第1章 年〜年

アコム:1936年の創業と戦後の小口金融業への展開

1936年〜神戸で開いた丸糸呉服店と、戦後の再開で手がけた質屋

アコムの起点は、創業者の木下政雄氏が1936年4月に神戸で開業した丸糸呉服店である。社長の木下恭輔氏は1993年10月の説明で、自社の来歴を昭和11年の神戸の呉服店までさかのぼって示した。木下恭輔氏は、貸金業を規制する二つの法律が施行されるなど経営環境が揺らぐたびに、呉服店という地道な商いを原点として立ち返ってきたと振り返った。その際の拠り所に挙げたのは、『信頼の輪を広げよう』という創業以来の精神。社名アコムの由来となった愛情・信頼・節度の3語も、客に接する際の基本姿勢として同じ文脈で示された。

  • 証券 47(2)(551) 1995年
    • [1]1936年4月、前会長の木下政雄氏が神戸で丸糸呉服店を創業した(アコムの前身)
  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月 別冊付録
    • [2]1993年10月、社長の木下恭輔氏が沿革を昭和11年神戸の丸糸呉服店に置き、経営環境の変化のたびに呉服店の創業の原点と創業の精神、社名の由来である愛情・信頼・節度の理念に立ち返ったと説明した
    • [3]1993年10月、社長の木下恭輔氏が沿革を昭和11年神戸の丸糸呉服店に置き、経営環境の変化のたびに呉服店の創業の原点と創業の精神、社名の由来である愛情・信頼・節度の理念に立ち返ったと説明した
    • [4]1993年10月、社長の木下恭輔氏が沿革を昭和11年神戸の丸糸呉服店に置き、経営環境の変化のたびに呉服店の創業の原点と創業の精神、社名の由来である愛情・信頼・節度の理念に立ち返ったと説明した
    • [5]1993年10月、社長の木下恭輔氏が沿革を昭和11年神戸の丸糸呉服店に置き、経営環境の変化のたびに呉服店の創業の原点と創業の精神、社名の由来である愛情・信頼・節度の理念に立ち返ったと説明した

丸糸呉服店は戦争によって一度廃業し、営業の空白期間を挟んだ。1946年、木下政雄氏は丸糸商店の屋号で商いを再開。戦前の丸糸の名は、再開後の商店にもそのまま引き継がれた。再開後に手がけたのは繊維製品の卸売をはじめとする繊維の事業で、小売の呉服とは異なる商いであった。木下恭輔氏の1993年の説明によれば、事業再開から2年後の1948年には質屋業にも進出した。物資の乏しい終戦直後の神戸では、衣料品の流通を担う卸売に需要があったと推察される。

  • 証券 47(2)(551) 1995年
    • [6]戦争による廃業期間を経て、1946年(昭和21年)に丸糸商店として事業を再開し、繊維製品卸など繊維事業に取り組んだ
    • [7]戦争による廃業期間を経て、1946年(昭和21年)に丸糸商店として事業を再開し、繊維製品卸など繊維事業に取り組んだ
    • [8]戦争による廃業期間を経て、1946年(昭和21年)に丸糸商店として事業を再開し、繊維製品卸など繊維事業に取り組んだ
    • [9]戦争による廃業期間を経て、1946年(昭和21年)に丸糸商店として事業を再開し、繊維製品卸など繊維事業に取り組んだ
  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月 別冊付録
    • [10]戦後の1948年(昭和23年)に質屋業へ進出した

木下政雄氏の丸糸商店は1948年、繊維の事業と並行して質屋業へ進出した。1995年の新規上場会社紹介は、この進出を金融業に取り組んだ最初の一歩と位置づけた。社長の木下恭輔氏も1993年の説明で、戦後の質屋業への進出を、1960年の勤人信用貸の試行へ至る沿革の節目に挙げた。呉服と繊維で品物の値打ちを見てきた経験が、金融業へ足を踏み出す際の足場になったとみられる。

  • 証券 47(2)(551) 1995年
    • [11]1948年(昭和23年)、繊維事業と並行して質屋業に進出し、金融業への取り組みを開始した
    • [12]1948年(昭和23年)、繊維事業と並行して質屋業に進出し、金融業への取り組みを開始した
  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月 別冊付録
    • [13]沿革として、昭和23年の質屋業進出、昭和35年の「勤人信用貸」の試行を順に挙げた
参考文献[1]-[13]
  • 証券 47(2)(551) 1995年
    • [1]1936年4月、前会長の木下政雄氏が神戸で丸糸呉服店を創業した(アコムの前身)
    • [6]戦争による廃業期間を経て、1946年(昭和21年)に丸糸商店として事業を再開し、繊維製品卸など繊維事業に取り組んだ
    • [7]戦争による廃業期間を経て、1946年(昭和21年)に丸糸商店として事業を再開し、繊維製品卸など繊維事業に取り組んだ
    • [8]戦争による廃業期間を経て、1946年(昭和21年)に丸糸商店として事業を再開し、繊維製品卸など繊維事業に取り組んだ
    • [9]戦争による廃業期間を経て、1946年(昭和21年)に丸糸商店として事業を再開し、繊維製品卸など繊維事業に取り組んだ
    • [11]1948年(昭和23年)、繊維事業と並行して質屋業に進出し、金融業への取り組みを開始した
    • [12]1948年(昭和23年)、繊維事業と並行して質屋業に進出し、金融業への取り組みを開始した
  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月 別冊付録
    • [2]1993年10月、社長の木下恭輔氏が沿革を昭和11年神戸の丸糸呉服店に置き、経営環境の変化のたびに呉服店の創業の原点と創業の精神、社名の由来である愛情・信頼・節度の理念に立ち返ったと説明した
    • [3]1993年10月、社長の木下恭輔氏が沿革を昭和11年神戸の丸糸呉服店に置き、経営環境の変化のたびに呉服店の創業の原点と創業の精神、社名の由来である愛情・信頼・節度の理念に立ち返ったと説明した
    • [4]1993年10月、社長の木下恭輔氏が沿革を昭和11年神戸の丸糸呉服店に置き、経営環境の変化のたびに呉服店の創業の原点と創業の精神、社名の由来である愛情・信頼・節度の理念に立ち返ったと説明した
    • [5]1993年10月、社長の木下恭輔氏が沿革を昭和11年神戸の丸糸呉服店に置き、経営環境の変化のたびに呉服店の創業の原点と創業の精神、社名の由来である愛情・信頼・節度の理念に立ち返ったと説明した
    • [10]戦後の1948年(昭和23年)に質屋業へ進出した
    • [13]沿革として、昭和23年の質屋業進出、昭和35年の「勤人信用貸」の試行を順に挙げた

1950年〜神戸アンコール丸糸商店が担った質屋と、流質の増加による行き詰まり

1950年、質屋部門は新たに設立した株式会社神戸アンコール丸糸商店へ移管。この会社は翌1951年に株式会社丸糸商店、1958年に株式会社丸糸、1965年に丸糸株式会社へと社名を改めた。商号を改めた後も、質屋業はこの法人の事業として続いた。木下恭輔氏の1993年の説明では、1948年の質屋進出から1960年の勤人信用貸の試行までが一続きの沿革として語られた。繊維の商店とは別に法人を立てたのは、金融の商いを独立した事業として管理する意図があったのだろう。

  • 証券 47(2)(551) 1995年
    • [14]質屋業部門は1950年(昭和25年)設立の(株)神戸アンコール丸糸商店に引き継がれた。同社は1951年(株)丸糸商店、1958年(株)丸糸、1965年丸糸(株)へ社名変更した
    • [15]質屋業部門は1950年(昭和25年)設立の(株)神戸アンコール丸糸商店に引き継がれた。同社は1951年(株)丸糸商店、1958年(株)丸糸、1965年丸糸(株)へ社名変更した
    • [16]質屋業部門は1950年(昭和25年)設立の(株)神戸アンコール丸糸商店に引き継がれた。同社は1951年(株)丸糸商店、1958年(株)丸糸、1965年丸糸(株)へ社名変更した
  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月 別冊付録
    • [17]沿革として昭和23年の質屋業進出から昭和35年の「勤人信用貸」試行までを一続きに述べた

昭和30年代に入ると、質屋業は伸びる余地を失った。大量生産と大量消費が広がり、事業を取り巻く経済環境が変わったためである。客が請け出さずに流れる質草が増え、流質の額が膨らんだ。丸糸は質屋業に代わる事業を探す時期を過ごした。その模索の末に選んだのが、1960年に試行を始めた勤人信用貸である。新品の衣類や家財が安く出回るほど質草の換金価値は下がり、品物を担保に貸す仕組みが成り立ちにくくなったと思われる。

  • 証券 47(2)(551) 1995年
    • [18]昭和30年代、大量生産・大量消費という経済環境の変化の中で流質高が増加し、質屋業の発展が困難になり、代わる事業を模索した
    • [19]昭和30年代、大量生産・大量消費という経済環境の変化の中で流質高が増加し、質屋業の発展が困難になり、代わる事業を模索した
    • [20]昭和30年代、大量生産・大量消費という経済環境の変化の中で流質高が増加し、質屋業の発展が困難になり、代わる事業を模索した
    • [21]昭和30年代、大量生産・大量消費という経済環境の変化の中で流質高が増加し、質屋業の発展が困難になり、代わる事業を模索した
  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月 別冊付録
    • [22]1960年(昭和35年)に「勤人信用貸」の試行を始めた
参考文献[14]-[22]
  • 証券 47(2)(551) 1995年
    • [14]質屋業部門は1950年(昭和25年)設立の(株)神戸アンコール丸糸商店に引き継がれた。同社は1951年(株)丸糸商店、1958年(株)丸糸、1965年丸糸(株)へ社名変更した
    • [15]質屋業部門は1950年(昭和25年)設立の(株)神戸アンコール丸糸商店に引き継がれた。同社は1951年(株)丸糸商店、1958年(株)丸糸、1965年丸糸(株)へ社名変更した
    • [16]質屋業部門は1950年(昭和25年)設立の(株)神戸アンコール丸糸商店に引き継がれた。同社は1951年(株)丸糸商店、1958年(株)丸糸、1965年丸糸(株)へ社名変更した
    • [18]昭和30年代、大量生産・大量消費という経済環境の変化の中で流質高が増加し、質屋業の発展が困難になり、代わる事業を模索した
    • [19]昭和30年代、大量生産・大量消費という経済環境の変化の中で流質高が増加し、質屋業の発展が困難になり、代わる事業を模索した
    • [20]昭和30年代、大量生産・大量消費という経済環境の変化の中で流質高が増加し、質屋業の発展が困難になり、代わる事業を模索した
    • [21]昭和30年代、大量生産・大量消費という経済環境の変化の中で流質高が増加し、質屋業の発展が困難になり、代わる事業を模索した
  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月 別冊付録
    • [17]沿革として昭和23年の質屋業進出から昭和35年の「勤人信用貸」試行までを一続きに述べた
    • [22]1960年(昭和35年)に「勤人信用貸」の試行を始めた

1960年〜勤人信用貸の試行と、大阪梅田・東京八重洲への出店

丸糸は1960年、給与を受け取る勤め人を相手に、担保を取らない小口の貸付を神戸で試験的に始めた。背景には、サラリーマン層の増加と、割賦販売とクレジットカードが本格的に普及したことがあった。木下恭輔氏はこの貸付を『勤人信用貸』と呼び、現在でいう無担保の消費者ローンにあたると説明した。品物ではなく人の信用に貸す仕組みを、木下恭輔氏は『対人信用による新しい消費者金融方式』と表現している。流質で行き詰まった質屋の経験が、担保に依存しない貸し方へ発想を切り替える契機になったとうかがえる。

  • 証券 47(2)(551) 1995年
    • [23]1960年(昭和35年)から、給与所得者層の増加とクレジットカード・割賦販売の本格化に対応し、給与所得者向けの小口無担保貸付を神戸で試験的に開始した
    • [24]1960年(昭和35年)から、給与所得者層の増加とクレジットカード・割賦販売の本格化に対応し、給与所得者向けの小口無担保貸付を神戸で試験的に開始した
  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月 別冊付録
    • [25]昭和35年に「勤人信用貸」(今日の消費者向け無担保ローン)の試行を始め、対人信用による新しい消費者金融方式と位置づけた
    • [26]昭和35年に「勤人信用貸」(今日の消費者向け無担保ローン)の試行を始め、対人信用による新しい消費者金融方式と位置づけた

神戸で試した無担保貸付は、開始後に貸付金残高を順調に積み上げた。残高の拡大を受けて、丸糸は1963年に大阪の梅田、1967年に東京の八重洲へ出店した。1969年には名古屋へも進出し、大阪・東京・名古屋の3都市に店がそろった。昭和40年代半ば以降は川崎や横浜にも店を構え、多店舗による展開へ移った。木下恭輔氏は、この方式が時流に合って昭和40年代に急伸したと振り返り、名古屋進出までを全国展開の端緒と位置づけた。神戸で確かめた貸し方を大都市の拠点へ広げ、勤め人の多い市場を押さえる狙いがあったと読み取れる。

  • 証券 47(2)(551) 1995年
    • [27]無担保貸付は順調に貸付金残高を増やし、1963年大阪(梅田)、1967年東京(八重洲)に出店、昭和40年代半ば以降は川崎・名古屋・横浜に出店して多店舗展開を始めた
    • [28]無担保貸付は順調に貸付金残高を増やし、1963年大阪(梅田)、1967年東京(八重洲)に出店、昭和40年代半ば以降は川崎・名古屋・横浜に出店して多店舗展開を始めた
    • [30]無担保貸付は順調に貸付金残高を増やし、1963年大阪(梅田)、1967年東京(八重洲)に出店、昭和40年代半ば以降は川崎・名古屋・横浜に出店して多店舗展開を始めた
  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月 別冊付録
    • [29]対人信用の消費者金融方式は時流に合い昭和40年代に伸長し、1963年大阪、1967年東京、1969年名古屋へ進出して全国展開の緒についた
    • [31]対人信用の消費者金融方式は時流に合い昭和40年代に伸長し、1963年大阪、1967年東京、1969年名古屋へ進出して全国展開の緒についた

多店舗展開と並行して、丸糸は三菱信託銀行との取引を始め、取引する金融機関の開拓を進めた。丸糸はこの開拓によって、貸付に充てる資金の調達を安定させることをめざした。三菱信託銀行は、1995年の上場紹介の時点でアコムのメインバンクとされている。1972年には、社名を丸糸株式会社からマルイト株式会社へ改めた。勤人信用貸から続く無担保ローンの部門は、のちに東京で設立される新会社アコムへ引き継がれた。銀行との取引と新しい社名は、全国へ広がるローン部門を独立した会社として切り出す下地になったと考えられる。

  • 証券 47(2)(551) 1995年
    • [32]多店舗展開の一方で、現在のメインバンクである三菱信託銀行との取引を開始するなど取引金融機関を開拓し資金調達の安定化に努めた。1972年(昭和47年)に社名をマルイト(株)へ変更した
    • [33]多店舗展開の一方で、現在のメインバンクである三菱信託銀行との取引を開始するなど取引金融機関を開拓し資金調達の安定化に努めた。1972年(昭和47年)に社名をマルイト(株)へ変更した
    • [34]多店舗展開の一方で、現在のメインバンクである三菱信託銀行との取引を開始するなど取引金融機関を開拓し資金調達の安定化に努めた。1972年(昭和47年)に社名をマルイト(株)へ変更した
    • [35]多店舗展開の一方で、現在のメインバンクである三菱信託銀行との取引を開始するなど取引金融機関を開拓し資金調達の安定化に努めた。1972年(昭和47年)に社名をマルイト(株)へ変更した
  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月 別冊付録
    • [36]昭和53年に東京で新会社としてアコムが設立され、消費者向け無担保ローン部門を継承した
参考文献[23]-[36]
  • 証券 47(2)(551) 1995年
    • [23]1960年(昭和35年)から、給与所得者層の増加とクレジットカード・割賦販売の本格化に対応し、給与所得者向けの小口無担保貸付を神戸で試験的に開始した
    • [24]1960年(昭和35年)から、給与所得者層の増加とクレジットカード・割賦販売の本格化に対応し、給与所得者向けの小口無担保貸付を神戸で試験的に開始した
    • [27]無担保貸付は順調に貸付金残高を増やし、1963年大阪(梅田)、1967年東京(八重洲)に出店、昭和40年代半ば以降は川崎・名古屋・横浜に出店して多店舗展開を始めた
    • [28]無担保貸付は順調に貸付金残高を増やし、1963年大阪(梅田)、1967年東京(八重洲)に出店、昭和40年代半ば以降は川崎・名古屋・横浜に出店して多店舗展開を始めた
    • [30]無担保貸付は順調に貸付金残高を増やし、1963年大阪(梅田)、1967年東京(八重洲)に出店、昭和40年代半ば以降は川崎・名古屋・横浜に出店して多店舗展開を始めた
    • [32]多店舗展開の一方で、現在のメインバンクである三菱信託銀行との取引を開始するなど取引金融機関を開拓し資金調達の安定化に努めた。1972年(昭和47年)に社名をマルイト(株)へ変更した
    • [33]多店舗展開の一方で、現在のメインバンクである三菱信託銀行との取引を開始するなど取引金融機関を開拓し資金調達の安定化に努めた。1972年(昭和47年)に社名をマルイト(株)へ変更した
    • [34]多店舗展開の一方で、現在のメインバンクである三菱信託銀行との取引を開始するなど取引金融機関を開拓し資金調達の安定化に努めた。1972年(昭和47年)に社名をマルイト(株)へ変更した
    • [35]多店舗展開の一方で、現在のメインバンクである三菱信託銀行との取引を開始するなど取引金融機関を開拓し資金調達の安定化に努めた。1972年(昭和47年)に社名をマルイト(株)へ変更した
  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月 別冊付録
    • [25]昭和35年に「勤人信用貸」(今日の消費者向け無担保ローン)の試行を始め、対人信用による新しい消費者金融方式と位置づけた
    • [26]昭和35年に「勤人信用貸」(今日の消費者向け無担保ローン)の試行を始め、対人信用による新しい消費者金融方式と位置づけた
    • [29]対人信用の消費者金融方式は時流に合い昭和40年代に伸長し、1963年大阪、1967年東京、1969年名古屋へ進出して全国展開の緒についた
    • [31]対人信用の消費者金融方式は時流に合い昭和40年代に伸長し、1963年大阪、1967年東京、1969年名古屋へ進出して全国展開の緒についた
    • [36]昭和53年に東京で新会社としてアコムが設立され、消費者向け無担保ローン部門を継承した

出典・参考

2件
出典・参考
  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月 別冊付録
  • 証券 47(2)(551) 1995年

免責事項およびポリシー