AIRMANの歴史
沿革
1938年に設立された地蔵堂鋳物工業所が起源。
1955年に国産初のロータリーコンプレッサを完成させ、1968年には独自技術のスクリュコンプレッサを完成させた。「エアマン」ブランドの可搬式コンプレッサ・発電機・溶接機を主力とする建設機械メーカーである。
創業期
1938年〜地蔵堂鋳物工業所の設立と旧日本海軍の指定工場への指定
- 定置式往復動コンプレッサの製造・販売を開始[1]
- 地蔵堂鋳物工業所を設立[2]
- 北越鋳物機械に商号変更[2]
- 北越工業に商号変更[2]
- 旧日本海軍の指定工場に指定[1]
売上高
- 売上高
AIRMAN売上高—
成長期
1946年〜ポータブルコンプレッサの開発とスクリュコンプレッサの完成
- 小型高速往復動ポータブルコンプレッサを開発[1]
- 韓国へ大型定置コンプレッサを輸出[1]
- 極東米軍へポータブルコンプレッサ200台を納入[1]
- ブランド名「エアマン」を採用[1]
- 国産初のロータリーコンプレッサが完成[1]
- 量産体制をめざし設備合理化3ヶ年計画に着手[1]
- 大阪支店を開設[1]
- 設備合理化4ヶ年計画に着手[1]
- 200mのアセンブリラインを持つコンプレッサ工場が完成[1]
- 南ア連邦との技術提携に調印[1]
- 南極観測船「ふじ」にエアマンコンプレッサを搭載[1]
- 独自技術のスクリュコンプレッサが完成[1]
売上高
- 売上高
AIRMAN売上高—
成長期
1971年〜ディーゼル発電機の発売と新潟証券取引所上場
- ディーゼル発電機を発売[1]
- 「労働大臣優良最高賞」を受賞[1]
- エンジン溶接機を発売[1]
- 小型単相発電機を発売[1]
- 吉田工場が完成[1]
- 新潟証券取引所に上場[2]
- ミニバックホーを発売[1]
- スクリュコンプレッサPDSシリーズで優秀省エネルギー機器賞を受賞[1]
- 日経産業新聞社「全国先端事業所百選」FA賞を受賞[1]
- 西日本にARA(AIRMAN RENTAL ASSOCIATION)を結成[1]
- 東日本にARG(AIRMAN RENTAL GROUP)を結成[1]
- 工場労働安全に関する労働大臣進歩賞を受賞[1]
- 全社にオンラインシステムを導入[1]
- 吉田工場を増設しコンプレッサ・発電機関係を集約[1]
- HOKUETSU INDUSTRIES EUROPEを設立[2]
- ミニバックホーAXシリーズを完成[1]
- エーエスシーを設立[2]
- ISO9001認証を取得[1]
売上高
- 売上高
AIRMAN売上高—
安定成長期
2000年〜東証二部上場とAIRMANへの商号変更
- コンプレッサの自動発停方式が発明協会会長奨励賞を受賞[1]
- 東京証券取引所市場第二部に上場[2]
- エアマン電子を子会社化[2]
- TCR活動の論文で全米VE協会会長賞を受賞[1]
- 新潟県燕市にファンドリーを設立[1]
- 復盛公司との合弁で上海復盛埃爾曼機電有限公司を設立[1]
- 東京本社機構を新潟本社に移転[2]
- 高所作業車を発売[1]
- 販売店組織を統合し新「エアマン会」を発足[1]
- 省エネスクリュコンプレッサ「PROAIRシリーズ」を発売[1]
- 可変速ディーゼルエンジン発電機「VSG」を発売[1]
- 新塗装工場を竣工[1]
- HOKUETSU INDUSTRIES ASIAを設立[2]
- 東京証券取引所市場第一部に指定替え[2]
- AIRMAN USAを設立[2]
- リークガード発電機シリーズを発売[1]
- 屋外設置型インバータ制御オイルフリースクリュコンプレッサを発売[1]
- 高所作業車の新シリーズ全15機種を発売[1]
- 大阪支店を竣工[1]
- イーエヌシステム燕工場を竣工[1]
- 西関東支店を竣工[1]
- 中国支店を竣工[1]
- プライム市場に移行[2]
- 新潟本社の開発管理棟を竣工[1]
- 水素技術試験場を竣工[1]
- リーファーコンテナ用発電機を発売[1]
- AIRMANに商号変更[2]
- イーエヌシステムを吸収合併[3]
売上高経常利益率
- 売上高
- 売上原価
- 販管費
- 営業利益
- 経常利益率
AIRMAN2026年3月期売上高556億円売上高経常利益率14.4%
| 就任年 | 社長氏名 | 役職名 |
|---|---|---|
| 2015年 | 寺尾正義 | 代表取締役社長 |
| 堀内義正 | ||
| 2024年 | 佐藤豪一 | 代表取締役社長 |