大倉喜八郎
大成建設・元有限責任日本土木会社 社長
社長就任1873年10月
生年月日—
学歴—
出自—
経歴1854〜1924年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1854年主要役職の状況(推定含む目安)1924年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | 中川鰹節店 | 1854 | 入店 | ||
| 大倉屋(乾物店・銃砲店) | 1857 | 開業 | |||
| 1865 | 開業 | ||||
| 大成建設(旧・大倉組商会) | 1873 | 創業 頭取 | |||
| 1887 | 社長 | ||||
| 1893 | 大倉土木組を個人経営で設立 | ||||
| 1911 | 頭取 | ||||
| 1924 | 退任 |
社長就任までの出自
出自
1837年9月、越後国北蒲原郡新発田の城下で大倉千之助氏の三男として生まれた。1854年に江戸へ出て麻布飯倉の中川鰹節店の店員となり、1857年の春には下谷上野町で乾物店を開業して独立した。1865年の秋に神田和泉橋通りで大倉屋銃砲店を始め、1868年には有栖川宮の御用達として奥羽へ向かう征討軍の輜重を担った。翌1869年には津軽藩の急な求めに応じて銃器を船で送り届けている。土木の技術者ではなく、商いで資本を蓄えた人物が請負の世界へ入った。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1872年4月、欧米の商工業を見るため横浜を発ち、英国に約10カ月とどまったのちフランス・イタリア・オーストリアを回った。19カ月の旅程を終えて帰国した1873年10月、37歳で大倉組商会を設けて頭取に就任した。資本金は15万円で、出資には大倉喜八郎氏のほか旧藩主の溝口家と津軽家が加わり、副頭取には津軽家を代表する木村静幽氏が就任した。外遊前に考えていた横浜商会という名は採らず、事務所を京橋区銀座三丁目に置いた。
在任中の主な施策
施策
1887年3月、渋沢栄一氏・藤田伝三郎氏と資本金200万円の有限責任日本土木会社を設け、社長に就任した。海軍と臨時建築局が大型工事を担える請負会社を求めたことが契機で、土木18名・建築7名の技術者を破格の待遇で迎えている。同社は帝国ホテルや琵琶湖疏水を手がけたが、1889年公布の会計法で官の工事が一般競争入札に移ると受注が減少した。1892年11月に解散を宣言し、翌1893年6月に個人経営の大倉土木組を設けて残る工事と清算を引き取った。
創業ストーリー
創業ストーリー
参考文献6件
参考文献
- 大成建設社史(1963)「年表 創業前史・大倉喜八郎事歴」
- 大成建設社史(1963)「序章 一 大倉喜八郎の故郷」
- 大成建設社史(1963)「第一章 一 壮年期に入る」
- 大成建設社史(1963)「第五章 一 新らしい出発」
- 大成建設社史(1963)「指導者の交代」
- TAISEI CORPORATION ANNUAL REPORT 2001「Corporate History」
事実根拠:出所(大成建設)