第3章 年〜年

KDD:KDD事件と新規参入による国際通信独占の終了

1979年〜税引き利益98億円に対し交際費20億円という比率

1979年に発覚した貴金属などの密輸と要人への過剰接待をめぐって当時の報道が数字で示したのは、前3月期の税引き利益が約98億円だったのに対し、前年1年間の交際費が20億円に達していたという比率である。商売上必要だとして要人に100万円程度の貢ぎ物を配り、新宿の高級クラブを頻繁に利用して、多いときには一晩で100万円近い飲み食いをしていた。競争相手もない企業に過剰接待の必然性はなく、国際電話の高い料金と重ねて批判を招いた。追及は経営陣の刑事責任にとどまらず、認可と監督にあたる郵政省の責任にも及んだ。

  • 日経ビジネス 1979年11月5日号
    • [1]前3月期の税引き利益 約98億円・前年1年間の交際費 20億円
    • [2]要人に100万円程度の貢ぎ物・新宿の高級クラブで一晩100万円近い飲食
    • [3]競争相手もない企業に過剰接待の必然性はなく国際電話の高料金と重なって批判を招いた
    • [4]経営陣の刑事責任と郵政省の監督責任が追及された

事件の原因は担当者個人の金銭感覚だけでは説明がつかない。独占を許されながら、株式会社として利益も上げなければならないという二重の立場に置かれれば、経営の目的は独占への批判をかわしつつ利益を最大化することへ向かってしまう。そこで恐れられたのが世間・監督官庁・政治家・報道といった監視役の存在であり、業績が良いだけに必要以上へりくだる姿勢が生まれた。一般企業であれば血のにじむような合理化へ向かうはずの努力が、国際電信電話では過剰な接待にすり替わっていた。この意識のずれは、株式会社であり完全独占であるという二つの条件を重ね持つことから生じていた。立て直しには外部から人を迎え、1979年に山一証券の取締役相談役となっていた日高輝氏が、翌1980年から国際電信電話の会長を務めた。批判の的になった条件そのものが動くのは、1985年4月の電気通信事業法の施行を待ってからだった。

  • 日経ビジネス 1979年11月5日号
    • [5]一方で独占が許され他方で利益を上げなければならない株式会社では経営目的が独占批判を避けながら極大利益を上げることになる
    • [6]怖いのは世間・監督官庁・政治家・マスコミといったお目付役の存在で業績が良いために必要以上に媚びを売る
    • [7]一般企業なら血の出るような合理化努力をするところが過剰接待にすり替わった
    • [8]意識のずれは株式会社であり完全独占であるという2条件を重ね持つことから生じた
  • 私の履歴書 経済人16「日高輝」(日本経済新聞社、1981年)
    • [9]日高輝 1979年 山一証券取締役相談役・1980年より国際電信電話会長
  • 日本産業史 第4巻(日本経済新聞社、1994年)「通信-情報通信産業の誕生」
    • [10]1985年4月 電気通信事業法の施行により通信市場が開放
参考文献[1]-[10]
  • 日経ビジネス 1979年11月5日号
    • [1]前3月期の税引き利益 約98億円・前年1年間の交際費 20億円
    • [2]要人に100万円程度の貢ぎ物・新宿の高級クラブで一晩100万円近い飲食
    • [3]競争相手もない企業に過剰接待の必然性はなく国際電話の高料金と重なって批判を招いた
    • [4]経営陣の刑事責任と郵政省の監督責任が追及された
    • [5]一方で独占が許され他方で利益を上げなければならない株式会社では経営目的が独占批判を避けながら極大利益を上げることになる
    • [6]怖いのは世間・監督官庁・政治家・マスコミといったお目付役の存在で業績が良いために必要以上に媚びを売る
    • [7]一般企業なら血の出るような合理化努力をするところが過剰接待にすり替わった
    • [8]意識のずれは株式会社であり完全独占であるという2条件を重ね持つことから生じた
  • 私の履歴書 経済人16「日高輝」(日本経済新聞社、1981年)
    • [9]日高輝 1979年 山一証券取締役相談役・1980年より国際電信電話会長
  • 日本産業史 第4巻(日本経済新聞社、1994年)「通信-情報通信産業の誕生」
    • [10]1985年4月 電気通信事業法の施行により通信市場が開放

1985年〜電気通信事業法と第2KDD調整、独占が制度から消えるまで

1985年4月、郵政省は電気通信事業法を施行して通信市場を開放した。それまで国内は日本電信電話公社、国際は国際電信電話という独占で運営されてきた電気通信に、他の企業の参入が認められた。同時に、自前の回線設備を持つ第一種電気通信事業者と、他社の回線を借りて役務を提供する第二種電気通信事業者の区分が置かれた。国内では長距離通信に新電電各社が現れ、国際通信では三菱商事・三井物産・住友商事・松下電器産業などが出資する日本国際通信(ITJ)と、伊藤忠商事・英ケーブル・アンド・ワイヤレス・トヨタ自動車などが出資する国際デジタル通信(IDC)が1986年に設立された。

  • 日本産業史 第4巻(日本経済新聞社、1994年)「通信-情報通信産業の誕生」
    • [11]1985年4月 電気通信事業法の改定によりNTT・KDD以外の参入が認められた
    • [12]国内は日本電信電話公社・国際は国際電信電話の独占で電気通信事業が運営されてきた
    • [13]第一種電気通信事業者と第二種電気通信事業者の区分
    • [14]商社系のITJと伊藤忠・英C&W・トヨタ系のIDCが1986年に設立

郵政省は市場規模から見て2社が共倒れになる恐れがあるとして、新規参入を1社に統合する調整を経済界へ持ちかけた。経団連情報通信委員長だった渡辺文夫氏が引き受けたこの一本化調整は、1987年に不調へ終わっている。ITJが国際電信電話の回線をまた借りして事業を始める計画だったのに対し、IDCはケーブル・アンド・ワイヤレスとともに太平洋へ独自の光ファイバーケーブルを敷く計画で、設備の持ち方が正反対だったからである。調整の過程で外資の持株比率を3%未満に抑える非公開の協議が漏れると、英サッチャー首相と米レーガン大統領が中曽根首相に親書を送る通商摩擦にまで広がった。認可権を持つ郵政省の前に、民間による調整の限界があった。

  • 日経ビジネス 1987年6月8日号
    • [15]郵政省は市場規模から2社共倒れを恐れ新規参入を1社にまとめる調整を経済界へ求めた
    • [16]経団連情報通信委員長 渡辺文夫による第2KDDの一本化調整は不調に終わった
    • [17]ITJはKDDの回線をまた借りする計画・IDCはC&Wとともに独自の光ファイバーケーブルを太平洋に敷設する計画で対立
    • [18]外資の持株比率を3%未満とする非公開の協議が漏れサッチャー首相・レーガン大統領が中曽根首相へ親書
    • [19]認可権を持つ郵政省の前に民間調整の限界

ITJとIDCは1989年に専用線と一般電話のサービスを相次いで開始した。制度上の独占は1985年に消えていたが、他社の回線で実際に国際電話が通じたのはこの時点である。国際通信の市場規模は約3000億円にとどまるなかへ強力な親会社を持つ新会社2社が入り、対抗して通信料金を下げたこともあって、国際電信電話は1991年3月期に33年ぶりの減収減益へ落ち込んだ。同じ年の6月に社長へ就任した市原博氏は、郵政省の監督下にあって歴代トップに天下りが多いなか、増田元一元社長に次ぐ2人目の生え抜き社長だった。

  • 日本産業史 第4巻(日本経済新聞社、1994年)「通信-情報通信産業の誕生」
    • [20]ITJとIDCは1989年に専用線と一般電話のサービスを開始
    • [21]1985年4月の電気通信事業法改定で制度上の独占が消えた
  • 日経ビジネス 1991年9月16日号
    • [22]国際通信の市場規模は約3000億円
    • [23]新会社2社の参入と通信料金の値下げにより1991年3月期に33年ぶりの減収減益
    • [24]市原博は1991年6月に社長就任・郵政省の監督下で歴代トップは天下りが多く増田元一元社長に次ぐ2人目の生え抜き社長
参考文献[11]-[24]
  • 日本産業史 第4巻(日本経済新聞社、1994年)「通信-情報通信産業の誕生」
    • [11]1985年4月 電気通信事業法の改定によりNTT・KDD以外の参入が認められた
    • [12]国内は日本電信電話公社・国際は国際電信電話の独占で電気通信事業が運営されてきた
    • [13]第一種電気通信事業者と第二種電気通信事業者の区分
    • [14]商社系のITJと伊藤忠・英C&W・トヨタ系のIDCが1986年に設立
    • [20]ITJとIDCは1989年に専用線と一般電話のサービスを開始
    • [21]1985年4月の電気通信事業法改定で制度上の独占が消えた
  • 日経ビジネス 1987年6月8日号
    • [15]郵政省は市場規模から2社共倒れを恐れ新規参入を1社にまとめる調整を経済界へ求めた
    • [16]経団連情報通信委員長 渡辺文夫による第2KDDの一本化調整は不調に終わった
    • [17]ITJはKDDの回線をまた借りする計画・IDCはC&Wとともに独自の光ファイバーケーブルを太平洋に敷設する計画で対立
    • [18]外資の持株比率を3%未満とする非公開の協議が漏れサッチャー首相・レーガン大統領が中曽根首相へ親書
    • [19]認可権を持つ郵政省の前に民間調整の限界
  • 日経ビジネス 1991年9月16日号
    • [22]国際通信の市場規模は約3000億円
    • [23]新会社2社の参入と通信料金の値下げにより1991年3月期に33年ぶりの減収減益
    • [24]市原博は1991年6月に社長就任・郵政省の監督下で歴代トップは天下りが多く増田元一元社長に次ぐ2人目の生え抜き社長

1979年〜1996年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 利益率
1979年03月期 単体 1,235 n/a 253 98 7.9% n/a
1980年03月期 単体 1,412 +14.3% 370 168 11.9% n/a
1981年03月期 単体 1,480 +4.8% 322 156 10.5% n/a
1982年03月期 単体 1,650 +11.5% 326 137 8.3% n/a
1983年03月期 単体 1,705 +3.3% 291 135 7.9% n/a
1984年03月期 単体 1,921 +12.7% 363 158 8.2% n/a
1985年03月期 単体 2,119 +10.3% 435 204 9.6% n/a
1986年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1987年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1988年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1989年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1990年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1991年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1992年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1993年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1994年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1995年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1996年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a

出所:会社年鑑

出典・参考

5件
出典・参考
  • 日本産業史 第4巻(日本経済新聞社、1994年)「通信-情報通信産業の誕生」
  • 日経ビジネス 1979年11月5日号
  • 日経ビジネス 1987年6月8日号
  • 日経ビジネス 1991年9月16日号
  • 私の履歴書 経済人16「日高輝」(日本経済新聞社、1981年)

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