河合良一

コマツ・元取締役社長

Kawai Ryoichi(敬称略)

更新:
社長就任 1964年7月
生年月日 —
学歴 東京帝国大学経済学部
出自 —
社長就任までの出自
出自

キャタピラー社は新三菱重工との合弁で日本国内での生産を準備していた。小松製作所は1961年8月にマルA対策本部を開設し、専務取締役の河合良一氏を責任者に据えた。対策はユーザー批判会で182項目、クレーム解析と稼働調査で1657カ所の問題点を洗い出し、部品4000点のうち約8割にあたる約3200点へ改良を及ぼした。総合的品質管理を全社へ導入し、自主開発の方針を曲げて米カミンズ社のエンジンも搭載している。1963年9月時点では副社長を務めた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1963年9月に第一次対策車を市販し、品質改善を反映したD50Aをスーパーシリーズとして発売するとクレーム発生数は従来の5分の1へ減った。保証期間も300時間・3カ月から600時間・6カ月へ延ばしている。ブルドーザーの国内市場占拠率は約60%で業界第一位を保った。1958年上期と1963年上期を比べると資本金は22億5000万円から150億円、売上は59億円から296億円へ拡大している。資本自由化への対策を指揮した当人を、成果が数字に出た年に社長へ充てたとみられる。

在任中の主な施策
施策

1968年5月、業界平均より約10年遅れて油圧ショベル事業へ本格参入し、米ビサイラス・エリー社との技術提携を基盤に15-Hの生産を開始した。1972年には改良型15HT-2を投入している。1970年2月に小松アメリカを設立して米国市場の開拓に入り、1985年4月にはメカトロニクスや新素材を扱う研究所を新設した。競争優位を決めたのは製品の優劣ではなく、1957年から全国の都道府県に支店・営業所網を置いた直販体制の規模であった。 油圧ショベルに参入

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1963〜1982年
在任中の業績
就任前(FY63)646億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

免責事項およびポリシー