ちゅうぎんフィナンシャルグループ:第一合同銀行と山陽銀行の合併による中國銀行の発足
1930年〜岡山県を南北で二分した第一合同銀行と山陽銀行の合併と、133店で発足した中國銀行
岡山県の銀行統合は、1919年9月に県南から始まった。倉敷銀行に倉敷商業・茶屋町・天満屋・日笠の各行と鴨方倉庫を加えた6行が合併し、資本金650万円の第一合同銀行が誕生した。初代頭取には倉敷銀行の大原孫三郎氏が就任し、第一合同銀行は岡山県内で主力の銀行に位置づけられた。県北では1923年7月、土居銀行を中心とする6行が第一合同銀行への対抗を目的に合併し、作備銀行を設立した。1924年7月には作備銀行と県北の津山銀行の合併による山陽銀行の発足。県南に規模の大きい銀行が現れたことで、県北の銀行も単独では預金と取引先を守りにくいと判断したのだろう。
- 証券 1988年
- [1]第一合同銀行は1919年9月に倉敷銀行を中心とする県南6行の合併で設立。作備銀行は1923年7月に第一合同銀行への対抗として県北6行が合併して設立、1924年7月に津山銀行と合併して山陽銀行
- [4]第一合同銀行は1919年9月に倉敷銀行を中心とする県南6行の合併で設立。作備銀行は1923年7月に第一合同銀行への対抗として県北6行が合併して設立、1924年7月に津山銀行と合併して山陽銀行
- [6]第一合同銀行は1919年9月に倉敷銀行を中心とする県南6行の合併で設立。作備銀行は1923年7月に第一合同銀行への対抗として県北6行が合併して設立、1924年7月に津山銀行と合併して山陽銀行
- 企業の歴史 明治百年 1968年「中国銀行」
- [2]第一合同銀行は倉敷・倉敷商業・茶屋町・天満屋・日笠・鴨方倉庫の6行合併、資本金650万円、初代頭取は倉敷銀行の大原孫三郎。作備銀行は土居銀行を中心とする6行合併
- [3]第一合同銀行は倉敷・倉敷商業・茶屋町・天満屋・日笠・鴨方倉庫の6行合併、資本金650万円、初代頭取は倉敷銀行の大原孫三郎。作備銀行は土居銀行を中心とする6行合併
- [5]第一合同銀行は倉敷・倉敷商業・茶屋町・天満屋・日笠・鴨方倉庫の6行合併、資本金650万円、初代頭取は倉敷銀行の大原孫三郎。作備銀行は土居銀行を中心とする6行合併
第一合同銀行と山陽銀行は、1930年12月21日に合併して中國銀行を設立した。合併前の2行は、岡山県の銀行界を県南と県北に二分していた。合併の目的は、1927年の金融恐慌から続く不況への対応だった。新銀行の名は中國銀行、資本金は1,500万円である。両行は合併までに近隣の中小銀行を30行近く吸収してきた。中國銀行の源流となった銀行は、県内外で50余りを数える。吸収を競うほど重複する店舗と人員が増え、不況下では2行が並び立つ費用が重くなったと推察される。
- 証券 1988年
- [7]1930年12月21日、岡山県を南北に二分していた第一合同銀行と山陽銀行が1927年の金融恐慌以降の不況に対応するため合併して設立
- [8]1930年12月21日、岡山県を南北に二分していた第一合同銀行と山陽銀行が1927年の金融恐慌以降の不況に対応するため合併して設立
- [9]1930年12月21日、岡山県を南北に二分していた第一合同銀行と山陽銀行が1927年の金融恐慌以降の不況に対応するため合併して設立
- 会社銀行八十年史 1955年「中国銀行」
- [10]1930年12月、第一合同銀行と山陽銀行の合併により資本金1,500万円・現行名で設立
- 企業の歴史 明治百年 1968年「中国銀行」
- [11]両行は合併までに近隣中小銀行30近くを吸収。中国銀行は県内外50余の銀行の合併の積み重ねでできた
- [12]両行は合併までに近隣中小銀行30近くを吸収。中国銀行は県内外50余の銀行の合併の積み重ねでできた
中國銀行は、設立時点で133店舗を抱える広域銀行として出発した。営業地域は岡山県を中心とし、広島県東部と香川県全域、愛媛県と兵庫県の一部までを含む。合併前の第一合同銀行は香川県と兵庫県の銀行を、山陽銀行は広島県と香川県の銀行を、それぞれ合併した。店舗数の多さから、中國銀行は発足後に店舗の整理統合と質の充実を経営の課題に据えた。1941年刊の十年史は、附録に営業所数推移表と営業所異動表を収め、発足後の店舗の出入りを記録にまとめた。同じ町に旧2行の店舗が並ぶ状態は、合併の効果を引き出すうえで最初の障害になったとみられる。
- 証券 1988年
- [13]設立当初から岡山県中心に広島県東部・香川県全域・兵庫県と愛媛県の一部を営業地域とする広域銀行。設立時133店舗で、以後は店舗の整理統合と質的充実を目指した。第一合同は香川・兵庫、山陽は広島・香川の銀行を合併
- [14]設立当初から岡山県中心に広島県東部・香川県全域・兵庫県と愛媛県の一部を営業地域とする広域銀行。設立時133店舗で、以後は店舗の整理統合と質的充実を目指した。第一合同は香川・兵庫、山陽は広島・香川の銀行を合併
- [15]設立当初から岡山県中心に広島県東部・香川県全域・兵庫県と愛媛県の一部を営業地域とする広域銀行。設立時133店舗で、以後は店舗の整理統合と質的充実を目指した。第一合同は香川・兵庫、山陽は広島・香川の銀行を合併
- [16]設立当初から岡山県中心に広島県東部・香川県全域・兵庫県と愛媛県の一部を営業地域とする広域銀行。設立時133店舗で、以後は店舗の整理統合と質的充実を目指した。第一合同は香川・兵庫、山陽は広島・香川の銀行を合併
- 中国銀行十年史 1941年(目次)
- [17]附録に営業所数推移表・営業所異動表を収録
参考文献[1]-[17]
- 証券 1988年
- [1]第一合同銀行は1919年9月に倉敷銀行を中心とする県南6行の合併で設立。作備銀行は1923年7月に第一合同銀行への対抗として県北6行が合併して設立、1924年7月に津山銀行と合併して山陽銀行
- [4]第一合同銀行は1919年9月に倉敷銀行を中心とする県南6行の合併で設立。作備銀行は1923年7月に第一合同銀行への対抗として県北6行が合併して設立、1924年7月に津山銀行と合併して山陽銀行
- [6]第一合同銀行は1919年9月に倉敷銀行を中心とする県南6行の合併で設立。作備銀行は1923年7月に第一合同銀行への対抗として県北6行が合併して設立、1924年7月に津山銀行と合併して山陽銀行
- [7]1930年12月21日、岡山県を南北に二分していた第一合同銀行と山陽銀行が1927年の金融恐慌以降の不況に対応するため合併して設立
- [8]1930年12月21日、岡山県を南北に二分していた第一合同銀行と山陽銀行が1927年の金融恐慌以降の不況に対応するため合併して設立
- [9]1930年12月21日、岡山県を南北に二分していた第一合同銀行と山陽銀行が1927年の金融恐慌以降の不況に対応するため合併して設立
- [13]設立当初から岡山県中心に広島県東部・香川県全域・兵庫県と愛媛県の一部を営業地域とする広域銀行。設立時133店舗で、以後は店舗の整理統合と質的充実を目指した。第一合同は香川・兵庫、山陽は広島・香川の銀行を合併
- [14]設立当初から岡山県中心に広島県東部・香川県全域・兵庫県と愛媛県の一部を営業地域とする広域銀行。設立時133店舗で、以後は店舗の整理統合と質的充実を目指した。第一合同は香川・兵庫、山陽は広島・香川の銀行を合併
- [15]設立当初から岡山県中心に広島県東部・香川県全域・兵庫県と愛媛県の一部を営業地域とする広域銀行。設立時133店舗で、以後は店舗の整理統合と質的充実を目指した。第一合同は香川・兵庫、山陽は広島・香川の銀行を合併
- [16]設立当初から岡山県中心に広島県東部・香川県全域・兵庫県と愛媛県の一部を営業地域とする広域銀行。設立時133店舗で、以後は店舗の整理統合と質的充実を目指した。第一合同は香川・兵庫、山陽は広島・香川の銀行を合併
- 企業の歴史 明治百年 1968年「中国銀行」
- [2]第一合同銀行は倉敷・倉敷商業・茶屋町・天満屋・日笠・鴨方倉庫の6行合併、資本金650万円、初代頭取は倉敷銀行の大原孫三郎。作備銀行は土居銀行を中心とする6行合併
- [3]第一合同銀行は倉敷・倉敷商業・茶屋町・天満屋・日笠・鴨方倉庫の6行合併、資本金650万円、初代頭取は倉敷銀行の大原孫三郎。作備銀行は土居銀行を中心とする6行合併
- [5]第一合同銀行は倉敷・倉敷商業・茶屋町・天満屋・日笠・鴨方倉庫の6行合併、資本金650万円、初代頭取は倉敷銀行の大原孫三郎。作備銀行は土居銀行を中心とする6行合併
- [11]両行は合併までに近隣中小銀行30近くを吸収。中国銀行は県内外50余の銀行の合併の積み重ねでできた
- [12]両行は合併までに近隣中小銀行30近くを吸収。中国銀行は県内外50余の銀行の合併の積み重ねでできた
- 会社銀行八十年史 1955年「中国銀行」
- [10]1930年12月、第一合同銀行と山陽銀行の合併により資本金1,500万円・現行名で設立
- 中国銀行十年史 1941年(目次)
- [17]附録に営業所数推移表・営業所異動表を収録
1931年〜後月・香川・美作勝山・中備の4行買収と、岡山県で唯一の普通銀行
中國銀行は発足直後から、周辺の銀行の吸収を続けた。1931年3月に後月銀行を、同年10月に香川銀行を買収した。1932年12月には美作勝山銀行を買収し、発足から2年で3行を取り込んだ。1968年刊の企業の歴史は、3行の取得を第一合同銀行と山陽銀行の時代から続く合併の延長に位置づけた。発足後の合併の相手は、岡山県下の銀行が中心だった。金融恐慌後に単独での存続が難しくなった中小銀行を中國銀行が引き受け、県内の預金と取引先を自行へ集めていったと思われる。
- 会社銀行八十年史 1955年「中国銀行」
- [18]1931年3月後月銀行、同年10月香川銀行、1932年12月美作勝山銀行を買収
- [19]1931年3月後月銀行、同年10月香川銀行、1932年12月美作勝山銀行を買収
- [20]1931年3月後月銀行、同年10月香川銀行、1932年12月美作勝山銀行を買収
- 企業の歴史 明治百年 1968年「中国銀行」
- [21]新設後、1931年に後月・香川、1932年に美作勝山を合併し、合併の積み重ねを続けた
- 証券 1988年
- [22]設立後も県下の銀行を中心に合併を続けた
1940年5月、中國銀行は中備銀行を買収した。後月銀行から中備銀行まで、発足後の買収は計4行。同じ1940年に、中國銀行は岡山県で唯一の普通銀行となった。1941年刊の十年史では、前頭取の大原孫三郎氏と頭取の公森太郎氏がそれぞれ題字を寄せ、序は公森太郎氏が書いた。発足からの10年で、経営の担い手は第一合同銀行の初代頭取から次の世代へ移った。県内の普通銀行が1行に収れんしたのは、戦時体制のもとで進んだ銀行統合の政策と歩調を合わせた結果と考えられる。
- 会社銀行八十年史 1955年「中国銀行」
- [23]1940年5月中備銀行を買収(1931年以降の買収は後月・香川・美作勝山・中備の4行)
- [24]1940年5月中備銀行を買収(1931年以降の買収は後月・香川・美作勝山・中備の4行)
- 証券 1988年
- [25]1940年に岡山県で唯一の普通銀行となった
- 中国銀行十年史 1941年(目次)
- [26]1941年刊。題字は前頭取大原孫三郎・頭取公森太郎、序は頭取公森太郎
- [27]1941年刊。題字は前頭取大原孫三郎・頭取公森太郎、序は頭取公森太郎
参考文献[18]-[27]
- 会社銀行八十年史 1955年「中国銀行」
- [18]1931年3月後月銀行、同年10月香川銀行、1932年12月美作勝山銀行を買収
- [19]1931年3月後月銀行、同年10月香川銀行、1932年12月美作勝山銀行を買収
- [20]1931年3月後月銀行、同年10月香川銀行、1932年12月美作勝山銀行を買収
- [23]1940年5月中備銀行を買収(1931年以降の買収は後月・香川・美作勝山・中備の4行)
- [24]1940年5月中備銀行を買収(1931年以降の買収は後月・香川・美作勝山・中備の4行)
- 企業の歴史 明治百年 1968年「中国銀行」
- [21]新設後、1931年に後月・香川、1932年に美作勝山を合併し、合併の積み重ねを続けた
- 証券 1988年
- [22]設立後も県下の銀行を中心に合併を続けた
- [25]1940年に岡山県で唯一の普通銀行となった
- 中国銀行十年史 1941年(目次)
- [26]1941年刊。題字は前頭取大原孫三郎・頭取公森太郎、序は頭取公森太郎
- [27]1941年刊。題字は前頭取大原孫三郎・頭取公森太郎、序は頭取公森太郎
1941年〜岡山合同貯蓄銀行・中國信託の合併と、資本金1億2000万円の戦後の中國銀行
中國銀行は1944年2月、岡山合同貯蓄銀行を合併した。合併によって、中國銀行は普通銀行の業務に加えて貯蓄銀行の業務を営むようになった。1940年に県内の普通銀行を1行にまとめた後、統合の対象は貯蓄銀行へ広がった。1952年刊の二十年史は、創業後10年に続く章を太平洋戦争終結までの経過に充て、戦時期を一つの区切りとして扱った。戦時下の資金を国債の消化へ振り向けるうえで、県内の預金の受け手を集約する必要が強まったと推測される。
- 証券 1988年
- [28]1944年2月に岡山合同貯蓄銀行を合併(1940年に県内唯一の普通銀行となった後)
- [30]1944年2月に岡山合同貯蓄銀行を合併(1940年に県内唯一の普通銀行となった後)
- 会社銀行八十年史 1955年「中国銀行」
- [29]1944年2月岡山合同貯蓄銀行を合併し、貯蓄銀行業務を兼ねる
- 中国銀行二十年史 1952年(目次)
- [31]第二章「太平洋戦争終結までの経過」
終戦直前の1945年6月、中國銀行は中國信託を合併し、信託業務を始めた。これにより中國銀行は信託兼営の銀行となり、営業の規模をさらに拡大した。1955年刊の会社銀行八十年史は、貯蓄銀行と信託の2件の合併をもって一県一行の理想の実現と位置づけた。信託部門は長く続かず、中國銀行は1957年4月に銀行業務の合理化を理由として閉鎖した。県内に残る金融機関を1つずつ取り込む流れの最後に信託会社があり、信託業務そのものより統合の完成が優先されたようだ。
- 証券 1988年
- [32]1945年6月に中國信託を合併し信託業務を開始。信託部門は銀行業務の合理化のため1957年4月に閉鎖
- [35]1945年6月に中國信託を合併し信託業務を開始。信託部門は銀行業務の合理化のため1957年4月に閉鎖
- 企業の歴史 明治百年 1968年「中国銀行」
- [33]1945年に中国信託を合併して信託兼営となり、営業規模が一段と拡大
- 会社銀行八十年史 1955年「中国銀行」
- [34]岡山合同貯蓄銀行・中国信託の合併で貯蓄銀行業務と信託業務を兼営し、一県一行の理想を実現
敗戦後の中國銀行は、再建整備を経て経営を立て直した。1963年刊の三十年史は、戦後混乱期の章に再建整備の節を設け、預金・貸出・日本銀行借入金の状況とあわせて記録にとどめた。1948年9月、中國銀行の資本金は1億2,000万円へ増加。1952年刊の二十年史では、頭取の守分十氏が題字と序を書いた。1955年時点の中國銀行は、岡山県のほか広島・香川・愛媛・兵庫の各県に120余りの支店を持った。1955年3月末の預金は318億円、貸出金は281億円で、利益率は全国の地方銀行で首位だった。統合で得た県内の地盤と戦後の資本の手当てが、高度成長期の岡山で地域経済とともに伸びる足場になった可能性がある。
- 中国銀行三十年史 1963年(目次)
- [36]第一章「戦後混乱期と当行」に預金・貸出・日本銀行借入金の節と第五節「当行の再建整備」
- [37]第一章「戦後混乱期と当行」に預金・貸出・日本銀行借入金の節と第五節「当行の再建整備」
- 会社銀行八十年史 1955年「中国銀行」
- [38]1948年9月資本金1億2,000万円。1955年時点で岡山・広島・香川・愛媛・兵庫に120余の支店。1955年3月末預金318億円・貸出金281億円、利益率は全国地方銀行中第1位。代表者は守分十
- [40]1948年9月資本金1億2,000万円。1955年時点で岡山・広島・香川・愛媛・兵庫に120余の支店。1955年3月末預金318億円・貸出金281億円、利益率は全国地方銀行中第1位。代表者は守分十
- [41]1948年9月資本金1億2,000万円。1955年時点で岡山・広島・香川・愛媛・兵庫に120余の支店。1955年3月末預金318億円・貸出金281億円、利益率は全国地方銀行中第1位。代表者は守分十
- 中国銀行二十年史 1952年(目次)
- [39]1952年刊。題字・序は頭取守分十
参考文献[28]-[41]
- 証券 1988年
- [28]1944年2月に岡山合同貯蓄銀行を合併(1940年に県内唯一の普通銀行となった後)
- [30]1944年2月に岡山合同貯蓄銀行を合併(1940年に県内唯一の普通銀行となった後)
- [32]1945年6月に中國信託を合併し信託業務を開始。信託部門は銀行業務の合理化のため1957年4月に閉鎖
- [35]1945年6月に中國信託を合併し信託業務を開始。信託部門は銀行業務の合理化のため1957年4月に閉鎖
- 会社銀行八十年史 1955年「中国銀行」
- [29]1944年2月岡山合同貯蓄銀行を合併し、貯蓄銀行業務を兼ねる
- [34]岡山合同貯蓄銀行・中国信託の合併で貯蓄銀行業務と信託業務を兼営し、一県一行の理想を実現
- [38]1948年9月資本金1億2,000万円。1955年時点で岡山・広島・香川・愛媛・兵庫に120余の支店。1955年3月末預金318億円・貸出金281億円、利益率は全国地方銀行中第1位。代表者は守分十
- [40]1948年9月資本金1億2,000万円。1955年時点で岡山・広島・香川・愛媛・兵庫に120余の支店。1955年3月末預金318億円・貸出金281億円、利益率は全国地方銀行中第1位。代表者は守分十
- [41]1948年9月資本金1億2,000万円。1955年時点で岡山・広島・香川・愛媛・兵庫に120余の支店。1955年3月末預金318億円・貸出金281億円、利益率は全国地方銀行中第1位。代表者は守分十
- 中国銀行二十年史 1952年(目次)
- [31]第二章「太平洋戦争終結までの経過」
- [39]1952年刊。題字・序は頭取守分十
- 企業の歴史 明治百年 1968年「中国銀行」
- [33]1945年に中国信託を合併して信託兼営となり、営業規模が一段と拡大
- 中国銀行三十年史 1963年(目次)
- [36]第一章「戦後混乱期と当行」に預金・貸出・日本銀行借入金の節と第五節「当行の再建整備」
- [37]第一章「戦後混乱期と当行」に預金・貸出・日本銀行借入金の節と第五節「当行の再建整備」
出典・参考
6件
- 中国銀行十年史 1941年(目次)
- 中国銀行二十年史 1952年(目次)
- 中国銀行三十年史 1963年(目次)
- 会社銀行八十年史 1955年「中国銀行」
- 企業の歴史 明治百年 1968年「中国銀行」
- 証券 1988年