第1章 年〜年

ナガセ:ナガセ進学教室の開設と東進スクールへの改称

1971年〜三鷹のアパートで開いたナガセ進学教室と、資本金50万円で興した株式会社ナガセ

永瀬昭幸氏は東京大学の経済学部に在学していた1971年、住まいのアパートで塾の授業を始めた。1971年3月にナガセ進学教室として開講した時点で、教室に通う生徒は2名。永瀬昭幸氏は1968年の入学後、東大紛争に巻き込まれた事情が親に伝わって仕送りを止められ、生活費を得るため家庭教師を始めた。教え子が理解するまで深夜でも付き合う指導を続け、志望校合格率は一般の家庭教師を大きく上回った。子供の親の間で評判が広がり、その評判を受けて東京・三鷹の自宅アパートに教室を設けた。合格実績で得た父母の信用が、資本を持たない学生の塾にとって最初の顧客層になったと思われる。

  • 日経ビジネス 1992年5月18日号
    • [1]永瀬昭幸は東大経済学部在学中の1971年に自宅アパートを教室にして塾を始めた
  • 銀行時評 19(9) 1985年9月「塾経営 企業体にまで成長した学習塾の未来展望」東進スクールの項(p101-102)
    • [2]昭和46年3月に生徒2名で塾が始まった
  • 創業者精神(日経ベンチャー別冊、1993年)「無心になった瞬間地獄の悩みが消滅」永瀬昭幸
    • [3]1968年東大入学、紛争の件で仕送りを止められ家庭教師を開始。深夜まで付き合い合格率が高く親の評判を呼び、三鷹の自宅アパートで教室を開きナガセ進学教室が始まった
    • [4]1968年東大入学、紛争の件で仕送りを止められ家庭教師を開始。深夜まで付き合い合格率が高く親の評判を呼び、三鷹の自宅アパートで教室を開きナガセ進学教室が始まった
    • [5]1968年東大入学、紛争の件で仕送りを止められ家庭教師を開始。深夜まで付き合い合格率が高く親の評判を呼び、三鷹の自宅アパートで教室を開きナガセ進学教室が始まった

1974年に野村証券へ入社した永瀬昭幸氏は、生徒の親から寄せられた強い要望を受けて1976年1月に退社し、以後は塾の経営に専念した。勤務の間も塾は閉じず、妹を講師に立てて授業を続けた。野村証券に在籍していた時期には、取引先から、起業するなら資金を出すという申し出も受けた。1976年5月、永瀬昭幸氏はナガセ進学教室を母体に、武蔵野市御殿山に本店を置く株式会社ナガセを資本金50万円で設立した。設立後のナガセが手がけたのは小学生と中学生を対象とする塾で、その地盤は三鷹市・武蔵野市・練馬区である。父母の需要と外部資金の見通しが同じ時期にそろい、副業だった塾を法人として本業にする判断を後押ししたとみられる。

  • 創業者精神(日経ベンチャー別冊、1993年)「無心になった瞬間地獄の悩みが消滅」永瀬昭幸
    • [6]1974年野村証券入社、生徒の父母の強い要望もあり1976年1月に退社し進学教室の経営に専念
  • 日経ビジネス 1992年5月18日号
    • [7]野村入社後も妹に講師をさせて塾を継続。取引先から事業を興すなら資金を提供すると持ちかけられ76年に退社しナガセを設立。当初は小中学生向け学習塾を三鷹市・武蔵野市・練馬区などで展開
    • [8]野村入社後も妹に講師をさせて塾を継続。取引先から事業を興すなら資金を提供すると持ちかけられ76年に退社しナガセを設立。当初は小中学生向け学習塾を三鷹市・武蔵野市・練馬区などで展開
    • [10]野村入社後も妹に講師をさせて塾を継続。取引先から事業を興すなら資金を提供すると持ちかけられ76年に退社しナガセを設立。当初は小中学生向け学習塾を三鷹市・武蔵野市・練馬区などで展開
  • 有価証券報告書【沿革】(41_timeline)
    • [9]1976年5月、ナガセ進学教室を母体に武蔵野市御殿山に株式会社ナガセ(資本金50万円)を設立
参考文献[1]-[10]
  • 日経ビジネス 1992年5月18日号
    • [1]永瀬昭幸は東大経済学部在学中の1971年に自宅アパートを教室にして塾を始めた
    • [7]野村入社後も妹に講師をさせて塾を継続。取引先から事業を興すなら資金を提供すると持ちかけられ76年に退社しナガセを設立。当初は小中学生向け学習塾を三鷹市・武蔵野市・練馬区などで展開
    • [8]野村入社後も妹に講師をさせて塾を継続。取引先から事業を興すなら資金を提供すると持ちかけられ76年に退社しナガセを設立。当初は小中学生向け学習塾を三鷹市・武蔵野市・練馬区などで展開
    • [10]野村入社後も妹に講師をさせて塾を継続。取引先から事業を興すなら資金を提供すると持ちかけられ76年に退社しナガセを設立。当初は小中学生向け学習塾を三鷹市・武蔵野市・練馬区などで展開
  • 銀行時評 19(9) 1985年9月「塾経営 企業体にまで成長した学習塾の未来展望」東進スクールの項(p101-102)
    • [2]昭和46年3月に生徒2名で塾が始まった
  • 創業者精神(日経ベンチャー別冊、1993年)「無心になった瞬間地獄の悩みが消滅」永瀬昭幸
    • [3]1968年東大入学、紛争の件で仕送りを止められ家庭教師を開始。深夜まで付き合い合格率が高く親の評判を呼び、三鷹の自宅アパートで教室を開きナガセ進学教室が始まった
    • [4]1968年東大入学、紛争の件で仕送りを止められ家庭教師を開始。深夜まで付き合い合格率が高く親の評判を呼び、三鷹の自宅アパートで教室を開きナガセ進学教室が始まった
    • [5]1968年東大入学、紛争の件で仕送りを止められ家庭教師を開始。深夜まで付き合い合格率が高く親の評判を呼び、三鷹の自宅アパートで教室を開きナガセ進学教室が始まった
    • [6]1974年野村証券入社、生徒の父母の強い要望もあり1976年1月に退社し進学教室の経営に専念
  • 有価証券報告書【沿革】(41_timeline)
    • [9]1976年5月、ナガセ進学教室を母体に武蔵野市御殿山に株式会社ナガセ(資本金50万円)を設立

1978年〜東京進学教室を譲り受けた東進スクールと、売上14億8000万円に伸びた中央線沿線の7校

東進スクールの前身は、株式会社ナガセが1978年1月に東京カルチャーセンターという会社から営業権を譲り受けた東京進学教室である。同じ月に本店を武蔵野市御殿山から西久保の中島ビルへ移した。同年12月には東京進学教室の名を東進スクールへ改め、本店も吉祥寺南町の井の頭ビルへ再び移転させた。以後のナガセは小学生と中学生の塾を東進スクールの名で営み、地域に密着した指導で首都圏の塾の中で業容を広げた。1985年9月時点で東進スクールの校舎は、吉祥寺のほか小金井・立川・八王子など中央線沿線に7校・55教室を数えた。譲り受けた教室にも自社の教室にも同じ東進スクールの名を掛け、本店を置いた吉祥寺から中央線沿いに校舎を増やしていったものと推察される。

  • 有価証券報告書【沿革】(41_timeline)
    • [11]1978年1月東京カルチャーセンターより東京進学教室の営業権を譲受し本店を西久保に移転、同年12月東進スクールに改称し吉祥寺南町に本店移転
    • [12]1978年1月東京カルチャーセンターより東京進学教室の営業権を譲受し本店を西久保に移転、同年12月東進スクールに改称し吉祥寺南町に本店移転
    • [13]1978年1月東京カルチャーセンターより東京進学教室の営業権を譲受し本店を西久保に移転、同年12月東進スクールに改称し吉祥寺南町に本店移転
  • 証券アナリストジャーナル 1996年8月(永瀬昭幸講演要旨)
    • [14]1976年設立以来、地域密着の指導により東進スクールとして首都圏有数の業容と合格実績を示した
  • 銀行時評 19(9) 1985年9月「塾経営 企業体にまで成長した学習塾の未来展望」東進スクールの項(p101-102)
    • [15]1985年時点で吉祥寺を中心に小金井・立川・八王子など中央線沿線に7校55教室

東進スクールの生徒数は1981年から1983年までの3年間で倍増し、3000名を超えた。1983年11月期の業績は売上高10億7000万円・経常利益1億8400万円・生徒数2500人。1984年11月期には売上高14億8000万円・経常利益2億2500万円・生徒数3500人となった。永瀬昭幸氏は家庭教師時代と同じ要領でスパルタ式で授業を進め、有名校の合格者を増やして毎年40〜50%の生徒増を得た。指導の軸は野村証券に勤めた時期に身につけた人を奮い立たせる手法にあり、重きを置いたのは教師が自ら手本を示すことと、生徒同士を競わせることの2点である。授業料は半年分を前納する方式とし、経営の安定にもつなげた。

  • 銀行時評 19(9) 1985年9月「塾経営 企業体にまで成長した学習塾の未来展望」東進スクールの項(p101-102)
    • [16]昭和56〜58年の3年で生徒倍増・3000名超。58年11月期売上10.7億円・経常1.84億円・生徒2500人、59年11月期売上14.8億円・経常2.25億円・生徒3500人。やる気の引き出し方、率先垂範とライバル、授業料半年前納
    • [17]昭和56〜58年の3年で生徒倍増・3000名超。58年11月期売上10.7億円・経常1.84億円・生徒2500人、59年11月期売上14.8億円・経常2.25億円・生徒3500人。やる気の引き出し方、率先垂範とライバル、授業料半年前納
    • [18]昭和56〜58年の3年で生徒倍増・3000名超。58年11月期売上10.7億円・経常1.84億円・生徒2500人、59年11月期売上14.8億円・経常2.25億円・生徒3500人。やる気の引き出し方、率先垂範とライバル、授業料半年前納
    • [20]昭和56〜58年の3年で生徒倍増・3000名超。58年11月期売上10.7億円・経常1.84億円・生徒2500人、59年11月期売上14.8億円・経常2.25億円・生徒3500人。やる気の引き出し方、率先垂範とライバル、授業料半年前納
    • [21]昭和56〜58年の3年で生徒倍増・3000名超。58年11月期売上10.7億円・経常1.84億円・生徒2500人、59年11月期売上14.8億円・経常2.25億円・生徒3500人。やる気の引き出し方、率先垂範とライバル、授業料半年前納
  • 創業者精神(日経ベンチャー別冊、1993年)「無心になった瞬間地獄の悩みが消滅」永瀬昭幸
    • [19]退社後スパルタ式授業で有名校合格者を増やし、毎年40〜50%の生徒増を実現

ナガセは1984年を境に、広告と宣伝で拡大を図る方針へ転じた。同年の正月に塾として初めて全国紙へ全面広告を出し、3月には木の図柄と緑色を企業の象徴に定めるCIを導入。7月には武道館で小中学生1万人を集めるイベントを催した。小中学生の減少と18歳人口の山を見越し、ナガセは1985年から高校生向けの大学受験予備校、東進ハイスクールを直営で始めた。東進スクールの生徒数は1985年7月に5000人へ増え、永瀬昭幸氏は数年以内に売上高100億円と業界初の株式公開を実現する目標を示した。生徒増で積み上げた収益が、知名度への投資と高校生市場への参入を支えたのだろう。

  • 日経ビジネス 1992年5月18日号
    • [22]84年正月に塾初の全国紙全面広告、3月に木と緑のCI導入、7月武道館で小中学生1万人のイベント。出生率低下と18歳人口のピークを見越し85年から直営で東進ハイスクールを展開
    • [23]84年正月に塾初の全国紙全面広告、3月に木と緑のCI導入、7月武道館で小中学生1万人のイベント。出生率低下と18歳人口のピークを見越し85年から直営で東進ハイスクールを展開
    • [24]84年正月に塾初の全国紙全面広告、3月に木と緑のCI導入、7月武道館で小中学生1万人のイベント。出生率低下と18歳人口のピークを見越し85年から直営で東進ハイスクールを展開
    • [25]84年正月に塾初の全国紙全面広告、3月に木と緑のCI導入、7月武道館で小中学生1万人のイベント。出生率低下と18歳人口のピークを見越し85年から直営で東進ハイスクールを展開
  • 銀行時評 19(9) 1985年9月「塾経営 企業体にまで成長した学習塾の未来展望」東進スクールの項(p101-102)
    • [26]昭和60年7月に生徒5000人。数年内に売上高100億円・業界初の株式公開を目標
参考文献[11]-[26]
  • 有価証券報告書【沿革】(41_timeline)
    • [11]1978年1月東京カルチャーセンターより東京進学教室の営業権を譲受し本店を西久保に移転、同年12月東進スクールに改称し吉祥寺南町に本店移転
    • [12]1978年1月東京カルチャーセンターより東京進学教室の営業権を譲受し本店を西久保に移転、同年12月東進スクールに改称し吉祥寺南町に本店移転
    • [13]1978年1月東京カルチャーセンターより東京進学教室の営業権を譲受し本店を西久保に移転、同年12月東進スクールに改称し吉祥寺南町に本店移転
  • 証券アナリストジャーナル 1996年8月(永瀬昭幸講演要旨)
    • [14]1976年設立以来、地域密着の指導により東進スクールとして首都圏有数の業容と合格実績を示した
  • 銀行時評 19(9) 1985年9月「塾経営 企業体にまで成長した学習塾の未来展望」東進スクールの項(p101-102)
    • [15]1985年時点で吉祥寺を中心に小金井・立川・八王子など中央線沿線に7校55教室
    • [16]昭和56〜58年の3年で生徒倍増・3000名超。58年11月期売上10.7億円・経常1.84億円・生徒2500人、59年11月期売上14.8億円・経常2.25億円・生徒3500人。やる気の引き出し方、率先垂範とライバル、授業料半年前納
    • [17]昭和56〜58年の3年で生徒倍増・3000名超。58年11月期売上10.7億円・経常1.84億円・生徒2500人、59年11月期売上14.8億円・経常2.25億円・生徒3500人。やる気の引き出し方、率先垂範とライバル、授業料半年前納
    • [18]昭和56〜58年の3年で生徒倍増・3000名超。58年11月期売上10.7億円・経常1.84億円・生徒2500人、59年11月期売上14.8億円・経常2.25億円・生徒3500人。やる気の引き出し方、率先垂範とライバル、授業料半年前納
    • [20]昭和56〜58年の3年で生徒倍増・3000名超。58年11月期売上10.7億円・経常1.84億円・生徒2500人、59年11月期売上14.8億円・経常2.25億円・生徒3500人。やる気の引き出し方、率先垂範とライバル、授業料半年前納
    • [21]昭和56〜58年の3年で生徒倍増・3000名超。58年11月期売上10.7億円・経常1.84億円・生徒2500人、59年11月期売上14.8億円・経常2.25億円・生徒3500人。やる気の引き出し方、率先垂範とライバル、授業料半年前納
    • [26]昭和60年7月に生徒5000人。数年内に売上高100億円・業界初の株式公開を目標
  • 創業者精神(日経ベンチャー別冊、1993年)「無心になった瞬間地獄の悩みが消滅」永瀬昭幸
    • [19]退社後スパルタ式授業で有名校合格者を増やし、毎年40〜50%の生徒増を実現
  • 日経ビジネス 1992年5月18日号
    • [22]84年正月に塾初の全国紙全面広告、3月に木と緑のCI導入、7月武道館で小中学生1万人のイベント。出生率低下と18歳人口のピークを見越し85年から直営で東進ハイスクールを展開
    • [23]84年正月に塾初の全国紙全面広告、3月に木と緑のCI導入、7月武道館で小中学生1万人のイベント。出生率低下と18歳人口のピークを見越し85年から直営で東進ハイスクールを展開
    • [24]84年正月に塾初の全国紙全面広告、3月に木と緑のCI導入、7月武道館で小中学生1万人のイベント。出生率低下と18歳人口のピークを見越し85年から直営で東進ハイスクールを展開
    • [25]84年正月に塾初の全国紙全面広告、3月に木と緑のCI導入、7月武道館で小中学生1万人のイベント。出生率低下と18歳人口のピークを見越し85年から直営で東進ハイスクールを展開

出典・参考

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出典・参考
  • 有価証券報告書【沿革】(41_timeline)
  • 日経ビジネス 1992年5月18日号
  • 証券アナリストジャーナル 1996年8月(永瀬昭幸講演要旨)
  • 銀行時評 19(9) 1985年9月「塾経営 企業体にまで成長した学習塾の未来展望」東進スクールの項(p101-102)
  • 創業者精神(日経ベンチャー別冊、1993年)「無心になった瞬間地獄の悩みが消滅」永瀬昭幸

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