第1章 年〜年

JPホールディングス:ジェイ・プランニングの設立とワゴンサービス事業の開始

1993年〜大和証券を辞めて名古屋で興したコーヒー代理店と、初月150万円を売ったパチンコ店のワゴン

1993年3月、山口洋氏は名古屋市名東区に有限会社ジェイ・プランニングを設立し、代表取締役に就任した。山口洋氏は1985年に大和証券へ入社し、大阪支社の営業部で企業の上場やM&Aを手がけた。在籍8年を経て、1992年に大和証券を退社した。退社の理由は、バブル崩壊後の社内で顧客や部下を守らない人物が昇進する状況に失望したことにあった。起業の地に名古屋を選んだのは、国際空港や万博、リニアの試験など愛知県で長期の公共投資が続き、景気の底堅さを見込んだためだった。最初の事業はオフィスコーヒーの営業代理店で、山口洋氏はコーヒーの原価率の低さと、証券会社で積んだ法人営業の経験を活かせる点に商機を見た。納入先は営業開始から早い段階で100件近くに達した。

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1993年3月、名古屋市名東区に有限会社ジェイ・プランニングを設立
  • ドリームゲート起業家インタビュー 第90回「株式会社JPホールディングス 山口洋」(2009年7月)
    • [2]山口洋氏は大和証券に8年勤め上場・M&Aを担当、1992年退社。名古屋の公共投資を見込みオフィスコーヒー代理店で起業、納入先約100件
    • [3]山口洋氏は大和証券に8年勤め上場・M&Aを担当、1992年退社。名古屋の公共投資を見込みオフィスコーヒー代理店で起業、納入先約100件
    • [4]山口洋氏は大和証券に8年勤め上場・M&Aを担当、1992年退社。名古屋の公共投資を見込みオフィスコーヒー代理店で起業、納入先約100件
    • [5]山口洋氏は大和証券に8年勤め上場・M&Aを担当、1992年退社。名古屋の公共投資を見込みオフィスコーヒー代理店で起業、納入先約100件
    • [6]山口洋氏は大和証券に8年勤め上場・M&Aを担当、1992年退社。名古屋の公共投資を見込みオフィスコーヒー代理店で起業、納入先約100件
    • [7]山口洋氏は大和証券に8年勤め上場・M&Aを担当、1992年退社。名古屋の公共投資を見込みオフィスコーヒー代理店で起業、納入先約100件

1994年10月、ジェイ・プランニングはパチンコ店でのワゴンサービス事業を始めた。女性スタッフが客の席までコーヒーを運ぶ仕組みで、社内からは中止を求める声が上がった。山口洋氏は自らパチンコを好み、台を離れにくい客の需要を確信して営業を続けた。決済の窓口が分からないまま約20社に飛び込み、ようやく導入を認めるオーナーに行き当たった。オフィスコーヒーの1社あたり月間平均売上高は1万5000円で、山口洋氏はパチンコ店1店で30万円前後を見込んだ。実際の初月の売上高は150万円に達し、山口洋氏はこの事業で創業時に掲げた平成12年の店頭公開を実現できると判断した。法人向けの飛び込み営業の手法をパチンコ店へ転用したことが、初期の売上高を生んだと思われる。

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1994年10月、ワゴンサービス事業を開始
  • ドリームゲート起業家インタビュー 第90回「株式会社JPホールディングス 山口洋」(2009年7月)
    • [9]社員の反対を押してパチンコ店のコーヒー・ワゴンを営業、約20社目で導入、見込み30万円に対し初月売上150万円、店頭公開を目標に掲げていた
    • [10]社員の反対を押してパチンコ店のコーヒー・ワゴンを営業、約20社目で導入、見込み30万円に対し初月売上150万円、店頭公開を目標に掲げていた
    • [11]社員の反対を押してパチンコ店のコーヒー・ワゴンを営業、約20社目で導入、見込み30万円に対し初月売上150万円、店頭公開を目標に掲げていた
    • [12]社員の反対を押してパチンコ店のコーヒー・ワゴンを営業、約20社目で導入、見込み30万円に対し初月売上150万円、店頭公開を目標に掲げていた
    • [13]社員の反対を押してパチンコ店のコーヒー・ワゴンを営業、約20社目で導入、見込み30万円に対し初月売上150万円、店頭公開を目標に掲げていた
参考文献[1]-[13]
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1993年3月、名古屋市名東区に有限会社ジェイ・プランニングを設立
    • [8]1994年10月、ワゴンサービス事業を開始
  • ドリームゲート起業家インタビュー 第90回「株式会社JPホールディングス 山口洋」(2009年7月)
    • [2]山口洋氏は大和証券に8年勤め上場・M&Aを担当、1992年退社。名古屋の公共投資を見込みオフィスコーヒー代理店で起業、納入先約100件
    • [3]山口洋氏は大和証券に8年勤め上場・M&Aを担当、1992年退社。名古屋の公共投資を見込みオフィスコーヒー代理店で起業、納入先約100件
    • [4]山口洋氏は大和証券に8年勤め上場・M&Aを担当、1992年退社。名古屋の公共投資を見込みオフィスコーヒー代理店で起業、納入先約100件
    • [5]山口洋氏は大和証券に8年勤め上場・M&Aを担当、1992年退社。名古屋の公共投資を見込みオフィスコーヒー代理店で起業、納入先約100件
    • [6]山口洋氏は大和証券に8年勤め上場・M&Aを担当、1992年退社。名古屋の公共投資を見込みオフィスコーヒー代理店で起業、納入先約100件
    • [7]山口洋氏は大和証券に8年勤め上場・M&Aを担当、1992年退社。名古屋の公共投資を見込みオフィスコーヒー代理店で起業、納入先約100件
    • [9]社員の反対を押してパチンコ店のコーヒー・ワゴンを営業、約20社目で導入、見込み30万円に対し初月売上150万円、店頭公開を目標に掲げていた
    • [10]社員の反対を押してパチンコ店のコーヒー・ワゴンを営業、約20社目で導入、見込み30万円に対し初月売上150万円、店頭公開を目標に掲げていた
    • [11]社員の反対を押してパチンコ店のコーヒー・ワゴンを営業、約20社目で導入、見込み30万円に対し初月売上150万円、店頭公開を目標に掲げていた
    • [12]社員の反対を押してパチンコ店のコーヒー・ワゴンを営業、約20社目で導入、見込み30万円に対し初月売上150万円、店頭公開を目標に掲げていた
    • [13]社員の反対を押してパチンコ店のコーヒー・ワゴンを営業、約20社目で導入、見込み30万円に対し初月売上150万円、店頭公開を目標に掲げていた

1995年〜警察に「好ましくない」と言われたワゴンの委託販売と、社員の子を預かる企業内託児所

ワゴンサービスが広がり始めると、取引先のパチンコ店オーナーから、警察が事業を認めない意向だと山口洋氏に連絡が入った。山口洋氏は法令を調べて違法性がないことを確かめ、所轄警察署の担当課に出向いて見解を聞いた。担当課は『違法ではないが、好ましくない』と答え、競合が現れた場合にスタッフの服装が過激になる懸念を根拠に挙げた。山口洋氏は手紙と面談を重ね、1年半後に担当者から黙認の言質を得て、愛知県内の所轄警察署の半数以上で許可を取った。販売の面では、1996年4月にワゴンサービス事業で委託方式による販売を始めた。委託方式への切り替えは、警察の判断が定まらないなかで取引先との関係を保つ手段だったとみられる。

  • ドリームゲート起業家インタビュー 第90回「株式会社JPホールディングス 山口洋」(2009年7月)
    • [14]所轄警察署は「違法ではないが好ましくない」とし競合間の服装の過激化を懸念、山口洋氏は1年半交渉し黙認を得て県内の半数超の署で許可
    • [15]所轄警察署は「違法ではないが好ましくない」とし競合間の服装の過激化を懸念、山口洋氏は1年半交渉し黙認を得て県内の半数超の署で許可
    • [16]所轄警察署は「違法ではないが好ましくない」とし競合間の服装の過激化を懸念、山口洋氏は1年半交渉し黙認を得て県内の半数超の署で許可
    • [17]所轄警察署は「違法ではないが好ましくない」とし競合間の服装の過激化を懸念、山口洋氏は1年半交渉し黙認を得て県内の半数超の署で許可
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1996年4月、ワゴンサービス事業で委託方式販売を開始

1996年1月、有限会社ジェイ・プランニングは株式会社に組織を改めた。これに先立ち、1995年6月に松下電工のショウルーム内の喫茶コーナーで飲食事業に参入した。同年8月には有限会社ジェイ・ピー・サービスの設立と、同社への飲食部門の移管。1996年6月には商号を株式会社ゲオ・ジェイピーに変え、1999年4月に株式会社ジェイ・プランニングへ戻した。1998年には3月に株式会社マルチ・ボックス、6月に有限会社ジェイ・ピー・スタッフが設立された。ワゴンサービスの事業所は愛知県を起点に関東を含む35都道府県へ広がり、警察庁の通達で適法性が全国で認められた。2000年3月、ジェイ・プランニングは子会社3社を吸収合併し、事業を1社に統合した。全国展開と店頭公開の準備に合わせて、分散した法人を一本化したのだろう。

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1995/6飲食事業進出、1995/8ジェイ・ピー・サービス設立、1996/1株式会社化、1996/6ゲオ・ジェイピーに商号変更、1998/3マルチ・ボックス・1998/6ジェイ・ピー・スタッフ設立、1999/4商号復帰、2000/3子会社3社を吸収合併
    • [20]1995/6飲食事業進出、1995/8ジェイ・ピー・サービス設立、1996/1株式会社化、1996/6ゲオ・ジェイピーに商号変更、1998/3マルチ・ボックス・1998/6ジェイ・ピー・スタッフ設立、1999/4商号復帰、2000/3子会社3社を吸収合併
    • [21]1995/6飲食事業進出、1995/8ジェイ・ピー・サービス設立、1996/1株式会社化、1996/6ゲオ・ジェイピーに商号変更、1998/3マルチ・ボックス・1998/6ジェイ・ピー・スタッフ設立、1999/4商号復帰、2000/3子会社3社を吸収合併
    • [22]1995/6飲食事業進出、1995/8ジェイ・ピー・サービス設立、1996/1株式会社化、1996/6ゲオ・ジェイピーに商号変更、1998/3マルチ・ボックス・1998/6ジェイ・ピー・スタッフ設立、1999/4商号復帰、2000/3子会社3社を吸収合併
    • [23]1995/6飲食事業進出、1995/8ジェイ・ピー・サービス設立、1996/1株式会社化、1996/6ゲオ・ジェイピーに商号変更、1998/3マルチ・ボックス・1998/6ジェイ・ピー・スタッフ設立、1999/4商号復帰、2000/3子会社3社を吸収合併
    • [25]1995/6飲食事業進出、1995/8ジェイ・ピー・サービス設立、1996/1株式会社化、1996/6ゲオ・ジェイピーに商号変更、1998/3マルチ・ボックス・1998/6ジェイ・ピー・スタッフ設立、1999/4商号復帰、2000/3子会社3社を吸収合併
  • ドリームゲート起業家インタビュー 第90回「株式会社JPホールディングス 山口洋」(2009年7月)
    • [24]ワゴンサービスの事業所を35都道府県に展開、警察庁が適法とする通達を出した

ワゴンサービス事業の拡大につれて、人材の採用が課題になった。スタッフの中心は女性で、子どもができると家庭との両立が難しくなり退職する者が増えた。山口洋氏は人材の定着を図るため、一時預かりも行う保育所を福利厚生として自社で設けた。当初は事業化を想定しない赤字覚悟の試みで、社員の多くは反対した。運営を通じて山口洋氏は、日曜・祝日や夜間に子どもを預からない既存の保育所に不満を抱いた。2000年の児童福祉法改正で、株式会社も保育事業に参入して補助金を受けられるようになった。2001年12月、ジェイ・プランニングは埼玉県新座市に保育所「スマイルキッズ新座園」を開園した。社員の福利厚生として始めた保育が、利用者の視点から業界を見直す契機になったと考えられる。

  • ドリームゲート起業家インタビュー 第90回「株式会社JPホールディングス 山口洋」(2009年7月)
    • [26]女性スタッフの離職を防ぐため一時預かりを含む保育所を福利厚生として自社で開始、既存保育所の休日・夜間未対応を問題視、2000年児童福祉法改正で株式会社の参入が可能に
    • [27]女性スタッフの離職を防ぐため一時預かりを含む保育所を福利厚生として自社で開始、既存保育所の休日・夜間未対応を問題視、2000年児童福祉法改正で株式会社の参入が可能に
    • [28]女性スタッフの離職を防ぐため一時預かりを含む保育所を福利厚生として自社で開始、既存保育所の休日・夜間未対応を問題視、2000年児童福祉法改正で株式会社の参入が可能に
    • [29]女性スタッフの離職を防ぐため一時預かりを含む保育所を福利厚生として自社で開始、既存保育所の休日・夜間未対応を問題視、2000年児童福祉法改正で株式会社の参入が可能に
    • [30]女性スタッフの離職を防ぐため一時預かりを含む保育所を福利厚生として自社で開始、既存保育所の休日・夜間未対応を問題視、2000年児童福祉法改正で株式会社の参入が可能に
    • [31]女性スタッフの離職を防ぐため一時預かりを含む保育所を福利厚生として自社で開始、既存保育所の休日・夜間未対応を問題視、2000年児童福祉法改正で株式会社の参入が可能に
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [32]2001年12月、埼玉県新座市に保育所「スマイルキッズ新座園」を開園
参考文献[14]-[32]
  • ドリームゲート起業家インタビュー 第90回「株式会社JPホールディングス 山口洋」(2009年7月)
    • [14]所轄警察署は「違法ではないが好ましくない」とし競合間の服装の過激化を懸念、山口洋氏は1年半交渉し黙認を得て県内の半数超の署で許可
    • [15]所轄警察署は「違法ではないが好ましくない」とし競合間の服装の過激化を懸念、山口洋氏は1年半交渉し黙認を得て県内の半数超の署で許可
    • [16]所轄警察署は「違法ではないが好ましくない」とし競合間の服装の過激化を懸念、山口洋氏は1年半交渉し黙認を得て県内の半数超の署で許可
    • [17]所轄警察署は「違法ではないが好ましくない」とし競合間の服装の過激化を懸念、山口洋氏は1年半交渉し黙認を得て県内の半数超の署で許可
    • [24]ワゴンサービスの事業所を35都道府県に展開、警察庁が適法とする通達を出した
    • [26]女性スタッフの離職を防ぐため一時預かりを含む保育所を福利厚生として自社で開始、既存保育所の休日・夜間未対応を問題視、2000年児童福祉法改正で株式会社の参入が可能に
    • [27]女性スタッフの離職を防ぐため一時預かりを含む保育所を福利厚生として自社で開始、既存保育所の休日・夜間未対応を問題視、2000年児童福祉法改正で株式会社の参入が可能に
    • [28]女性スタッフの離職を防ぐため一時預かりを含む保育所を福利厚生として自社で開始、既存保育所の休日・夜間未対応を問題視、2000年児童福祉法改正で株式会社の参入が可能に
    • [29]女性スタッフの離職を防ぐため一時預かりを含む保育所を福利厚生として自社で開始、既存保育所の休日・夜間未対応を問題視、2000年児童福祉法改正で株式会社の参入が可能に
    • [30]女性スタッフの離職を防ぐため一時預かりを含む保育所を福利厚生として自社で開始、既存保育所の休日・夜間未対応を問題視、2000年児童福祉法改正で株式会社の参入が可能に
    • [31]女性スタッフの離職を防ぐため一時預かりを含む保育所を福利厚生として自社で開始、既存保育所の休日・夜間未対応を問題視、2000年児童福祉法改正で株式会社の参入が可能に
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1996年4月、ワゴンサービス事業で委託方式販売を開始
    • [19]1995/6飲食事業進出、1995/8ジェイ・ピー・サービス設立、1996/1株式会社化、1996/6ゲオ・ジェイピーに商号変更、1998/3マルチ・ボックス・1998/6ジェイ・ピー・スタッフ設立、1999/4商号復帰、2000/3子会社3社を吸収合併
    • [20]1995/6飲食事業進出、1995/8ジェイ・ピー・サービス設立、1996/1株式会社化、1996/6ゲオ・ジェイピーに商号変更、1998/3マルチ・ボックス・1998/6ジェイ・ピー・スタッフ設立、1999/4商号復帰、2000/3子会社3社を吸収合併
    • [21]1995/6飲食事業進出、1995/8ジェイ・ピー・サービス設立、1996/1株式会社化、1996/6ゲオ・ジェイピーに商号変更、1998/3マルチ・ボックス・1998/6ジェイ・ピー・スタッフ設立、1999/4商号復帰、2000/3子会社3社を吸収合併
    • [22]1995/6飲食事業進出、1995/8ジェイ・ピー・サービス設立、1996/1株式会社化、1996/6ゲオ・ジェイピーに商号変更、1998/3マルチ・ボックス・1998/6ジェイ・ピー・スタッフ設立、1999/4商号復帰、2000/3子会社3社を吸収合併
    • [23]1995/6飲食事業進出、1995/8ジェイ・ピー・サービス設立、1996/1株式会社化、1996/6ゲオ・ジェイピーに商号変更、1998/3マルチ・ボックス・1998/6ジェイ・ピー・スタッフ設立、1999/4商号復帰、2000/3子会社3社を吸収合併
    • [25]1995/6飲食事業進出、1995/8ジェイ・ピー・サービス設立、1996/1株式会社化、1996/6ゲオ・ジェイピーに商号変更、1998/3マルチ・ボックス・1998/6ジェイ・ピー・スタッフ設立、1999/4商号復帰、2000/3子会社3社を吸収合併
    • [32]2001年12月、埼玉県新座市に保育所「スマイルキッズ新座園」を開園

出典・参考

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出典・参考
  • 有価証券報告書【沿革】
  • ドリームゲート起業家インタビュー 第90回「株式会社JPホールディングス 山口洋」(2009年7月)

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