茂木啓三郎
経歴1926〜1980年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1926年主要役職の状況(推定含む目安)1980年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間企業 | |||||
| 民間企業 | キッコーマン | 1926 | 入社 | ||
| 1947 | 常務取締役 | ||||
| 1962 | 社長 | ||||
| 1974 | 社長 退任(取締役会長へ) | ||||
| 1974 | 取締役会長 | ||||
| 1980 | 取締役相談役 | ||||
社長就任までの出自
出自
1899年8月5日、千葉県海上郡富浦村(現在の旭市)の農家に、飯田家の次男の勝次として生まれた。東京商科大学では上田貞次郎氏に師事し、三井合名の幹部候補の話を退けて、上田氏の勧めで1926年4月に野田醤油へ入社した。同社は労働運動への対策に苦しんでおり、1927年に始まった野田争議では会社側の宣伝文をすべて書き、交渉の前面に立った茂木佐平治常務の相談役を務めた。争議の収拾への働きを見込まれ、1929年に初代茂木啓三郎氏の養子となり、養父の死後に二代目としてその名を継いだ。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1947年に常務取締役となり、戦後の統制期には製造担当として醸造法の問題に当たった。1948年には新式二号醸造法の業界への公開に応じ、1953年ごろからは大豆の蒸し方を改めて原料の歩留まりを高めた製法を、社内の反対を押して採り入れた。1956年5月に日本生産性本部の視察団の一員として渡米し、醤油を万能調味料と呼んだ現地の記事を輸出の標語に使うよう、当時の中野栄三郎社長に進言している。1962年に6代目の社長に就任した。技術と米国市場の双方を自ら見てきた経歴が、選任につながったとみられる。
中興ストーリー
中興ストーリー
業績貢献
茂木啓三郎氏:在任中の業績貢献
1964年10月、社名を野田醤油からキッコーマン醤油へ改めた。国内では、デルモンテ印のトマト製品を造るキッコー食品工業、本格ワインのマンズワイン、利根コカ・コーラボトリングなど、醤油と技術や販路の近い事業を相次いで抱えた。米国では1967年12月に現地の製塩会社と提携して瓶詰めへ移り、1969年と1970年には日本食品を扱う商社2社の経営に参加した。1971年3月の役員会で米国工場の建設を決め、1973年6月にウィスコンシン州ウォルワースで出荷を始めた。
| 決算期 | 在任 | 売上高 | 前期比 | 営業利益率 | ROE | 主な施策 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1958年12月期 | 139億円 | +6.1% | — | — | ||
| 1959年12月期 | 145億円 | +4.3% | — | — | ||
| 1960年12月期 | 155億円 | +6.9% | — | — | ||
| 1961年12月期 | 169億円 | +9.0% | — | — | ||
| 1962年12月期 | 185億円 | +9.5% | — | — | ||
| 1963年12月期 | 209億円 | +13.0% | — | — | 日本カルパックに資本参加デルモンテブランドのトマトジュース・ケチャップを発売「しょうゆ140ml紙パック(マンパック)」を発売 | |
| 1964年12月期 | 237億円 | +13.4% | — | — | キッコーマン醤油に商号変更「中濃ソース」を発売 | |
| 1965年12月期 | 259億円 | +9.3% | — | — | 「保健しょうゆ」を発売 | |
| 1966年12月期 | 292億円 | +12.7% | — | — | ヒゲタブランド商品の販売を受託 | |
| 1967年12月期 | 333億円 | +14.0% | — | — | ||
| 1968年12月期 | 359億円 | +7.8% | — | — | レスリー・ソルト社(米国)と提携 | |
| 1969年12月期 | 395億円 | +10.0% | — | — | JFCに経営参加ピュア&ナチュラル(P&N)宣言保存料無添加の「Pしょうゆ」を製造開始 | |
| 1970年12月期 | 458億円 | +15.9% | — | — | 太平洋貿易(現JFCジャパン)に経営参加日本万国博覧会に水中レストランを出店 | |
| 1971年12月期 | 520億円 | +13.5% | — | — | ||
| 1972年12月期 | 567億円 | +9.0% | — | — | 醤油の北米現地生産キッコーマン大都会ヨーロッパ社(ドイツ)を設立「ベジタブルジュース」を発売 | |
| 1973年12月期 | 749億円 | +32.1% | — | — | KFIウィスコンシン工場がグランドオープン | |
| 1974年12月期 | 943億円 | +25.9% | — | — | ||
| 1975年12月期 | 942億円 | ▲0.1% | — | — | ||
| 1976年12月期 | 1,037億円 | +10.1% | — | — | ||
| 1977年12月期 | 1,133億円 | +9.3% | — | — | ||
| 1978年12月期 | 1,170億円 | +3.3% | — | — |
参考文献3件
参考文献
- 私の履歴書 経済人14「茂木啓三郎」(日本経済新聞社、1980年)
- 日経ビジネス 1978年4月24日号「古くても本物なら飽きられません」(茂木啓三郎・キッコーマン醤油会長)
- 日経ビジネス 1972年1月10日号「木目を生かす味が経営に必要だ」(茂木啓三郎氏)
事実根拠:出所(キッコーマン)