図研:図形処理技術研究所の設立と東証二部上場
1976年〜武藤工業から5人で独立した図形処理技術研究所と、国産初の本格CAD
1976年12月17日、金子真人氏は武藤工業で開発に携わった仲間4人と独立し、図形処理技術研究所を横浜市磯子区で発足させた。新会社の事業目的は、コンピュータで設計と生産を自動化するCAD/CAMの開発から販売、サポートまで。金子真人氏は武藤工業で自動製図システムを手がけ、当時の業界ではソフトウェアがハードウェアのおまけとして扱われた。それでも金子真人氏は、精緻な計算を伴う電子・電気製品の設計では、回路と基板の設計から製造データまでの計算機処理が必須になると見通した。31歳での脱サラで、独立の構想は出張帰りの機内で固まり、羽田空港の書店で会社設立の本を求めたという。製図機器の現場にいた経験が、手作業の製図が電子設計の隘路になると早く気づかせたと思われる。
- 証券 43(12)(513) 1991年12月号(新規上場会社紹介)
- [1]1976年12月17日、金子真人により横浜市磯子区に設立
- 証券アナリストジャーナル 29(11) 1991年10月 別冊付録 図研 / 金子真人
- [2]武藤工業で自動製図システムを開発していた金子真人が、開発スタッフ4人と独立。CAD/CAMの開発・販売・サポートが事業目的。電子・電気製品の設計ではコンピュータによるシステム化が必須と考えた
- [3]武藤工業で自動製図システムを開発していた金子真人が、開発スタッフ4人と独立。CAD/CAMの開発・販売・サポートが事業目的。電子・電気製品の設計ではコンピュータによるシステム化が必須と考えた
- [4]武藤工業で自動製図システムを開発していた金子真人が、開発スタッフ4人と独立。CAD/CAMの開発・販売・サポートが事業目的。電子・電気製品の設計ではコンピュータによるシステム化が必須と考えた
- 日経ビジネス 1994年11月28日号 有訓無訓
- [5]31歳で脱サラし4人の仲間と設立。構想は出張帰りの機内、羽田で会社設立の本を購入
図形処理技術研究所は1978年6月、国産で初めての本格的なプリント基板用CAD/CAM「クリエイト-2000」を発売した。当時の国内では造船など産業機器の設計に米国製CADが広がり始めた一方、家電など民生機器向けのCADは存在しなかった。金子真人氏によれば、計算処理が主流の時代に図形処理は難度の高い業務であり、製品はZUKENの銘で国内外の先端企業へ納入されている。創業直後は銀行に融資を断られ、開発用コンピュータのリース資金も無かったため、顧客に契約時の前金を求めた。最初の受注は中堅のオーナー企業から入り、プリント基板向けCAD/CAMを国内で初めて手がける専業会社という評判が引き合いを増やした。不足する信用力と営業力を補ったのが、第二精工舎との販売代理店契約である。
- 証券 43(12)(513) 1991年12月号(新規上場会社紹介)
- [6]1978年6月に国産初の本格的プリント基板CAD/CAM「クリエイト-2000」(現CR-2000)を発売。米国製CADは造船等の産業機器で普及、民生機器用は未開発。信用力・営業力を補うため第二精工舎と販売代理店契約(1985年10月終結)
- [7]1978年6月に国産初の本格的プリント基板CAD/CAM「クリエイト-2000」(現CR-2000)を発売。米国製CADは造船等の産業機器で普及、民生機器用は未開発。信用力・営業力を補うため第二精工舎と販売代理店契約(1985年10月終結)
- [11]1978年6月に国産初の本格的プリント基板CAD/CAM「クリエイト-2000」(現CR-2000)を発売。米国製CADは造船等の産業機器で普及、民生機器用は未開発。信用力・営業力を補うため第二精工舎と販売代理店契約(1985年10月終結)
- 証券アナリストジャーナル 29(11) 1991年10月 別冊付録 図研 / 金子真人
- [8]1978年に国産初の本格的CADシステムを開発し、ZUKENブランドで国内外の先端企業に納入。設立当時、図形処理は難しいコンピュータ業務だった
- 日経ビジネス 1994年11月28日号 有訓無訓
- [9]銀行融資を断られ、リース資金もなく顧客に前金を要求。最初の注文は中堅オーナー企業で、日本初のプリント基板用CAD/CAM会社との評判で引き合いが増加
- [10]銀行融資を断られ、リース資金もなく顧客に前金を要求。最初の注文は中堅オーナー企業で、日本初のプリント基板用CAD/CAM会社との評判で引き合いが増加
図形処理技術研究所は1983年11月、米国カリフォルニア州サンノゼ市にズケン・アメリカ(現ズケン・ユーエスエー)を設立した。国内では同じ1983年の7月、関西の販売拠点として大阪市北区堂島に大阪営業所とショールームを開設。翌1984年11月には「クリエイト-2000」について韓国の慶韓システムズと販売代理店契約を結び、三星グループ向けを軸に販売・保守を始めた。1991年の東証上場時点で、主な事業所には米国の支社と営業所が並んだ。米国法人の設立の狙いは資料に記されておらず、電子機器メーカーの設計部門が集まる米国で顧客と製品情報の窓口を持つことにあったと推察される。
- 図研 有価証券報告書【沿革】
- [12]1983年7月に大阪市北区堂島に大阪営業所とショールームを開設。1983年11月にズケン・アメリカ(現ズケン・ユーエスエー)を米国カリフォルニア州サンノゼ市に設立
- [13]1983年7月に大阪市北区堂島に大阪営業所とショールームを開設。1983年11月にズケン・アメリカ(現ズケン・ユーエスエー)を米国カリフォルニア州サンノゼ市に設立
- 証券 43(12)(513) 1991年12月号(新規上場会社紹介)
- [14]1984年11月に慶韓システムズ(韓国)とクリエイト-2000の販売代理店契約、三星グループ中心に販売・サポート開始。1991年時点の主な事業所に米国の支社・営業所
- [15]1984年11月に慶韓システムズ(韓国)とクリエイト-2000の販売代理店契約、三星グループ中心に販売・サポート開始。1991年時点の主な事業所に米国の支社・営業所
参考文献[1]-[15]
- 証券 43(12)(513) 1991年12月号(新規上場会社紹介)
- [1]1976年12月17日、金子真人により横浜市磯子区に設立
- [6]1978年6月に国産初の本格的プリント基板CAD/CAM「クリエイト-2000」(現CR-2000)を発売。米国製CADは造船等の産業機器で普及、民生機器用は未開発。信用力・営業力を補うため第二精工舎と販売代理店契約(1985年10月終結)
- [7]1978年6月に国産初の本格的プリント基板CAD/CAM「クリエイト-2000」(現CR-2000)を発売。米国製CADは造船等の産業機器で普及、民生機器用は未開発。信用力・営業力を補うため第二精工舎と販売代理店契約(1985年10月終結)
- [11]1978年6月に国産初の本格的プリント基板CAD/CAM「クリエイト-2000」(現CR-2000)を発売。米国製CADは造船等の産業機器で普及、民生機器用は未開発。信用力・営業力を補うため第二精工舎と販売代理店契約(1985年10月終結)
- [14]1984年11月に慶韓システムズ(韓国)とクリエイト-2000の販売代理店契約、三星グループ中心に販売・サポート開始。1991年時点の主な事業所に米国の支社・営業所
- [15]1984年11月に慶韓システムズ(韓国)とクリエイト-2000の販売代理店契約、三星グループ中心に販売・サポート開始。1991年時点の主な事業所に米国の支社・営業所
- 証券アナリストジャーナル 29(11) 1991年10月 別冊付録 図研 / 金子真人
- [2]武藤工業で自動製図システムを開発していた金子真人が、開発スタッフ4人と独立。CAD/CAMの開発・販売・サポートが事業目的。電子・電気製品の設計ではコンピュータによるシステム化が必須と考えた
- [3]武藤工業で自動製図システムを開発していた金子真人が、開発スタッフ4人と独立。CAD/CAMの開発・販売・サポートが事業目的。電子・電気製品の設計ではコンピュータによるシステム化が必須と考えた
- [4]武藤工業で自動製図システムを開発していた金子真人が、開発スタッフ4人と独立。CAD/CAMの開発・販売・サポートが事業目的。電子・電気製品の設計ではコンピュータによるシステム化が必須と考えた
- [8]1978年に国産初の本格的CADシステムを開発し、ZUKENブランドで国内外の先端企業に納入。設立当時、図形処理は難しいコンピュータ業務だった
- 日経ビジネス 1994年11月28日号 有訓無訓
- [5]31歳で脱サラし4人の仲間と設立。構想は出張帰りの機内、羽田で会社設立の本を購入
- [9]銀行融資を断られ、リース資金もなく顧客に前金を要求。最初の注文は中堅オーナー企業で、日本初のプリント基板用CAD/CAM会社との評判で引き合いが増加
- [10]銀行融資を断られ、リース資金もなく顧客に前金を要求。最初の注文は中堅オーナー企業で、日本初のプリント基板用CAD/CAM会社との評判で引き合いが増加
- 図研 有価証券報告書【沿革】
- [12]1983年7月に大阪市北区堂島に大阪営業所とショールームを開設。1983年11月にズケン・アメリカ(現ズケン・ユーエスエー)を米国カリフォルニア州サンノゼ市に設立
- [13]1983年7月に大阪市北区堂島に大阪営業所とショールームを開設。1983年11月にズケン・アメリカ(現ズケン・ユーエスエー)を米国カリフォルニア州サンノゼ市に設立
1985年〜ZUKENの銘に揃えた社名と、売上の72%をプリント基板CADで稼いで果たした東証二部上場
図形処理技術研究所は1985年6月、商号を株式会社図研に改めた。金子真人氏は理由として当初の社名が長過ぎた点を挙げ、CIの観点から世界で通じるブランドへの統一を狙ったと説明した。製品は1978年以来ZUKENの銘で国内外に販売されており、改称によって社名と製品の銘がそろった。同じ1985年の10月には、創業期の販売を補ってきた第二精工舎との販売代理店契約が終結した。本店を横浜市中区から港北区へ移したのは、前年の1984年3月である。代理店の看板に依存せず自社の名で売る段階に入ったことが、改称の背景にあったとみられる。
- 証券 43(12)(513) 1991年12月号(新規上場会社紹介)
- [16]1985年6月に商号を株式会社図研に変更。第二精工舎との販売代理店契約は1985年10月に終結。上場時の本店は横浜市港北区新横浜
- [19]1985年6月に商号を株式会社図研に変更。第二精工舎との販売代理店契約は1985年10月に終結。上場時の本店は横浜市港北区新横浜
- 証券アナリストジャーナル 29(11) 1991年10月 別冊付録 図研 / 金子真人
- [17]当初の社名が長過ぎたこともあり、CIの見地から世界ブランドの統一化を狙い1985年に現社名へ変更。製品はZUKENブランドで販売
- [18]当初の社名が長過ぎたこともあり、CIの見地から世界ブランドの統一化を狙い1985年に現社名へ変更。製品はZUKENブランドで販売
- 図研 有価証券報告書【沿革】
- [20]1984年3月に本店を横浜市港北区へ移転
図研は1987年6月15日、株式を日本証券業協会の店頭市場に登録した。売上高は1986年10月期が58億2,600万円、1987年10月期が62億100万円だった。前期比の伸び率は10.8%から6.4%へ鈍化。円高で大手家電メーカーが設備投資を絞って値引きを求め、図研も導入後の増設を見込んで要請に応じた。図研は1988年1月、各社のハードウェアで動き「CR-2000」より安価な「CR-3000」を発売し、主力製品を世代交代させた。金子真人氏によれば、かつてはOEMのハードに自社ソフトを載せた一体販売が主体で、ハードが売上の6割前後を占めた。1991年10月期の見込みでは、比率がソフト55・ハード45に逆転する。
- 証券 43(12)(513) 1991年12月号(新規上場会社紹介)
- [21]1987年6月15日に店頭登録。売上高は1986年10月期58億2,600万円(前期比10.8%増)、1987年10月期62億100万円(同6.4%増)。円高で家電大手の投資意欲が減退し値引き要請に応じた。1988年1月にCR-3000発売
- [22]1987年6月15日に店頭登録。売上高は1986年10月期58億2,600万円(前期比10.8%増)、1987年10月期62億100万円(同6.4%増)。円高で家電大手の投資意欲が減退し値引き要請に応じた。1988年1月にCR-3000発売
- [23]1987年6月15日に店頭登録。売上高は1986年10月期58億2,600万円(前期比10.8%増)、1987年10月期62億100万円(同6.4%増)。円高で家電大手の投資意欲が減退し値引き要請に応じた。1988年1月にCR-3000発売
- [24]1987年6月15日に店頭登録。売上高は1986年10月期58億2,600万円(前期比10.8%増)、1987年10月期62億100万円(同6.4%増)。円高で家電大手の投資意欲が減退し値引き要請に応じた。1988年1月にCR-3000発売
- [25]1987年6月15日に店頭登録。売上高は1986年10月期58億2,600万円(前期比10.8%増)、1987年10月期62億100万円(同6.4%増)。円高で家電大手の投資意欲が減退し値引き要請に応じた。1988年1月にCR-3000発売
- 証券アナリストジャーナル 29(11) 1991年10月 別冊付録 図研 / 金子真人
- [26]以前はOEMハードに自社ソフトを載せた一体販売が主体でハードが60程度。1991年10月期予測はハード45・ソフト55
- [27]以前はOEMハードに自社ソフトを載せた一体販売が主体でハードが60程度。1991年10月期予測はハード45・ソフト55
図研は1990年4月、約60億円の長期借入金を充てて横浜市緑区に中央研究所を開設した。1990年10月期の売上高は112億5,700万円で、うちプリント基板CAD・CAMが80億6,700万円と71.7%を占めた。金子真人氏の説明では、回路設計用のCAEを合わせると87%に達し、売上は電子機器の研究開発投資の動向に左右される。1991年10月8日、図研は東証二部に上場し、1,500千株の公募で得た資金の一部を借入金の返済に充てる計画とした。金子真人氏は上場後の目標に『ベンチャーの面白さと上場企業の安定感を兼備した「小さくて素敵な大企業」』を掲げた。上場後の1992年1月にはドイツにズケン・ヨーロッパを設立し、欧州にも拠点を構えた。研究所への先行投資を借入で賄い、上場の公募で財務を整える順序を選んだのだろう。
- 証券 43(12)(513) 1991年12月号(新規上場会社紹介)
- [28]1990年4月に約60億円の長期借入金で中央研究所を設立。1990年10月期売上高112億5,700万円、プリント基板CAD・CAM 80億6,700万円(71.7%)。1991年10月8日東証二部上場、公募1,500千株、取得資金の一部を借入金返済に充当
- [29]1990年4月に約60億円の長期借入金で中央研究所を設立。1990年10月期売上高112億5,700万円、プリント基板CAD・CAM 80億6,700万円(71.7%)。1991年10月8日東証二部上場、公募1,500千株、取得資金の一部を借入金返済に充当
- [31]1990年4月に約60億円の長期借入金で中央研究所を設立。1990年10月期売上高112億5,700万円、プリント基板CAD・CAM 80億6,700万円(71.7%)。1991年10月8日東証二部上場、公募1,500千株、取得資金の一部を借入金返済に充当
- 証券アナリストジャーナル 29(11) 1991年10月 別冊付録 図研 / 金子真人
- [30]プリント基板CAD/CAMの売上構成比は1990年10月期で約72%、CAEと合わせ87%。売上はエレクトロニクス製品の研究開発投資動向の影響を受ける。目標は「小さくて素敵な大企業」
- [32]プリント基板CAD/CAMの売上構成比は1990年10月期で約72%、CAEと合わせ87%。売上はエレクトロニクス製品の研究開発投資動向の影響を受ける。目標は「小さくて素敵な大企業」
- 図研 有価証券報告書【沿革】
- [33]1990年4月に横浜市緑区(現都筑区)に中央研究所を開設。1992年1月にズケン・ヨーロッパGmbHをドイツに設立
参考文献[16]-[33]
- 証券 43(12)(513) 1991年12月号(新規上場会社紹介)
- [16]1985年6月に商号を株式会社図研に変更。第二精工舎との販売代理店契約は1985年10月に終結。上場時の本店は横浜市港北区新横浜
- [19]1985年6月に商号を株式会社図研に変更。第二精工舎との販売代理店契約は1985年10月に終結。上場時の本店は横浜市港北区新横浜
- [21]1987年6月15日に店頭登録。売上高は1986年10月期58億2,600万円(前期比10.8%増)、1987年10月期62億100万円(同6.4%増)。円高で家電大手の投資意欲が減退し値引き要請に応じた。1988年1月にCR-3000発売
- [22]1987年6月15日に店頭登録。売上高は1986年10月期58億2,600万円(前期比10.8%増)、1987年10月期62億100万円(同6.4%増)。円高で家電大手の投資意欲が減退し値引き要請に応じた。1988年1月にCR-3000発売
- [23]1987年6月15日に店頭登録。売上高は1986年10月期58億2,600万円(前期比10.8%増)、1987年10月期62億100万円(同6.4%増)。円高で家電大手の投資意欲が減退し値引き要請に応じた。1988年1月にCR-3000発売
- [24]1987年6月15日に店頭登録。売上高は1986年10月期58億2,600万円(前期比10.8%増)、1987年10月期62億100万円(同6.4%増)。円高で家電大手の投資意欲が減退し値引き要請に応じた。1988年1月にCR-3000発売
- [25]1987年6月15日に店頭登録。売上高は1986年10月期58億2,600万円(前期比10.8%増)、1987年10月期62億100万円(同6.4%増)。円高で家電大手の投資意欲が減退し値引き要請に応じた。1988年1月にCR-3000発売
- [28]1990年4月に約60億円の長期借入金で中央研究所を設立。1990年10月期売上高112億5,700万円、プリント基板CAD・CAM 80億6,700万円(71.7%)。1991年10月8日東証二部上場、公募1,500千株、取得資金の一部を借入金返済に充当
- [29]1990年4月に約60億円の長期借入金で中央研究所を設立。1990年10月期売上高112億5,700万円、プリント基板CAD・CAM 80億6,700万円(71.7%)。1991年10月8日東証二部上場、公募1,500千株、取得資金の一部を借入金返済に充当
- [31]1990年4月に約60億円の長期借入金で中央研究所を設立。1990年10月期売上高112億5,700万円、プリント基板CAD・CAM 80億6,700万円(71.7%)。1991年10月8日東証二部上場、公募1,500千株、取得資金の一部を借入金返済に充当
- 証券アナリストジャーナル 29(11) 1991年10月 別冊付録 図研 / 金子真人
- [17]当初の社名が長過ぎたこともあり、CIの見地から世界ブランドの統一化を狙い1985年に現社名へ変更。製品はZUKENブランドで販売
- [18]当初の社名が長過ぎたこともあり、CIの見地から世界ブランドの統一化を狙い1985年に現社名へ変更。製品はZUKENブランドで販売
- [26]以前はOEMハードに自社ソフトを載せた一体販売が主体でハードが60程度。1991年10月期予測はハード45・ソフト55
- [27]以前はOEMハードに自社ソフトを載せた一体販売が主体でハードが60程度。1991年10月期予測はハード45・ソフト55
- [30]プリント基板CAD/CAMの売上構成比は1990年10月期で約72%、CAEと合わせ87%。売上はエレクトロニクス製品の研究開発投資動向の影響を受ける。目標は「小さくて素敵な大企業」
- [32]プリント基板CAD/CAMの売上構成比は1990年10月期で約72%、CAEと合わせ87%。売上はエレクトロニクス製品の研究開発投資動向の影響を受ける。目標は「小さくて素敵な大企業」
- 図研 有価証券報告書【沿革】
- [20]1984年3月に本店を横浜市港北区へ移転
- [33]1990年4月に横浜市緑区(現都筑区)に中央研究所を開設。1992年1月にズケン・ヨーロッパGmbHをドイツに設立
出典・参考
4件
- 図研 有価証券報告書【沿革】
- 証券 43(12)(513) 1991年12月号(新規上場会社紹介)
- 証券アナリストジャーナル 29(11) 1991年10月 別冊付録 図研 / 金子真人
- 日経ビジネス 1994年11月28日号 有訓無訓