久保田権四郎
クボタ・元社長
社長就任1930年12月
生年月日—
学歴—
出自—
経歴1885〜1949年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1885年主要役職の状況(推定含む目安)1949年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | 黒尾鋳造・塩見鋳物(大阪) | 1885 | 入門 | ||
| クボタ(旧・久保田鉄工所) | 1890 | 創業 | |||
| 1897 | 久保田家の養子となり久保田鉄工所に改称 | ||||
| 1930 | 設立 社長 | ||||
| 1949 | 社長 退任 |
社長就任までの出自
出自
1870年10月3日、備後国御調郡大浜村(のちの広島県因島市大浜町)で、桶屋を兼ねる農家の三男として生まれた。生家の姓は大出である。1885年春、14歳で単身大阪へ出て、西成郡九条村の鋳物屋・黒尾鋳造に住み込んだ。休みの日に工場へ入り込み、見よう見まねで作った鋳型が師匠の目に留まって、ようやく仕事場に入ることを許された。のちに職人として南区の塩見鋳物へ移り、そこから独立して鋳物業を興した、クボタの創業者である。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1890年2月に鋳物業を開業してから、所主として事業を率いた。1930年12月22日、個人経営の久保田鉄工所を、鋳物と鉄管を造る株式会社久保田鉄工所と、農工用発動機や工作機械を造る株式会社久保田鉄工所機械部の2社に改め、両社の会長に就任した。原始定款には社長の職が無く、クボタの社史はこの会長を初代社長と数えている。株主は2社で計46人で、その大半を久保田家の一族が占めた。
在任中の主な施策
施策
1933年2月、戸畑鋳物から石油発動機と揚水ポンプの製造権を買い取り、トバタ発動機を傘下に収めた。1937年3月に機械部を株式会社久保田鉄工所へ合併し、同年には発動機専門の堺工場を新設した。1940年11月のラジオ放送では、事業について「現在約一萬人の從業員を統率して日々元氣一杯で働いてゐます」と語っている。1949年2月、集中排除法の指定解除で再建の見通しがついたとして、78歳で社長の辞任を表明し、長男の久保田静一氏が後を継いだ。
創業ストーリー
創業ストーリー
参考文献4件
参考文献
- 『クボタ100年』(クボタ、1990年)「西洋鍛冶屋を夢見た少年・大出権四郎」
- 『クボタ100年』(クボタ、1990年)「株式会社組織へ改組」
- 『クボタ100年』(クボタ、1990年)年表
- 『株式会社久保田鉄工所創業五十周年記念祝典誌』(久保田鉄工所、1941年)「私の健康法」
事実根拠:出所(クボタ)