ユニオンツール の歴史

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創業 1960年
創業者 片山一郎
創業地 東京都大田区
創業
1960年12月、片山一郎氏が東京都大田区で株式会社ユニオン化学研究所を設立し、ドリル・エンドミル・ロータリーバーなど工業用超硬精密工具の試作研究を始めた。大手工具メーカーからの依頼を受け、設計から製造までを自ら手がけて、プリント配線板用の超硬ドリルを開発する。1970年3月に本社工場を新設してこのPCBドリルの生産を始め、1971年4月には刃先研磨機ドリルポインターの生産を加えて、工具を作る機械まで自社で持つ構えを取った。同年5月には商号をユニオンツール株式会社へ改めている。研究主体の町工場から工具メーカーへ移る節目にあたるが、量産の設備も人手も持たない小規模事業者として出発した。
決断
売る工具ではなく、その工具を作る機械のほうを自社で設計してきた。工具の形は競合が見て模倣できても、研磨機などの生産設備と加工技術は外から見えない。1976年12月に長岡へ工場を設けて本社工場機能を移し、以後の設備投資を新潟県内へ集めた。1996年9月には店頭登録を経て東証二部へ上場し、資本市場からの調達で工場の増設を続ける。2005年9月には米国子会社でのPCBドリル現地生産を中止して長岡からの輸出へ切り替え、2008年2月には生産設備の設計・製造を担うユニオンエンジニアリングを長岡工場内に設立した。工具ではなく製造装置を自社の資産に置いたことが、形を写せば作れる製品の世界で、写せない差を精度と原価の側に残した。
現況
生産は新潟県の3工場だけに残り、売上の7割超は国外から来る。2025年12月期の連結売上高は401億円、営業利益87億円、当期純利益61億円で、いずれも過去最高となった。営業利益率は21.7%である。地域別の売上は日本102億円に対し中国118億円、台湾68億円、その他113億円で、国外が74%を占める。所在地別ではアジアが230億円と日本の126億円を上回るが、設備投資57億円のうち55億円は日本にあり、2024年5月に稼働した見附第三工場で超硬エンドミルの生産能力を2.5倍へ引き上げた。売り先を国外へ広げながら作る場所を新潟へ集め続けたことが、PCBドリル一品目だった構成にエンドミルという二つ目を加えた。
競合
基板の穴あけで首位に立った相手より、次に狙う市場の相手が大きい。PCBドリルではユニオンツールの推計で世界市場の約3割を占めるが、競合の中国メーカーは工具の形状を見て模倣できるため、差別化要因は最終的に生産設備と加工技術の側にしか残らない。渡邉裕二社長は、見た目が同じでも中身の異なる製品を作り続ける必要があるとして、この見立てを明示している。一方でエンドミルは金型や自動車部品を切削する用途で市場が広く、切削工具の大手が並ぶ領域にあたる。東京精密が切削工具から精密測定機器へ主力を移したのに対し、ユニオンツールは工具に留まったまま、PCBドリルで蓄えた超硬合金の加工とコーティングの技術を転用し、桁の違う市場へ追う側から入っている。
ユニオンツール:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2001年11月期2025年12月期

創業ストーリー 東京の町工場でのPCBドリル開発と長岡集約による事業の確立 (1960年〜)

1960年「ユニオン化学研究所」と片山一郎氏による試作研究

1960年12月、東京都大田区において前代表取締役会長の片山一郎氏が『株式会社ユニオン化学研究所』を設立し[1]、ドリル・エンドミル・ロータリーバーなど工業用超硬精密工具の試作研究を開始した。創業者の片山一郎氏は大手工具メーカーからの依頼を受け[2]、東京の小さな町工場で自ら設計・製造に取り組み、プリント配線板用の超硬ドリル(PCBドリル)の開発を進めた。設立直後の同社は研究開発主体の小規模事業者で、量産工場ではなく試作品の精度を追究する町工場として出発した。1990年代に入社した4代目の渡邉裕二社長によれば、片山一郎氏は社長就任後も社長室に設計机を置いて現場感覚[3]を保ち続けたという。創業者が経営者ではなく技術者として現場に身を置く流儀は、長く同社の文化として継承された。

  • ユニオンツール 有価証券報告書 第N期(2025年11月期相当)【沿革】
    • [1]1960年12月 東京都大田区で片山一郎が「株式会社ユニオン化学研究所」を設立し、ドリル・エンドミル等の超硬精密工具の試作研究を開始
  • 岡三にいがた証券広報誌ON にいがたトップインタビュー第25回(2025年7月)
    • [2]創業者は片山一郎(前代表取締役会長)。大手工具メーカーの依頼を受け東京の町工場で自ら設計・製造しPCBドリル開発を進めた
    • [3]片山一郎は社長就任後も社長室に設計机を置いて現場感覚を保ち続けた(4代目渡邉裕二社長の証言)

1970年3月、同社は本社工場を新設してPCBドリル[4](プリント配線板用超硬ドリル)の生産を開始した。1960年の試作研究から10年を経て、量産体制が立ち上がった節目にあたる。1970年代は日本の電子機器産業が量産化を本格化させた時期で、テレビ・ラジオ・電卓・電子計算機などの基板生産が立ち上がり、基板へ穴をあけるためのPCBドリルの需要が拡大していた局面である。1971年4月には工作機械製造部門を設けて『ドリルポインター』(刃先研磨機)の生産を開始し[5]、ドリルの製造装置を内製する体制を整えた。同年5月、商号を『株式会社ユニオン化学研究所』から『ユニオンツール株式会社』へ変更し、PCBドリルの本格生産[6]を始めた。社名変更は研究主体の試作組織から工具メーカーへの転換を制度として確認した節目である。

  • ユニオンツール 有価証券報告書 第N期(2025年11月期相当)【沿革】
    • [4]1970年3月 本社工場を新設しPCBドリル(プリント配線板用超硬ドリル)の生産を開始
    • [5]1971年4月 工作機械製造部門を設置し「ドリルポインター」(刃先研磨機)の生産を開始
    • [6]1971年5月 商号を「株式会社ユニオン化学研究所」から「ユニオンツール株式会社」へ変更しPCBドリルの本格生産を開始
  • ユニオンツール 有価証券報告書 第N期(2025年11月期相当)【沿革】
    • [1]1960年12月 東京都大田区で片山一郎が「株式会社ユニオン化学研究所」を設立し、ドリル・エンドミル等の超硬精密工具の試作研究を開始
    • [4]1970年3月 本社工場を新設しPCBドリル(プリント配線板用超硬ドリル)の生産を開始
    • [5]1971年4月 工作機械製造部門を設置し「ドリルポインター」(刃先研磨機)の生産を開始
    • [6]1971年5月 商号を「株式会社ユニオン化学研究所」から「ユニオンツール株式会社」へ変更しPCBドリルの本格生産を開始
  • 岡三にいがた証券広報誌ON にいがたトップインタビュー第25回(2025年7月)
    • [2]創業者は片山一郎(前代表取締役会長)。大手工具メーカーの依頼を受け東京の町工場で自ら設計・製造しPCBドリル開発を進めた
    • [3]片山一郎は社長就任後も社長室に設計机を置いて現場感覚を保ち続けた(4代目渡邉裕二社長の証言)

1976年長岡進出と1979年本格移転、生産拠点の新潟県集約

1976年12月、ユニオンツールは新潟県長岡市妙見町に工場を設置し、『ローラーガイド』(直線運動軸受の構成部品)[7]の専用工場とした。長岡進出のきっかけは、創業者の片山一郎氏が知人からの誘いで長岡での仕事を始めたことに遡る[8]。長岡市は江戸期から鋳造・板金・工作機械の集積地として知られ、東京と大阪の中間に位置する立地条件、雪国の人材気質、地域内での部品調達網の存在といった条件が、内製主体の精密工具メーカーにとって有利に働く土地柄であった。1979年7月には新潟県長岡市摂田屋町に長岡工場を新設移転し[9]、東京の本社工場機能の一部を新潟へ移した。

  • ユニオンツール 有価証券報告書 第N期(2025年11月期相当)【沿革】
    • [7]1976年12月 新潟県長岡市妙見町に「ローラーガイド」(直線運動軸受の構成部品)専用工場を設置
    • [9]1979年7月 新潟県長岡市摂田屋町に長岡工場を新設移転し、東京本社工場機能の一部を新潟へ移転
  • 岡三にいがた証券広報誌ON にいがたトップインタビュー第25回(2025年7月)
    • [8]長岡進出のきっかけは創業者片山一郎が知人の誘いで長岡での仕事を始めたことに遡る(渡邉裕二社長の証言)

長岡集約は単発の工場移転にとどまらず、その後20年にわたる拠点整備を新潟県内で連鎖させた。1985年1月には長岡市長岡南部工業団地内に長岡工場第二工場を新設[10]、1988年12月には熱処理棟、1991年4月には第三工場[11]、1997年11月には第四工場、2001年8月には第五工場と、PCBドリル需要の拡大に応じて新潟県内で生産能力を増強した。創業者の片山一郎氏は長岡工場を訪問するたびに技術者を集めて直接指示を出す姿勢を貫き[12]、現場での直接対話を通じた改良の積み重ねが60年にわたる成長を支える基盤となった。設備の内製と量産技術の蓄積が長岡で進み、PCBドリル製造に必要な精密加工技術と熱処理・コーティング技術が同地に集約された。

  • ユニオンツール 有価証券報告書 第N期(2025年11月期相当)【沿革】
    • [10]1985年1月 長岡市長岡南部工業団地内に長岡工場第二工場を新設
    • [11]1988年12月 熱処理棟、1991年4月 第三工場、1997年11月 第四工場、2001年8月 第五工場を順次新設
  • 岡三にいがた証券広報誌ON にいがたトップインタビュー第25回(2025年7月)
    • [12]創業者片山一郎は長岡工場訪問のたびに技術者を集めて直接指示を出す姿勢を貫いた(渡邉裕二社長の証言)
  • ユニオンツール 有価証券報告書 第N期(2025年11月期相当)【沿革】
    • [7]1976年12月 新潟県長岡市妙見町に「ローラーガイド」(直線運動軸受の構成部品)専用工場を設置
    • [9]1979年7月 新潟県長岡市摂田屋町に長岡工場を新設移転し、東京本社工場機能の一部を新潟へ移転
    • [10]1985年1月 長岡市長岡南部工業団地内に長岡工場第二工場を新設
    • [11]1988年12月 熱処理棟、1991年4月 第三工場、1997年11月 第四工場、2001年8月 第五工場を順次新設
  • 岡三にいがた証券広報誌ON にいがたトップインタビュー第25回(2025年7月)
    • [8]長岡進出のきっかけは創業者片山一郎が知人の誘いで長岡での仕事を始めたことに遡る(渡邉裕二社長の証言)
    • [12]創業者片山一郎は長岡工場訪問のたびに技術者を集めて直接指示を出す姿勢を貫いた(渡邉裕二社長の証言)

1981年米国合弁から1995年100%子会社化までの海外展開と1989年店頭登録

1981年3月、ユニオンツールは米国カリフォルニア州に合弁会社『MEGATOOL INC.』(現『U.S. UNION TOOL, INC.』[引用元])を設立し、PCBドリルの現地生産を開始した[13]。1985年3月には台湾に子会社『台湾佑能工具股份有限公司』を設立、PCBドリル[14]の現地生産を開始した。1989年6月には日本証券業協会の店頭登録銘柄[15]として登録され、資本市場での認知も得た。同年6月、ヨーロッパにおける販売会社の資本関係再編成に伴い、スイス子会社『UNION TOOL EUROPE[16] S.A.』を設立し、欧州拠点も整えた。

  • ユニオンツール 有価証券報告書 第N期(2025年11月期相当)【沿革】
    • [13]1981年3月 米国カリフォルニア州に合弁会社「MEGATOOL INC.」(現「U.S. UNION TOOL, INC.」)を設立しPCBドリルの現地生産を開始
    • [14]1985年3月 台湾に子会社「台湾佑能工具股份有限公司」を設立しPCBドリルの現地生産を開始
    • [15]1989年6月 日本証券業協会の店頭登録銘柄として登録
    • [16]1989年6月 欧州販売会社の資本関係再編成に伴いスイス子会社「UNION TOOL EUROPE S.A.」を設立

1990年代前半、世界のプリント基板産業はパソコン・移動体通信機器の需要拡大で量産規模が急成長した。1994年10月、ユニオンツールはMEGATOOL INC.の株式を取得して子会社化[17]、1995年4月にはMEGATOOL INC.とUNION[18] TOOL EUROPE S.A.の株式を取得して100%子会社化、同年12月には中国に子会社『佑能工具(上海)有限公司』を設立[19]した。1981年の合弁形態で始まった海外展開は10年余で完全子会社による直接展開体制へ移行し、米国・台湾・スイス・中国の4極での生産・販売体制が整った。海外拠点は当初PCBドリルの現地生産を担ったが、1990年代後半以降は国内(長岡)に生産機能を集約し、海外拠点は販売・サービス中心へ移行する流れが定着した。

  • ユニオンツール 有価証券報告書 第N期(2025年11月期相当)【沿革】
    • [17]1994年10月 MEGATOOL INC.の株式を取得して子会社化
    • [18]1995年4月 MEGATOOL INC.とUNION TOOL EUROPE S.A.の株式を取得して100%子会社化
    • [19]1995年12月 中国に子会社「佑能工具(上海)有限公司」を設立
  • ユニオンツール 有価証券報告書 第N期(2025年11月期相当)【沿革】
    • [13]1981年3月 米国カリフォルニア州に合弁会社「MEGATOOL INC.」(現「U.S. UNION TOOL, INC.」)を設立しPCBドリルの現地生産を開始
    • [14]1985年3月 台湾に子会社「台湾佑能工具股份有限公司」を設立しPCBドリルの現地生産を開始
    • [15]1989年6月 日本証券業協会の店頭登録銘柄として登録
    • [16]1989年6月 欧州販売会社の資本関係再編成に伴いスイス子会社「UNION TOOL EUROPE S.A.」を設立
    • [17]1994年10月 MEGATOOL INC.の株式を取得して子会社化
    • [18]1995年4月 MEGATOOL INC.とUNION TOOL EUROPE S.A.の株式を取得して100%子会社化
    • [19]1995年12月 中国に子会社「佑能工具(上海)有限公司」を設立

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ユニオンツールの沿革1960〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1960〜1995年東京の町工場でのPCBドリル開発と長岡集約による事業の確立ユニオン化学研究所として創業
本社工場を新設しPCBドリルの生産開始★★
工作機械製造部門を設置しドリルポインターの生産開始
商号をユニオンツールに変更しPCBドリル本格生産開始
長岡への工場設置と本社工場機能の移転による生産拠点の新潟県集約

1976年12月、ユニオンツールは新潟県長岡市妙見町に工場を設け、直線運動軸受の構成部品であるローラーガイドの専用工場とした。1979年7月には長岡市摂田屋町に長岡工場を新設して移転し、東京の本社工場が担っていた生産機能を新潟へ移した。以後45年余、同社の増産投資はすべて新潟県内で行われている。

詳細を読む
★★★
長岡工場を新設移転
米加州にMEGATOOL INCを合弁設立
関連会社大善を設立
台湾佑能工具を設立
日本証券業協会に店頭登録
スイスに販売子会社UNION TOOL EUROPEを設立
MEGATOOLを子会社化
佑能工具(上海)を設立
1996〜2014年東証上場とPCBドリル世界トップシェア、長岡集約の完成三島研究所を新設
片山貴雄店頭登録を経た東証二部上場と、2年後の一部指定・香港子会社の設立

ユニオンツールは1996年9月に東京証券取引所市場第二部へ株式を上場し、1998年5月に市場第一部へ上場した。二部への最初の申請は1988年11月期の決算をもとに行われたが、売上高が小さすぎるとして認められず、同社は1989年6月の店頭登録を経て8年をかけて二部へ入った。

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★★★
片山貴雄超硬エンドミルUTドライを開発・生産開始★★
片山貴雄販売子会社を設立
片山貴雄東莞佑能工具を設立
片山貴雄US UNION TOOLのPCBドリル現地生産を中止★★
片山貴雄見附工場を新設
片山貴雄ULFコートドリル・新接合ドリルを開発・生産開始
片山貴雄ダイヤモンドコーティングエンドミルUDCシリーズを開発
片山貴雄本社内にユニオンビジネスサービスを設立
2015〜2025年エンドミル事業の本格拡張と新潟県内三工場体制の完成大平博見附第二工場を新設
大平博長岡工場敷地内に事業所内保育園を開設
大平博UNION TOOL THAILANDを設立
大平博超硬エンドミルVシリーズを開発・生産開始
大平博東京証券取引所プライム市場へ移行
大平博見附第三工場を新設
出典・参考
  • ユニオンツール 有価証券報告書 第N期(2025年11月期相当)【沿革】
  • 岡三にいがた証券広報誌ON にいがたトップインタビュー第25回(2025年7月)

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