大谷一二

東洋紡・元取締役社長

Otani Ichiji(敬称略)

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社長就任 1974年6月
生年月日 —
学歴 神戸商業大学
出自 —
社長就任までの出自
出自

1912年に兵庫で生まれ、1937年3月に神戸商業大学を出て東洋紡績へ入社した。1959年5月に業務室部長、1962年に化繊業務部長、1964年4月にエステル業務部長と、化合繊の業務畑を歩いている。1964年12月に取締役、1968年6月に常務、1972年12月に専務、1974年2月に副社長へ進んだ。前任の河崎邦夫氏が日本毛糸紡績、前々任の谷口豊三郎氏が大阪合同紡績から合併で移ったのに対し、大谷氏は入社からの生え抜きだった。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1974年6月、河崎邦夫氏が会長へ就任したのを受けて社長に就任した。同年2月に副社長となってから4か月での昇格である。直前の1974年4月期は売上高3115億円・当期純利益78億円で、前期の32億円から2倍を超えて伸びていた。しかし第一次石油危機後の繊維不況で翌1975年4月期は7億円の当期純損失に転じる。1974年11月の新聞は、香港や韓国の追い上げで日本の繊維産業が英国ランカシャーと同じ道をたどりかねないという業界の見方を伝えている。

在任中の主な施策
施策

在任した4年は繊維不況と重なった。売上高は1974年4月期の3115億円から1978年4月期の2117億円へ3分の2に減り、当期純損益は1975年4月期に7億円、1976年4月期に10億円、1978年4月期に34億円の損失を計上している。この間の1976年7月、前任期に転換した犬山工場で二軸延伸ナイロンフィルムの生産が立ち上がった。1978年7月に宇野收氏へ社長を譲り、会長へ就任した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1937〜1978年
在任中の業績
就任前(FY73)3,115億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件

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