関家三男
ディスコ・元第一製砥所(個人営業)創業・店主(社長に相当)
社長就任1937年5月
生年月日—
学歴東亜同文書院
出自—
経歴1937〜1985年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1937年主要役職の状況(推定含む目安)1985年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | ディスコ(旧・第一製砥所) | 1937 | 創業 店主 | ||
| 1940 | 設立 | ||||
| 1958 | 社長 | ||||
| 1977 | 社長 | ||||
| 1985 | 社長 退任 |
社長就任までの出自
出自
関家三男氏は東亜同文書院を卒業し、満洲国国務院の官吏となった。軍部の専横と、上から下へ流れるだけの役所の仕事を嫌って職を辞し、郷里の広島県呉市へ戻った。呉には海軍工廠があり、大砲の製造に研削用の砥石を使ったが、国内の製砥技術は未熟で、品質の高い砥石はドイツからの輸入に依存した。関家三男氏自身は技術者ではなかった。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1937年5月、工業用砥石の製造と販売を目的に、個人営業の第一製砥所を創業した。創業の地は呉市阿賀町である。1940年3月に組織を有限会社第一製砥所へ改め、1958年11月に株式会社第一製砥所へ改組した。1980年5月時点の会社概要は、社長を関家三男氏と記している。
在任中の主な施策
施策
1969年12月に米国の販売拠点を設け、1970年2月には精密切断研究所を設立した。1970年9月に精密切断装置の販売を始め、1975年2月には半導体用ダイシングソーを開発して販売に移った。1968年に極薄の砥石の開発を指示してから、装置の完成までに7年を要した。1977年4月に商号を株式会社ディスコへ改め、1979年にはシンガポールとスイスに販売拠点を置いた。
創業ストーリー
創業ストーリー
業績貢献
関家三男氏:在任中の業績貢献
売上高:1966年1月期〜1990年3月期
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| 決算期 | 在任 | 売上高 | 前期比 | 営業利益率 | ROE | 主な施策 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1966年1月期 | 2億円 | — | — | — | ||
| 1967年1月期 | 3億円 | +50.0% | — | — | ||
| 1979年1月期 | 38億円 | — | — | — | 半導体製造向け切断砥石の開発を開始精密切断装置を開発・販売開始半導体用ダイシングソーを開発・販売開始 | |
| 1980年1月期 | 49億円 | +28.9% | — | — | シンガポール駐在員事務所を開設スイスにDISCO SEIER AGを共同出資で設立ダイシングソー世界シェア約60%を確立 | |
| 1981年1月期 | 68億円 | +38.8% | — | — | ||
| 1988年3月期 | 150億円 | — | — | — | ||
| 1989年3月期 | 150億円 | +0.0% | — | — | ||
| 1990年3月期 | 160億円 | +6.7% | — | — |
参考文献5件
参考文献
- 決断(Decide)1986年1月号(3巻10号、サバイバル出版)「ディスコ――国内95%世界80%のシェアを持つまで」
- 石垣 1982年7月号(26)「柔軟な頭脳で製品開発 株式会社ディスコ/取締役社長・関家三男氏」
- 日経ビジネス 1980年5月5日号「企業戦略 ディスコの技術分野絞り込み作戦」
- ディスコ 有価証券報告書(2005年3月期)【沿革】
- DISCO Corporation 公式サイト「History」(英語版)
事実根拠:出所(ディスコ)