本幸雄社長の名が取り沙汰されていた
  • 日経ビジネス 2002年9月16日号 65-67頁
    • [31]日本電気の連結株主資本比率は2002年3月期末に11%まで低下していた
  • 日経ビジネス 2002年4月1日号 10頁
    • [32]2002年3月18日に日立製作所と三菱電機がシステムLSI事業の統合を発表し、富士通の首脳は折半出資会社の実効性に懐疑を示した
    • [33]エルピーダメモリは親会社間で設備導入を巡る対立があるとされ、戦略遂行の遅れが伝えられていた
  • 日経ビジネス 2000年6月26日号 170-172頁
    • [37]坂本幸雄氏は日本テキサス・インスツルメンツの副社長を務めた後、神戸製鋼所を経てKTIセミコンダクターと日本ファウンドリーの業績を回復させた
  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 50-54頁
    • [38]坂本幸雄氏は2002年11月1日に社長就任会見に臨んだ

筆者考察

折半出資は、事業を残すための仕組みではなく、手放すための仕組みだった。日本電気と日立製作所が1999年12月にDRAM事業を統合した名目は、規模の経済を保って韓国勢に対抗することにある。しかし二社はどちらも半導体の主力をシステムLSIへ移す途中にあり、DRAMは投資負担ばかりが重い過去の事業として扱われていた。新会社は工場も設計拠点も親会社から借り、社員の98%を出向者が占める構成で走り出す。生産まで統合元のNEC広島へ委託していたのだから、統合されたのは損益の置き場所であって、事業そのものではなかった。

資本が半分ずつという形は、投資の時機を逃す装置として働いた。128メガDRAMのスポット価格が9カ月で10分の1になる市場では、底値で装置を入れた者が次の山で利益を取る。ところが設備投資の決定には二つの親会社の同意が要り、どちらも追加の資金を出す意思を持たなかった。2001年2月に着工した300mmウェハ工場は、建屋だけが立ち、月産3000枚の設備しか入らないまま2002年を越える。日本電気が打った手が増資ではなく社長の交代だったことは、この会社に足りなかったものが判断する人よりも、判断を通すだけの資本の構えだったことを示している。

128メガDRAMのスポット価格 2000年10月〜2001年7月(北米市場)(ドル)

17 2000年10月 2 2001年7月
  • 2001年7月の価格は1ドル後半から2ドル程度で、ここでは上限の2ドルを取った。
  • 出所は日経ビジネス 2001年7月30日号 10頁(ICIS-LOR社調べ)。

1999年〜2002年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率 億円
1999年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
2000年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
2001年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
2002年03月期 連結 783 n/a ▲262 ▲33.5% ▲266 n/a

出典・参考

11件
出典・参考
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【沿革】
  • 日経ビジネス 2000年6月26日号 170-172頁
  • 日経ビジネス 2001年7月30日号 10頁(IDC調べ)
  • 日経ビジネス 2001年7月30日号 10頁
  • 日経ビジネス 2002年9月16日号 65-67頁
  • 日経ビジネス 2002年9月16日号 60-62頁
  • 日経ビジネス 2002年1月14日号 6-7頁(ウエストLB証券・南川明氏)
  • 日経ビジネス 2002年1月14日号 6-7頁
  • 日経ビジネス 2002年4月1日号 10頁
  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 50-54頁
  • エルピーダメモリ 連結損益(07_pl_long)

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