第3章 年〜年

台糖:台糖ファイザー株の譲渡と川崎工場の閉鎖

1963年〜原糖輸入自由化と川崎工場500トンの溶糖能力

1963年に原料糖の輸入が自由化されると、製糖各社は生産過剰に陥り大打撃を受けた。台糖は自由化の2年後の1965年10月に川崎工場で溶糖を開始し、1日500トンの溶糖能力を加えた。売上高は1964年3月期の217億円から1965年3月期に192億円へ減り、当期純利益も4億4000万円から1億4000万円へ減少した。赤字転落は翌期で、1966年3月期に1億7000万円、1967年3月期に9億7000万円の当期純損失を計上した。売上高も1966年3月期は183億円、1967年3月期は199億円と、自由化前の1964年3月期を下回った。

  • 日経ビジネス 1991年5月13日号
    • [1]1963年に原料糖の輸入が自由化され、製糖各社は生産過剰に陥り大打撃を受けた
  • 台糖九十年通史(台糖、1990年)年表
    • [2]1965年10月に川崎工場で溶糖を開始(溶糖能力500トン/日)
  • 会社年鑑(1967年版)半期合算
    • [3]売上高1964年3月期217億円・1965年3月期192億円、当期純利益1964年3月期4.4億円・1965年3月期1.4億円
    • [4]当期純利益1966年3月期-1.7億円・1967年3月期-9.7億円
    • [5]売上高1966年3月期183億円・1967年3月期199億円・1964年3月期217億円

1966年3月期の半期売上高は、精製糖が86億659万円で構成比87.5%、甜菜糖が11億4227万円で11.6%、倉庫収入が9042万円で0.9%であり、砂糖以外の稼ぎはほとんどなかった。台糖は九州製糖を吸収合併して業界第一位となり、三井系製糖会社の大合同を掲げて横浜精糖・芝浦精糖との合併にも取り組んだ。しかし横浜精糖と芝浦精糖は1970年に大阪製糖と合併して三井製糖を発足させ、台糖はこの合同に加わらなかった。群雄割拠していた砂糖業界は、商社主導で三井・三菱・丸紅・伊藤忠の4グループへ再編された。

  • 会社年鑑(1967年版)
    • [6]1966年3月期の半期売上構成は精製糖8,600,659千円(87.5%)、甜菜糖1,142,271千円(11.6%)、倉庫収入90,426千円(0.9%)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)3編 企業の歴史「台糖」
    • [7]九州製糖を吸収合併して業界第一位となり、三井系製糖会社の大合同を進め、横浜精糖・芝浦精糖との合併に取り組んでいた
  • MAonline「【三井製糖】逆風下、新たな業界再編へ「3社連合」を主導」
    • [8]三井系の横浜精糖と芝浦精糖は1970年に大阪製糖と合併して三井製糖を発足させた
    • [9]群雄割拠していた砂糖業界は商社主導で三井・三菱・丸紅・伊藤忠の4グループに再編された
参考文献[1]-[9]
  • 日経ビジネス 1991年5月13日号
    • [1]1963年に原料糖の輸入が自由化され、製糖各社は生産過剰に陥り大打撃を受けた
    • [2]1965年10月に川崎工場で溶糖を開始(溶糖能力500トン/日)
  • 会社年鑑(1967年版)半期合算
    • [3]売上高1964年3月期217億円・1965年3月期192億円、当期純利益1964年3月期4.4億円・1965年3月期1.4億円
    • [4]当期純利益1966年3月期-1.7億円・1967年3月期-9.7億円
    • [5]売上高1966年3月期183億円・1967年3月期199億円・1964年3月期217億円
  • 会社年鑑(1967年版)
    • [6]1966年3月期の半期売上構成は精製糖8,600,659千円(87.5%)、甜菜糖1,142,271千円(11.6%)、倉庫収入90,426千円(0.9%)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)3編 企業の歴史「台糖」
    • [7]九州製糖を吸収合併して業界第一位となり、三井系製糖会社の大合同を進め、横浜精糖・芝浦精糖との合併に取り組んでいた
    • [8]三井系の横浜精糖と芝浦精糖は1970年に大阪製糖と合併して三井製糖を発足させた
    • [9]群雄割拠していた砂糖業界は商社主導で三井・三菱・丸紅・伊藤忠の4グループに再編された

1968年〜甜菜糖部門の譲渡と医薬合弁株60%の25億円売却

1968年4月、台糖は甜菜糖部門の道南製糖所を、芝浦精糖・大日本製糖との共同出資会社である北海道糖業に譲渡した。同年7月には台糖ファイザー株の60%を25億円でファイザーへ売り、8月に大阪工場と大阪倉庫営業所を廃止した。1959年10月に操業を開始した甜菜糖と、1955年6月にファイザーとの折半出資で設けた医薬品事業を、同じ年に手放している。経営が傾いた台糖は、損失の穴埋めのために台糖ファイザー株を売却した。売却と部門譲渡を挟んだ1969年3月期、当期純利益は13億8000万円の黒字に戻った。

  • 台糖九十年通史(台糖、1990年)年表
    • [10]1968年4月に甜菜糖部門(道南製糖所)を北海道糖業(芝浦精糖・大日本製糖との共同出資会社)に譲渡
    • [11]1968年7月に台糖ファイザー株の60%をファイザーへ25億円で譲渡
    • [12]1968年8月に大阪工場と大阪倉庫営業所を廃止
    • [13]1959年10月に道南製糖所が操業を開始し甜菜糖事業に参入、1955年6月に米国ファイザーとの折半出資で台糖ファイザーを設立
  • 日経ビジネス 1983年4月18日号
    • [14]台糖の経営が傾くと、台糖は損失の穴埋めのため台糖ファイザー株を売却した
  • 会社年鑑(1971年版)半期合算
    • [15]当期純利益1968年3月期-0.2億円・1969年3月期13.8億円

出資比率は1968年にファイザー80に対し台糖20となり、1975年には95対5にまで下がった。持分が縮む間も合弁会社は伸び、台糖ファイザーは1967年に名古屋工場を建設したうえ、中央薬理研究所の拡充と農畜産部門への進出にも資金を投じた。1975年6月時点の資本金は24億5000万円、1974年11月期の年間売上高は237億円、従業員は1,515人で、抗生物質テラマイシンとマトロマイシンではファイザー・グループのバルク供給基地となった。同じ1975年3月期、台糖は売上高637億円、経常利益22億7000万円を計上した。

  • 日経ビジネス 1983年4月18日号
    • [16]出資比率は1968年にファイザー80対台糖20、1975年には95対5となった
  • 日経ビジネス 1975年6月9日号
    • [17]1967年の名古屋工場の建設以来、中央薬理研究所の拡充、農畜産部門への進出など設備投資を進めた
    • [18]台糖ファイザーは資本金24億5000万円、年間売上高237億円(1974年11月期)、従業員1,515人。テラマイシン、マトロマイシンでファイザー・グループのバルク供給基地となっていた
  • 会社年鑑(1976年版)半期合算
    • [19]1975年3月期の売上高637億円、経常利益22.7億円

1982年11月期の台糖ファイザーは、売上高670億円、経常利益115億円を計上した。前年に比べ、売上高は33%、経常利益は21%増えている。医薬品の国内売上高順位も、1981年の16位から1982年には12位へ上がった。外資系の医薬品メーカーの中では首位に立ち、2位以下を引き離していた。もう一方の出資者である台糖は、1982年3月期に6億9000万円、1983年3月期に40億5000万円の当期純損失を計上していた。その台糖が1983年3月、台糖ファイザーの全株式を14億4324万円でファイザーへ売り渡した。これにより台糖は、28年前に折半出資で始めた合弁から退いた。

  • 日経ビジネス 1983年4月18日号
    • [20]台糖ファイザーの1982年11月期決算は売上高670億円、経常利益115億円で前年をそれぞれ33%、21%上回った
    • [21]国内医薬品売上高で1981年の業界16位から1982年に12位へ上昇、外資系医薬品メーカーでは2位以下を大きく引き離してのトップ
  • 台糖九十年通史(台糖、1990年)年表
    • [22]1983年3月に台糖ファイザーの全株式を14億4324万円でファイザーへ譲渡
  • 会社年鑑(1986年版)
    • [23]当期純利益1982年3月期-6.9億円、1983年3月期-40.5億円
参考文献[10]-[23]
    • [10]1968年4月に甜菜糖部門(道南製糖所)を北海道糖業(芝浦精糖・大日本製糖との共同出資会社)に譲渡
    • [11]1968年7月に台糖ファイザー株の60%をファイザーへ25億円で譲渡
    • [12]1968年8月に大阪工場と大阪倉庫営業所を廃止
    • [13]1959年10月に道南製糖所が操業を開始し甜菜糖事業に参入、1955年6月に米国ファイザーとの折半出資で台糖ファイザーを設立
    • [22]1983年3月に台糖ファイザーの全株式を14億4324万円でファイザーへ譲渡
  • 日経ビジネス 1983年4月18日号
    • [14]台糖の経営が傾くと、台糖は損失の穴埋めのため台糖ファイザー株を売却した
    • [16]出資比率は1968年にファイザー80対台糖20、1975年には95対5となった
    • [20]台糖ファイザーの1982年11月期決算は売上高670億円、経常利益115億円で前年をそれぞれ33%、21%上回った
    • [21]国内医薬品売上高で1981年の業界16位から1982年に12位へ上昇、外資系医薬品メーカーでは2位以下を大きく引き離してのトップ
  • 会社年鑑(1971年版)半期合算
    • [15]当期純利益1968年3月期-0.2億円・1969年3月期13.8億円
  • 日経ビジネス 1975年6月9日号
    • [17]1967年の名古屋工場の建設以来、中央薬理研究所の拡充、農畜産部門への進出など設備投資を進めた
    • [18]台糖ファイザーは資本金24億5000万円、年間売上高237億円(1974年11月期)、従業員1,515人。テラマイシン、マトロマイシンでファイザー・グループのバルク供給基地となっていた
  • 会社年鑑(1976年版)半期合算
    • [19]1975年3月期の売上高637億円、経常利益22.7億円
  • 会社年鑑(1986年版)
    • [23]当期純利益1982年3月期-6.9億円、1983年3月期-40.5億円

1973年〜工費80億円の新神戸工場と川崎工場の閉鎖

1973年5月、台糖は神戸市東灘区深江浜町に工費80億円をかけた新神戸工場を竣工させ、1974年3月期には売上高422億円、経常利益9億9000万円を計上した。同じ1974年、横井英樹氏が台糖株を買い占めて大株主となり、株主総会で経営問題を質問すると会場は怒号に包まれた。議事を進めようとする会社側の対応に不満を持つ一部株主が暴力を振るう騒ぎとなり、当時総務部長だった武智文男氏が警察と連絡を取りながら対応した。武智氏は原料糖の輸入自由化で製糖各社が打撃を受けた1963年5月、36歳で日東化学工業から台糖へ移っていた。

  • 台糖九十年通史(台糖、1990年)年表
    • [24]1973年5月に神戸市東灘区深江浜町で新神戸工場が竣工(工費80億円)
  • 会社年鑑(1976年版)半期合算
    • [25]1974年3月期の売上高422億円、経常利益9.9億円
  • 日経ビジネス 1991年5月13日号
    • [26]1974年の横井英樹氏による株買い占め事件。大株主となった横井氏が株主総会で経営問題について質問し、会場は怒号に包まれて騒然とした
    • [27]議事進行しようとする会社側の対応を不満とする一部株主が暴力を振るう騒ぎとなり、当時総務部長だった武智文男氏が警察と連絡を取りながら対応した
    • [28]武智文男氏は日東化学工業に入社後、1963年5月に36歳で台糖へ入社した

1976年3月期、台糖は経常損失142億7000万円、当期純損失90億円を計上し、1977年3月期も経常損失59億2000万円、当期純損失54億9000万円を重ねた。売上高も1976年3月期の755億円から1977年3月期は495億円へ減った。1978年3月期に経常利益9億円を確保して黒字へ戻したのち、1979年3月、台糖は非砂糖部門と研究部門を台糖産業に譲渡し、医薬品に続いて砂糖以外の事業と研究機能を本体の外へ移した。1979年3月期の当期純利益は前期の12億円から93億1000万円に増えた。

  • 会社年鑑(1986年版)
    • [29]経常利益1976年3月期-142.7億円・1977年3月期-59.2億円、当期純利益1976年3月期-90.0億円・1977年3月期-54.9億円
    • [30]売上高1976年3月期755億円・1977年3月期495億円
    • [31]1978年3月期の経常利益9.0億円、当期純利益12.0億円
    • [33]当期純利益1978年3月期12.0億円・1979年3月期93.1億円
  • 台糖九十年通史(台糖、1990年)年表
    • [32]1979年3月に非砂糖部門と研究部門を台糖産業へ譲渡

1982年3月期に経常損失6億9000万円、1983年3月期に経常損失35億6000万円と赤字が続くなか、台糖は1984年2月に川崎工場を閉鎖し、製糖の生産を神戸工場に集約した。1965年10月に溶糖を始めた川崎工場は19年で操業を終え、精製糖の生産拠点は神戸1カ所に絞られた。閉鎖を決めた1984年3月期も経常損失5億6000万円を計上したが、集約後の1985年3月期は売上高441億円、経常利益26億9000万円、当期純利益38億9000万円となり、経常損益は1981年3月期の10億6000万円以来4期ぶりの黒字に戻った。

  • 会社年鑑(1986年版)
    • [34]経常利益1982年3月期-6.9億円・1983年3月期-35.6億円
    • [37]1984年3月期の経常利益-5.6億円
    • [38]1985年3月期の売上高441億円、経常利益26.9億円、当期純利益38.9億円。経常利益1981年3月期10.6億円、1982〜1984年3月期は経常赤字
  • 台糖九十年通史(台糖、1990年)年表
    • [35]1984年2月に川崎工場を閉鎖し神戸工場に生産を集約
    • [36]1965年10月に川崎工場で溶糖を開始し、1984年2月に同工場を閉鎖
参考文献[24]-[38]
    • [24]1973年5月に神戸市東灘区深江浜町で新神戸工場が竣工(工費80億円)
    • [32]1979年3月に非砂糖部門と研究部門を台糖産業へ譲渡
    • [35]1984年2月に川崎工場を閉鎖し神戸工場に生産を集約
    • [36]1965年10月に川崎工場で溶糖を開始し、1984年2月に同工場を閉鎖
  • 会社年鑑(1976年版)半期合算
    • [25]1974年3月期の売上高422億円、経常利益9.9億円
  • 日経ビジネス 1991年5月13日号
    • [26]1974年の横井英樹氏による株買い占め事件。大株主となった横井氏が株主総会で経営問題について質問し、会場は怒号に包まれて騒然とした
    • [27]議事進行しようとする会社側の対応を不満とする一部株主が暴力を振るう騒ぎとなり、当時総務部長だった武智文男氏が警察と連絡を取りながら対応した
    • [28]武智文男氏は日東化学工業に入社後、1963年5月に36歳で台糖へ入社した
  • 会社年鑑(1986年版)
    • [29]経常利益1976年3月期-142.7億円・1977年3月期-59.2億円、当期純利益1976年3月期-90.0億円・1977年3月期-54.9億円
    • [30]売上高1976年3月期755億円・1977年3月期495億円
    • [31]1978年3月期の経常利益9.0億円、当期純利益12.0億円
    • [33]当期純利益1978年3月期12.0億円・1979年3月期93.1億円
    • [34]経常利益1982年3月期-6.9億円・1983年3月期-35.6億円
    • [37]1984年3月期の経常利益-5.6億円
    • [38]1985年3月期の売上高441億円、経常利益26.9億円、当期純利益38.9億円。経常利益1981年3月期10.6億円、1982〜1984年3月期は経常赤字

1960年〜1984年の業績

決算期 区分 売上高 営業利益経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 億円 利益率
1960年03月期 単体 151 n/a 10 n/a n/a n/a n/a
1961年03月期 単体 171 +13.2% n/a n/a n/a n/a n/a
1962年03月期 単体 175 +2.3% n/a n/a n/a n/a n/a
1963年03月期 単体 194 +10.9% n/a n/a 6 3.5% n/a
1964年03月期 単体 217 +11.9% n/a n/a 4 2.0% n/a
1965年03月期 単体 192 ▲11.5% n/a n/a 1 0.7% n/a
1966年03月期 単体 183 ▲4.7% n/a n/a ▲1 ▲0.9% n/a
1967年03月期 単体 199 +8.7% n/a n/a ▲9 ▲4.9% n/a
1968年03月期 単体 208 +4.5% n/a n/a 0 ▲0.1% n/a
1969年03月期 単体 203 ▲2.4% n/a n/a 13 6.8% n/a
1970年03月期 単体 219 +7.9% n/a n/a 3 1.4% n/a
1971年03月期 単体 306 +39.7% n/a 8 5 1.8% n/a
1972年03月期 単体 295 ▲3.6% n/a 4 3 1.0% n/a
1973年03月期 単体 299 +1.4% n/a 1 3 1.0% n/a
1974年03月期 単体 422 +41.1% n/a 9 3 0.9% n/a
1975年03月期 単体 637 +50.9% n/a 22 10 1.6% n/a
1976年03月期 単体 755 +18.5% n/a ▲142 ▲90 ▲11.9% n/a
1977年03月期 単体 495 ▲34.4% n/a ▲59 ▲54 ▲11.1% n/a
1978年03月期 単体 466 ▲5.9% n/a 9 12 2.6% n/a
1979年03月期 単体 474 +1.7% n/a 17 93 19.6% n/a
1980年03月期 単体 490 +3.4% n/a 20 18 3.8% n/a
1981年03月期 単体 533 +8.8% n/a 10 8 1.5% n/a
1982年03月期 単体 466 ▲12.6% n/a ▲6 ▲6 ▲1.5% n/a
1983年03月期 単体 388 ▲16.7% n/a ▲35 ▲40 ▲10.4% n/a
1984年03月期 単体 426 +9.8% n/a ▲5 2 0.6% n/a

出所:上場会社総覧(1961年版)半期合算、会社年鑑(1963年版)半期合算、会社年鑑(1967年版)半期合算、会社年鑑(1971年版)半期合算、会社年鑑(1976年版)半期合算、会社年鑑

出典・参考

11件
出典・参考
  • 会社年鑑(1967年版)半期合算
  • 会社年鑑(1967年版)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)3編 企業の歴史「台糖」
  • 会社年鑑(1971年版)半期合算
  • 会社年鑑(1976年版)半期合算
  • 会社年鑑(1986年版)
  • 日経ビジネス 1975年6月9日号
  • 日経ビジネス 1983年4月18日号
  • 日経ビジネス 1991年5月13日号
  • 台糖九十年通史(台糖、1990年)年表
  • MAonline「【三井製糖】逆風下、新たな業界再編へ「3社連合」を主導」

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