大倉工業:四国住宅の設立とポリエチレン加工業への参入
1947年〜倉敷飛行機の解散で生まれた資本金19万5千円の四国住宅と、中讃木材の合併
四国住宅は1947年7月、建材関係を事業の主体として資本金19万5千円で設立された。母体は旧倉敷飛行機で、同社の解散に際し、役員と従業員の一部が新しい事業を起こす目的で設立に加わった。資本金は1948年11月に50万円、1951年2月に110万円への増額。解散する会社の人員の働き口を、戦後に需要の大きい住宅の建材に求めた判断だったとみられる。
- 企業の歴史:明治百年(1968)「大倉工業」
- [1]1947年7月、倉敷飛行機の解散にあたり役員・従業員の一部で資本金19万5000円の四国住宅を設立。建材関係の事業が主体
- 証券 19(8)(221) 1967年
- [2]旧倉敷飛行機の役員・従業員の一部で建材関係の事業を目的に四国住宅として設立。資本金は1948年11月50万円、1951年2月110万円
- [3]旧倉敷飛行機の役員・従業員の一部で建材関係の事業を目的に四国住宅として設立。資本金は1948年11月50万円、1951年2月110万円
四国住宅は1951年11月、商号を四国実業に改めた。1954年7月には中讃木材を吸収合併した。資本金は1952年1月に250万円、1953年12月に500万円へ倍額増資を重ねた。木材の取り扱いは後年まで残り、1966年12月期には木材の市売りによる受託販売が売上の6.3%を占めた。同時点では市売方式の木材卸として四国の業界最上位である。四国実業への改称と中讃木材の合併は、住宅建材の製造に絞らず、木材の市売りを収益源に加える手だったのだろう。
- 証券 19(8)(221) 1967年
- [4]1951年11月に四国実業へ商号変更。資本金1952年1月250万円、1953年12月500万円。1966年12月期の木材受託販売(市売り)は売上の6.3%、市売方式の木材卸で四国業界最上位
- [6]1951年11月に四国実業へ商号変更。資本金1952年1月250万円、1953年12月500万円。1966年12月期の木材受託販売(市売り)は売上の6.3%、市売方式の木材卸で四国業界最上位
- [7]1951年11月に四国実業へ商号変更。資本金1952年1月250万円、1953年12月500万円。1966年12月期の木材受託販売(市売り)は売上の6.3%、市売方式の木材卸で四国業界最上位
- [8]1951年11月に四国実業へ商号変更。資本金1952年1月250万円、1953年12月500万円。1966年12月期の木材受託販売(市売り)は売上の6.3%、市売方式の木材卸で四国業界最上位
- 株式会社年鑑 1964年版「大倉工業」
- [5]1954年7月に中讃木材を吸収合併
参考文献[1]-[8]
- 企業の歴史:明治百年(1968)「大倉工業」
- [1]1947年7月、倉敷飛行機の解散にあたり役員・従業員の一部で資本金19万5000円の四国住宅を設立。建材関係の事業が主体
- 証券 19(8)(221) 1967年
- [2]旧倉敷飛行機の役員・従業員の一部で建材関係の事業を目的に四国住宅として設立。資本金は1948年11月50万円、1951年2月110万円
- [3]旧倉敷飛行機の役員・従業員の一部で建材関係の事業を目的に四国住宅として設立。資本金は1948年11月50万円、1951年2月110万円
- [4]1951年11月に四国実業へ商号変更。資本金1952年1月250万円、1953年12月500万円。1966年12月期の木材受託販売(市売り)は売上の6.3%、市売方式の木材卸で四国業界最上位
- [6]1951年11月に四国実業へ商号変更。資本金1952年1月250万円、1953年12月500万円。1966年12月期の木材受託販売(市売り)は売上の6.3%、市売方式の木材卸で四国業界最上位
- [7]1951年11月に四国実業へ商号変更。資本金1952年1月250万円、1953年12月500万円。1966年12月期の木材受託販売(市売り)は売上の6.3%、市売方式の木材卸で四国業界最上位
- [8]1951年11月に四国実業へ商号変更。資本金1952年1月250万円、1953年12月500万円。1966年12月期の木材受託販売(市売り)は売上の6.3%、市売方式の木材卸で四国業界最上位
- 株式会社年鑑 1964年版「大倉工業」
- [5]1954年7月に中讃木材を吸収合併
1955年〜丸亀港町のポリエチレン工場と、東京・大阪・福岡に広げた3工場
四国実業は1955年、丸亀市港町にポリエチレンの加工工場を建設した。同年11月には商号を現在の大倉工業に改めた。資本金は1956年2月に1,000万円へ増やした。1962年当時、原料のポリエチレンは中外貿易・大倉商事・住友商事から仕入れていた。製品は中外貿易・大倉商事と全国700軒余りの特約店経由で販売した。1962年7〜12月の半期の包装用チューブの生産は、能力3,520トンに対し2,830トン。農業用フィルムは能力560トンに対し実績478トンだった。木材で得た取引の地盤を元手に、合成樹脂の包装材という新しい市場へ主力を移した参入だったと推察される。
- 企業の歴史:明治百年(1968)「大倉工業」
- [9]1955年、丸亀市港町にポリエチレン工場を建設
- 証券 19(8)(221) 1967年
- [10]1955年11月に現商号(大倉工業)へ変更。資本金1956年2月1,000万円
- [11]1955年11月に現商号(大倉工業)へ変更。資本金1956年2月1,000万円
- 株式会社年鑑 1964年版「大倉工業」
- [12]ポリエチレン原料の仕入先は中外貿易・大倉商事・住友商事、販売は中外貿易・大倉商事と全国700軒余の特約店。1962年7-12月の包装用チューブ能力3,520t・実績2,830t、農業用フィルム能力560t・実績478t
- [13]ポリエチレン原料の仕入先は中外貿易・大倉商事・住友商事、販売は中外貿易・大倉商事と全国700軒余の特約店。1962年7-12月の包装用チューブ能力3,520t・実績2,830t、農業用フィルム能力560t・実績478t
- [14]ポリエチレン原料の仕入先は中外貿易・大倉商事・住友商事、販売は中外貿易・大倉商事と全国700軒余の特約店。1962年7-12月の包装用チューブ能力3,520t・実績2,830t、農業用フィルム能力560t・実績478t
- [15]ポリエチレン原料の仕入先は中外貿易・大倉商事・住友商事、販売は中外貿易・大倉商事と全国700軒余の特約店。1962年7-12月の包装用チューブ能力3,520t・実績2,830t、農業用フィルム能力560t・実績478t
大倉工業は1959年に東京で工場を新設し、翌1960年には大阪と福岡にもそれぞれ工場を設けた。丸亀の1工場から4工場へ増え、生産の拠点を全国の大消費地に分けて置いた。資本金は1957年5月に2,000万円、1960年3月に4,000万円へ倍額増資を重ねた。工場と営業所を消費地に置く販売政策は1967年にも続き、1966年12月期の地域別売上で四国は30.2%にとどまった。同時点でポリエチレンフィルムの月産は1,600トンに達し、全国200社の中で業界第一位にあたる。かさばるチューブを遠方へ運ぶより、需要地で作るほうが輸送の費用を抑えられると判断したと考えられる。
- 企業の歴史:明治百年(1968)「大倉工業」
- [16]1959年に東京工場、1960年に大阪工場・福岡工場を建設し、将来の基盤を確立
- [17]1959年に東京工場、1960年に大阪工場・福岡工場を建設し、将来の基盤を確立
- 証券 19(8)(221) 1967年
- [18]資本金1957年5月2,000万円、1960年3月4,000万円。消費地に直結した販売政策。1966年12月期の地域別売上は四国30.2%。ポリエチレンフィルムは月産1,600tで全国200社中業界第一位
- [19]資本金1957年5月2,000万円、1960年3月4,000万円。消費地に直結した販売政策。1966年12月期の地域別売上は四国30.2%。ポリエチレンフィルムは月産1,600tで全国200社中業界第一位
- [20]資本金1957年5月2,000万円、1960年3月4,000万円。消費地に直結した販売政策。1966年12月期の地域別売上は四国30.2%。ポリエチレンフィルムは月産1,600tで全国200社中業界第一位
大倉工業は1961年7月、丸亀市で本社工場の建設を始め、翌1962年に完成させた。建設の目的には、合成化学製品の全分野へ着手することを掲げた。用地は丸亀市内に10万平方メートルを取得し、化学製品の総合化と多角経営を図る構想を描いた。資金面では1961年9月に442,700株の第三者割当で資本金を9,100万円とした。1962年1月には一般募集による1億円への増資。包装用チューブ1品目への依存を薄める狙いが、翌1962年の大証二部上場と合板への参入につながったと思われる。
- 証券 19(8)(221) 1967年
- [21]1961年7月、合成化学製品の全分野に着手のため本社工場の建設を開始(翌年完成)。1961年9月に第三者割当442,700株で資本金9,100万円
- [22]1961年7月、合成化学製品の全分野に着手のため本社工場の建設を開始(翌年完成)。1961年9月に第三者割当442,700株で資本金9,100万円
- [24]1961年7月、合成化学製品の全分野に着手のため本社工場の建設を開始(翌年完成)。1961年9月に第三者割当442,700株で資本金9,100万円
- 企業の歴史:明治百年(1968)「大倉工業」
- [23]1961年、化学製品の全分野で総合・多角経営を図るため丸亀市に用地10万平方米を買収し本社工場を建設。1962年に大証二部上場
- 株式会社年鑑 1964年版「大倉工業」
- [25]1962年1月、一般募集で資本金1億円
参考文献[9]-[25]
- 企業の歴史:明治百年(1968)「大倉工業」
- [9]1955年、丸亀市港町にポリエチレン工場を建設
- [16]1959年に東京工場、1960年に大阪工場・福岡工場を建設し、将来の基盤を確立
- [17]1959年に東京工場、1960年に大阪工場・福岡工場を建設し、将来の基盤を確立
- [23]1961年、化学製品の全分野で総合・多角経営を図るため丸亀市に用地10万平方米を買収し本社工場を建設。1962年に大証二部上場
- 証券 19(8)(221) 1967年
- [10]1955年11月に現商号(大倉工業)へ変更。資本金1956年2月1,000万円
- [11]1955年11月に現商号(大倉工業)へ変更。資本金1956年2月1,000万円
- [18]資本金1957年5月2,000万円、1960年3月4,000万円。消費地に直結した販売政策。1966年12月期の地域別売上は四国30.2%。ポリエチレンフィルムは月産1,600tで全国200社中業界第一位
- [19]資本金1957年5月2,000万円、1960年3月4,000万円。消費地に直結した販売政策。1966年12月期の地域別売上は四国30.2%。ポリエチレンフィルムは月産1,600tで全国200社中業界第一位
- [20]資本金1957年5月2,000万円、1960年3月4,000万円。消費地に直結した販売政策。1966年12月期の地域別売上は四国30.2%。ポリエチレンフィルムは月産1,600tで全国200社中業界第一位
- [21]1961年7月、合成化学製品の全分野に着手のため本社工場の建設を開始(翌年完成)。1961年9月に第三者割当442,700株で資本金9,100万円
- [22]1961年7月、合成化学製品の全分野に着手のため本社工場の建設を開始(翌年完成)。1961年9月に第三者割当442,700株で資本金9,100万円
- [24]1961年7月、合成化学製品の全分野に着手のため本社工場の建設を開始(翌年完成)。1961年9月に第三者割当442,700株で資本金9,100万円
- 株式会社年鑑 1964年版「大倉工業」
- [12]ポリエチレン原料の仕入先は中外貿易・大倉商事・住友商事、販売は中外貿易・大倉商事と全国700軒余の特約店。1962年7-12月の包装用チューブ能力3,520t・実績2,830t、農業用フィルム能力560t・実績478t
- [13]ポリエチレン原料の仕入先は中外貿易・大倉商事・住友商事、販売は中外貿易・大倉商事と全国700軒余の特約店。1962年7-12月の包装用チューブ能力3,520t・実績2,830t、農業用フィルム能力560t・実績478t
- [14]ポリエチレン原料の仕入先は中外貿易・大倉商事・住友商事、販売は中外貿易・大倉商事と全国700軒余の特約店。1962年7-12月の包装用チューブ能力3,520t・実績2,830t、農業用フィルム能力560t・実績478t
- [15]ポリエチレン原料の仕入先は中外貿易・大倉商事・住友商事、販売は中外貿易・大倉商事と全国700軒余の特約店。1962年7-12月の包装用チューブ能力3,520t・実績2,830t、農業用フィルム能力560t・実績478t
- [25]1962年1月、一般募集で資本金1億円
出典・参考
3件
- 株式会社年鑑 1964年版「大倉工業」
- 企業の歴史:明治百年(1968)「大倉工業」
- 証券 19(8)(221) 1967年