第1章 年〜年

良品計画:西友から独立した良品計画の設立と東証一部上場

1989年〜資本金1億円で西友から切り出した無印良品と、リバティ社と提携したロンドン店

西友は1989年6月、無印良品の事業を資本金1億円の良品計画として分社した。設立を提案したのは1985年9月から無印良品事業部長を務めた木内政雄氏で、1988年秋から西友の常務会に案を出し続けた。木内政雄氏が問題視したのは、事業部の売上高や在庫、商品開発の費用を誰も正確に把握できない運営である。1985年の事業部の売上高は約140億円で、発売直後の人気が去ると売れ筋の欠品と不振品の在庫が常態になった。西友の社内でも、無印良品の突出によって後続のPBが育たないことが1989年に課題として挙がっていた。許可が下りた経緯を、木内政雄氏は『最後は、堤さんに、勝手に出ていけと怒鳴られて、これ幸いと会社を作りました』と振り返った。

  • 良品計画 有価証券報告書「沿革」
    • [1]1989年6月 東京都豊島区に資本金100百万円で良品計画を設立し卸売事業を開始
  • 日経ビジネス 1994年6月13日号
    • [2]木内政雄氏は1985年9月〜1989年6月に無印良品事業部長。88年秋から西友常務会で設立を提案。事業部時代は売上高・在庫・開発コストが把握できず、85年売上高約140億円で欠品・在庫滞留が恒常化
    • [3]木内政雄氏は1985年9月〜1989年6月に無印良品事業部長。88年秋から西友常務会で設立を提案。事業部時代は売上高・在庫・開発コストが把握できず、85年売上高約140億円で欠品・在庫滞留が恒常化
    • [4]木内政雄氏は1985年9月〜1989年6月に無印良品事業部長。88年秋から西友常務会で設立を提案。事業部時代は売上高・在庫・開発コストが把握できず、85年売上高約140億円で欠品・在庫滞留が恒常化
    • [6]木内政雄氏は1985年9月〜1989年6月に無印良品事業部長。88年秋から西友常務会で設立を提案。事業部時代は売上高・在庫・開発コストが把握できず、85年売上高約140億円で欠品・在庫滞留が恒常化
  • 日経流通新聞(1989年10月14日)
    • [5]1989年時点で無印のヒットにより第二・第三のPBが育たないジレンマが西友内部にあった

良品計画は1989年7月に西友と商品売買の基本契約を締結し、西友の売場へ商品を卸す事業から始めた。1990年3月には西友から無印良品の営業を譲り受け、直営店での小売に移った。分社した時点の商品の入手先は90%が問屋で、海外製品は12〜13%にすぎない。木内政雄氏は流通の段階ごとに加算されるコストを省けば原価が下がるとみて、仕入れをメーカーとの直取引に切り替えた。1991年には全品を現金で買い取る方式へ移行。独立前に約350社あった取引先は200社に絞り込まれ、仕入れ原価率は3年間で約9%下がった。1990年から1992年の3年間、売上高は横ばいでも利益は毎年ほぼ倍増した。

  • 良品計画 有価証券報告書「沿革」
    • [7]1989年7月 西友と商品売買基本契約を締結。1990年3月 西友から無印良品の営業を譲受し直営店の小売を開始
    • [8]1989年7月 西友と商品売買基本契約を締結。1990年3月 西友から無印良品の営業を譲受し直営店の小売を開始
  • 証券アナリストジャーナル 1995年9月号(木内政雄)
    • [9]分社時は入手先の90%が問屋、海外製品12〜13%。現在は90%強がメーカー直取引・約5割を海外から直接調達。91年から全品キャッシュ買取。90〜92年は売上横ばいで利益倍々
    • [10]分社時は入手先の90%が問屋、海外製品12〜13%。現在は90%強がメーカー直取引・約5割を海外から直接調達。91年から全品キャッシュ買取。90〜92年は売上横ばいで利益倍々
    • [11]分社時は入手先の90%が問屋、海外製品12〜13%。現在は90%強がメーカー直取引・約5割を海外から直接調達。91年から全品キャッシュ買取。90〜92年は売上横ばいで利益倍々
    • [13]分社時は入手先の90%が問屋、海外製品12〜13%。現在は90%強がメーカー直取引・約5割を海外から直接調達。91年から全品キャッシュ買取。90〜92年は売上横ばいで利益倍々
  • 日経ビジネス 1994年6月13日号
    • [12]独立前は約350社から仕入れ、200社まで絞り込み。仕入れ原価率を3年で約9%低下

良品計画は1991年7月、英国の百貨店リバティ社とパートナーシップ契約を締結し、ロンドンに海外1号店を開設した。1号店はウエストソーホー店で、売場面積は170m2である。同じ年の11月には香港にも出店し、1993年度末までに英国3店・香港5店を「MUJI」の名で展開した。海外店舗は60坪程度で投資が限られ、英国のリバティ社と香港の永安百貨店というセゾングループの取引相手もいたため、出店の危険は小さかった。開発輸入で必要な生産ロットを満たすには、販路を国外にも広げる必要があった。1995年時点の海外店は香港9、シンガポール1、英国4で、木内政雄氏は2000年ごろまでに英国を軸に欧州で100店舗を構える構想を示した。

  • 良品計画 有価証券報告書「沿革」
    • [14]1991年7月 英国リバティ社とパートナーシップ契約を締結しロンドンに出店
  • マーケティングジャーナル 1994年「小売企業のもの作りとグローバル行動――良品計画のグローバル化をめぐって」向山雅夫
    • [15]海外1号店は1991年7月ウエストソーホー店(170m2)、91年11月香港。93年度末で英国3・香港5店。理由はロット確保のチャネル多様化、60坪程度で投資小・リバティ/永安百貨店の存在で低リスク、開発輸入の経験
    • [16]海外1号店は1991年7月ウエストソーホー店(170m2)、91年11月香港。93年度末で英国3・香港5店。理由はロット確保のチャネル多様化、60坪程度で投資小・リバティ/永安百貨店の存在で低リスク、開発輸入の経験
    • [17]海外1号店は1991年7月ウエストソーホー店(170m2)、91年11月香港。93年度末で英国3・香港5店。理由はロット確保のチャネル多様化、60坪程度で投資小・リバティ/永安百貨店の存在で低リスク、開発輸入の経験
    • [18]海外1号店は1991年7月ウエストソーホー店(170m2)、91年11月香港。93年度末で英国3・香港5店。理由はロット確保のチャネル多様化、60坪程度で投資小・リバティ/永安百貨店の存在で低リスク、開発輸入の経験
  • 証券アナリストジャーナル 1995年9月号(木内政雄)
    • [19]1995年時点で香港9・シンガポール1・英国4店。2000年頃までに英国中心の欧州で100店舗を目指す
参考文献[1]-[19]
  • 良品計画 有価証券報告書「沿革」
    • [1]1989年6月 東京都豊島区に資本金100百万円で良品計画を設立し卸売事業を開始
    • [7]1989年7月 西友と商品売買基本契約を締結。1990年3月 西友から無印良品の営業を譲受し直営店の小売を開始
    • [8]1989年7月 西友と商品売買基本契約を締結。1990年3月 西友から無印良品の営業を譲受し直営店の小売を開始
    • [14]1991年7月 英国リバティ社とパートナーシップ契約を締結しロンドンに出店
  • 日経ビジネス 1994年6月13日号
    • [2]木内政雄氏は1985年9月〜1989年6月に無印良品事業部長。88年秋から西友常務会で設立を提案。事業部時代は売上高・在庫・開発コストが把握できず、85年売上高約140億円で欠品・在庫滞留が恒常化
    • [3]木内政雄氏は1985年9月〜1989年6月に無印良品事業部長。88年秋から西友常務会で設立を提案。事業部時代は売上高・在庫・開発コストが把握できず、85年売上高約140億円で欠品・在庫滞留が恒常化
    • [4]木内政雄氏は1985年9月〜1989年6月に無印良品事業部長。88年秋から西友常務会で設立を提案。事業部時代は売上高・在庫・開発コストが把握できず、85年売上高約140億円で欠品・在庫滞留が恒常化
    • [6]木内政雄氏は1985年9月〜1989年6月に無印良品事業部長。88年秋から西友常務会で設立を提案。事業部時代は売上高・在庫・開発コストが把握できず、85年売上高約140億円で欠品・在庫滞留が恒常化
    • [12]独立前は約350社から仕入れ、200社まで絞り込み。仕入れ原価率を3年で約9%低下
  • 日経流通新聞(1989年10月14日)
    • [5]1989年時点で無印のヒットにより第二・第三のPBが育たないジレンマが西友内部にあった
  • 証券アナリストジャーナル 1995年9月号(木内政雄)
    • [9]分社時は入手先の90%が問屋、海外製品12〜13%。現在は90%強がメーカー直取引・約5割を海外から直接調達。91年から全品キャッシュ買取。90〜92年は売上横ばいで利益倍々
    • [10]分社時は入手先の90%が問屋、海外製品12〜13%。現在は90%強がメーカー直取引・約5割を海外から直接調達。91年から全品キャッシュ買取。90〜92年は売上横ばいで利益倍々
    • [11]分社時は入手先の90%が問屋、海外製品12〜13%。現在は90%強がメーカー直取引・約5割を海外から直接調達。91年から全品キャッシュ買取。90〜92年は売上横ばいで利益倍々
    • [13]分社時は入手先の90%が問屋、海外製品12〜13%。現在は90%強がメーカー直取引・約5割を海外から直接調達。91年から全品キャッシュ買取。90〜92年は売上横ばいで利益倍々
    • [19]1995年時点で香港9・シンガポール1・英国4店。2000年頃までに英国中心の欧州で100店舗を目指す
  • マーケティングジャーナル 1994年「小売企業のもの作りとグローバル行動――良品計画のグローバル化をめぐって」向山雅夫
    • [15]海外1号店は1991年7月ウエストソーホー店(170m2)、91年11月香港。93年度末で英国3・香港5店。理由はロット確保のチャネル多様化、60坪程度で投資小・リバティ/永安百貨店の存在で低リスク、開発輸入の経験
    • [16]海外1号店は1991年7月ウエストソーホー店(170m2)、91年11月香港。93年度末で英国3・香港5店。理由はロット確保のチャネル多様化、60坪程度で投資小・リバティ/永安百貨店の存在で低リスク、開発輸入の経験
    • [17]海外1号店は1991年7月ウエストソーホー店(170m2)、91年11月香港。93年度末で英国3・香港5店。理由はロット確保のチャネル多様化、60坪程度で投資小・リバティ/永安百貨店の存在で低リスク、開発輸入の経験
    • [18]海外1号店は1991年7月ウエストソーホー店(170m2)、91年11月香港。93年度末で英国3・香港5店。理由はロット確保のチャネル多様化、60坪程度で投資小・リバティ/永安百貨店の存在で低リスク、開発輸入の経験

1992年〜木内政雄氏がPOSで掌握し直した213店と、売上高369億円での店頭登録

良品計画は1990年3月から1年をかけて独自のPOSシステムを開発し、単品ごとに売上高と在庫、収益を管理できるようにした。西友の売場はPOSを使わず部門別に売上を集計しており、無印良品全体の在庫は事業部の時代に見えなかった。開発費は約3億円で、POSのデータをもとに約1900品目のうち約500品目の販売を止めた。商品回転率は1992年3月期の16.2回から1994年3月期の24.9回に上がった。木内政雄氏は1993年3月に社長へ就任し、同月には物流子会社を設けて西友に委託していた物流も自社で管理し始めた。1994年時点の供給先は直営48店、フランチャイズ42店、セゾングループ123店の計213店を数える。既存店と新店の売上を積み上げる運営へ意識して移ったのは1993年後半からだと、木内政雄氏は説明した。

  • 日経ビジネス 1994年6月13日号
    • [20]90年3月から1年で独自POSを開発(約3億円)。西友はPOS未導入で無印の売上・在庫が把握不能だった。約1900品目中約500品目を販売中止、回転率16.2回(92/3期)→24.9回(94/3期)。木内氏は93年3月社長就任、93年3月物流子会社アール・ケイ・トラック設立。直営48・FC42・セゾン123の計213店に供給
    • [21]90年3月から1年で独自POSを開発(約3億円)。西友はPOS未導入で無印の売上・在庫が把握不能だった。約1900品目中約500品目を販売中止、回転率16.2回(92/3期)→24.9回(94/3期)。木内氏は93年3月社長就任、93年3月物流子会社アール・ケイ・トラック設立。直営48・FC42・セゾン123の計213店に供給
    • [22]90年3月から1年で独自POSを開発(約3億円)。西友はPOS未導入で無印の売上・在庫が把握不能だった。約1900品目中約500品目を販売中止、回転率16.2回(92/3期)→24.9回(94/3期)。木内氏は93年3月社長就任、93年3月物流子会社アール・ケイ・トラック設立。直営48・FC42・セゾン123の計213店に供給
    • [23]90年3月から1年で独自POSを開発(約3億円)。西友はPOS未導入で無印の売上・在庫が把握不能だった。約1900品目中約500品目を販売中止、回転率16.2回(92/3期)→24.9回(94/3期)。木内氏は93年3月社長就任、93年3月物流子会社アール・ケイ・トラック設立。直営48・FC42・セゾン123の計213店に供給
    • [24]90年3月から1年で独自POSを開発(約3億円)。西友はPOS未導入で無印の売上・在庫が把握不能だった。約1900品目中約500品目を販売中止、回転率16.2回(92/3期)→24.9回(94/3期)。木内氏は93年3月社長就任、93年3月物流子会社アール・ケイ・トラック設立。直営48・FC42・セゾン123の計213店に供給
    • [25]90年3月から1年で独自POSを開発(約3億円)。西友はPOS未導入で無印の売上・在庫が把握不能だった。約1900品目中約500品目を販売中止、回転率16.2回(92/3期)→24.9回(94/3期)。木内氏は93年3月社長就任、93年3月物流子会社アール・ケイ・トラック設立。直営48・FC42・セゾン123の計213店に供給
  • 証券アナリストジャーナル 1995年9月号(木内政雄)
    • [26]既存店+新店で増益するチェーンストアの姿に政策的に取り組み始めたのは93年後半から

良品計画は1993年度、直営店の新規出店を10店に抑え、15店を閉鎖した。1993年に西友から移った有賀馨氏(のち社長)によると、当時の店は最小で10坪、最大でも280坪で、100坪を超える店は15店しかなかった。有賀馨氏は社長の木内政雄氏と相談し、100坪以上の店を数多く出す方針を固めた。1995年時点の店は210店余りで、1店あたりの売場は平均50坪ほどにとどまる。木内政雄氏は100坪未満の店を200〜300坪に改め、1996年4月に開く500坪のワンフロア店が成功すれば全店をその規模へ移す考えを示した。約3,500品目を500坪の売場に並べれば効率が上がり、大型店の収益力が調達力も高めるという見立てである。

  • 日経ビジネス 1994年6月13日号
    • [27]93年度は新規出店10店に抑え直営店15店を閉鎖。小規模店は原則閉鎖し新型店舗へ切り替え
  • 2020 AIM 1999年(167)「「無印良品」(良品計画)有賀馨社長に聞く――好業績を支えるフォーカス戦略とマーチャンダイジング革新」
    • [28]有賀馨氏が93年に西友から移った時、店は最小10坪・最大280坪で100坪以上は15店のみ。木内氏と相談し100坪以上の店を多数出す方針
    • [29]有賀馨氏が93年に西友から移った時、店は最小10坪・最大280坪で100坪以上は15店のみ。木内氏と相談し100坪以上の店を多数出す方針
  • 証券アナリストジャーナル 1995年9月号(木内政雄)
    • [30]1995年時点で210数店・約1万坪、平均50坪。100坪未満を閉じ200〜300坪へ。来年4月にワンフロア500坪店を作り成功すれば全店切替。3,500品目を500坪で効率化
    • [31]1995年時点で210数店・約1万坪、平均50坪。100坪未満を閉じ200〜300坪へ。来年4月にワンフロア500坪店を作り成功すれば全店切替。3,500品目を500坪で効率化
    • [32]1995年時点で210数店・約1万坪、平均50坪。100坪未満を閉じ200〜300坪へ。来年4月にワンフロア500坪店を作り成功すれば全店切替。3,500品目を500坪で効率化

良品計画は1995年8月、日本証券業協会に株式を店頭登録した。直前の1995年2月期の売上高は369億円。木内政雄氏は1994年の時点で、1995年に店頭市場で株式を公開する方針を示した。株式公開は、西友の自主企画商品からナショナルブランドへ脱皮する計画の一部にあたる。1994年3月期の売上高の45.2%はセゾングループ向けで、木内政雄氏はセゾングループ向けの比率を1996年度までに30%程度へ下げるとした。チャネル別の売上構成は直営店の40.7%に、西友20.0%、ファミリーマート16.5%、西武百貨店8.7%が続く。親会社の売場に依存しない販路を拡大するうえで、上場企業としての信用が要ると判断したとみられる。

  • 証券 1999年51(2)(新規上場会社紹介)
    • [33]平成7年(1995年)8月に店頭登録
  • 良品計画 有価証券報告書(1995年2月期)
    • [34]1995年2月期 売上高369億円(単体)
  • 日経ビジネス 1994年6月13日号
    • [35]95年の株式公開をにらみNB化を目指す。94年3月期の売上高のセゾングループ比率45.2%を96年度までに30%程度へ。チャネル別は直営40.7%・西友20.0%・ファミリーマート16.5%・西武百貨店8.7%
    • [36]95年の株式公開をにらみNB化を目指す。94年3月期の売上高のセゾングループ比率45.2%を96年度までに30%程度へ。チャネル別は直営40.7%・西友20.0%・ファミリーマート16.5%・西武百貨店8.7%
    • [37]95年の株式公開をにらみNB化を目指す。94年3月期の売上高のセゾングループ比率45.2%を96年度までに30%程度へ。チャネル別は直営40.7%・西友20.0%・ファミリーマート16.5%・西武百貨店8.7%
    • [38]95年の株式公開をにらみNB化を目指す。94年3月期の売上高のセゾングループ比率45.2%を96年度までに30%程度へ。チャネル別は直営40.7%・西友20.0%・ファミリーマート16.5%・西武百貨店8.7%
参考文献[20]-[38]
  • 日経ビジネス 1994年6月13日号
    • [20]90年3月から1年で独自POSを開発(約3億円)。西友はPOS未導入で無印の売上・在庫が把握不能だった。約1900品目中約500品目を販売中止、回転率16.2回(92/3期)→24.9回(94/3期)。木内氏は93年3月社長就任、93年3月物流子会社アール・ケイ・トラック設立。直営48・FC42・セゾン123の計213店に供給
    • [21]90年3月から1年で独自POSを開発(約3億円)。西友はPOS未導入で無印の売上・在庫が把握不能だった。約1900品目中約500品目を販売中止、回転率16.2回(92/3期)→24.9回(94/3期)。木内氏は93年3月社長就任、93年3月物流子会社アール・ケイ・トラック設立。直営48・FC42・セゾン123の計213店に供給
    • [22]90年3月から1年で独自POSを開発(約3億円)。西友はPOS未導入で無印の売上・在庫が把握不能だった。約1900品目中約500品目を販売中止、回転率16.2回(92/3期)→24.9回(94/3期)。木内氏は93年3月社長就任、93年3月物流子会社アール・ケイ・トラック設立。直営48・FC42・セゾン123の計213店に供給
    • [23]90年3月から1年で独自POSを開発(約3億円)。西友はPOS未導入で無印の売上・在庫が把握不能だった。約1900品目中約500品目を販売中止、回転率16.2回(92/3期)→24.9回(94/3期)。木内氏は93年3月社長就任、93年3月物流子会社アール・ケイ・トラック設立。直営48・FC42・セゾン123の計213店に供給
    • [24]90年3月から1年で独自POSを開発(約3億円)。西友はPOS未導入で無印の売上・在庫が把握不能だった。約1900品目中約500品目を販売中止、回転率16.2回(92/3期)→24.9回(94/3期)。木内氏は93年3月社長就任、93年3月物流子会社アール・ケイ・トラック設立。直営48・FC42・セゾン123の計213店に供給
    • [25]90年3月から1年で独自POSを開発(約3億円)。西友はPOS未導入で無印の売上・在庫が把握不能だった。約1900品目中約500品目を販売中止、回転率16.2回(92/3期)→24.9回(94/3期)。木内氏は93年3月社長就任、93年3月物流子会社アール・ケイ・トラック設立。直営48・FC42・セゾン123の計213店に供給
    • [27]93年度は新規出店10店に抑え直営店15店を閉鎖。小規模店は原則閉鎖し新型店舗へ切り替え
    • [35]95年の株式公開をにらみNB化を目指す。94年3月期の売上高のセゾングループ比率45.2%を96年度までに30%程度へ。チャネル別は直営40.7%・西友20.0%・ファミリーマート16.5%・西武百貨店8.7%
    • [36]95年の株式公開をにらみNB化を目指す。94年3月期の売上高のセゾングループ比率45.2%を96年度までに30%程度へ。チャネル別は直営40.7%・西友20.0%・ファミリーマート16.5%・西武百貨店8.7%
    • [37]95年の株式公開をにらみNB化を目指す。94年3月期の売上高のセゾングループ比率45.2%を96年度までに30%程度へ。チャネル別は直営40.7%・西友20.0%・ファミリーマート16.5%・西武百貨店8.7%
    • [38]95年の株式公開をにらみNB化を目指す。94年3月期の売上高のセゾングループ比率45.2%を96年度までに30%程度へ。チャネル別は直営40.7%・西友20.0%・ファミリーマート16.5%・西武百貨店8.7%
  • 証券アナリストジャーナル 1995年9月号(木内政雄)
    • [26]既存店+新店で増益するチェーンストアの姿に政策的に取り組み始めたのは93年後半から
    • [30]1995年時点で210数店・約1万坪、平均50坪。100坪未満を閉じ200〜300坪へ。来年4月にワンフロア500坪店を作り成功すれば全店切替。3,500品目を500坪で効率化
    • [31]1995年時点で210数店・約1万坪、平均50坪。100坪未満を閉じ200〜300坪へ。来年4月にワンフロア500坪店を作り成功すれば全店切替。3,500品目を500坪で効率化
    • [32]1995年時点で210数店・約1万坪、平均50坪。100坪未満を閉じ200〜300坪へ。来年4月にワンフロア500坪店を作り成功すれば全店切替。3,500品目を500坪で効率化
  • 2020 AIM 1999年(167)「「無印良品」(良品計画)有賀馨社長に聞く――好業績を支えるフォーカス戦略とマーチャンダイジング革新」
    • [28]有賀馨氏が93年に西友から移った時、店は最小10坪・最大280坪で100坪以上は15店のみ。木内氏と相談し100坪以上の店を多数出す方針
    • [29]有賀馨氏が93年に西友から移った時、店は最小10坪・最大280坪で100坪以上は15店のみ。木内氏と相談し100坪以上の店を多数出す方針
  • 証券 1999年51(2)(新規上場会社紹介)
    • [33]平成7年(1995年)8月に店頭登録
  • 良品計画 有価証券報告書(1995年2月期)
    • [34]1995年2月期 売上高369億円(単体)

1996年〜キャナルシティ博多に始まる大型店と英仏の直営化と、売上高1069億円での東証一部上場

良品計画は1996年4月、福岡市の複合商業施設キャナルシティ博多に500坪の大型店を開設した。繁華街では大きな物件の確保が難しく費用も高いため、将来は500坪型の店を郊外に出す計画で、その実験店を兼ねた1号店にあたる。5月下旬には年商予算16億円を25%上回るペースで売れ、従来首位の池袋店を上回る勢いを見せた。ワンフロアの売場はレジの台数が少なく、単位面積あたりの人件費も2フロアの店より低く抑えられた。良品計画は立地に応じて店を150坪・300坪・500坪の3類型に標準化する方針をとった。1996年時点で16店だった200坪以上の店は、その1年半後に49店へ増えた。

  • 流通とシステム 1996年夏季特大(88)「新規出店訪問-4-「無印良品キャナルシティ博多」にみる新業態確立の可能性」田中真理子
    • [39]96年4月20日開業のキャナルシティ博多に500坪の実験店。繁華街型は高コスト・物件確保難で将来は500坪型を郊外展開。5月下旬は年商予算16億円比25%増ペースで池袋店を抜く勢い。ワンフロアでレジ台数・人件費を抑制。150/300/500坪の3タイプで標準化
    • [40]96年4月20日開業のキャナルシティ博多に500坪の実験店。繁華街型は高コスト・物件確保難で将来は500坪型を郊外展開。5月下旬は年商予算16億円比25%増ペースで池袋店を抜く勢い。ワンフロアでレジ台数・人件費を抑制。150/300/500坪の3タイプで標準化
    • [41]96年4月20日開業のキャナルシティ博多に500坪の実験店。繁華街型は高コスト・物件確保難で将来は500坪型を郊外展開。5月下旬は年商予算16億円比25%増ペースで池袋店を抜く勢い。ワンフロアでレジ台数・人件費を抑制。150/300/500坪の3タイプで標準化
    • [42]96年4月20日開業のキャナルシティ博多に500坪の実験店。繁華街型は高コスト・物件確保難で将来は500坪型を郊外展開。5月下旬は年商予算16億円比25%増ペースで池袋店を抜く勢い。ワンフロアでレジ台数・人件費を抑制。150/300/500坪の3タイプで標準化
    • [43]96年4月20日開業のキャナルシティ博多に500坪の実験店。繁華街型は高コスト・物件確保難で将来は500坪型を郊外展開。5月下旬は年商予算16億円比25%増ペースで池袋店を抜く勢い。ワンフロアでレジ台数・人件費を抑制。150/300/500坪の3タイプで標準化
  • 2020 AIM 1999年(167)「「無印良品」(良品計画)有賀馨社長に聞く――好業績を支えるフォーカス戦略とマーチャンダイジング革新」
    • [44]96年時点で200坪以上の店は16店、1年半後に49店。150坪・300坪・500坪の3タイプが最適と有賀社長
    • [45]96年時点で200坪以上の店は16店、1年半後に49店。150坪・300坪・500坪の3タイプが最適と有賀社長

良品計画は1997年5月、英国のリバティ社との契約を解消し、英国の店を自社で直接運営する方式に切り替えた。同じ年の8月には、専務の有賀馨氏が社長に就任。1998年10月にはフランスへ進出し、同年12月14日に東京証券取引所市場第二部へ上場した。上場にあたり有賀馨氏は、世界に通用する企業をめざして透明性・公平性・スピード・コミュニケーションの4点を最重点の課題に掲げた。英国の事業は1999年1月期に売上高20億円で黒字を計上し、有賀馨氏はフランスも翌年に黒字化できるとの見通しを示した。英国の店を自社で運営し始めたことが、欧州向けに商品の仕様を変える判断を速めたと推察される。

  • 日経ビジネス 1999年9月27日号
    • [46]1997年5月にリバティ社との契約を解消し直接運営へ。98年度(99年1月期)英国は売上高20億円で黒字。98年10月フランス進出。有賀社長はフランスも来年黒字化と見通し
    • [48]1997年5月にリバティ社との契約を解消し直接運営へ。98年度(99年1月期)英国は売上高20億円で黒字。98年10月フランス進出。有賀社長はフランスも来年黒字化と見通し
    • [51]1997年5月にリバティ社との契約を解消し直接運営へ。98年度(99年1月期)英国は売上高20億円で黒字。98年10月フランス進出。有賀社長はフランスも来年黒字化と見通し
  • 日経ビジネス 2000年7月10日号
    • [47]有賀馨氏は97年5月専務を経て同年8月社長就任
  • 証券 1999年51(2)(新規上場会社紹介)
    • [49]平成10年12月14日 東証二部上場。代表取締役社長 有賀馨。透明性・公平性・スピード・コミュニケーションを経営の最重点課題に掲げる
    • [50]平成10年12月14日 東証二部上場。代表取締役社長 有賀馨。透明性・公平性・スピード・コミュニケーションを経営の最重点課題に掲げる

良品計画は2000年8月に東京証券取引所市場第一部へ上場し、翌9月にはインターネットとFAXで注文を受ける無印良品ネットストアを始めた。直前の2000年2月期の連結売上高は1069億円に上る。有賀馨氏は一部上場の効果として、企業体質の強化と人材の確保、知名度の向上を挙げた。有賀馨氏が顧客の中心に据えたのは団塊ジュニアで、1999年ごろから結婚が増え、ベッドはダブルサイズが販売の4分の1を占めた。2000年3月には旧京都近鉄百貨店に売場面積3300m2の大型店を開設し、東日本キヨスクとは小型店「無印良品comKIOSK」を展開した。同じ3月に衣料品を値下げした際は調達が追いつかず、直営既存店の売上高が前年を下回った。業態と品揃えを拡大する速さに、商品の供給と管理の仕組みが追いつかなくなり始めていたと思われる。

  • 良品計画 有価証券報告書「沿革」
    • [52]2000年8月 東証一部上場。同年9月 インターネットとFAXによる無印良品ネットストア開始
  • 良品計画 有価証券報告書(2000年2月期)
    • [53]2000年2月期 売上高1069億円(連結)
  • 良品計画 アニュアルレポート2000「the Top Position」(2000年)
    • [54]東証一部上場の申請準備。効果に企業体質の強化・人材確保・知名度向上。3,500m2規模の大型店とJR東日本・東日本キヨスクとの無印良品comKIOSK展開
    • [56]東証一部上場の申請準備。効果に企業体質の強化・人材確保・知名度向上。3,500m2規模の大型店とJR東日本・東日本キヨスクとの無印良品comKIOSK展開
  • 日経ビジネス 2000年7月10日号
    • [55]団塊ジュニアをターゲットに据え続ける。去年あたりから結婚が増えダブルベッドが4分の1。2000年3月旧京都近鉄百貨店に3300m2の大型店、基礎食材。東日本キヨスクと無印良品comKIOSK。3月のカジュアル衣料値下げで調達が間に合わず直営既存店が前年割れ
    • [57]団塊ジュニアをターゲットに据え続ける。去年あたりから結婚が増えダブルベッドが4分の1。2000年3月旧京都近鉄百貨店に3300m2の大型店、基礎食材。東日本キヨスクと無印良品comKIOSK。3月のカジュアル衣料値下げで調達が間に合わず直営既存店が前年割れ
    • [58]団塊ジュニアをターゲットに据え続ける。去年あたりから結婚が増えダブルベッドが4分の1。2000年3月旧京都近鉄百貨店に3300m2の大型店、基礎食材。東日本キヨスクと無印良品comKIOSK。3月のカジュアル衣料値下げで調達が間に合わず直営既存店が前年割れ
参考文献[39]-[58]
  • 流通とシステム 1996年夏季特大(88)「新規出店訪問-4-「無印良品キャナルシティ博多」にみる新業態確立の可能性」田中真理子
    • [39]96年4月20日開業のキャナルシティ博多に500坪の実験店。繁華街型は高コスト・物件確保難で将来は500坪型を郊外展開。5月下旬は年商予算16億円比25%増ペースで池袋店を抜く勢い。ワンフロアでレジ台数・人件費を抑制。150/300/500坪の3タイプで標準化
    • [40]96年4月20日開業のキャナルシティ博多に500坪の実験店。繁華街型は高コスト・物件確保難で将来は500坪型を郊外展開。5月下旬は年商予算16億円比25%増ペースで池袋店を抜く勢い。ワンフロアでレジ台数・人件費を抑制。150/300/500坪の3タイプで標準化
    • [41]96年4月20日開業のキャナルシティ博多に500坪の実験店。繁華街型は高コスト・物件確保難で将来は500坪型を郊外展開。5月下旬は年商予算16億円比25%増ペースで池袋店を抜く勢い。ワンフロアでレジ台数・人件費を抑制。150/300/500坪の3タイプで標準化
    • [42]96年4月20日開業のキャナルシティ博多に500坪の実験店。繁華街型は高コスト・物件確保難で将来は500坪型を郊外展開。5月下旬は年商予算16億円比25%増ペースで池袋店を抜く勢い。ワンフロアでレジ台数・人件費を抑制。150/300/500坪の3タイプで標準化
    • [43]96年4月20日開業のキャナルシティ博多に500坪の実験店。繁華街型は高コスト・物件確保難で将来は500坪型を郊外展開。5月下旬は年商予算16億円比25%増ペースで池袋店を抜く勢い。ワンフロアでレジ台数・人件費を抑制。150/300/500坪の3タイプで標準化
  • 2020 AIM 1999年(167)「「無印良品」(良品計画)有賀馨社長に聞く――好業績を支えるフォーカス戦略とマーチャンダイジング革新」
    • [44]96年時点で200坪以上の店は16店、1年半後に49店。150坪・300坪・500坪の3タイプが最適と有賀社長
    • [45]96年時点で200坪以上の店は16店、1年半後に49店。150坪・300坪・500坪の3タイプが最適と有賀社長
  • 日経ビジネス 1999年9月27日号
    • [46]1997年5月にリバティ社との契約を解消し直接運営へ。98年度(99年1月期)英国は売上高20億円で黒字。98年10月フランス進出。有賀社長はフランスも来年黒字化と見通し
    • [48]1997年5月にリバティ社との契約を解消し直接運営へ。98年度(99年1月期)英国は売上高20億円で黒字。98年10月フランス進出。有賀社長はフランスも来年黒字化と見通し
    • [51]1997年5月にリバティ社との契約を解消し直接運営へ。98年度(99年1月期)英国は売上高20億円で黒字。98年10月フランス進出。有賀社長はフランスも来年黒字化と見通し
  • 日経ビジネス 2000年7月10日号
    • [47]有賀馨氏は97年5月専務を経て同年8月社長就任
    • [55]団塊ジュニアをターゲットに据え続ける。去年あたりから結婚が増えダブルベッドが4分の1。2000年3月旧京都近鉄百貨店に3300m2の大型店、基礎食材。東日本キヨスクと無印良品comKIOSK。3月のカジュアル衣料値下げで調達が間に合わず直営既存店が前年割れ
    • [57]団塊ジュニアをターゲットに据え続ける。去年あたりから結婚が増えダブルベッドが4分の1。2000年3月旧京都近鉄百貨店に3300m2の大型店、基礎食材。東日本キヨスクと無印良品comKIOSK。3月のカジュアル衣料値下げで調達が間に合わず直営既存店が前年割れ
    • [58]団塊ジュニアをターゲットに据え続ける。去年あたりから結婚が増えダブルベッドが4分の1。2000年3月旧京都近鉄百貨店に3300m2の大型店、基礎食材。東日本キヨスクと無印良品comKIOSK。3月のカジュアル衣料値下げで調達が間に合わず直営既存店が前年割れ
  • 証券 1999年51(2)(新規上場会社紹介)
    • [49]平成10年12月14日 東証二部上場。代表取締役社長 有賀馨。透明性・公平性・スピード・コミュニケーションを経営の最重点課題に掲げる
    • [50]平成10年12月14日 東証二部上場。代表取締役社長 有賀馨。透明性・公平性・スピード・コミュニケーションを経営の最重点課題に掲げる
  • 良品計画 有価証券報告書「沿革」
    • [52]2000年8月 東証一部上場。同年9月 インターネットとFAXによる無印良品ネットストア開始
  • 良品計画 有価証券報告書(2000年2月期)
    • [53]2000年2月期 売上高1069億円(連結)
  • 良品計画 アニュアルレポート2000「the Top Position」(2000年)
    • [54]東証一部上場の申請準備。効果に企業体質の強化・人材確保・知名度向上。3,500m2規模の大型店とJR東日本・東日本キヨスクとの無印良品comKIOSK展開
    • [56]東証一部上場の申請準備。効果に企業体質の強化・人材確保・知名度向上。3,500m2規模の大型店とJR東日本・東日本キヨスクとの無印良品comKIOSK展開

1989年〜2000年の業績

決算期 区分 売上高 純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率
1989年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1990年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1991年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1992年02月期 単体 264 n/a 0 0.0% n/a
1993年02月期 単体 273 +3.4% 2 0.7% n/a
1994年02月期 単体 309 +13.2% 4 1.3% n/a
1995年02月期 単体 369 +19.4% 9 2.4% n/a
1996年02月期 単体 478 +29.5% 17 3.6% n/a
1997年02月期 連結 626 +31.0% 26 4.2% n/a
1998年02月期 連結 757 +20.9% 33 4.4% n/a
1999年02月期 連結 932 +23.1% 44 4.7% n/a
2000年02月期 連結 1,069 +14.7% 58 5.4% n/a

出所:有価証券報告書

出典・参考

13件
出典・参考
  • 良品計画 有価証券報告書(1995年2月期)
  • 良品計画 有価証券報告書(2000年2月期)
  • 良品計画 アニュアルレポート2000「the Top Position」(2000年)
  • 良品計画 有価証券報告書「沿革」
  • 日経ビジネス 1994年6月13日号
  • マーケティングジャーナル 1994年「小売企業のもの作りとグローバル行動――良品計画のグローバル化をめぐって」向山雅夫
  • 証券アナリストジャーナル 1995年9月号(木内政雄)
  • 日経ビジネス 1999年9月27日号
  • 日経ビジネス 2000年7月10日号
  • 日経流通新聞(1989年10月14日)
  • 流通とシステム 1996年夏季特大(88)「新規出店訪問-4-「無印良品キャナルシティ博多」にみる新業態確立の可能性」田中真理子
  • 証券 1999年51(2)(新規上場会社紹介)
  • 2020 AIM 1999年(167)「「無印良品」(良品計画)有賀馨社長に聞く――好業績を支えるフォーカス戦略とマーチャンダイジング革新」

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