第5章 年〜年

住友銀行:イトマン事件と三井住友銀行の発足

1990年〜イトマン事件で退いた会長磯田一郎と、住金物産へのイトマンの合併、森川敏雄の頭取就任

住友銀行会長の磯田一郎氏は1990年10月7日に辞意を表明し、16日の経営会議で会長としての実権を失った。発端は元支店長が起こした浮き貸し事件だったが、騒ぎの焦点はこの9日間で商社イトマンの経営問題へ移った。イトマンのグループ4社の借入残高は、1990年3月末の1兆400億円から6月末には1兆2300億円へ膨らんでいた。イトマン社長の河村良彦氏は、磯田氏が住友銀行の常務から送り込んだ人物だった。住友銀行が人を送って調べ始めたのは1990年8月末で、9月中旬には大蔵省の検査を控えていた。会長が役員人事を握る体制の下で、イトマン向け融資を問う声は経営の中枢に届きにくかったとみられる。

  • Decide 1990年
    • [1]1990年10月7日に磯田会長が辞意を表明し、16日の経営会議で会長の実権を完全に失った
    • [2]元支店長の浮き貸し事件を機に、10月7日から16日の9日間で伊藤萬問題が住銀騒動の主役となった
    • [3]伊藤萬グループ4社の総借入残高は1990年3月末1兆400億円から6月末1兆2300億円に増えた
  • 日経ビジネス 1990年8月27日号
    • [4]伊藤萬の河村良彦社長は磯田会長が住銀常務から送り込んだ人物
  • 日経ビジネス 1991年4月1日号
    • [5]住銀がイトマンに人を派遣して調査を始めたのは1990年8月末からで、9月中旬から大蔵省検査を控えていた

頭取の巽外夫氏は1992年、イトマンを住友金属工業系の商社である住金物産と合併させる道筋を付けた。合併は1993年4月に実現し、住金物産が存続会社となった。巽氏は、イトマンの広い意味の自己資本はほぼ不良資産の償却に充てるほかなく、自力での再建は難しいとみていた。相手には大手商社を避け、イトマンの繊維と食糧の事業と重ならない専門商社を選び、従業員と取引先を優先したと説明した。残る不動産関連融資については、1991年秋に取締役を長とする40〜50人の特別チームを作り、『自分のところで起きたことは、自分で処理するのは当然ですからね』と語った。住友の内側で受け皿を用意したことで、グループ全体の信用の傷が広がるのを抑えようとしたと推察される。

  • 日経ビジネス 1992年10月12日号
    • [6]1992年10月時点でイトマンと住金物産の合併が発表されており、巽頭取は構想が当初から頭にあったと答えた
    • [8]イトマンの広義の自己資本をほとんど不良資産の償却に充てる必要があり、自力再建は難しいとみていた
    • [9]大手商社ではイトマンの人を使ってくれないため、繊維・食糧をやっていない専門商社を選んだ。従業員と取引先を第一に考えた
    • [10]1991年秋に取締役をヘッドとする40~50人の特別チームを作り、不動産関連資産の処分に当たっている
  • 日経ビジネス 1993年8月23日号
    • [7]1993年4月、イトマンが住金物産に吸収合併された(親会社は住友金属工業)

イトマン関連の処理に区切りを付けた1993年、巽外夫氏は会長へ退き、副頭取の森川敏雄氏が頭取に就任した。住友銀行は1993年3月期、イトマン関連会社トータルリゾートライフへの貸付金995億円を一括で償却した。同期の不良債権処理は2182億円と過去最高に上り、経常利益は630億円で都市銀行の下位行に並んだ。森川氏は1990年に副頭取となるまで10数年にわたり国際業務を担い、スイスのゴッタルド銀行の買収を手掛けた経歴を持っていた。4月の全国支店長会議では、変革を掲げる3カ年の中期経営計画を打ち出していた。就任にあたり森川氏は『批判は素直に受け止めねばならない。収益は企業にとって大切だが、それさえよければいいわけではない』と、収益を最優先してきた経営への批判を受け止める姿勢を示した。

  • Decide 1993年
    • [11]森川敏雄副頭取が新頭取に内定し、巽外夫頭取は会長に就任する。イトマン処理が前3月期決算で終了したことから人事を一新
    • [14]住友の前3月期の経常利益は630億円で、さくら銀行や第一勧銀に抜かれ都銀下位行に転落
    • [15]90年に副頭取に就くまで10数年間国際業務を担い、スイスのゴッタルド銀行買収などの実績が評価された
    • [16]4月の全国支店長会議で3年間の中期経営計画を打ち出し、「チェンジ」を掲げて企業経営と企業カルチャーの変革に挑む
    • [17]森川は住銀への批判について、収益は大切だがそれさえよければいいわけではないと自戒した
  • 日経ビジネス 1993年8月23日号
    • [12]住銀は93年3月期、イトマン関連企業トータルリゾートライフへの貸付金995億円を一括償却
    • [13]93年3月期の不良債権処理総額は2182億円で都市銀行平均の2.3倍、住銀として過去最高
参考文献[1]-[17]
  • Decide 1990年
    • [1]1990年10月7日に磯田会長が辞意を表明し、16日の経営会議で会長の実権を完全に失った
    • [2]元支店長の浮き貸し事件を機に、10月7日から16日の9日間で伊藤萬問題が住銀騒動の主役となった
    • [3]伊藤萬グループ4社の総借入残高は1990年3月末1兆400億円から6月末1兆2300億円に増えた
  • 日経ビジネス 1990年8月27日号
    • [4]伊藤萬の河村良彦社長は磯田会長が住銀常務から送り込んだ人物
  • 日経ビジネス 1991年4月1日号
    • [5]住銀がイトマンに人を派遣して調査を始めたのは1990年8月末からで、9月中旬から大蔵省検査を控えていた
  • 日経ビジネス 1992年10月12日号
    • [6]1992年10月時点でイトマンと住金物産の合併が発表されており、巽頭取は構想が当初から頭にあったと答えた
    • [8]イトマンの広義の自己資本をほとんど不良資産の償却に充てる必要があり、自力再建は難しいとみていた
    • [9]大手商社ではイトマンの人を使ってくれないため、繊維・食糧をやっていない専門商社を選んだ。従業員と取引先を第一に考えた
    • [10]1991年秋に取締役をヘッドとする40~50人の特別チームを作り、不動産関連資産の処分に当たっている
  • 日経ビジネス 1993年8月23日号
    • [7]1993年4月、イトマンが住金物産に吸収合併された(親会社は住友金属工業)
    • [12]住銀は93年3月期、イトマン関連企業トータルリゾートライフへの貸付金995億円を一括償却
    • [13]93年3月期の不良債権処理総額は2182億円で都市銀行平均の2.3倍、住銀として過去最高
  • Decide 1993年
    • [11]森川敏雄副頭取が新頭取に内定し、巽外夫頭取は会長に就任する。イトマン処理が前3月期決算で終了したことから人事を一新
    • [14]住友の前3月期の経常利益は630億円で、さくら銀行や第一勧銀に抜かれ都銀下位行に転落
    • [15]90年に副頭取に就くまで10数年間国際業務を担い、スイスのゴッタルド銀行買収などの実績が評価された
    • [16]4月の全国支店長会議で3年間の中期経営計画を打ち出し、「チェンジ」を掲げて企業経営と企業カルチャーの変革に挑む
    • [17]森川は住銀への批判について、収益は大切だがそれさえよければいいわけではないと自戒した

1995年〜8000億円超の不良債権償却による初の経常赤字と、頭取西川善文が結んだ大和証券との提携

頭取の森川敏雄氏は1995年3月期に8000億円の不良債権を償却し、都市銀行で戦後初めての赤字決算を組んだ。森川氏は、1994年春ごろから不良債権の全体像が見え、赤字を1期に限れると判断した。1993年度からの採用抑制で総人員は約500人減る見通しとなり、約30カ所の支店と出張所も統合していた。流動性預金金利の自由化や証券子会社の認可で競争が始まり、財務の厚みが要ると考えた。住友銀行は1995年に融資企画部を新設し、約2万社の取引先を格付けして、信用リスクをVARで測る仕組みの構築に入った。一括の償却は損を落とすだけでなく、貸し出しの基準を作り直す起点に据えられたのだろう。

  • 日経ビジネス 1995年3月27日号
    • [18]1995年3月期に8000億円の不良債権を償却し、都市銀行で戦後初の赤字決算とした
    • [19]赤字決算を今期限りにとどめる自信が持てた。昨年春ごろから不良債権の全体像が見えてきた
    • [20]93年度から採用を抑制し今年度は総人員が約500人減る見通し。3年ほどで約30カ所の支店・出張所を統合
    • [21]流動性預金金利の完全自由化や証券子会社設立の認可で本格的な競争が始まり、財務体質の強化が必要だった
  • 日経ビジネス 1995年10月2日号
    • [22]住銀は信用リスク管理強化のため融資企画部を新設し、VARを信用リスク管理に応用する方向で検討
    • [23]人員約20人、約2万の取引先企業の格付けを済ませ、2~3年内に本格稼働させる方針

1997年6月、1961年に入行し専務と副頭取を経た西川善文氏が、森川敏雄氏に代わって頭取に就任した。西川氏は1975年から8年間、安宅産業の破綻処理に携わり、伊藤忠商事との合併の条件折衝や不良債権処理を担った。1993年、専務だった西川氏はイトマン関連の分離債権に言及した。総額5300億円に上るこの債権を、5、6年で処理したいという考えだった。頭取就任にあたり西川氏は、投資銀行業務の強化に向けて外国の金融機関と組む選択肢も排除しない姿勢を明らかにした。その前提には、デリバティブやリスク管理の技術で邦銀は欧米より5年遅れているという持論があった。破綻処理に二度携わった経歴が、提携と整理を並行して進める役割へ同氏を押し上げたと考えられる。

  • 日経ビジネス 1997年9月29日号
    • [24]西川善文氏は61年4月住友銀行入行、91年専務、96年副頭取を経て97年6月から頭取
    • [25]1975年から8年間、安宅産業の経営破綻処理に携わり、伊藤忠商事との合併の条件折衝や不良債権処理に当たった
    • [27]投資銀行業務を強化するため外国の金融機関との提携も辞さないと明言
    • [28]邦銀のデリバティブやリスク管理などの金融技術は欧米に比べて5年は遅れているが持論
  • 日経ビジネス 1993年8月23日号
    • [26]西川善文専務は、イトマン関連の分離債権(5300億円)を5、6年で処理し経営上の負担を早く消したいと語った

頭取の西川善文氏は1998年7月、大和証券と証券業務で提携することを決めた。両社は法人向け証券、デリバティブ、資産運用の3つの合弁会社を作り、いずれも1999年4月1日の営業開始を予定した。法人向けの大和証券SBキャピタル・マーケッツには、子会社の住友キャピタル証券と本体の資本市場部門を移すことにした。西川氏は、自前で育てれば時間と大きな投資を要し、提携ならトップクラスに入る道筋を早く描けると判断した。外資との全面提携は主導権を渡すとして退け、住友銀行本体は商業銀行に徹する方針を示した。大和証券の側も、野村証券と日興証券が提携を決めるなか、7月23日にS&Pから格付けを引き下げられていた。

  • 日経ビジネス 1998年8月3日号
    • [29]大和証券が住友銀行と提携を決め、共同出資で企業向け取引・デリバティブ・資産運用専門の3社を設立する
    • [30]大和証券が住友銀行と提携を決め、共同出資で企業向け取引・デリバティブ・資産運用専門の3社を設立する
    • [35]野村は興銀、日興はトラベラーズと提携を決めるなか、7月23日にS&Pが大和の長期格付けをトリプルBマイナスに引き下げた
  • 日経ビジネス 1998年8月31日号
    • [31]住友銀行が大和証券と合弁で設立する会社は3社で、いずれも1999年4月1日から営業開始予定
    • [32]大和証券SBキャピタル・マーケッツには住友銀行側から住友キャピタル証券と住銀本体のキャピタルマーケット部門が移る
    • [33]住友キャピタル証券を中心に自前で力をつけるのは時間がかかり大きな投資も要る。大和との提携で時間を短縮しトップクラスに入る筋書きが描けると判断
    • [34]外資と全面提携すれば主導権を与えるので考えない。住友銀行はコマーシャルバンキングに徹する
参考文献[18]-[35]
  • 日経ビジネス 1995年3月27日号
    • [18]1995年3月期に8000億円の不良債権を償却し、都市銀行で戦後初の赤字決算とした
    • [19]赤字決算を今期限りにとどめる自信が持てた。昨年春ごろから不良債権の全体像が見えてきた
    • [20]93年度から採用を抑制し今年度は総人員が約500人減る見通し。3年ほどで約30カ所の支店・出張所を統合
    • [21]流動性預金金利の完全自由化や証券子会社設立の認可で本格的な競争が始まり、財務体質の強化が必要だった
  • 日経ビジネス 1995年10月2日号
    • [22]住銀は信用リスク管理強化のため融資企画部を新設し、VARを信用リスク管理に応用する方向で検討
    • [23]人員約20人、約2万の取引先企業の格付けを済ませ、2~3年内に本格稼働させる方針
  • 日経ビジネス 1997年9月29日号
    • [24]西川善文氏は61年4月住友銀行入行、91年専務、96年副頭取を経て97年6月から頭取
    • [25]1975年から8年間、安宅産業の経営破綻処理に携わり、伊藤忠商事との合併の条件折衝や不良債権処理に当たった
    • [27]投資銀行業務を強化するため外国の金融機関との提携も辞さないと明言
    • [28]邦銀のデリバティブやリスク管理などの金融技術は欧米に比べて5年は遅れているが持論
  • 日経ビジネス 1993年8月23日号
    • [26]西川善文専務は、イトマン関連の分離債権(5300億円)を5、6年で処理し経営上の負担を早く消したいと語った
  • 日経ビジネス 1998年8月3日号
    • [29]大和証券が住友銀行と提携を決め、共同出資で企業向け取引・デリバティブ・資産運用専門の3社を設立する
    • [30]大和証券が住友銀行と提携を決め、共同出資で企業向け取引・デリバティブ・資産運用専門の3社を設立する
    • [35]野村は興銀、日興はトラベラーズと提携を決めるなか、7月23日にS&Pが大和の長期格付けをトリプルBマイナスに引き下げた
  • 日経ビジネス 1998年8月31日号
    • [31]住友銀行が大和証券と合弁で設立する会社は3社で、いずれも1999年4月1日から営業開始予定
    • [32]大和証券SBキャピタル・マーケッツには住友銀行側から住友キャピタル証券と住銀本体のキャピタルマーケット部門が移る
    • [33]住友キャピタル証券を中心に自前で力をつけるのは時間がかかり大きな投資も要る。大和との提携で時間を短縮しトップクラスに入る筋書きが描けると判断
    • [34]外資と全面提携すれば主導権を与えるので考えない。住友銀行はコマーシャルバンキングに徹する

1999年〜公的資金5010億円の注入と、さくら銀行との合併を1年早めて発足させた三井住友銀行

住友銀行は1998年11月14日、優先株の発行で公的資金を申請する方針を決めた。業況の悪い先への灰色債権の引当率を大手銀行で初めて15%前後とし、第三分類は60%から75%程度へ上げる計画だった。8%の自己資本比率は自力で保てるが、信用力を高めるには10%が要るという判断だった。1998年度には1兆720億円の与信費用を計上し、住友銀行として初めて2期続けて赤字となった。民間から優先出資証券で3400億円を調達し、1999年3月には整理回収銀行が5010億円の優先株を引き受けた。住友銀行は与信費用の計上を、翌年度以降に負担を残さないための『a forward-looking, positive and determined action』(訳:先を見据えた、前向きで断固とした措置)と位置付けた。

  • New wave (39)(1999年)「住銀、公的資金5000億円、不良債権、米銀並み引き当て――西川善文住友銀行頭取」
    • [36]住友銀行は(1998年)11月14日、優先株の発行による公的資金の申請方針を決めた
    • [37]経営状態が悪化した企業向け灰色債権の引当率を大手銀で初めて15%前後に、第三分類は60%を75%程度に引き上げる
    • [38]公的資金に頼らなくても自己資本比率8%は維持できるが、信用力を高めるには10%を確保したいと判断
  • 住友銀行 Annual Report 2000「A Message to Shareholders」
    • [39]FY1998の与信費用は¥1,072 billionで、初の2期連続の赤字の主因となった
    • [40]民間から優先出資証券で¥340 billionを調達、整理回収銀行が全額引き受けた¥501 billionの優先株でBIS比率は11%近くに
    • [41]与信費用の計上は1999年度以降に不良債権が大きな負担とならないようにするための措置と位置付けた

住友銀行とさくら銀行は1999年10月14日に記者会見を開き、2002年4月をめどとする合併を発表した。頭取の西川善文氏が合併を考え直したのは、8月に日本興業銀行・第一勧業銀行・富士銀行の3行統合が発表されてからだった。それまでの戦略は単独で生き残れるという前提で立てたが、3行統合で『合従連衡の時間軸は早まった』と判断した。3行統合や東海・あさひの連合が住友銀行の倍以上の顧客を一度に得ると、法人取引で埋めがたい差がつくとみた。持ち株会社ではなく合併を選んだのは、同じ業務の銀行を持ち株会社の傘下に並べるだけでは統合の効果が薄いという理由だった。会見で救済との見方を問われた西川氏は、これを否定して対等の精神での合併を強調した。

  • 日経ビジネス 1999年10月25日号
    • [42]14日の記者会見で合併を発表。2002年4月に総資産約99兆円のメガバンクが誕生する
    • [47]記者会見で救済かと問われた西川頭取は否定し、あくまで対等の精神での合併と強調した
  • 日経ビジネス 1999年11月8日号
    • [43]昨年来の戦略は単独で生き残れる確信で立てたが、8月の興銀・第一勧銀・富士の3行統合発表で合従連衡の時間軸が早まったと考えた
    • [44]昨年来の戦略は単独で生き残れる確信で立てたが、8月の興銀・第一勧銀・富士の3行統合発表で合従連衡の時間軸が早まったと考えた
    • [45]3行統合などで倍以上の顧客を一気に獲得されると相当な格差になる。法人の主取引数の倍増は容易でない
    • [46]同じことをやっている銀行同士が持ち株会社の傘下に入っても変わらない。一本化の効果を高めるには合併方式

住友銀行とさくら銀行は2000年4月、合併を1年早めて2001年4月1日とすることで合意し、6月に株主の承認を得た。発表の時点では約2年半の準備期間を置き、通常は合併後に行う作業まで前もって済ませる計画だった。西川善文氏は前倒しの大きな要因として、両行とも不良債権問題から抜け出す目処が立ったことを挙げた。住友銀行は処理を1999年度に集め、与信費用は約6,800億円と当初の予想を大きく上回った。西川氏は合併の成否はシステムと人事政策の融合で決まるとし、残る半年余りで失敗の種を除くと約束した。新銀行の名は三井住友銀行と決まり、2004年度までに連結ROE10%以上を目標の一つに掲げた。

  • 住友銀行 ディスクロージャー誌(2000年)「頭取メッセージ」
    • [48]さくら銀行とは平成13年4月1日に合併し三井住友銀行としてスタートすることを4月に合意、6月に株主の承認を得た
    • [50]4月に合併の1年前倒しを決断した大きな要因の一つは、両行とも不良債権問題からの脱却の目処が立ったこと
    • [51]平成11年度に集中して手当てした結果クレジットコストは約6,800億円と当初予想を大きく上回り、平成12年度は実質的に仕上げを残すのみ
    • [52]合併では経営インフラ(システムと人事政策)の融合が鍵で、合併前の残り半年余りで失敗の種を取り去る
    • [53]新銀行は平成16年度までに連結ROE10%以上の達成を経営目標の一つとする
  • 日経ビジネス 1999年11月8日号
    • [49]合併までは約2年半の準備期間を設け、通常は合併後にやることまで事前に済ませる方針
参考文献[36]-[53]
  • New wave (39)(1999年)「住銀、公的資金5000億円、不良債権、米銀並み引き当て――西川善文住友銀行頭取」
    • [36]住友銀行は(1998年)11月14日、優先株の発行による公的資金の申請方針を決めた
    • [37]経営状態が悪化した企業向け灰色債権の引当率を大手銀で初めて15%前後に、第三分類は60%を75%程度に引き上げる
    • [38]公的資金に頼らなくても自己資本比率8%は維持できるが、信用力を高めるには10%を確保したいと判断
  • 住友銀行 Annual Report 2000「A Message to Shareholders」
    • [39]FY1998の与信費用は¥1,072 billionで、初の2期連続の赤字の主因となった
    • [40]民間から優先出資証券で¥340 billionを調達、整理回収銀行が全額引き受けた¥501 billionの優先株でBIS比率は11%近くに
    • [41]与信費用の計上は1999年度以降に不良債権が大きな負担とならないようにするための措置と位置付けた
  • 日経ビジネス 1999年10月25日号
    • [42]14日の記者会見で合併を発表。2002年4月に総資産約99兆円のメガバンクが誕生する
    • [47]記者会見で救済かと問われた西川頭取は否定し、あくまで対等の精神での合併と強調した
  • 日経ビジネス 1999年11月8日号
    • [43]昨年来の戦略は単独で生き残れる確信で立てたが、8月の興銀・第一勧銀・富士の3行統合発表で合従連衡の時間軸が早まったと考えた
    • [44]昨年来の戦略は単独で生き残れる確信で立てたが、8月の興銀・第一勧銀・富士の3行統合発表で合従連衡の時間軸が早まったと考えた
    • [45]3行統合などで倍以上の顧客を一気に獲得されると相当な格差になる。法人の主取引数の倍増は容易でない
    • [46]同じことをやっている銀行同士が持ち株会社の傘下に入っても変わらない。一本化の効果を高めるには合併方式
    • [49]合併までは約2年半の準備期間を設け、通常は合併後にやることまで事前に済ませる方針
  • 住友銀行 ディスクロージャー誌(2000年)「頭取メッセージ」
    • [48]さくら銀行とは平成13年4月1日に合併し三井住友銀行としてスタートすることを4月に合意、6月に株主の承認を得た
    • [50]4月に合併の1年前倒しを決断した大きな要因の一つは、両行とも不良債権問題からの脱却の目処が立ったこと
    • [51]平成11年度に集中して手当てした結果クレジットコストは約6,800億円と当初予想を大きく上回り、平成12年度は実質的に仕上げを残すのみ
    • [52]合併では経営インフラ(システムと人事政策)の融合が鍵で、合併前の残り半年余りで失敗の種を取り去る
    • [53]新銀行は平成16年度までに連結ROE10%以上の達成を経営目標の一つとする

出典・参考

16件
出典・参考
  • 日経ビジネス 1990年8月27日号
  • 日経ビジネス 1991年4月1日号
  • 日経ビジネス 1992年10月12日号
  • 日経ビジネス 1993年8月23日号
  • 日経ビジネス 1995年3月27日号
  • 日経ビジネス 1995年10月2日号
  • 日経ビジネス 1997年9月29日号
  • 日経ビジネス 1998年8月3日号
  • 日経ビジネス 1998年8月31日号
  • 日経ビジネス 1999年10月25日号
  • 日経ビジネス 1999年11月8日号
  • Decide 1990年
  • Decide 1993年
  • New wave (39)(1999年)「住銀、公的資金5000億円、不良債権、米銀並み引き当て――西川善文住友銀行頭取」
  • 住友銀行 Annual Report 2000「A Message to Shareholders」
  • 住友銀行 ディスクロージャー誌(2000年)「頭取メッセージ」

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