第1章 年〜年

ユニオンツール:東京の町工場でのPCBドリル開発と長岡集約による事業の確立

1960年〜歯科用ドリルのユニオン化学研究所と、東京の本社工場で始めたPCBドリル

片山一郎氏は1960年12月、東京都大田区に株式会社ユニオン化学研究所を設立し、ドリルやエンドミルなど工業用超硬精密工具の試作研究を始めた。最初の製品は、歯の治療に使うドリル(デンタルバー)。経営理念は設立当初から、良い製品を世に出し、それを通じて社会の役に立つという一点に置かれていた。片山一郎氏は創業時に4項目の「社風」を書き残し、第1に『自然を愛し人を愛し仕事を愛する』、第2に『常に世界最先端の技術の確保に努める』を掲げた。片山一郎氏の回顧では、歯科用ドリル以来の技術の核は穴開けにあり、求められる穴の径は年を追って小さくなった。細い刃物で硬い物に小さな穴を開けるという課題が、創業の時点ですでに事業の起点に置かれていたとみられる。

  • ユニオンツール 有価証券報告書 第41期(2001年11月期)【沿革】
    • [1]1960年12月、片山一郎が東京都大田区に㈱ユニオン化学研究所を設立し、ドリル・エンドミル・ロータリーバー等の工業用超硬精密工具の試作研究を始めた
  • 日経ビジネス 1993年3月15日号
    • [2]1960年に歯の治療用ドリル(デンタルバー)のメーカーとして出発した
  • 証券アナリストジャーナル 27(8) 1989年 片山一郎
    • [3]設立以来「優れた製品を供給して社会に貢献する」を経営理念とした
  • 日経ビジネス 1998年7月6日号〔有訓無訓〕 片山一郎
    • [4]創業時に4項目の「社風」を記し、第1が自然を愛し人を愛し仕事を愛する、第2が世界最先端の技術の確保
    • [5]創業時の歯科用ドリルからPCB用超硬ドリルまで一貫して穴を開ける技術を磨き、時代とともにより小さい穴が求められた

ユニオン化学研究所は1970年3月に本社工場を新設し、プリント配線板用の超硬ドリル(PCBドリル)の生産を始めた。PCBドリルは基板に部品を差し込む穴を開ける工具で、素材には超硬合金を用いる。基板はガラス繊維を含むため、鋼のドリルでは数個の穴で刃先がつぶれ、タングステンカーバイドなら2,000個から1万個まで開けられた。超硬合金は硬い反面で衝撃に弱く、薄い刃先に仕上げるには高い加工技術が要る。片山一郎氏は国内のハイテク産業の成長で需要が拡大すると見込み、1971年に事業の中心をPCBドリルへ移した。歯科用ドリルで培った細径の超硬加工が基板の穴開けにそのまま通じたことが、転換の決め手になったと推察される。

  • ユニオンツール 有価証券報告書 第41期(2001年11月期)【沿革】
    • [6]1970年3月、本社工場を新設しPCBドリル(プリント配線板用超硬ドリル)の生産を開始した
  • 証券アナリストジャーナル 27(8) 1989年 片山一郎
    • [7]PCBドリルはプリント配線板の穴開け工具で素材は超硬合金。超硬合金は硬いが衝撃にもろく、薄い刃先の加工に高度な技術が要る
    • [8]ガラス繊維を含む基板では鋼製ドリルは数個で刃先がつぶれ、タングステンカーバイド製は2,000〜1万個の穴を開けられる
    • [9]PCBドリルはプリント配線板の穴開け工具で素材は超硬合金。超硬合金は硬いが衝撃にもろく、薄い刃先の加工に高度な技術が要る
  • 日経ビジネス 1993年3月15日号
    • [10]1971年、国内ハイテク産業の成長による需要拡大をにらみPCBドリル中心に転換した

ユニオン化学研究所は1971年4月に工作機械製造部門を設け、刃先研磨機のドリルポインターの生産を始めた。翌5月には商号をユニオンツールに改め、PCBドリルの本格生産へ移行。片山一郎氏は、ミクロン単位の精度が要るPCBドリルは汎用の工作機械では加工できず、内製なら増産体制を3カ月で整えられると考えていた。自社の専用機は自動化と小型化を方針に設計され、品質の向上と原価の低減を両立させた。溝を切るフルート研削盤は業界の他社より10年早く全自動化し、安定した品質が世界で25%のシェアにつながった。ドリルポインターは外販もされ、1989年までに国内で約1,500台、世界で1万台以上が売れた。

  • ユニオンツール 有価証券報告書 第41期(2001年11月期)【沿革】
    • [11]1971年4月に工作機械製造部門を設けドリルポインター(刃先研磨機)の生産を開始し、同年5月に商号をユニオンツールに変更してPCBドリルの本格生産を開始した
    • [12]1971年4月に工作機械製造部門を設けドリルポインター(刃先研磨機)の生産を開始し、同年5月に商号をユニオンツールに変更してPCBドリルの本格生産を開始した
  • 日経ビジネス 1993年3月15日号
    • [13]片山社長はPCBドリルにはミクロン単位の加工精度が要り汎用工作機械では対応できないとし、内製なら3カ月で増産体制を整えられ外注では稼働まで1年かかるとした
  • 証券アナリストジャーナル 27(8) 1989年 片山一郎
    • [14]製造設備をすべて自社で創り出し、自動化・小型化を方針とした専用機で品質向上と原価低減の効果をあげた
    • [15]PCBドリルのフルート(溝切り)研削盤を他メーカーより10年先駆けて全自動化し、世界市場の25%のシェアを確保した
    • [16]自社開発のドリルポインターは1989年時点で国内約1,500台、全世界1万台以上を販売した
参考文献[1]-[16]
  • ユニオンツール 有価証券報告書 第41期(2001年11月期)【沿革】
    • [1]1960年12月、片山一郎が東京都大田区に㈱ユニオン化学研究所を設立し、ドリル・エンドミル・ロータリーバー等の工業用超硬精密工具の試作研究を始めた
    • [6]1970年3月、本社工場を新設しPCBドリル(プリント配線板用超硬ドリル)の生産を開始した
    • [11]1971年4月に工作機械製造部門を設けドリルポインター(刃先研磨機)の生産を開始し、同年5月に商号をユニオンツールに変更してPCBドリルの本格生産を開始した
    • [12]1971年4月に工作機械製造部門を設けドリルポインター(刃先研磨機)の生産を開始し、同年5月に商号をユニオンツールに変更してPCBドリルの本格生産を開始した
  • 日経ビジネス 1993年3月15日号
    • [2]1960年に歯の治療用ドリル(デンタルバー)のメーカーとして出発した
    • [10]1971年、国内ハイテク産業の成長による需要拡大をにらみPCBドリル中心に転換した
    • [13]片山社長はPCBドリルにはミクロン単位の加工精度が要り汎用工作機械では対応できないとし、内製なら3カ月で増産体制を整えられ外注では稼働まで1年かかるとした
  • 証券アナリストジャーナル 27(8) 1989年 片山一郎
    • [3]設立以来「優れた製品を供給して社会に貢献する」を経営理念とした
    • [7]PCBドリルはプリント配線板の穴開け工具で素材は超硬合金。超硬合金は硬いが衝撃にもろく、薄い刃先の加工に高度な技術が要る
    • [8]ガラス繊維を含む基板では鋼製ドリルは数個で刃先がつぶれ、タングステンカーバイド製は2,000〜1万個の穴を開けられる
    • [9]PCBドリルはプリント配線板の穴開け工具で素材は超硬合金。超硬合金は硬いが衝撃にもろく、薄い刃先の加工に高度な技術が要る
    • [14]製造設備をすべて自社で創り出し、自動化・小型化を方針とした専用機で品質向上と原価低減の効果をあげた
    • [15]PCBドリルのフルート(溝切り)研削盤を他メーカーより10年先駆けて全自動化し、世界市場の25%のシェアを確保した
    • [16]自社開発のドリルポインターは1989年時点で国内約1,500台、全世界1万台以上を販売した
  • 日経ビジネス 1998年7月6日号〔有訓無訓〕 片山一郎
    • [4]創業時に4項目の「社風」を記し、第1が自然を愛し人を愛し仕事を愛する、第2が世界最先端の技術の確保
    • [5]創業時の歯科用ドリルからPCB用超硬ドリルまで一貫して穴を開ける技術を磨き、時代とともにより小さい穴が求められた

1972年〜長岡市妙見町のローラーガイド工場と、摂田屋町の長岡工場への生産の集約

ユニオンツールは1976年12月、新潟県長岡市妙見町にローラーガイドの専用工場を設けた。ローラーガイドは直線運動用の軸受で、もとはPCBドリルを加工する自社の専用機のために内製した部品である。ユニオンツールは1975年に軸受の外販を始め、1993年には総売上高の20%を占めるまでになった。玉の代わりにコロを使う構造で、ボール式やニードル式より許容荷重が大きく寿命も長い。1990年2月には米国の精密工作機械メーカーのムーアから、主要部に採用するとの内示を得た。長岡を選んだ理由は手元の資料になく、本社工場とは別に用地と人手を確保できる地方へ新事業の生産を切り出したものと思われる。

  • ユニオンツール 有価証券報告書 第41期(2001年11月期)【沿革】
    • [17]1976年12月、長岡市妙見町に工場を設置しローラーガイドの専用工場とした
  • 日経ビジネス 1993年3月15日号
    • [18]直線運動用軸受は当初PCBドリル加工用に内製し、1975年から外販を始めた。1993年時点で総売上高の20%
    • [19]直線運動用軸受は当初PCBドリル加工用に内製し、1975年から外販を始めた。1993年時点で総売上高の20%
  • 証券アナリストジャーナル 27(8) 1989年 片山一郎
    • [20]ローラーガイドはコロを使うため、ボール入り・ニードル入りのガイドより許容荷重が大きく寿命が長い
  • 証券アナリストジャーナル 28(3) 1990年3月 片山一郎
    • [21]10数年前に発売した直線クロスドローラーガイドについて、1990年2月に米ムーアから重要部分に使うとの内示を受けた

ユニオンツールは1979年7月、妙見町の工場を長岡市摂田屋町へ移し、長岡工場として新設した。1983年11月に長岡市十日町へ関連会社の大善を設立し、1985年1月に長岡南部工業団地へ第二工場、1988年12月に熱処理棟の新設が続いた。1990年には需要の拡大と従業員の負担軽減に備え、長岡に13億円を投じてPCBドリルの生産能力を20%高める第3工場の建設を決めた。第三工場は1991年4月に長岡南部工業団地で新設された。東京の本社工場は1990年9月に大田区内で移転し、東京工場と改称した。長岡への集約は東京の工場を一度に閉じる移転ではなく、増設のたびに拡張の軸足を長岡へ移す段階的な過程だったと考えられる。

  • ユニオンツール 有価証券報告書 第41期(2001年11月期)【沿革】
    • [22]1979年7月、長岡市摂田屋町に長岡工場を新設移転した
    • [23]1983年11月に長岡市十日町に関連会社㈱大善を設立、1985年1月に長岡南部工業団地内に長岡工場第二工場、1988年12月に熱処理棟、1991年4月に第三工場を新設した
    • [25]1983年11月に長岡市十日町に関連会社㈱大善を設立、1985年1月に長岡南部工業団地内に長岡工場第二工場、1988年12月に熱処理棟、1991年4月に第三工場を新設した
    • [26]1990年9月、東京都大田区に本社工場を移転し名称を東京工場と改称した
  • 証券アナリストジャーナル 28(3) 1990年3月 片山一郎
    • [24]1990年、生産量20%増と従業員のオーバーワーク軽減を見込んで設備を拡充し、長岡に総額13億円で第3工場(床面積8,000m2)を建設してPCBドリルの生産能力を20%上げる計画
参考文献[17]-[26]
  • ユニオンツール 有価証券報告書 第41期(2001年11月期)【沿革】
    • [17]1976年12月、長岡市妙見町に工場を設置しローラーガイドの専用工場とした
    • [22]1979年7月、長岡市摂田屋町に長岡工場を新設移転した
    • [23]1983年11月に長岡市十日町に関連会社㈱大善を設立、1985年1月に長岡南部工業団地内に長岡工場第二工場、1988年12月に熱処理棟、1991年4月に第三工場を新設した
    • [25]1983年11月に長岡市十日町に関連会社㈱大善を設立、1985年1月に長岡南部工業団地内に長岡工場第二工場、1988年12月に熱処理棟、1991年4月に第三工場を新設した
    • [26]1990年9月、東京都大田区に本社工場を移転し名称を東京工場と改称した
  • 日経ビジネス 1993年3月15日号
    • [18]直線運動用軸受は当初PCBドリル加工用に内製し、1975年から外販を始めた。1993年時点で総売上高の20%
    • [19]直線運動用軸受は当初PCBドリル加工用に内製し、1975年から外販を始めた。1993年時点で総売上高の20%
  • 証券アナリストジャーナル 27(8) 1989年 片山一郎
    • [20]ローラーガイドはコロを使うため、ボール入り・ニードル入りのガイドより許容荷重が大きく寿命が長い
  • 証券アナリストジャーナル 28(3) 1990年3月 片山一郎
    • [21]10数年前に発売した直線クロスドローラーガイドについて、1990年2月に米ムーアから重要部分に使うとの内示を受けた
    • [24]1990年、生産量20%増と従業員のオーバーワーク軽減を見込んで設備を拡充し、長岡に総額13億円で第3工場(床面積8,000m2)を建設してPCBドリルの生産能力を20%上げる計画

1981年〜米国MEGATOOLと台湾の佑能工具で追った基板の産地と、店頭登録で得た資本市場

ユニオンツールは1981年3月、米国カリフォルニア州に合弁会社MEGATOOL INC.を設立し、PCBドリルの現地生産を始めた。1985年3月には台湾に子会社の台湾佑能工具股份有限公司を設け、同じくPCBドリルを現地で生産した。1989年までに米国、スイス、台湾に子会社などを設立し、海外市場への進出を進めた。当時の海外の競合は、米国のメタルリムーバルやツーロン、欧州のケマーなど。1989年の生産本数はユニオンツールの150万本に対し、ケマーが100万本、他社は30万〜50万本にとどまった。基板の産地である米国と台湾で現地生産に入ったことで、欧米の専業メーカーと同じ市場で規模の差を示せる位置に立ったのだろう。

  • ユニオンツール 有価証券報告書 第41期(2001年11月期)【沿革】
    • [27]1981年3月、米国カリフォルニア州に合弁会社MEGATOOL INC.を設立しPCBドリルの現地生産を開始した
    • [28]1985年3月、台湾に子会社台湾佑能工具股份有限公司を設立しPCBドリルの現地生産を開始した
  • 証券アナリストジャーナル 27(8) 1989年 片山一郎
    • [29]1989年時点で米国・スイス・台湾に子会社等を設立して海外市場へ進出していた
    • [30]PCBドリルの海外競合は米のメタルリムーバル、ツーロン等と欧州のケマー等。生産本数はユニオンツール150万本、ケマー100万本、他社30〜50万本
    • [31]PCBドリルの海外競合は米のメタルリムーバル、ツーロン等と欧州のケマー等。生産本数はユニオンツール150万本、ケマー100万本、他社30〜50万本

片山一郎氏は数年前から株式上場を目指し、1988年11月期に売上高61億円、経常利益18億円を計上したのを機に東証二部への上場を申請した。申請は売上高が小さすぎるとして認められず、片山一郎氏は店頭登録を足場に売上高100億円の時点での再挑戦を見込んだ。ユニオンツールは1989年6月、日本証券業協会へ店頭登録した。同じ月にはスイスで販売子会社のUNION TOOL EUROPE S.A.も設立している。登録時に新株70万株を発行して28億5,100万円を調達し、借入金を返済した結果、借入金依存度は6.89%に低下した。片山一郎氏は公開の利点に良質な資金と社会的信用を挙げ、資金は設備投資と研究開発に充てるとしている。

  • 証券アナリストジャーナル 27(8) 1989年 片山一郎
    • [32]数年前から上場を目指し、1988年11月期の売上高61億円・経常利益18億円を機に東証二部上場を申請したが売上高が小さすぎるとして認められず、店頭登録を足場に売上高100億円の時点で再挑戦する考え
    • [33]数年前から上場を目指し、1988年11月期の売上高61億円・経常利益18億円を機に東証二部上場を申請したが売上高が小さすぎるとして認められず、店頭登録を足場に売上高100億円の時点で再挑戦する考え
  • ユニオンツール 有価証券報告書 第41期(2001年11月期)【沿革】
    • [34]1989年6月、日本証券業協会に店頭登録し、欧州販売会社の資本関係再編に伴いスイス子会社UNION TOOL EUROPE S.A.を設立した
    • [35]1989年6月、日本証券業協会に店頭登録し、欧州販売会社の資本関係再編に伴いスイス子会社UNION TOOL EUROPE S.A.を設立した
  • 証券アナリストジャーナル 28(3) 1990年3月 片山一郎
    • [36]店頭登録時に新株70万株を発行して28億5,100万円を調達し借入金を返済、借入金依存度は6.89%に低下し金融収支が初めて黒字化した
    • [37]株式公開の利点は良質の資金と社会的信用で、資金は設備投資と研究開発に充てる

PCBドリルのシェアは1990年時点で国内40数%、世界25%に達した。1993年には住友電気工業、東芝タンガロイ、三菱マテリアルの超硬工具大手3社を抑えて首位を保った。溝彫りから先端研磨までの3工程を1台でこなす自社機AD-2は、加工時間を約2分から40秒に縮め、国内月産200万本の体制を支えた。刃先だけに超硬合金を使い柄をステンレスにする加工で、1本当たり10%近い原価を削減した。1992年11月期の売上高はハイテク機器の不振で前期比17.7%減の64億7400万円となり、売上高経常利益率は17.3%だった。ユニオンツールは1994年10月にMEGATOOLを子会社とし、1995年12月には中国に佑能工具(上海)有限公司を設立した。

  • 証券アナリストジャーナル 28(3) 1990年3月 片山一郎
    • [38]1990年時点でPCBドリルの国内シェア40数%、世界シェア25%
  • 日経ビジネス 1993年3月15日号
    • [39]PCBドリル市場で住友電気工業・東芝タンガロイ・三菱マテリアルの超硬工具大手3社を抑えてトップシェア
    • [40]溝彫り・屑除去・先端研磨を全自動でこなす自社機AD-2で加工時間は約2分から40秒、人手は10分の1。国内月産200万本の体制
    • [41]刃先だけ超硬合金、柄をステンレスとする結合技術でドリル1本当たり10%近いコストダウン
    • [42]1992年11月期は売上高64億7400万円(前期比17.7%減)、経常利益11億2300万円(同47.0%減)で6期ぶりの減収減益、売上高経常利益率17.3%
  • ユニオンツール 有価証券報告書 第41期(2001年11月期)【沿革】
    • [43]1994年10月にMEGATOOL INC.を子会社化し、1995年12月に中国に佑能工具(上海)有限公司を設立した
参考文献[27]-[43]
  • ユニオンツール 有価証券報告書 第41期(2001年11月期)【沿革】
    • [27]1981年3月、米国カリフォルニア州に合弁会社MEGATOOL INC.を設立しPCBドリルの現地生産を開始した
    • [28]1985年3月、台湾に子会社台湾佑能工具股份有限公司を設立しPCBドリルの現地生産を開始した
    • [34]1989年6月、日本証券業協会に店頭登録し、欧州販売会社の資本関係再編に伴いスイス子会社UNION TOOL EUROPE S.A.を設立した
    • [35]1989年6月、日本証券業協会に店頭登録し、欧州販売会社の資本関係再編に伴いスイス子会社UNION TOOL EUROPE S.A.を設立した
    • [43]1994年10月にMEGATOOL INC.を子会社化し、1995年12月に中国に佑能工具(上海)有限公司を設立した
  • 証券アナリストジャーナル 27(8) 1989年 片山一郎
    • [29]1989年時点で米国・スイス・台湾に子会社等を設立して海外市場へ進出していた
    • [30]PCBドリルの海外競合は米のメタルリムーバル、ツーロン等と欧州のケマー等。生産本数はユニオンツール150万本、ケマー100万本、他社30〜50万本
    • [31]PCBドリルの海外競合は米のメタルリムーバル、ツーロン等と欧州のケマー等。生産本数はユニオンツール150万本、ケマー100万本、他社30〜50万本
    • [32]数年前から上場を目指し、1988年11月期の売上高61億円・経常利益18億円を機に東証二部上場を申請したが売上高が小さすぎるとして認められず、店頭登録を足場に売上高100億円の時点で再挑戦する考え
    • [33]数年前から上場を目指し、1988年11月期の売上高61億円・経常利益18億円を機に東証二部上場を申請したが売上高が小さすぎるとして認められず、店頭登録を足場に売上高100億円の時点で再挑戦する考え
  • 証券アナリストジャーナル 28(3) 1990年3月 片山一郎
    • [36]店頭登録時に新株70万株を発行して28億5,100万円を調達し借入金を返済、借入金依存度は6.89%に低下し金融収支が初めて黒字化した
    • [37]株式公開の利点は良質の資金と社会的信用で、資金は設備投資と研究開発に充てる
    • [38]1990年時点でPCBドリルの国内シェア40数%、世界シェア25%
  • 日経ビジネス 1993年3月15日号
    • [39]PCBドリル市場で住友電気工業・東芝タンガロイ・三菱マテリアルの超硬工具大手3社を抑えてトップシェア
    • [40]溝彫り・屑除去・先端研磨を全自動でこなす自社機AD-2で加工時間は約2分から40秒、人手は10分の1。国内月産200万本の体制
    • [41]刃先だけ超硬合金、柄をステンレスとする結合技術でドリル1本当たり10%近いコストダウン
    • [42]1992年11月期は売上高64億7400万円(前期比17.7%減)、経常利益11億2300万円(同47.0%減)で6期ぶりの減収減益、売上高経常利益率17.3%

1960年〜1995年の業績

決算期 区分 売上高 純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率
1960年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1961年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1962年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1963年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1964年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1965年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1966年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1967年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1968年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1969年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1970年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1971年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1972年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1973年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1974年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1975年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1976年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1977年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1978年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1979年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1980年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1981年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1982年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1983年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1984年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1985年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1986年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1987年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1988年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1989年11月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1990年11月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1991年11月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1992年11月期 連結 n/a n/a n/a n/a n/a
1993年11月期 連結 n/a n/a n/a n/a n/a
1994年11月期 連結 71 n/a 6 8.5% n/a
1995年11月期 連結 103 +45.1% 10 9.7% n/a

出所:会社年鑑

出典・参考

5件
出典・参考
  • ユニオンツール 有価証券報告書 第41期(2001年11月期)【沿革】
  • 証券アナリストジャーナル 27(8) 1989年 片山一郎
  • 証券アナリストジャーナル 28(3) 1990年3月 片山一郎
  • 日経ビジネス 1993年3月15日号
  • 日経ビジネス 1998年7月6日号〔有訓無訓〕 片山一郎

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