雅叙園観光:イトマン事件と事実上の倒産による上場廃止
1990年〜再建資金として受け入れた111億円と、その七割が向かった先
雅叙園観光の社長は、1990年1月23日、イトマングループ(伊藤萬・1993年のイトマン事件により経営破綻)から役員の派遣と資本参加、業務提携を受ける企業再建策を表明した。あわせて発表したのが、イトマングループに対する1,000万株・約150億円の第三者割当増資である。調達する資金は、一時経営権を握っていた仕手集団コスモポリタンの手形振出にかかわる保証債務と借入金、合わせて約80億円の整理・返済に充てるとされた。増資は2月9日に正式発表され、伊藤萬株式会社ほか7社が1,000万株・111億円を引き受けて実行され、資本金は69億2,187万5,000円となった。この時、社長が役員を兼任する不動産会社の協和綜合開発研究所が935万株を保有し、筆頭株主に立った。
- 鳥羽至英「雅叙園観光会社事件 その意義と残された課題」月刊監査役 1993年
- [1]1990年1月23日 雅叙園観光社長がイトマングループの支援を受け、同グループからの役員派遣・資本参加・業務提携を含む新たな企業再建策を表明
- [2]1990年1月23日 イトマングループに対して1,000万株(約150億円)の第三者割当増資を3月中に行うと発表
- [3]増資で得る資金は、一時雅叙園観光の経営権を握っていたコスモポリタンの手形振出にかかわる保証債務や借入金を合わせた約80億円の整理・返済にあてるとされた
- [4]伊藤萬株式会社ほか7社に対して1,000万株(111億円)の第三者割当増資を行い、資本金は69億2,187万5,000円となった
- [5]雅叙園観光社長が役員を兼任する協和綜合開発研究所が、安定株主としての株式保有を依頼され935万株を保有して筆頭株主となった
伊藤萬の社長を務めた河村良彦氏は、この引受を投資としては説明しなかった。1990年11月の取材で、河村氏は増資の引受について『雅叙園の第三者割り当て増資引き受けは伊藤君に対するほんの好意。大したカネじゃない。』と語り、雅叙園観光そのものについても『雅叙園の会社の中身など興味はない。』と述べている。ここでいう伊藤君とは、協和綜合開発研究所の社長で、同年に伊藤萬の常務に就任した伊藤寿永光氏を指す。雅叙園観光の営業拠点である目黒の雅叙園観光ホテルは賃借物件であり、1988年には家主から建物明け渡し請求の訴訟を起こされていた。河村氏はそれらを最初から知っていたと述べ、現在はまったくメリットのない投資だと自ら認めている。伊藤萬が同年2月に取得した雅叙園観光株は、取得総額108億円に達していた。このため、イトマンが不良事業への投資を決定した理由には、疑念が存在したと思われる。
- 日経ビジネス 1990年11月12日号
- [6]伊藤萬社長 河村良彦氏は雅叙園観光の第三者割当増資引受を伊藤寿永光氏への好意であると説明した
- [7]河村良彦氏は「雅叙園の会社の中身など興味はない」と述べた
- [8]伊藤寿永光氏は協和綜合開発研究所の社長であり、1990年に伊藤萬常務に就任した
- [9]雅叙園観光の営業拠点である東京・目黒の雅叙園観光ホテルは賃借物件であり、1988年に家主から建物明け渡し請求の訴訟を起こされていた
- [10]河村良彦氏は雅叙園観光への投資を現在は全くメリットのない投資と認めており、大蔵省の土地払い下げ問題や地主との裁判は最初から知っていたと述べた
- [11]伊藤萬が1990年2月に経営参加した雅叙園観光の株式の取得総額は108億円
111億円の増資手取金のうち、ほぼ7割にあたる73億円は、協和綜合開発研究所への貸付金として社外へ出た。この貸付は事実上の無担保状態にあった。会計学者の鳥羽至英氏は、この増資を、旧経営陣が乱発した手形を引き受けて資金繰りに窮していた伊藤寿永光氏を助けるための迂回融資という性格をもつものと整理している。1990年5月の株主総会で選任された最高経営陣には伊藤萬の河村良彦氏と伊藤寿永光氏が加わり、両氏は雅叙園観光の会長と副会長に就任した。同年2月には、伊藤寿永光氏の兄が北海道で経営する冠婚葬祭会社ライフベルモニーから、冠婚葬祭施行部門の営業譲渡も受けている。増資で入った資金も、受け入れた事業も、送り込まれた経営陣も、一群の関係者に発していた。
- 鳥羽至英「雅叙園観光会社事件 その意義と残された課題」月刊監査役 1993年
- [12]増資手取金のほぼ7割に達する73億円を協和綜合開発研究所に融資した
- [13]協和綜合開発研究所に対する貸付金は事実上の無担保状態になっていた
- [14]鳥羽至英氏は、雅叙園観光がイトマングループに対して行った第三者割当増資は、旧経営陣が乱発した手形を引き受けて資金繰りに窮している伊藤寿永光氏を助けるための迂回融資という性格をもっていたと指摘
- [15]1990年5月 伊藤寿永光氏は元イトマン会長とともに雅叙園観光の正副会長の職に就いた
- [16]1990年2月 協和綜合開発研究所の関連会社である有限会社ライフベルモニー(本社室蘭、社長は伊藤寿永光氏の兄)より冠婚葬祭施行部門の営業を譲り受けた
参考文献[1]-[16]
- 鳥羽至英「雅叙園観光会社事件 その意義と残された課題」月刊監査役 1993年
- [1]1990年1月23日 雅叙園観光社長がイトマングループの支援を受け、同グループからの役員派遣・資本参加・業務提携を含む新たな企業再建策を表明
- [2]1990年1月23日 イトマングループに対して1,000万株(約150億円)の第三者割当増資を3月中に行うと発表
- [3]増資で得る資金は、一時雅叙園観光の経営権を握っていたコスモポリタンの手形振出にかかわる保証債務や借入金を合わせた約80億円の整理・返済にあてるとされた
- [4]伊藤萬株式会社ほか7社に対して1,000万株(111億円)の第三者割当増資を行い、資本金は69億2,187万5,000円となった
- [5]雅叙園観光社長が役員を兼任する協和綜合開発研究所が、安定株主としての株式保有を依頼され935万株を保有して筆頭株主となった
- [12]増資手取金のほぼ7割に達する73億円を協和綜合開発研究所に融資した
- [13]協和綜合開発研究所に対する貸付金は事実上の無担保状態になっていた
- [14]鳥羽至英氏は、雅叙園観光がイトマングループに対して行った第三者割当増資は、旧経営陣が乱発した手形を引き受けて資金繰りに窮している伊藤寿永光氏を助けるための迂回融資という性格をもっていたと指摘
- [15]1990年5月 伊藤寿永光氏は元イトマン会長とともに雅叙園観光の正副会長の職に就いた
- [16]1990年2月 協和綜合開発研究所の関連会社である有限会社ライフベルモニー(本社室蘭、社長は伊藤寿永光氏の兄)より冠婚葬祭施行部門の営業を譲り受けた
- 日経ビジネス 1990年11月12日号
- [6]伊藤萬社長 河村良彦氏は雅叙園観光の第三者割当増資引受を伊藤寿永光氏への好意であると説明した
- [7]河村良彦氏は「雅叙園の会社の中身など興味はない」と述べた
- [8]伊藤寿永光氏は協和綜合開発研究所の社長であり、1990年に伊藤萬常務に就任した
- [9]雅叙園観光の営業拠点である東京・目黒の雅叙園観光ホテルは賃借物件であり、1988年に家主から建物明け渡し請求の訴訟を起こされていた
- [10]河村良彦氏は雅叙園観光への投資を現在は全くメリットのない投資と認めており、大蔵省の土地払い下げ問題や地主との裁判は最初から知っていたと述べた
- [11]伊藤萬が1990年2月に経営参加した雅叙園観光の株式の取得総額は108億円
1991年〜662億円の簿外手形の露見と、上場廃止の尺度をめぐる食い違い
事件が公になったのは、1991年4月9日の報道である。雅叙園観光が額面662億円の手形を取締役会の正式な手続きを経ないまま振り出し、協和綜合開発研究所へ融資した大阪府民信用組合系のノンバンク2社に、保証のため差し入れていたことが報じられた。翌10日には、協和綜合開発研究所への貸付金約86億円が返済期限の1991年2月末を過ぎても返済されず、本社建物や保有株までが担保に差し入れられていたことも明らかになった。7月6日には協和綜合開発研究所が振り出した手形が事実上の不渡りとなる。86億円の貸付に対し雅叙園観光が完全に押さえていたのは、協和から取得したイトマン株28万株と海外不動産などを合わせて時価数十億円どまりと報じられた。
- 鳥羽至英「雅叙園観光会社事件 その意義と残された課題」月刊監査役 1993年
- [17]1991年4月9日の報道により雅叙園観光の手形振出問題が明らかになった
- [18]雅叙園観光が額面662億円の手形を取締役会の正式な手続きを経ないまま振り出し、協和綜合開発研究所に融資した大阪府民信用組合系のノンバンク2社に保証のために差し入れていた
- [19]1991年4月10日 協和綜合開発研究所への貸付約86億円が返済期限の1991年2月末を過ぎても返済されず、本社建物や保有株などの資産も担保に差し入れられていたことが明らかになった
- [20]1991年7月6日 協和綜合開発研究所振り出しの手形が事実上不渡りになっていたことが明らかになった
- [21]86億円の貸付金に対して雅叙園観光が完全に押さえているのは、協和から取得したイトマン株28万株と海外不動産等を合わせても時価数十億円どまりと報じられた
雅叙園観光はこの時期、上場廃止の基準にも触れていた。1990年12月1日に導入された5%ルールは、発行済株式数の5%超を名義にかかわらず実質的に保有する者に、大蔵大臣への大量保有報告書の提出を義務づけるものである。同報告書から計算した1991年2月末の実質株主は、富国産業26.45%、協和綜合開発研究所24.89%、イトマン13.91%と続き、上位10株主の合計は87.53%に達した。東京証券取引所が上場基準としていた少数特定者持株比率80%を、明らかに上回る水準であった。ところが有価証券報告書に記載されたのは名義上の株主で、その比率は70%台にとどまった。当時、実質株主を記載した東証二部の京三電鉄が1991年10月11日に上場廃止となる一方で、雅叙園観光は上場を保っており、上場の継続に疑念が生じた。
- 鳥羽至英「雅叙園観光会社事件 その意義と残された課題」月刊監査役 1993年
- [22]5%ルールで把握された実質株主を上場基準に適用すると雅叙園観光は上場廃止基準に抵触していた
- [23]1990年12月1日導入の5%ルールは、発行済株式数の5%超を名義にかかわらず実質的に保有する場合に大蔵大臣への大量保有報告書の提出を義務づけた
- [25]東京証券取引所の上場基準は上位10株主と役員の持ち株の合計保有比率80%
- [26]1991年2月末時点の雅叙園観光の上位10株主の持ち株比率は有価証券報告書上70%超
- [27]東証二部上場の京三電鉄は実質株主の記載により上場基準の80%を上回ったとして1991年10月11日に上場廃止となった
- 大量保有報告書に基づく1991年2月末現在の雅叙園観光の実質株主
- [24]1991年2月末現在の実質株主は富国産業9,902,000株26.45%、協和綜合開発研究所9,317,000株24.89%、イトマン5,210,000株13.91%で、合計32,768,000株87.53%
1991年2月期の決算は、会計監査人が出す意見をめぐって難航した。日本ドリーム観光株670万株の償却と、協和綜合開発研究所およびその関連会社に対する不良手形の注記という監査人側の条件を会社が受け入れ、1991年5月30日付で適法意見が示された。注記された簿外手形は約135億円にのぼる。監査報告書は付記事項として、イトマンをめぐる諸問題の発生とこれに伴う一連の新聞報道に計算書類へ関連する事項があったと記し、事実関係を調査したうえで記載を要する事項と要しない事項を区別できたという。結局、同じ営業年度の監査役監査報告書は、取締役の職務遂行に不正の行為および法令違反の事実も認められないと判定した。
- 鳥羽至英「雅叙園観光会社事件 その意義と残された課題」月刊監査役 1993年
- [28]1991年2月期決算は会計監査人の監査意見をめぐり当初の監査報告書から書き直しに至った
- [30]書き直した決算は日本ドリーム観光株や不動産の償却および約135億円の簿外手形の注記を内容とした
- 雅叙園観光 第69期(1991年2月期)会計監査人監査報告書(永田町監査法人 1991年5月30日)
- [29]日本ドリーム観光株式670万株の償却と、協和綜合開発研究所およびその関連会社に対する不良手形の注記という監査人側の条件を受け入れて決着し、1991年5月30日付で適法意見が示された
- [31]第69期会計監査人監査報告書の付記事項は「イトマン(株)をめぐる諸問題の発生」とこれに伴う一連の新聞報道等に計算書類に関連する事項があったが、事実関係を調査した結果、記載を要する事項と要しない事項とに区別できたと記した
- [32]第69期監査役監査報告書は取締役の職務遂行に関する不正の行為または法令もしくは定款に違反する重大な事実は認められないと報告した
1992年4月23日、雅叙園観光は1992年2月期決算を最終損益3,000万円の黒字と発表したが、協和綜合開発研究所への貸付金76億円は、回収の見通しが立たないまま残されていた。10月27日にはこの決算に粉飾の疑いがあると報じられ、ノンバンクのキョートファイナンスとの間の500億円にのぼる裏書手形について、支払請求を1年間猶予する契約を7月に結んでいたことも明らかになった。同期の総売上高の57.5%を占めていたライフベルモニーの売上についても、監査法人は実地調査で営業譲渡の事実が見当たらないと指摘した。売上高の全額を雅叙園観光の営業収入に計上し、その97%を委託費としてライフベルモニーへ払い戻す処理が取られていたためである。
- 鳥羽至英「雅叙園観光会社事件 その意義と残された課題」月刊監査役 1993年
- [33]1992年4月23日 雅叙園観光は1992年2月期決算の最終損益を3,000万円の黒字と発表
- [34]協和綜合開発研究所への貸付金76億円は回収のメドが立っていなかった
- [35]1992年10月27日 1992年2月期決算に粉飾決算の疑いがあると報道され、キョートファイナンスとの間の500億円にのぼる裏書手形につき支払請求を1年間猶予する契約を7月に締結していたことが明らかになった
- [36]監査法人は1992年8月に北海道でライフベルモニーを実地調査した際、営業譲渡の事実が見当たらないと指摘した。1992年2月期決算では雅叙園観光の総売上高の57.5%にあたるライフベルモニーの売上高が計上されていた
- [37]会計処理はライフベルモニーの売上高をすべて雅叙園観光の営業収入(冠婚葬祭施行部門)として計上し、その97%を委託費としてライフベルモニーに払い戻すものであった
この結果、1992年11月16日、会計監査人は東京証券取引所で記者会見し、現状では有用な会計情報を表示しているとは言えず不適正との結論に達したと発表した。東証はこれを受け、11月30日までに適正意見が得られない場合は管理ポストへ入れ、審査のうえ上場廃止にすると表明。3日後の11月19日、雅叙園観光は協和綜合開発研究所への債権総額85億5,500万円の半分にあたる43億円の貸倒引当金を計上すると発表し、あわせて前日18日に監査法人を解任したことを明らかにした。解任の理由は決算発表前に不適当な言動があったためとされたが、監査人側はこれを否定した。会社は個人の公認会計士を仮会計監査人に選び、11月30日に提出した半期報告書の中間財務諸表には、その会計士による有用意見が表明された。
- 鳥羽至英「雅叙園観光会社事件 その意義と残された課題」月刊監査役 1993年
- [38]1992年11月16日 監査人は東京証券取引所で記者会見し「現状では有用な会計情報を表示しているとは言えず、不適正との結論に達した」と発表
- [39]東京証券取引所は「11月30日までに適正意見(有用意見)が得られない場合、管理ポストに入れ、審査のうえ上場廃止になる」旨を表明
- [40]1992年11月19日 協和綜合開発研究所に対する債権総額85億5,500万円の半分にあたる43億円の貸倒引当金計上を発表するとともに、18日に監査法人を解任したことを発表
- [41]監査法人解任の理由は「決算発表前に不適当な言動があったため」とされたが、監査人側はこれを否定した
- [42]1992年11月25日に選任された個人会計士による有用意見が表明され、11月30日に大蔵省へ1992年8月中間決算にかかる半期報告書を提出した
参考文献[17]-[42]
- 鳥羽至英「雅叙園観光会社事件 その意義と残された課題」月刊監査役 1993年
- [17]1991年4月9日の報道により雅叙園観光の手形振出問題が明らかになった
- [18]雅叙園観光が額面662億円の手形を取締役会の正式な手続きを経ないまま振り出し、協和綜合開発研究所に融資した大阪府民信用組合系のノンバンク2社に保証のために差し入れていた
- [19]1991年4月10日 協和綜合開発研究所への貸付約86億円が返済期限の1991年2月末を過ぎても返済されず、本社建物や保有株などの資産も担保に差し入れられていたことが明らかになった
- [20]1991年7月6日 協和綜合開発研究所振り出しの手形が事実上不渡りになっていたことが明らかになった
- [21]86億円の貸付金に対して雅叙園観光が完全に押さえているのは、協和から取得したイトマン株28万株と海外不動産等を合わせても時価数十億円どまりと報じられた
- [22]5%ルールで把握された実質株主を上場基準に適用すると雅叙園観光は上場廃止基準に抵触していた
- [23]1990年12月1日導入の5%ルールは、発行済株式数の5%超を名義にかかわらず実質的に保有する場合に大蔵大臣への大量保有報告書の提出を義務づけた
- [25]東京証券取引所の上場基準は上位10株主と役員の持ち株の合計保有比率80%
- [26]1991年2月末時点の雅叙園観光の上位10株主の持ち株比率は有価証券報告書上70%超
- [27]東証二部上場の京三電鉄は実質株主の記載により上場基準の80%を上回ったとして1991年10月11日に上場廃止となった
- [28]1991年2月期決算は会計監査人の監査意見をめぐり当初の監査報告書から書き直しに至った
- [30]書き直した決算は日本ドリーム観光株や不動産の償却および約135億円の簿外手形の注記を内容とした
- [33]1992年4月23日 雅叙園観光は1992年2月期決算の最終損益を3,000万円の黒字と発表
- [34]協和綜合開発研究所への貸付金76億円は回収のメドが立っていなかった
- [35]1992年10月27日 1992年2月期決算に粉飾決算の疑いがあると報道され、キョートファイナンスとの間の500億円にのぼる裏書手形につき支払請求を1年間猶予する契約を7月に締結していたことが明らかになった
- [36]監査法人は1992年8月に北海道でライフベルモニーを実地調査した際、営業譲渡の事実が見当たらないと指摘した。1992年2月期決算では雅叙園観光の総売上高の57.5%にあたるライフベルモニーの売上高が計上されていた
- [37]会計処理はライフベルモニーの売上高をすべて雅叙園観光の営業収入(冠婚葬祭施行部門)として計上し、その97%を委託費としてライフベルモニーに払い戻すものであった
- [38]1992年11月16日 監査人は東京証券取引所で記者会見し「現状では有用な会計情報を表示しているとは言えず、不適正との結論に達した」と発表
- [39]東京証券取引所は「11月30日までに適正意見(有用意見)が得られない場合、管理ポストに入れ、審査のうえ上場廃止になる」旨を表明
- [40]1992年11月19日 協和綜合開発研究所に対する債権総額85億5,500万円の半分にあたる43億円の貸倒引当金計上を発表するとともに、18日に監査法人を解任したことを発表
- [41]監査法人解任の理由は「決算発表前に不適当な言動があったため」とされたが、監査人側はこれを否定した
- [42]1992年11月25日に選任された個人会計士による有用意見が表明され、11月30日に大蔵省へ1992年8月中間決算にかかる半期報告書を提出した
- 大量保有報告書に基づく1991年2月末現在の雅叙園観光の実質株主
- [24]1991年2月末現在の実質株主は富国産業9,902,000株26.45%、協和綜合開発研究所9,317,000株24.89%、イトマン5,210,000株13.91%で、合計32,768,000株87.53%
- 雅叙園観光 第69期(1991年2月期)会計監査人監査報告書(永田町監査法人 1991年5月30日)
- [29]日本ドリーム観光株式670万株の償却と、協和綜合開発研究所およびその関連会社に対する不良手形の注記という監査人側の条件を受け入れて決着し、1991年5月30日付で適法意見が示された
- [31]第69期会計監査人監査報告書の付記事項は「イトマン(株)をめぐる諸問題の発生」とこれに伴う一連の新聞報道等に計算書類に関連する事項があったが、事実関係を調査した結果、記載を要する事項と要しない事項とに区別できたと記した
- [32]第69期監査役監査報告書は取締役の職務遂行に関する不正の行為または法令もしくは定款に違反する重大な事実は認められないと報告した
1993年〜資産の買収による再建の挫折と、差し押さえられた払込金
1992年11月に社長に就任した工藤勉氏は、増資と資産の買い取りで雅叙園観光の再建を計画した。1993年5月11日、パチンコ店などを営むドリームの竹岡治郎社長が第三者割当増資を引き受け、20億円を払い込む。雅叙園観光は翌12日、三重県津市の健康ランドの買収代金の手付金として、同額の20億円をドリームへ支払った。しかしドリームは7月13日に負債総額約500億円で和議を申請し、工藤氏は14日の記者会見で、払込金のうち18億8,000万円が竹岡氏に預けたままになっていると述べた。7月23日、会長の河野利貞氏は工藤氏と竹岡氏ら3名を第三者割当増資に絡み雅叙園株をだまし取ったとして詐欺罪で告訴し、工藤氏を社長から解任した。工藤氏は27日の会見で、資金繰りのための措置であったことを説明している。
- 中部財界 1993年「第三者増資『不透明な』資金の流れ 雅叙園『工藤勉』の弁明」
- [43]工藤勉氏は1989年に雅叙園観光へ常務として迎えられ財務と不動産を担当し、1992年11月に社長へ就任した
- [44]1993年5月11日 雅叙園観光株を21.4%保有する筆頭株主のドリーム社長 竹岡治郎氏が第三者割当増資を引き受け、20億円を振り込んだ
- [45]1993年5月12日 雅叙園観光はドリームに対し三重県津市の健康ランド(総額52億円)の買収代金の手付金として20億円を支払った
- [46]1993年7月13日 ドリームが負債総額約500億円で和議を申請。7月14日の記者会見で工藤社長は第三者割当増資の払込金のうち18億8,000万円が竹岡社長に預けたままになっていると述べた
- [47]1993年7月23日 雅叙園観光会長 河野利貞氏が工藤社長の解任を発表し、工藤・竹岡両氏と他1名を第三者割当増資に絡み雅叙園株をだましとったとして詐欺罪で告訴した
- [48]工藤勉氏は1993年7月27日の記者会見で一連の資金の流れを「資金繰りのためのやむを得ない措置」と語った
工藤元社長の告訴により、後任となった河野利貞氏(社長と会長を兼務)は、イトマン事件に関与した人物が相次いで逮捕された後、私財を投じて会社を支えた。しかし、1994年12月に体調を崩して長期療養へ入り、再建調査委員会のメンバーだった内田和隆氏へ経営を託す。内田氏は京都新聞常務や近畿放送社長を務めた経歴をもち、1995年5月に取締役総支配人へ就任して実質的に経営を担った。河野氏はその1か月後に他界し、会社は1980年代の手形乱発によって銀行融資を受けられない状態にあり、本業では設備投資を行えずに売上低迷で経常損益は赤字が続いていた。内田氏は給与などの運転資金として月3,000万円程度を集める必要に迫られ、1995年11月から1996年4月までの5回の増資で計11億円を調達し、うち8億円をかろうじてホテルの改装に投じる計画であった。
- 日経ビジネス 1997年6月16日号
- [49]イトマン事件に関与した人物が次々と逮捕されたあと、実業家の河野利貞氏が社長・会長として私財を投じて雅叙園観光を支えた
- [50]内田和隆氏は河野利貞氏から再建調査委員会のメンバーとして経営資料を見るよう依頼され、1994年12月に河野氏が体調を崩して長期療養に入った際に経営を担うことを懇願された
- [51]内田和隆氏は1938年京都府生まれ、1961年早稲田大学文学部卒業・京都放送入社、1982年京都新聞常務、1983年近畿放送社長、1994年雅叙園観光支配人、1995年取締役総支配人として実質的に経営を担った
- [52]内田和隆氏が取締役総支配人に就任したのは1995年5月で、その1か月後に河野利貞氏は他界した
- [53]雅叙園観光は1980年代に手形を乱発したことから銀行融資が受けられない会社になっており、売上高が低迷して経常損益は赤字が続いていた
- [54]河野利貞氏の死後、運転資金として月3,000万円程度を集める必要が生じ、1995年11月から1996年4月までに5回の増資で計11億円を調達し、うち8億円をホテルの改装に投じた
だが、1996年7月22日に払い込まれた7億1,000万円の第三者割当増資は、完了しなかった。イトマン事件で起訴された許永中氏が実権を握る新日建設の主張が通り、東京地方裁判所による差押命令によって、払込先の三井信託銀行から株式の払込保管証明が発行できなくなったためである。内田氏は新日建設と和解したものの保管証明は得られず、懸案だった増資は実現しなかった。9月7日には税金100億円の滞納と有価証券報告書の虚偽記載が報じられて、雅叙園観光の株価が暴落し、東証の監理ポスト入りとなった。ホテルの修繕工事費と運転資金の支払いに充てた手形と小切手は、12月に11億円へ膨らんでいた。この結果、12月13日に増資の断念が明らかになると融資の引き上げに至り、24日に最初の不渡りを出した。
- 日経ビジネス 1997年6月16日号
- [55]1996年7月22日に払い込まれた7億1,000万円の第三者割当増資は完了しなかった
- [56]新日建設の主張により東京地裁が差し押さえの命令を出し、資金が振り込まれた三井信託銀行から保管証明が出なくなったため増資が完了しなかった。新日建設は許永中被告が実権を握るとされた
- [57]雅叙園観光は強制執行停止の仮処分を申請したうえで新日建設と和解を成立させたが、三井信託銀行は保管証明を出さず増資は実現しなかった
- [58]1996年9月7日に「税金100億円滞納」「有価証券報告書に虚偽記載」と報道されて株価が暴落し、東京証券取引所の監理ポスト入りが決まった
- [59]ホテルの修繕工事費や運転資金の支払いに充てた手形・小切手の金額は1996年12月に11億円へ膨らんでいた
- [60]1996年12月13日に増資断念が明らかになると資金の貸し手が引き、12月24日に最初の不渡りとなった
渦中にあった内田氏は破綻の原因を増資資金の差し押さえに求め、『経営の破綻はもとをたどれば7億1000万円の増資資金差し押さえが原因となっています』と語った。許永中氏との共謀を疑う見方については否定的で、雅叙園観光として許氏を告訴したことも明らかにした。業績悪化に伴い、1997年2月末に雅叙園観では希望退職が募られ、従業員72人のうち39人が会社を去った。5月6日をもって上場は廃止され、1950年6月の上場から47年で株式市場から退出した。(なお、破綻の時点で、目黒雅叙園と雅叙園観光は関係ないことを記しておく)
- 日経ビジネス 1997年6月16日号
- [61]内田和隆氏は経営破綻の原因を7億1,000万円の増資資金差し押さえに求め、三井信託銀行が保管証明を拒んだのは新日建設側の圧力によると考えていると述べた
- [62]内田和隆氏は一連の事件について許永中被告との共謀を「断じてありません」と否定し、会社が許永中被告を告訴したことを明らかにした
- [63]1997年2月末に希望退職を募り、従業員72人のうち39人が会社を去った
- [64]雅叙園観光は1948年に設立され1950年に東京証券取引所へ上場、1997年5月6日をもって上場廃止となった
参考文献[43]-[64]
- 中部財界 1993年「第三者増資『不透明な』資金の流れ 雅叙園『工藤勉』の弁明」
- [43]工藤勉氏は1989年に雅叙園観光へ常務として迎えられ財務と不動産を担当し、1992年11月に社長へ就任した
- [44]1993年5月11日 雅叙園観光株を21.4%保有する筆頭株主のドリーム社長 竹岡治郎氏が第三者割当増資を引き受け、20億円を振り込んだ
- [45]1993年5月12日 雅叙園観光はドリームに対し三重県津市の健康ランド(総額52億円)の買収代金の手付金として20億円を支払った
- [46]1993年7月13日 ドリームが負債総額約500億円で和議を申請。7月14日の記者会見で工藤社長は第三者割当増資の払込金のうち18億8,000万円が竹岡社長に預けたままになっていると述べた
- [47]1993年7月23日 雅叙園観光会長 河野利貞氏が工藤社長の解任を発表し、工藤・竹岡両氏と他1名を第三者割当増資に絡み雅叙園株をだましとったとして詐欺罪で告訴した
- [48]工藤勉氏は1993年7月27日の記者会見で一連の資金の流れを「資金繰りのためのやむを得ない措置」と語った
- 日経ビジネス 1997年6月16日号
- [49]イトマン事件に関与した人物が次々と逮捕されたあと、実業家の河野利貞氏が社長・会長として私財を投じて雅叙園観光を支えた
- [50]内田和隆氏は河野利貞氏から再建調査委員会のメンバーとして経営資料を見るよう依頼され、1994年12月に河野氏が体調を崩して長期療養に入った際に経営を担うことを懇願された
- [51]内田和隆氏は1938年京都府生まれ、1961年早稲田大学文学部卒業・京都放送入社、1982年京都新聞常務、1983年近畿放送社長、1994年雅叙園観光支配人、1995年取締役総支配人として実質的に経営を担った
- [52]内田和隆氏が取締役総支配人に就任したのは1995年5月で、その1か月後に河野利貞氏は他界した
- [53]雅叙園観光は1980年代に手形を乱発したことから銀行融資が受けられない会社になっており、売上高が低迷して経常損益は赤字が続いていた
- [54]河野利貞氏の死後、運転資金として月3,000万円程度を集める必要が生じ、1995年11月から1996年4月までに5回の増資で計11億円を調達し、うち8億円をホテルの改装に投じた
- [55]1996年7月22日に払い込まれた7億1,000万円の第三者割当増資は完了しなかった
- [56]新日建設の主張により東京地裁が差し押さえの命令を出し、資金が振り込まれた三井信託銀行から保管証明が出なくなったため増資が完了しなかった。新日建設は許永中被告が実権を握るとされた
- [57]雅叙園観光は強制執行停止の仮処分を申請したうえで新日建設と和解を成立させたが、三井信託銀行は保管証明を出さず増資は実現しなかった
- [58]1996年9月7日に「税金100億円滞納」「有価証券報告書に虚偽記載」と報道されて株価が暴落し、東京証券取引所の監理ポスト入りが決まった
- [59]ホテルの修繕工事費や運転資金の支払いに充てた手形・小切手の金額は1996年12月に11億円へ膨らんでいた
- [60]1996年12月13日に増資断念が明らかになると資金の貸し手が引き、12月24日に最初の不渡りとなった
- [61]内田和隆氏は経営破綻の原因を7億1,000万円の増資資金差し押さえに求め、三井信託銀行が保管証明を拒んだのは新日建設側の圧力によると考えていると述べた
- [62]内田和隆氏は一連の事件について許永中被告との共謀を「断じてありません」と否定し、会社が許永中被告を告訴したことを明らかにした
- [63]1997年2月末に希望退職を募り、従業員72人のうち39人が会社を去った
- [64]雅叙園観光は1948年に設立され1950年に東京証券取引所へ上場、1997年5月6日をもって上場廃止となった
出典・参考
6件
- 大量保有報告書に基づく1991年2月末現在の雅叙園観光の実質株主
- 日経ビジネス 1990年11月12日号
- 日経ビジネス 1997年6月16日号
- 雅叙園観光 第69期(1991年2月期)会計監査人監査報告書(永田町監査法人 1991年5月30日)
- 鳥羽至英「雅叙園観光会社事件 その意義と残された課題」月刊監査役 1993年
- 中部財界 1993年「第三者増資『不透明な』資金の流れ 雅叙園『工藤勉』の弁明」