蟹江一太郎
カゴメ・元愛知トマト製造 取締役社長
社長就任1923年4月
生年月日—
学歴—
出自—
経歴1899〜1971年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1899年主要役職の状況(推定含む目安)1971年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | カゴメ(旧・愛知トマト製造) | 1899 | 創業 | ||
| 1914 | 設立 | ||||
| 1923 | 取締役社長 | ||||
| 1962 | 取締役会長 | ||||
| 1962 | 社長 退任 | ||||
| 1971 | 死去 |
社長就任までの出自
出自
1875年、愛知県知多郡名和村で農業を営む佐野武八氏の長男として生まれた。名和学校に入ったものの、生家の暮らし向きが次第に苦しくなり、2年余りで学業を離れた。1893年1月、隣村の荒尾村で田畑約1町3反を耕す蟹江甚之助氏の家に婿養子として入った。名古屋の歩兵第6連隊で兵役に服した折、上官から米麦に依存する農業を改め、西洋野菜のような将来性のある作物で土地の生産性を高めよと説かれた。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1923年4月、合資会社で営んできた事業をさらに伸ばすため株式会社に改組し、社名を愛知トマト製造株式会社とした。公称資本金は50万円で、設立と同時に4分の1の12万5千円が払い込まれた。当初の株主55名は、同族を除くと大半が愛知トマト製造と原料トマトの栽培契約を結ぶ近隣の農家だった。創立総会は上野村の聚楽園で開かれ、取締役の互選で蟹江一太郎氏が取締役社長に選ばれた。
在任中の主な施策
施策
社長に就任した1923年の9月、関東大震災で東京に着いた製品と京浜の得意先への売掛金を失い、貸倒れと損失は同年度の売上高の9.2%に及んだ。1933年8月にはトマトジュースを発売した。1957年9月には82歳で取締役営業部長の蟹江光春氏と小坂井工場長の杉浦磐氏を伴って渡米し、36日間かけて米国のトマト農場と加工場の実情を見て回った。1962年7月、米寿の年に社長の座を養嗣子で副社長の蟹江一忠氏に譲り、自らは会長に就任した。
創業ストーリー
創業ストーリー
業績貢献
蟹江一太郎氏:在任中の業績貢献
売上高:1956年3月期〜1967年3月期
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| 決算期 | 在任 | 売上高 | 前期比 | 営業利益率 | ROE | 主な施策 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1956年3月期 | 16億円 | — | — | — | ||
| 1957年3月期 | 21億円 | +31.3% | — | — | 小坂井工場完成(愛知県宝飯郡小坂井町) | |
| 1958年3月期 | 22億円 | +4.8% | — | — | アルミチューブの100g入りケチャップ発売 | |
| 1959年3月期 | 24億円 | +9.1% | — | — | ||
| 1960年3月期 | 29億円 | +20.8% | — | — | デルモンテとの合弁提案を拒否 | |
| 1961年3月期 | 35億円 | +20.7% | — | — | ||
| 1962年3月期 | 42億円 | +20.0% | — | — | カゴメビル(現カゴメアクシス)を本社ビル管理会社として設立栃木工場竣工名古屋本社新社屋完成 | |
| 1963年3月期 | 52億円 | +23.8% | — | — | ||
| 1964年3月期 | 60億円 | +15.4% | — | — | ||
| 1965年3月期 | 69億円 | +15.0% | — | — | ||
| 1966年3月期 | 85億円 | +23.2% | — | — | ||
| 1967年3月期 | 101億円 | +18.8% | — | — |
参考文献4件
参考文献
- カゴメ八十年史 トマトと共に(カゴメ, 1978)前史第一節 蟹江一太郎 生い立ちとその時代
- カゴメ八十年史 トマトと共に(カゴメ, 1978)第一章第一節 創業期
- カゴメ八十年史 トマトと共に(カゴメ, 1978)第三章第一節 企業基盤の整備期
- カゴメ八十年史 トマトと共に(カゴメ, 1978)第三章第六節 合理化・近代化推進期
事実根拠:出所(カゴメ)