山田晃

ダイキン・元取締役社長

Yamada Akira(敬称略)

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社長就任 1934年2月
生年月日 —
学歴 小倉工業学校
出自 —
社長就任までの出自
出自

合資会社大阪金属工業所を率い、住友金属工業から出資の申し入れを受けてこれに応じ、以後は住友の系列に入った。1934年2月11日には資本金100万円の大阪金属工業株式会社として法人化し、会社はこの日を創業日と定めた。1955年9月の大株主は住友金属工業が第1位で、山田家の個人2名が第2位と第3位に並んだ。財閥系の資本を受け入れながら、創業者個人の持株も上位に残した。

社長に選ばれた経緯
抜擢

創業者本人が社長を務め、前任はいない。1938年に大阪金属工業が合資会社を吸収合併して資本金150万円とし、創業以来の事業を株式会社へ一本化した。終戦で軍需を失った同社は主要製品を失って無配に転落し、1953年には本社を現在地へ移して資本金2億7000万円で再発足した。住友金属工業の資本を受け入れたのちも、経営の主体は創業者が握った。

在任中の主な施策
施策

1950年の朝鮮戦争勃発で米軍から迫撃砲弾の特需受注が到来した。終戦で軍需を失った同社は無配に転落していた。フロン式冷凍機を国内で最初に製品化した実績を足場に、工事まで担う代理店を全国350社の規模で組織し、1961年11月期には冷暖房が63億円に達し、売上の6割を占めた。クーラー市場では3割近い占有率で首位に立ち、堺工場の増築に19億円を投じる総合工場の計画を進めた。 朝鮮特需で空調へ転換

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1934〜1964年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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