THK の歴史

更新: Author:

創業 1971年
創業者 寺町博
創業地 東京都港区
創業
1971年4月、寺町博氏が東京都目黒区に東邦精工株式会社を設立した。47歳での再起で、本人はこれを第二の創業と呼んでいる。寺町氏は独自のニードルベアリングで日本トムソンを上場企業へ育てた経営者だったが、1970年7月に個人会社名義で小豆の商品相場に投機して約6億円の損失を出し、日本トムソンからの貸付金を流用していたことが明るみに出て社長を辞任していた。既にある市場で競うのではなく、誰も手をつけていない機械要素部品の需要を自ら起こす道を選び、1972年4月にLMガイドとボールスプラインの販売を始める。鋼球がはまる溝をレールに刻んで線接触に変えた直動案内は、点接触のボールブッシュに比べ荷重で13倍、寿命で2,210倍に達した。1984年1月に商号をTHK株式会社へ改めている。
決断
一度失った信用のもとで、競う相手のいない場所を選んで再起した。市場を一から起こす設備投資と海外販売網の費用は個人資金では賄えず、1989年11月に株式を店頭公開して資金調達の体制を整えた。1978年に米国大手工作機械メーカーのマシニングセンターへ採用されて立ち上がった直動案内は、1999年時点で国内約7割・海外約6割のシェアに達した。ここから先は既にある市場へ取得で入る方向へ転じ、2007年5月にボールジョイントのリズムを子会社化して輸送用機器へ参入し、2015年8月にはTRW Automotiveの欧米L&S事業を譲り受けた。自分で起こした直動案内は55年を経ても本体に残り、取得で広げた輸送用機器は2026年2月にファンドへの譲渡が決まって、19年で連結から外れる。
現況
売上が伸びた期に、過去最大の当期純損失を計上した。2025年12月期の連結売上高は2,404億円で前期の2,227億円から8%増え、営業利益は144億円だった。一方で親会社株主に帰属する当期純損失は699億円にのぼる。2026年2月2日にTRAホールディングスと欧米の子会社4社をアドバンテッジパートナーズのファンドへ譲渡すると発表し、輸送用機器事業を非継続事業へ組み替えたためである。2018年12月期に売上高3,535億円・営業利益528億円と過去最高を記録した二事業体制は、2019年の米中貿易摩擦と2020年の営業損失85億円を経て、産業用機器だけを残す構成へ戻った。
競合
創業者が離れた会社が、そのまま最初の競合になった。寺町博氏が上場企業へ育てた日本トムソンは、ニードルベアリングと直動案内の双方を扱う同業として残り、THKは自ら起こした直動案内の一品目で1999年時点の国内約7割を占めている。似た製品を出す競合は現れたが、レールの6面を同時に切削する自社製の装置と、樹脂リテーナーでボールをつないだSHSのような改良で、精度と静粛性の側に差を置いてきた。同じ機械要素部品でも、日本精工が譲渡したステアリング事業を2年で取得し直したのに対し、THKは19年抱えた輸送用機器をファンドへ譲渡して直動案内へ戻る側に立つ。世になかった部品で需要を起こした創業の順序が、55年後に何を残して何を譲渡するかの判断まで決めた。
THK:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2025年12月期

創業ストーリー 寺町博氏の第二の創業による直動案内という新市場の創造と海外展開 (1971年〜)

日本トムソンを去った寺町博氏の第二の創業

THKの源流は、創業者の寺町博氏が一度は社長の座を失った経験にある。寺町博氏は1924年生まれで[1]、独自のニードルベアリングを武器に日本トムソン株式会社を上場企業へと育てた経営者だった[2]。ところが1970年7月、寺町博氏は個人会社[3]である大一工業の名義で小豆の商品相場に投機し、相場の大暴落で約6億円の損失を出す。さらに日本トムソンが大一工業へ営業目的で貸し付けた資金を投機に流用していたことが明るみに出て、上場企業の社長にあるまじき行為だとの非難が集中し、社長辞任に追い込まれた。当時の新聞は『商品相場で社長転落』と[4]報じている。

    • [1]寺町博は1924年生まれ
  • 日経ビジネス(1982年1月25日号)
    • [2]寺町博は独自のニードルベアリングで日本トムソンを上場企業に育てた経営者だった
    • [3]1970年7月、寺町博は大一工業名義の小豆相場投機で約6億円損失、日本トムソンの貸付金流用問題で社長辞任に追い込まれた
    • [4]当時の新聞は「商品相場で社長転落」と報じた

指弾を浴びた寺町博氏は、しかし腐らなかった。翌1971年4月、寺町博氏は東京都目黒区に東邦精工株式会社を設立する[5]。47歳での再起であり[6]、本人にとっては第二の創業だった。辞任で味わった怒りと意地が再起のバネになったと[7]、当時を伝える取材記事は記している。会社の方から迎えに来ると考えていたがそうはならず、寺町博氏は誰も手をつけていない機械要素部品を自分で売り、その需要を一から起こす道を選んだ。既にある市場で競うのではなく、世になかった市場を自分の手で立ち上げるという発想であり、本人のモットーは『今を最善に』だった。

  • THK 有価証券報告書 第56期(2025年12月期)【沿革】
    • [5]1971年4月、寺町博が東京都目黒区に東邦精工株式会社を設立(第二の創業)
    • [6]1971年の創業時、寺町博は47歳(1924年生まれ)
  • 日経ビジネス(1982年1月25日号)
    • [7]寺町博は辞任で味わった怒りと意地を再起のバネにし、世になかった機械要素部品の需要を一から起こす道を選んだ(モットーは「今を最善に」)
    • [1]寺町博は1924年生まれ
    • [6]1971年の創業時、寺町博は47歳(1924年生まれ)
  • 日経ビジネス(1982年1月25日号)
    • [2]寺町博は独自のニードルベアリングで日本トムソンを上場企業に育てた経営者だった
    • [3]1970年7月、寺町博は大一工業名義の小豆相場投機で約6億円損失、日本トムソンの貸付金流用問題で社長辞任に追い込まれた
    • [4]当時の新聞は「商品相場で社長転落」と報じた
    • [7]寺町博は辞任で味わった怒りと意地を再起のバネにし、世になかった機械要素部品の需要を一から起こす道を選んだ(モットーは「今を最善に」)
  • THK 有価証券報告書 第56期(2025年12月期)【沿革】
    • [5]1971年4月、寺町博が東京都目黒区に東邦精工株式会社を設立(第二の創業)

すべり案内を置き換えたLMガイドの線接触と市場の離陸

再起した寺町博氏が膨らませていた新製品の着想が、現在の主力であるLMガイドだった。1972年4月、東邦精工は主力製品となるLMガイドとボールスプラインの販売を開始する[8]。当時の機械の直線運動部はすべり案内が主流で、レールとブロックが面接触するため摩擦が避けにくく、NC装置向けには位置決め精度に難があった。鋼球を使うボールブッシュ方式はレールと点で接触するため、重い工作機械を載せるには強度が足りなかった。寺町博氏は鋼球がぴったりはまる溝をレールに刻んで線接触に変え、高荷重に耐える実用的なころがり方式の直動案内『LMガイド NSR・BC型』を他社に先がけて製品化[9]した。ボールブッシュ方式に比べ、荷重は13倍、寿命は2,210[10]倍に達した。

  • THK 有価証券報告書 第56期(2025年12月期)【沿革】
    • [8]1972年4月、東邦精工がLMガイドとボールスプラインの販売を開始
  • 証券調査 349号(新日本証券調査センター、1999年10月)
    • [9]すべり案内(面接触・摩擦大・NC向け精度難)とボールブッシュ(点接触・強度不足)に対し、鋼球がはまる溝をレールに作り線接触に変えて「LMガイド NSR・BC型」を他社に先がけ製品化
    • [10]LMガイドNSR・BC型はボールブッシュ方式比で荷重13倍・寿命2,210倍

1973年に本格発売を始めると、LMガイドはすべり摩擦の摺動面に比べて摩擦が桁違いに小さく、機械の位置決め精度[11]を飛躍的に高める部品として機械技術者から大きな反響を呼んだ。1978年に米国大手工作機械メーカーのマシニングセンターに採用[12]されたことが評価を決定づけ、受注に弾みがついた。LMガイドは工作機械・半導体製造装置・産業用ロボットの標準部品へと広がり、寺町博氏が一から起こそうとした直動案内の需要が現実のものになった。似た製品を出す競合は現れたが、品質で戻ってくる顧客を背景に、THKの直動案内製品は高い市場シェアを保った。

  • 証券調査 349号(新日本証券調査センター、1999年10月)
    • [11]1973年に本格発売、すべり摩擦比で摩擦が小さく位置決め精度が向上し機械技術者から反響
    • [12]1978年、米国大手工作機械メーカーのマシニングセンターに採用され受注が伸びた

LMガイドは発売後も改良が重ねられた。1981年には荷重を四方向で受けるHSRシリーズを発売し、レール上下の角に45[13]度でボールが接触する設計と、レール6面を同時に切削する独自の加工装置によって、ねじれを伴う複雑な動きにも対応した。後継のSHSでは樹脂製のリテーナーでボールを数珠[14]つなぎにして接触を避け、精度を高めると同時に騒音を抑え、産業用にとどまらず民生機器への展開の可能性も開いた。1999年時点で、THKのLMガイドは国内で約7割[15]、海外で約6割の市場シェアを占めるに至った。

  • 証券調査 349号(新日本証券調査センター、1999年10月)
    • [13]1981年、四方向等荷重のHSRシリーズを発売(45度接触・レール6面同時切削の独自装置)
    • [14]後継SHSは樹脂製リテーナーでボールを数珠つなぎにし精度向上・騒音低減、民生機器への展開可能性
    • [15]1999年時点でTHKのLMガイドは国内約7割・海外約6割の市場シェア
  • THK 有価証券報告書 第56期(2025年12月期)【沿革】
    • [8]1972年4月、東邦精工がLMガイドとボールスプラインの販売を開始
  • 証券調査 349号(新日本証券調査センター、1999年10月)
    • [9]すべり案内(面接触・摩擦大・NC向け精度難)とボールブッシュ(点接触・強度不足)に対し、鋼球がはまる溝をレールに作り線接触に変えて「LMガイド NSR・BC型」を他社に先がけ製品化
    • [10]LMガイドNSR・BC型はボールブッシュ方式比で荷重13倍・寿命2,210倍
    • [11]1973年に本格発売、すべり摩擦比で摩擦が小さく位置決め精度が向上し機械技術者から反響
    • [12]1978年、米国大手工作機械メーカーのマシニングセンターに採用され受注が伸びた
    • [13]1981年、四方向等荷重のHSRシリーズを発売(45度接触・レール6面同時切削の独自装置)
    • [14]後継SHSは樹脂製リテーナーでボールを数珠つなぎにし精度向上・騒音低減、民生機器への展開可能性
    • [15]1999年時点でTHKのLMガイドは国内約7割・海外約6割の市場シェア

国内外への拠点拡張・店頭公開と寺町彰博氏への承継

市場が立ち上がるとともに、寺町博氏は製品群と生産・販売網を広げた。直動部品では1979年にボールねじ、1982年にXYテーブル[16]、1987年にインテリジェントアクチュエータ、1998年にリニアモータと、直動部の運動制御に必要な周辺要素を相次いで製品化した。海外では1981年3月に米国シカゴでTHK Americaを設立し、1982年10[17]月には西ドイツ・デュッセルドルフにTHK Europe(現THK GmbH)を構えた。国内でも山口工場・山形工場などLMガイド専用拠点を新設し、台湾・中国・アイルランド・オランダへも販売・製造の足場を順次配置した。1984年1月には商号をTHK株式会社へ変更[18]する。Toughness、High Quality、Know-howの頭文字[19]を冠した社名であることは、後に寺町彰博氏が説明している。

  • THK 有価証券報告書 第56期(2025年12月期)【沿革】
    • [16]1979年ボールねじ・1982年XYテーブル・1987年インテリジェントアクチュエータ・1998年リニアモータと直動周辺製品を相次ぎ製品化
    • [17]1981年3月に米シカゴでTHK Americaを設立、1982年10月に西独デュッセルドルフにTHK Europe(現THK GmbH)を設立
    • [18]1984年1月、商号をTHK株式会社に変更
    • [19]THKは『Toughness』『High Quality』『Know-how』の頭文字を取ったブランド名(寺町彰博が説明)

1989年11月、THKは株式の[20]店頭公開を果たした。寺町博氏にとって株式公開は、需要が何十倍にも広がる世界市場でシェアを確保するための資金調達の手段だった。設備投資と海外販売網の拡張には個人資金では限界があり、開発投資に危険が伴う設備産業として、有利な資金調達の体制を整える必要があるというのが寺町博氏の考えだった[21]。創業時に日本トムソンから合流した部下へ将来の上場を約束していたとも伝えられる。店頭公開で得た資金と知名度を足場に、THKは直動案内の世界市場での地位を固めた。

  • THK 有価証券報告書 第56期(2025年12月期)【沿革】
    • [20]1989年11月、株式店頭公開を達成
  • 日経ビジネス(1990年2月12日号)
    • [21]寺町博は株式公開を、世界市場でシェアを確保するための設備投資・海外販売網拡張の資金調達手段と位置付けた

1997年、寺町博氏は社長を退き、長男の寺町彰博氏が第2代社長[22]に就いた。承継した時点のTHKは、LMガイドで世界シェアトップを握る直動案内の専業メーカーへ成長していた。寺町彰博氏は就任直後の1998年から2000年にかけて受注・生産・物流を見直す業務改革を進め[23]、半導体や工作機械の需要変動に耐える体制づくりに取り組んだ。寺町博氏は社長退任後も会長として経営に関わり、その後フジフューチャーズの代表を務め、2012年9月11日に88歳で死去した[24]。一度は社長の座を追われた創業者が、世になかった市場を一代で立ち上げ、世界トップへ育てた歩みだった。

  • THK 有価証券報告書 第56期(2025年12月期)【沿革】
    • [16]1979年ボールねじ・1982年XYテーブル・1987年インテリジェントアクチュエータ・1998年リニアモータと直動周辺製品を相次ぎ製品化
    • [17]1981年3月に米シカゴでTHK Americaを設立、1982年10月に西独デュッセルドルフにTHK Europe(現THK GmbH)を設立
    • [18]1984年1月、商号をTHK株式会社に変更
    • [20]1989年11月、株式店頭公開を達成
    • [19]THKは『Toughness』『High Quality』『Know-how』の頭文字を取ったブランド名(寺町彰博が説明)
  • 日経ビジネス(1990年2月12日号)
    • [21]寺町博は株式公開を、世界市場でシェアを確保するための設備投資・海外販売網拡張の資金調達手段と位置付けた
    • [22]1997年、寺町博が社長を退任し長男の寺町彰博が第2代社長に就任
    • [23]寺町彰博は就任直後の1998〜2000年に受注・生産・物流を見直す業務改革(業革)を実行
    • [24]創業者寺町博は社長退任後に会長・フジフューチャーズ代表を経て2012年9月11日に88歳で死去

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

THKの沿革1971〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1971〜1997年寺町博氏の第二の創業による直動案内という新市場の創造と海外展開東邦精工を設立
LMガイド・ボールスプラインの販売を開始★★
宮入バルブ製作所と共同出資でテーエチケーを設立
テーエチケーから製造部門を買収し甲府工場に★★
ボールねじ製造販売を開始★★
シカゴにTHK Americaを設立
商号をTHKに変更
東洋精工を吸収合併し三重工場・山口工場を新設★★
インテリジェントアクチュエータ製造販売を開始
THKの株式店頭公開による世界市場向け資金調達体制の構築

1989年11月、THKは株式を店頭公開した。創業者の寺町博社長は、直動案内の潜在需要が世界で何十倍にも広がるとみて、その需要を取りにいくための設備投資と海外販売網の費用を株式市場から賄う体制へ切り替えた。

詳細を読む
★★★
山形工場を新設
アイルランドのPGM Ballscrewsを買収
中国・大連THK瓦軸工業を合弁設立
寺町彰博オハイオ州にTHK Manufacturing of Americaを設立
1998〜2018年東証一部上場と輸送機器事業への業容拡大寺町彰博リニアモータ製造販売を開始
寺町彰博エンジスハイムにTHK Manufacturing of Europeを設立
寺町彰博リテーナ入りローラーガイド製造販売を開始
寺町彰博中国・THK無錫精密工業を設立
寺町彰博THKによるリズム買収と輸送用機器事業への参入

2007年5月31日、THKは自動車部品メーカーのリズム(静岡県浜松市、旧旭精工)の株式等100%をカーライル・グループ等から125億89百万円で取得し、子会社化した。産業用機器一本だった事業構成に、輸送用機器という二本目の柱を置く判断であった。

詳細を読む
★★★
寺町彰博THK RHYTHM THAILANDを設立
寺町彰博THK常州汽車配件を設立
寺町彰博THK RHYTHM MEXICANAを設立
寺町彰博ボールジョイント製造開発部門をTHKリズムに会社分割で統合★★
寺町彰博インド・THK Indiaを設立
寺町彰博THKによるTRW Automotiveの欧米L&S事業の譲受

2015年8月31日、THKはTRW Automotive(当時ZF Friedrichshafen AGのグループ企業)から欧州および北米のリンケージ アンド サスペンション(L&S)事業を譲り受けた。取得原価は現金493億30百万円で、2007年のリズム買収の4倍近い規模となった。

詳細を読む
★★★
2018〜2026年コロナ・米中摩擦下の構造改革と寺町崇史氏への承継寺町彰博東京証券取引所プライム市場へ移行
寺町崇史寺町崇史氏が代表取締役社長に就任、寺町彰博氏は代表取締役会長CEOへ★★
寺町崇史日本ベアリング桐生を完全子会社化
寺町崇史THK LM SYSTEM THAILANDを設立
出典・参考

免責事項およびポリシー