第1章 年〜年

三協精機製作所:時計部品での創業と通産省勧奨によるオルゴール量産

1946年〜諏訪の時計部品工場と、通産省の勧奨で量産に届いたオルゴール

山田正彦氏と弟の山田六一氏、小川憲二郎氏の3人は1946年6月、長野県諏訪市清水町で個人企業の三協精機製作所を創立した。3人が掲げた目的は精密機械の製品づくりで、拠り所は製糸業で栄えた諏訪地方の気候と、その産業が蓄えた工業技術。最初の製品は時計部品と電気器具部品である。仕事の多くは富士電機の松本工場などから受ける部品の下請で、自社製品を持たない工場として出発した。1947年7月には法人組織に切り替え、有限会社三協精機製作所となった。創立を主導した山田正彦氏は、1960年時点でも代表取締役社長として経営を率いた。製糸の町に残った手先の技術と気候が、微細な部品を扱う工場を興す条件として働いたのだろう。

  • 企業の歴史 : 明治百年 3編(1968)「三協精機製作所」
    • [1]1946年6月、山田正彦・山田六一兄弟と小川憲二郎が諏訪の気候風土と工業技術を背景に精密機械製品の製造を目的として個人企業三協精機製作所を諏訪市清水町に創立
    • [2]1946年6月、山田正彦・山田六一兄弟と小川憲二郎が諏訪の気候風土と工業技術を背景に精密機械製品の製造を目的として個人企業三協精機製作所を諏訪市清水町に創立
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「三協精機製作所」
    • [3]1946年6月に時計部品・電気器具部品の製造を目的に創業し、1947年7月に有限会社三協精機製作所へ改組
    • [5]1946年6月に時計部品・電気器具部品の製造を目的に創業し、1947年7月に有限会社三協精機製作所へ改組
  • 証券業報 (11)(133) 1960年「(株)三協精機製作所」
    • [4]創業当初は主として富士電機松本工場その他の部品下請工場だった。1960年時点の代表取締役社長は山田正彦
    • [6]創業当初は主として富士電機松本工場その他の部品下請工場だった。1960年時点の代表取締役社長は山田正彦

1948年1月、三協精機製作所は通産省の勧奨を受け、オルゴールの研究に着手した。オルゴールは当時の日本で製造の手がほとんど及んでいない分野で、通産省はその製造を三協精機製作所に持ちかけた。オルゴールは時計や回転人形、宝石箱、おもちゃなどに組み込まれる機構部品で、完成品のメーカーへ納める点でも部品工場の商売に近かった。研究は製造と販売の両面にわたり、創業時からの時計部品と電気部品の製造を続けながら進めた。富士電機の松本工場などに部品を納める下請の工場にとって、オルゴールは自社の名で完成品として売り出せる初めての製品候補となった。時計部品で身につけた小さな金属部品の加工がオルゴールの機構に生かせる見通しが、勧奨に応じる判断の下地になったと考えられる。

  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「三協精機製作所」
    • [7]1948年1月に通産省の勧奨によりオルゴールの研究に着手。オルゴールは時計・回転人形・宝石箱・おもちゃなどに利用される
    • [9]1948年1月に通産省の勧奨によりオルゴールの研究に着手。オルゴールは時計・回転人形・宝石箱・おもちゃなどに利用される
  • 企業の歴史 : 明治百年 3編(1968)「三協精機製作所」
    • [8]1948年に通産省から国内未開拓の分野だったオルゴール製造の勧奨を受け、時計・電気部品製造のかたわら製造販売の研究に着手
    • [10]1948年に通産省から国内未開拓の分野だったオルゴール製造の勧奨を受け、時計・電気部品製造のかたわら製造販売の研究に着手
  • 証券業報 (11)(133) 1960年「(株)三協精機製作所」
    • [11]1948年1月にオルゴールの製造販売の研究を開始。それ以前は部品下請工場だった
    • [12]1948年1月にオルゴールの製造販売の研究を開始。それ以前は部品下請工場だった

研究の開始から2年7か月後の1950年8月、三協精機製作所はオルゴールの量産に移った。同じ月に生産が始まり、販売も安定した。売り先との取引を広げるため、1951年に東京、1952年に大阪への営業所の開設。1953年12月には資本金150万円の株式会社三協精機製作所へ改組した。オルゴールの生産は1964年時点で国内の7〜8割を占め、スイス首位のメーカーを抑えて世界の首位に立った。部品の受託から出発した工場は、創業から7年半でオルゴールという自社製品を持ち、東西2都市に販売の窓口を構える株式会社となった。営業所の開設から改組までの動きは、量産による売上を背景に、下請から自社製品の製造販売へ主力を移した過程と読める。

  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「三協精機製作所」
    • [13]1950年8月にオルゴールの量産体制がなり、1953年12月に資本金150万円の株式会社三協精機製作所に改組。1964年時点でオルゴール生産は国内の7〜8割を占め、スイス第1のメーカーを抑えて世界首位
    • [17]1950年8月にオルゴールの量産体制がなり、1953年12月に資本金150万円の株式会社三協精機製作所に改組。1964年時点でオルゴール生産は国内の7〜8割を占め、スイス第1のメーカーを抑えて世界首位
    • [19]1950年8月にオルゴールの量産体制がなり、1953年12月に資本金150万円の株式会社三協精機製作所に改組。1964年時点でオルゴール生産は国内の7〜8割を占め、スイス第1のメーカーを抑えて世界首位
    • [21]1950年8月にオルゴールの量産体制がなり、1953年12月に資本金150万円の株式会社三協精機製作所に改組。1964年時点でオルゴール生産は国内の7〜8割を占め、スイス第1のメーカーを抑えて世界首位
  • 企業の歴史 : 明治百年 3編(1968)「三協精機製作所」
    • [14]1950年にオルゴールの量産体制を確立して販売が軌道に乗り、1951年東京・1952年大阪に営業所を開設
    • [16]1950年にオルゴールの量産体制を確立して販売が軌道に乗り、1951年東京・1952年大阪に営業所を開設
    • [20]1950年にオルゴールの量産体制を確立して販売が軌道に乗り、1951年東京・1952年大阪に営業所を開設
  • 証券業報 (11)(133) 1960年「(株)三協精機製作所」
    • [15]1950年8月にオルゴールの生産を開始し、1953年12月に資本金150万円で株式会社へ改組
    • [18]1950年8月にオルゴールの生産を開始し、1953年12月に資本金150万円で株式会社へ改組
参考文献[1]-[21]
  • 企業の歴史 : 明治百年 3編(1968)「三協精機製作所」
    • [1]1946年6月、山田正彦・山田六一兄弟と小川憲二郎が諏訪の気候風土と工業技術を背景に精密機械製品の製造を目的として個人企業三協精機製作所を諏訪市清水町に創立
    • [2]1946年6月、山田正彦・山田六一兄弟と小川憲二郎が諏訪の気候風土と工業技術を背景に精密機械製品の製造を目的として個人企業三協精機製作所を諏訪市清水町に創立
    • [8]1948年に通産省から国内未開拓の分野だったオルゴール製造の勧奨を受け、時計・電気部品製造のかたわら製造販売の研究に着手
    • [10]1948年に通産省から国内未開拓の分野だったオルゴール製造の勧奨を受け、時計・電気部品製造のかたわら製造販売の研究に着手
    • [14]1950年にオルゴールの量産体制を確立して販売が軌道に乗り、1951年東京・1952年大阪に営業所を開設
    • [16]1950年にオルゴールの量産体制を確立して販売が軌道に乗り、1951年東京・1952年大阪に営業所を開設
    • [20]1950年にオルゴールの量産体制を確立して販売が軌道に乗り、1951年東京・1952年大阪に営業所を開設
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「三協精機製作所」
    • [3]1946年6月に時計部品・電気器具部品の製造を目的に創業し、1947年7月に有限会社三協精機製作所へ改組
    • [5]1946年6月に時計部品・電気器具部品の製造を目的に創業し、1947年7月に有限会社三協精機製作所へ改組
    • [7]1948年1月に通産省の勧奨によりオルゴールの研究に着手。オルゴールは時計・回転人形・宝石箱・おもちゃなどに利用される
    • [9]1948年1月に通産省の勧奨によりオルゴールの研究に着手。オルゴールは時計・回転人形・宝石箱・おもちゃなどに利用される
    • [13]1950年8月にオルゴールの量産体制がなり、1953年12月に資本金150万円の株式会社三協精機製作所に改組。1964年時点でオルゴール生産は国内の7〜8割を占め、スイス第1のメーカーを抑えて世界首位
    • [17]1950年8月にオルゴールの量産体制がなり、1953年12月に資本金150万円の株式会社三協精機製作所に改組。1964年時点でオルゴール生産は国内の7〜8割を占め、スイス第1のメーカーを抑えて世界首位
    • [19]1950年8月にオルゴールの量産体制がなり、1953年12月に資本金150万円の株式会社三協精機製作所に改組。1964年時点でオルゴール生産は国内の7〜8割を占め、スイス第1のメーカーを抑えて世界首位
    • [21]1950年8月にオルゴールの量産体制がなり、1953年12月に資本金150万円の株式会社三協精機製作所に改組。1964年時点でオルゴール生産は国内の7〜8割を占め、スイス第1のメーカーを抑えて世界首位
  • 証券業報 (11)(133) 1960年「(株)三協精機製作所」
    • [4]創業当初は主として富士電機松本工場その他の部品下請工場だった。1960年時点の代表取締役社長は山田正彦
    • [6]創業当初は主として富士電機松本工場その他の部品下請工場だった。1960年時点の代表取締役社長は山田正彦
    • [11]1948年1月にオルゴールの製造販売の研究を開始。それ以前は部品下請工場だった
    • [12]1948年1月にオルゴールの製造販売の研究を開始。それ以前は部品下請工場だった
    • [15]1950年8月にオルゴールの生産を開始し、1953年12月に資本金150万円で株式会社へ改組
    • [18]1950年8月にオルゴールの生産を開始し、1953年12月に資本金150万円で株式会社へ改組

1954年〜昭栄製糸の工場で始めた8ミリ機と、マイクロモーターで届いた資本金1億円

三協精機製作所は1954年12月、東京と大阪の営業所を支店に格上げし、オルゴールの販売網を固めた。1956年11月には、製糸会社の昭栄製糸が下諏訪に持っていた工場を買収した。1957年1月の下諏訪工場としての開設により、生産の主な拠点は諏訪市清水町の創業地からこの工場へ移った。下諏訪工場は、のちの本社工場にあたる。1964年時点でも、オルゴールやタイムスイッチ、マイクロモーターの生産は下諏訪工場が担い、本社の所在地も同じ工場に置かれた。製糸業の退潮で空いた大型の工場を精密機械の会社が引き継いだ買収は、諏訪の産業が製糸から精密機械へ移る流れと重なっていたと推察される。

  • 証券業報 (11)(133) 1960年「(株)三協精機製作所」
    • [22]1954年12月に東京・大阪両出張所を支店に昇格
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「三協精機製作所」
    • [23]1956年11月に昭栄製糸下諏訪工場を買収し、1957年1月に下諏訪工場を開設。1964年時点で本社は下諏訪工場にあり、8ミリカメラ関係以外の製品を同工場で生産
    • [24]1956年11月に昭栄製糸下諏訪工場を買収し、1957年1月に下諏訪工場を開設。1964年時点で本社は下諏訪工場にあり、8ミリカメラ関係以外の製品を同工場で生産
    • [27]1956年11月に昭栄製糸下諏訪工場を買収し、1957年1月に下諏訪工場を開設。1964年時点で本社は下諏訪工場にあり、8ミリカメラ関係以外の製品を同工場で生産
  • 企業の歴史 : 明治百年 3編(1968)「三協精機製作所」
    • [25]1957年に下諏訪工場(1968年時点の本社工場)を開設
    • [26]1957年に下諏訪工場(1968年時点の本社工場)を開設

下諏訪工場を開設した1957年1月、三協精機製作所は8ミリ撮影機と映写機の生産に着手した。製品の販売は同年6月に始まり、8ミリ機はオルゴールに次ぐ2つ目の完成品となった。同年4月にはニューヨークに駐在事務所を開設し、1959年にはこれを現地法人へ改組した。オルゴールの生産で積んだ精密加工の技術を、撮影機と映写機の機構へ振り向けた多角化である。1964年時点で8ミリカメラとオルゴールは世界各地へ輸出され、輸出高は総売上の40〜50%に及んだ。8ミリカメラ部門は同じ1964年時点で、米国のアーガス社、国内の日本光学と業務提携の関係にあった。8ミリ機の売り先を当初から海外に求めたことが、販売開始より先にニューヨーク事務所を置いた理由と思われる。

  • 企業の歴史 : 明治百年 3編(1968)「三協精機製作所」
    • [28]1957年に8ミリカメラ・映写機の生産に着手し、ニューヨーク駐在事務所を開設(1959年に現地法人へ改組)
    • [32]1957年に8ミリカメラ・映写機の生産に着手し、ニューヨーク駐在事務所を開設(1959年に現地法人へ改組)
  • 証券業報 (11)(133) 1960年「(株)三協精機製作所」
    • [29]1957年1月に下諏訪工場で8ミリ撮影機・映写機の生産に着手し、同年6月に販売を開始
    • [30]1957年1月に下諏訪工場で8ミリ撮影機・映写機の生産に着手し、同年6月に販売を開始
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「三協精機製作所」
    • [31]オルゴールの生産から出発し精密技術を応用して8ミリカメラへ分野を広げた。1957年4月にニューヨーク事務所を開設。1964年時点で8ミリカメラとオルゴールを世界各地に輸出し、輸出高は総売上の40〜50%。8ミリカメラ部門は米アーガス社・日本光学と業務提携
    • [33]オルゴールの生産から出発し精密技術を応用して8ミリカメラへ分野を広げた。1957年4月にニューヨーク事務所を開設。1964年時点で8ミリカメラとオルゴールを世界各地に輸出し、輸出高は総売上の40〜50%。8ミリカメラ部門は米アーガス社・日本光学と業務提携
    • [34]オルゴールの生産から出発し精密技術を応用して8ミリカメラへ分野を広げた。1957年4月にニューヨーク事務所を開設。1964年時点で8ミリカメラとオルゴールを世界各地に輸出し、輸出高は総売上の40〜50%。8ミリカメラ部門は米アーガス社・日本光学と業務提携
    • [35]オルゴールの生産から出発し精密技術を応用して8ミリカメラへ分野を広げた。1957年4月にニューヨーク事務所を開設。1964年時点で8ミリカメラとオルゴールを世界各地に輸出し、輸出高は総売上の40〜50%。8ミリカメラ部門は米アーガス社・日本光学と業務提携

1959年2月、三協精機製作所はタイムスイッチの販売を始め、同年6月にはマイクロモーターの生産に着手した。タイムスイッチは電気洗濯機や電気冷蔵庫に組み込まれ、マイクロモーターは8ミリカメラやテープレコーダーを動かす動力源として使われた。同じ年の4月には名古屋営業所を開設し、福岡・札幌・東京の3か所にサービスステーションを設けた。1959年中には資本金1億円への増資と、新しい製品に合わせた工場の拡張。オルゴールと8ミリ機に続き、家電向けの制御部品と小型モーターを加えたことで、製品の数は1959年までに4系統となった。自社の8ミリ機に要るモーターを内製しながら、家電の部品市場へ出る足場を得る狙いがあったと推測できる。

  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「三協精機製作所」
    • [36]1959年2月にタイムスイッチの販売を開始し、同年6月にマイクロモーターの生産に着手。タイムスイッチは電気洗濯機・冷蔵庫、マイクロモーターは8ミリカメラ・テープレコーダーの動力源に使われる
    • [37]1959年2月にタイムスイッチの販売を開始し、同年6月にマイクロモーターの生産に着手。タイムスイッチは電気洗濯機・冷蔵庫、マイクロモーターは8ミリカメラ・テープレコーダーの動力源に使われる
    • [40]1959年2月にタイムスイッチの販売を開始し、同年6月にマイクロモーターの生産に着手。タイムスイッチは電気洗濯機・冷蔵庫、マイクロモーターは8ミリカメラ・テープレコーダーの動力源に使われる
  • 証券業報 (11)(133) 1960年「(株)三協精機製作所」
    • [38]1959年4月に名古屋営業所を開設し、福岡・札幌・東京にサービスステーションを開設
  • 企業の歴史 : 明治百年 3編(1968)「三協精機製作所」
    • [39]1959年にタイムスイッチ・マイクロモーターの生産に着手し、資本金1億円となって工場拡張を図る
    • [41]1959年にタイムスイッチ・マイクロモーターの生産に着手し、資本金1億円となって工場拡張を図る
参考文献[22]-[41]
  • 証券業報 (11)(133) 1960年「(株)三協精機製作所」
    • [22]1954年12月に東京・大阪両出張所を支店に昇格
    • [29]1957年1月に下諏訪工場で8ミリ撮影機・映写機の生産に着手し、同年6月に販売を開始
    • [30]1957年1月に下諏訪工場で8ミリ撮影機・映写機の生産に着手し、同年6月に販売を開始
    • [38]1959年4月に名古屋営業所を開設し、福岡・札幌・東京にサービスステーションを開設
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「三協精機製作所」
    • [23]1956年11月に昭栄製糸下諏訪工場を買収し、1957年1月に下諏訪工場を開設。1964年時点で本社は下諏訪工場にあり、8ミリカメラ関係以外の製品を同工場で生産
    • [24]1956年11月に昭栄製糸下諏訪工場を買収し、1957年1月に下諏訪工場を開設。1964年時点で本社は下諏訪工場にあり、8ミリカメラ関係以外の製品を同工場で生産
    • [27]1956年11月に昭栄製糸下諏訪工場を買収し、1957年1月に下諏訪工場を開設。1964年時点で本社は下諏訪工場にあり、8ミリカメラ関係以外の製品を同工場で生産
    • [31]オルゴールの生産から出発し精密技術を応用して8ミリカメラへ分野を広げた。1957年4月にニューヨーク事務所を開設。1964年時点で8ミリカメラとオルゴールを世界各地に輸出し、輸出高は総売上の40〜50%。8ミリカメラ部門は米アーガス社・日本光学と業務提携
    • [33]オルゴールの生産から出発し精密技術を応用して8ミリカメラへ分野を広げた。1957年4月にニューヨーク事務所を開設。1964年時点で8ミリカメラとオルゴールを世界各地に輸出し、輸出高は総売上の40〜50%。8ミリカメラ部門は米アーガス社・日本光学と業務提携
    • [34]オルゴールの生産から出発し精密技術を応用して8ミリカメラへ分野を広げた。1957年4月にニューヨーク事務所を開設。1964年時点で8ミリカメラとオルゴールを世界各地に輸出し、輸出高は総売上の40〜50%。8ミリカメラ部門は米アーガス社・日本光学と業務提携
    • [35]オルゴールの生産から出発し精密技術を応用して8ミリカメラへ分野を広げた。1957年4月にニューヨーク事務所を開設。1964年時点で8ミリカメラとオルゴールを世界各地に輸出し、輸出高は総売上の40〜50%。8ミリカメラ部門は米アーガス社・日本光学と業務提携
    • [36]1959年2月にタイムスイッチの販売を開始し、同年6月にマイクロモーターの生産に着手。タイムスイッチは電気洗濯機・冷蔵庫、マイクロモーターは8ミリカメラ・テープレコーダーの動力源に使われる
    • [37]1959年2月にタイムスイッチの販売を開始し、同年6月にマイクロモーターの生産に着手。タイムスイッチは電気洗濯機・冷蔵庫、マイクロモーターは8ミリカメラ・テープレコーダーの動力源に使われる
    • [40]1959年2月にタイムスイッチの販売を開始し、同年6月にマイクロモーターの生産に着手。タイムスイッチは電気洗濯機・冷蔵庫、マイクロモーターは8ミリカメラ・テープレコーダーの動力源に使われる
  • 企業の歴史 : 明治百年 3編(1968)「三協精機製作所」
    • [25]1957年に下諏訪工場(1968年時点の本社工場)を開設
    • [26]1957年に下諏訪工場(1968年時点の本社工場)を開設
    • [28]1957年に8ミリカメラ・映写機の生産に着手し、ニューヨーク駐在事務所を開設(1959年に現地法人へ改組)
    • [32]1957年に8ミリカメラ・映写機の生産に着手し、ニューヨーク駐在事務所を開設(1959年に現地法人へ改組)
    • [39]1959年にタイムスイッチ・マイクロモーターの生産に着手し、資本金1億円となって工場拡張を図る
    • [41]1959年にタイムスイッチ・マイクロモーターの生産に着手し、資本金1億円となって工場拡張を図る

出典・参考

3件
出典・参考
  • 企業の歴史 : 明治百年 3編(1968)「三協精機製作所」
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「三協精機製作所」
  • 証券業報 (11)(133) 1960年「(株)三協精機製作所」

免責事項およびポリシー