第2章 年〜年

エルピーダメモリ:三菱電機のDRAM事業譲受と東証一部上場

坂本幸雄の資金調達によるNEC・日立からの独立

2003年〜800億円の調達とファウンドリー併用への転換

親会社の追加出資が絶たれ、外部から800億円を調達する

就任直後の坂本幸雄氏にとって最初の課題は、生産能力を増やすための800億円をどこから集めるかだった。社長になって2週目には米国へ飛び、主要顧客を回る合間にある事業会社の投資子会社を訪れて、日本電気・日立製作所に続く大株主となる可能性のある先に自ら戦略を語った。親会社二社への追加出資の要請も続けていたが、2002年の年末に両社から、もう応じられないという結論を突きつけられた。そのため資金の当ては通常の借り入れや投資にとどまらなかった。顧客企業に出資を打診し、半導体製造装置メーカーにはリース代に相当する額を出資の形で出すよう求めた。調達のめどが立ったのは、就任から12週目にあたる2003年1月下旬だった。

  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 50-54頁
    • [1]坂本幸雄氏は生産能力を5倍に拡大するための設備投資資金として800億円の調達を進めた
    • [2]就任第2週の米国出張で、坂本幸雄氏は設備投資資金の半分近くを出資しうる事業会社の投資子会社を訪問した
    • [3]親会社二社への追加出資の要請に対し、一切出さないという最終回答を得たのは就任第8週の2002年末だった
    • [4]資金調達では顧客企業への出資の打診や、半導体製造装置メーカーへ装置のリース代相当を出資するよう求める要請も行われた
    • [5]800億円の設備投資資金の調達は就任第12週にあたる2003年1月下旬にめどがついた
自社工場と外部受託を半々にする生産の型を敷く

調達の前提には、生産の持ち方を変える設計があった。坂本幸雄氏は『DRAMは価格変動のリスクが大きい。安定して収益を生むには、ファウンドリーの活用が不可欠』と述べ、自社工場と外部の受託生産会社で生産を折半する形を最適のモデルとした。パソコン向けの普及品は価格の変動が大きいため低コストの受託先に任せ、自社工場では付加価値の高い製品と、世代は古くとも利幅の安定した製品を作る。受託先との契約は一定規模の生産ラインを専用に確保する内容で、顧客への販売価格の一定割合をマージンとして受け取る形にしたため、価格が下がる局面でも損失が出ない構造になっていた。2003年3月には台湾のPowerchip Semiconductor CorporationとDRAMの調達契約を締結した。

  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 50-54頁
    • [6]坂本幸雄氏は自社工場での生産と受託生産会社での生産を半々にする形を最適のビジネスモデルと位置づけた
    • [7]パソコン向けの普及品は受託先に任せ、自社工場では付加価値の高い製品と世代が古く利幅の安定した製品を生産する方針を採った
    • [8]受託先との契約は専用の生産ラインを確保し、販売価格の一定割合をマージンとして受け取る内容で、価格下落時に損失が出ない形にした
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【沿革】
    • [9]2003年3月に台湾のPowerchip Semiconductor CorporationとDRAM調達契約を締結した
三菱電機のDRAM事業を引き受け、広島の量産を立ち上げる

2003年3月、三菱電機からDRAM事業を譲り受け、開発エンジニアを受け入れた。同じ年の1月にはE300エリア1での量産が始まり、9月には生産を担う子会社として広島エルピーダメモリを設立した。それでも世界市場での位置は低いままだった。三菱電機の分を合わせてもシェアは5〜6%にとどまり、30%以上を握る韓国サムスン電子との差は開いていた。DRAMでは投資の時機が半年遅れるだけで1000億円単位の利益を失うとされ、不況期に投資を決められずに競争力を落とした日本の先行各社と同じ経路をたどらないために、坂本幸雄氏は調達を急いだ。

  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【沿革】
    • [10]2003年3月に三菱電機よりDRAM事業を譲り受け、開発エンジニアを受け入れた
    • [11]2003年1月にE300エリア1での量産稼動を開始し、同年9月に生産を担当する子会社の広島エルピーダメモリを設立した
  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 50-54頁
    • [12]2003年3月末に事業譲渡を受ける三菱電機の分を合わせてもエルピーダメモリのシェアは5〜6%で、首位のサムスン電子は30%以上だった
    • [14]不況期に投資を判断できず競争力を失った日本のDRAMメーカーの経路を避けることが、資金調達を急いだ理由だった
  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 50-54頁(野村証券金融研究所・石原昇主任研究員)
    • [13]DRAM事業では投資のタイミングが半年遅れると1000億円単位の利益を逃すと指摘されていた
参考文献[1]-[14]
  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 50-54頁
    • [1]坂本幸雄氏は生産能力を5倍に拡大するための設備投資資金として800億円の調達を進めた
    • [2]就任第2週の米国出張で、坂本幸雄氏は設備投資資金の半分近くを出資しうる事業会社の投資子会社を訪問した
    • [3]親会社二社への追加出資の要請に対し、一切出さないという最終回答を得たのは就任第8週の2002年末だった
    • [4]資金調達では顧客企業への出資の打診や、半導体製造装置メーカーへ装置のリース代相当を出資するよう求める要請も行われた
    • [5]800億円の設備投資資金の調達は就任第12週にあたる2003年1月下旬にめどがついた
    • [6]坂本幸雄氏は自社工場での生産と受託生産会社での生産を半々にする形を最適のビジネスモデルと位置づけた
    • [7]パソコン向けの普及品は受託先に任せ、自社工場では付加価値の高い製品と世代が古く利幅の安定した製品を生産する方針を採った
    • [8]受託先との契約は専用の生産ラインを確保し、販売価格の一定割合をマージンとして受け取る内容で、価格下落時に損失が出ない形にした
    • [12]2003年3月末に事業譲渡を受ける三菱電機の分を合わせてもエルピーダメモリのシェアは5〜6%で、首位のサムスン電子は30%以上だった
    • [14]不況期に投資を判断できず競争力を失った日本のDRAMメーカーの経路を避けることが、資金調達を急いだ理由だった
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【沿革】
    • [9]2003年3月に台湾のPowerchip Semiconductor CorporationとDRAM調達契約を締結した
    • [10]2003年3月に三菱電機よりDRAM事業を譲り受け、開発エンジニアを受け入れた
    • [11]2003年1月にE300エリア1での量産稼動を開始し、同年9月に生産を担当する子会社の広島エルピーダメモリを設立した
  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 50-54頁(野村証券金融研究所・石原昇主任研究員)
    • [13]DRAM事業では投資のタイミングが半年遅れると1000億円単位の利益を逃すと指摘されていた

2004年〜東証一部上場と親会社からの距離

親会社の持分を引き下げ、販売子会社を完全子会社にする

2003年3月から2004年3月にかけて日本電気と日立製作所の持分がそれぞれ50%から約30%へ下がり、外部株主が残る約40%を握るようになった。年内をめどに50人前後を中途で採用する計画を立て、出向者に頼る比率を下げる方向で社員構成を見直した。米国の販売子会社であるElpida Memory (USA) Inc.については、2004年3月に両親会社が持っていた株式を取得して完全子会社化した。生産面では日立製作所の関連会社であるシンガポール工場を製造対象から外し、海外への委託生産を全体の約50%まで高める形に組み替えた。

  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 50-54頁
    • [15]2003年3月から2004年3月にかけて日本電気と日立製作所の出資比率はそれぞれ50%から約30%へ下がり、その他の株主が約40%を持つ形へ移行する計画だった
    • [16]2003年内に50人ほどを中途採用する予定で、親会社からの出向者の比率を下げる計画だった
    • [18]日立製作所の関連会社であるシンガポールの工場は製造から離れ、海外のファウンドリーでの生産が約50%を占める体制へ移る計画だった
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【沿革】
    • [17]2004年3月にElpida Memory (USA) Inc.のNECグループおよび日立グループの株式持分を取得し、100%子会社とした
東証一部上場で投資資金の調達路を市場へ移行する

2004年11月、東京証券取引所市場第一部に株式を上場した。5カ月前の2004年6月にはE300エリア1の隣接地でエリア2とエリア3の増設に着手しており、資金の使い道は先に決まっていた。2004年3月期は売上高1004億円に対して269億円の最終損失を計上したが、2005年3月期は売上高2070億円、営業利益151億円、当期純利益82億円となった。従業員数は2003年3月期末の582人から2005年3月期末には2333人へ増えた。設立から5年を経て、投資の原資を親会社の同意ではなく市場から取る体制へ移った。

  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【沿革】
    • [19]2004年11月に東京証券取引所市場第一部へ株式を上場した
    • [20]2004年6月にE300エリア1の隣接地でエリア2およびエリア3の増設に着手した
  • エルピーダメモリ 連結損益(07_pl_long)
    • [21]2004年3月期は売上高1004億円・当期純損失269億円、2005年3月期は売上高2070億円・営業利益151億円・当期純利益82億円だった
  • エルピーダメモリ 従業員数(16_employee)
    • [22]連結従業員数は2003年3月期末の582人から2005年3月期末には2333人となった
寡占を嫌う顧客側から資本の受け皿とみなされる

外部から資本を引き寄せた理由は、技術と業界構造の両方にあった。2002年秋には米インテルがエルピーダメモリへ出資するとの観測が流れ、インテルのクレイグ・バレットCEOは肯定も否定もしないまま『エルピーダメモリは高い技術力を持っている。我々が出資するのではないかと勘ぐりたくなるのも分かる』と述べた。インテルにとって望ましいのはDRAM市場に多数の企業が残って供給過剰が続く状態であり、韓国サムスン電子と米マイクロン・テクノロジーによる寡占が進むことは避けたい方向だった。実際にインテルはサムスン電子へ1億ドル、マイクロン・テクノロジーへ5億ドル、独インフィニオンテクノロジーズへ2億5000万ドルを出資した実績を持っていた。基盤の弱いDRAMメーカーを支えて寡占に歯止めをかける戦略の対象として、エルピーダメモリの名が挙がった。

  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 6-7頁
    • [23]2002年秋に米インテルがエルピーダメモリへ出資するとの報道があり、インテルのクレイグ・バレットCEOは肯定も否定もしなかった
    • [24]インテルにとって理想はDRAM市場に多数の企業が参加して供給過剰が続くことであり、寡占化と価格統制は歓迎できない方向だった
    • [25]インテルはサムスン電子に1億ドル、マイクロン・テクノロジーに5億ドル、インフィニオンテクノロジーズに2億5000万ドルを出資した実績を持つ
    • [26]事業基盤の強くないDRAMメーカーへ出資して寡占化に歯止めをかける戦略の対象として、エルピーダメモリへの出資説が取り沙汰された
参考文献[15]-[26]
  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 50-54頁
    • [15]2003年3月から2004年3月にかけて日本電気と日立製作所の出資比率はそれぞれ50%から約30%へ下がり、その他の株主が約40%を持つ形へ移行する計画だった
    • [16]2003年内に50人ほどを中途採用する予定で、親会社からの出向者の比率を下げる計画だった
    • [18]日立製作所の関連会社であるシンガポールの工場は製造から離れ、海外のファウンドリーでの生産が約50%を占める体制へ移る計画だった
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【沿革】
    • [17]2004年3月にElpida Memory (USA) Inc.のNECグループおよび日立グループの株式持分を取得し、100%子会社とした
    • [19]2004年11月に東京証券取引所市場第一部へ株式を上場した
    • [20]2004年6月にE300エリア1の隣接地でエリア2およびエリア3の増設に着手した
  • エルピーダメモリ 連結損益(07_pl_long)
    • [21]2004年3月期は売上高1004億円・当期純損失269億円、2005年3月期は売上高2070億円・営業利益151億円・当期純利益82億円だった
  • エルピーダメモリ 従業員数(16_employee)
    • [22]連結従業員数は2003年3月期末の582人から2005年3月期末には2333人となった
  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 6-7頁
    • [23]2002年秋に米インテルがエルピーダメモリへ出資するとの報道があり、インテルのクレイグ・バレットCEOは肯定も否定もしなかった
    • [24]インテルにとって理想はDRAM市場に多数の企業が参加して供給過剰が続くことであり、寡占化と価格統制は歓迎できない方向だった
    • [25]インテルはサムスン電子に1億ドル、マイクロン・テクノロジーに5億ドル、インフィニオンテクノロジーズに2億5000万ドルを出資した実績を持つ
    • [26]事業基盤の強くないDRAMメーカーへ出資して寡占化に歯止めをかける戦略の対象として、エルピーダメモリへの出資説が取り沙汰された

2005年〜後工程の取り込みと台湾合弁による能力の確保

ウェハテストと後工程を自社の側へ取り込む

量産の能力は、工程を自社の側へ取り込む形でも広げられた。2005年8月、ウェハプローブテスト工程の専門会社として、Kingston Technology Japan, LLC、Powertech Technology Inc.、アドバンテストとの合弁でテラプローブを設立した。同年10月にはE300エリア2での量産が始まった。2006年10月には日立製作所からアキタ電子システムズとその子会社の半導体後工程事業を譲り受け、秋田エルピーダメモリとして事業を始めた。後工程の大半は海外企業への委託が続いたが、先端パッケージだけは秋田エルピーダメモリが担った。前工程の増設と並行して、テストと後工程の一部が自社の内側へ移った。

  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【沿革】
    • [27]2005年8月にウェハプローブテスト工程の専門企業テラプローブを、Kingston Technology Japan, LLC、Powertech Technology Inc.、アドバンテストと合弁で設立した
    • [28]2005年10月にE300エリア2での量産稼動を開始した
    • [29]2006年10月に日立製作所よりアキタ電子システムズおよびアキタセミコンダクタの半導体後工程事業を譲り受け、秋田エルピーダメモリとして事業を開始した
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【事業の内容】
    • [30]DRAM製品の後工程は主に海外企業へ委託し、先端パッケージは国内子会社の秋田エルピーダメモリが担った
    • [31]ウェハプローブテストは関連会社のテラプローブが、後工程の先端パッケージは秋田エルピーダメモリが担う分業体制が組まれた
台湾にRexchipを設立し、最先端の量産を国外で行う

2007年1月、台湾のPowerchip Semiconductor Corporationと、台湾中部サイエンスパーク内にDRAM生産の合弁会社Rexchip Electronics Corporationを設立することで正式に合意した。広島工場をマザーファブと位置づけ、Rexchipと台湾の生産パートナーへ技術を提供する形で、前工程の量産能力を国外へ広げる構えだった。国内の旧世代の設備は逆向きに整理され、2007年4月には広島エルピーダメモリのE200Fab内の製造装置を中国のCension Semiconductor Manufacturing Corporationへ譲渡した。2007年3月期の売上高は4900億円、営業利益は684億円、当期純利益は529億円と、いずれも設立以来の最高となった。最先端の量産を国外へ置く判断は、広島の役割を量を作る場から技術を出す場へ移すものだった。

  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【沿革】
    • [32]2007年1月にPowerchip Semiconductor Corporationと台湾・中部サイエンスパーク内にDRAM生産合弁会社Rexchip Electronics Corporationを設立することで正式合意した
    • [34]2007年4月に広島エルピーダメモリのE200Fab内の製造装置を中国のCension Semiconductor Manufacturing Corporationへ譲渡した
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【事業の内容】
    • [33]広島工場をマザーファブと位置づけ、Rexchip Electronics Corporationおよび台湾の生産パートナーへ技術提供を行う体制を採った
  • エルピーダメモリ 連結損益(07_pl_long)
    • [35]2007年3月期の連結売上高は4900億円、営業利益684億円、当期純利益529億円だった
2008年3月期に営業赤字へ反転する

2008年3月期は、売上高が前期の4900億円から4055億円へ減り、営業損益は249億円、経常損益は396億円、最終損益は235億円といずれも赤字へ転じた。2004年の時点で、2006年前後にシリコンサイクルが谷へ入り、多くの半導体メーカーが供給過剰による単価下落と収益悪化に直面するとの見方が示されていた。生産の体制はこの局面でも組み替えられ、2008年4月には生産子会社の広島エルピーダメモリを吸収合併して前工程を本体へ戻した。従業員数は2008年3月期末で3477人となり、うち提出会社の従業員は1017人だった。生産能力を積み増した直後に市況が反転する順序は、設立の翌年に起きたことと変わらなかった。

  • エルピーダメモリ 連結損益(07_pl_long)
    • [36]2008年3月期の連結売上高は4055億円(前期は4900億円)、営業損失249億円、経常損失396億円、当期純損失235億円だった
  • 日経ビジネス 2004年5月10日号 38-41頁
    • [37]2006年にシリコンサイクルが谷底へ入り、半導体メーカーの多くが供給過剰による単価下落と収益悪化に直面するとの見方が2004年に示されていた
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【沿革】
    • [38]2008年4月に生産子会社の広島エルピーダメモリを吸収合併した
  • エルピーダメモリ 従業員数(16_employee)
    • [39]2008年3月期末の連結従業員数は3477人、提出会社の従業員数は1017人だった
参考文献[27]-[39]
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【沿革】
    • [27]2005年8月にウェハプローブテスト工程の専門企業テラプローブを、Kingston Technology Japan, LLC、Powertech Technology Inc.、アドバンテストと合弁で設立した
    • [28]2005年10月にE300エリア2での量産稼動を開始した
    • [29]2006年10月に日立製作所よりアキタ電子システムズおよびアキタセミコンダクタの半導体後工程事業を譲り受け、秋田エルピーダメモリとして事業を開始した
    • [32]2007年1月にPowerchip Semiconductor Corporationと台湾・中部サイエンスパーク内にDRAM生産合弁会社Rexchip Electronics Corporationを設立することで正式合意した
    • [34]2007年4月に広島エルピーダメモリのE200Fab内の製造装置を中国のCension Semiconductor Manufacturing Corporationへ譲渡した
    • [38]2008年4月に生産子会社の広島エルピーダメモリを吸収合併した
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【事業の内容】
    • [30]DRAM製品の後工程は主に海外企業へ委託し、先端パッケージは国内子会社の秋田エルピーダメモリが担った
    • [31]ウェハプローブテストは関連会社のテラプローブが、後工程の先端パッケージは秋田エルピーダメモリが担う分業体制が組まれた
    • [33]広島工場をマザーファブと位置づけ、Rexchip Electronics Corporationおよび台湾の生産パートナーへ技術提供を行う体制を採った
  • エルピーダメモリ 連結損益(07_pl_long)
    • [35]2007年3月期の連結売上高は4900億円、営業利益684億円、当期純利益529億円だった
    • [36]2008年3月期の連結売上高は4055億円(前期は4900億円)、営業損失249億円、経常損失396億円、当期純損失235億円だった
  • 日経ビジネス 2004年5月10日号 38-41頁
    • [37]2006年にシリコンサイクルが谷底へ入り、半導体メーカーの多くが供給過剰による単価下落と収益悪化に直面するとの見方が2004年に示されていた
  • エルピーダメモリ 従業員数(16_employee)
    • [39]2008年3月期末の連結従業員数は3477人、提出会社の従業員数は1017人だった

筆者考察

坂本幸雄氏が就任後100日でやったのは、資金の出し手を親会社から外へ入れ替えることだった。800億円という額は、300mmウェハで月産3000枚の工場を1万5000枚へ引き上げるために要る金額であり、規模がそのまま原価を決めるDRAMでは、能力を持たないこと自体が競争劣位になる。親会社二社は一切出さないと答えたが、外部の投資会社と金融機関、製造装置メーカーがその穴を埋めた。出資比率は50%ずつから約30%ずつへ薄まり、2004年11月の東証一部上場で資金の出どころは市場へ移る。増資を渋った二社は、渋ったぶんだけ持分を失った。

自社工場と受託生産を半々にする設計は、シリコンサイクルに対する保険だった。価格変動の大きいパソコン向け普及品は台湾のPowerchipや中国のSMICへ出し、広島の自社工場では利幅の安定した製品を作る。受託先との契約は販売価格の一定割合をマージンとして受け取る形にしたため、値下がりの局面で損失は出ない代わりに、高値の局面の利益も取れない。2007年3月期に売上高4900億円・営業利益684億円まで届いたのは、この二段構えが効いた結果である。ただし翌期は営業赤字249億円へ反転した。規模を積み増した直後に市況が落ちる順序は設立の翌年と同じで、保険は谷を浅くしただけだった。

2003年〜2008年の業績

決算期 区分 売上高 営業利益経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 利益率 億円
2003年03月期 連結 632 n/a n/a ▲226 ▲35.8% ▲261 n/a
2004年03月期 連結 1,004 +58.9% n/a ▲255 ▲25.4% ▲269 n/a
2005年03月期 連結 2,070 +106.2% 151 107 5.2% 82 n/a
2006年03月期 連結 2,416 +16.7% 1 ▲31 ▲1.3% ▲47 n/a
2007年03月期 連結 4,900 +102.8% 684 636 13.0% 529 n/a
2008年03月期 連結 4,055 ▲17.2% ▲249 ▲396 ▲9.8% ▲235 n/a

出典・参考

8件
出典・参考
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【沿革】
  • エルピーダメモリ 有価証券報告書 第12期(2011年3月期)【事業の内容】
  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 50-54頁
  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 50-54頁(野村証券金融研究所・石原昇主任研究員)
  • 日経ビジネス 2003年2月24日号 6-7頁
  • 日経ビジネス 2004年5月10日号 38-41頁
  • エルピーダメモリ 連結損益(07_pl_long)
  • エルピーダメモリ 従業員数(16_employee)

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