ユアテック:電気工事業者9社の統合による東北電気工事の設立
1944年〜電気工事業整備要綱による9社の統合と、資本金80万円で発った東北電気工事
東北の電気工事業者の統合は、1944年3月29日に軍需省電力局長が政府の方針として発した電気工事業整備要綱から始まった。要綱は配電会社の区域に合わせ、全国9地区に電気工事株式会社を設立すると定め、労務の動員、技術の向上、資材の活用を目的に掲げた。素地にあるのは、1937年の日中戦争の開戦後に小規模な工事業者が増え、不良工事が相次いだ事情である。逓信省電力局の1943年9月の工事会社の案は軍需産業の反対で通らず、同年11月の軍需省の発足後に軍も設立を認めた。統合は法令で強制せず、業者が自ら参加する任意統合の形式で進めた。東北の地区では、統合で生まれた会社が1944年10月に配電線工事の請負施工を始めた。
- 東北電気工事株式会社十五年史(1959年)コマ1-50
- [1]1944年3月29日、軍需省電力局長より電気工事業整備要綱が政府の方針として発せられた
- [2]要綱は配電関係を考慮して全国9地区に電気工事株式会社を設立し、労務の動員・技術の向上・資材の活用を図ると定めた
- [3]1937年の日支事変勃発を契機に電気工事業者が多数乱立し、無責任な不良工事を行う者が続出した
- [4]1943年9月に逓信省電力局が配電会社の地区別に工事会社の設立を立案したが軍需産業方面の反対で成立せず、1943年11月の軍需省設立後に軍も必要性を認めた
- [5]統合は法制上の措置を取らず、業者の自主的な統合参加による任意統合の形式で発足させた
- ユアテック 有価証券報告書【沿革】
- [6]1944年10月、配電線工事の請負施工を開始
東北電気工事は、東北配電の本社会議室で開いた設立委員会と発起人会を経て、1944年9月30日に成立した。発起人には東北電工、応用電気、佐藤電気工業所、大東工業、小松原電気商会の5社と個人の業者4名が並び、東北配電も加わった。9月12日の発起人会は定款を作成し、資本金を当初予定の100万円から80万円に改めた。役員の人選は発起人一同が東北配電社長の橋本万之助氏に一任し、佐藤電気工業所社長の佐藤佐蔵氏が専務取締役として会社を代表した。ユアテックは2014年10月に創立70周年を迎えた。配電会社の社長が人選を握ったことから、会社は東北配電の工事部門に近い性格を帯びて発足したと考えられる。
- 東北電気工事株式会社十五年史(1959年)コマ1-50
- [7]設立委員会・発起人会を東北配電本社会議室で開催し、会社は1944年9月30日に成立した
- [8]発起人は東北電工・応用電気・佐藤電気工業所・大東工業・小松原電気商会と佐藤団治・鈴木保太郎・松沢国三・窪田哲郎の個人業者に、東北配電が参加した
- [9]1944年9月12日の発起人会で定款を作成し、資本金は100万円の予定から80万円に決定した
- [10]1944年9月30日、発起人一同は役員の指名を東北配電社長の橋本万之助に一任し、佐藤佐蔵が専務取締役・会社の代表者となり、橋本万之助は相談役に委嘱された
- ユアテック お知らせ 2014年「ユアテック創立70周年記念事業について」
- [11]ユアテックは2014年10月に創立70周年を迎えた
東北電気工事の元手は、資本金80万円と借入金20万円を合わせた100万円である。株式は1株50円で16,000株とし、払込金で足りない資金は東北配電からの借入金で充てる計画を立てた。予算では旧業者の引継工事の取得に37万3千円、機械類の譲受に9万円、材料の取得に8万7千円を充てた。運転資金20万円と並べて、第2次統合の資金20万円も初めから組み込んだ。1944年10月1日、会社は旧業者の資産・仕掛工事・従業員を引き継ぎ、配電線工事の請負施工から営業を始めた。1945年3月までの創業第1期の工事収入は537,034円だった。統合の資金を別枠で用意したことから、9社の統合は東北一円の業者を吸収する第一段と位置づけられていたのだろう。
- 東北電気工事株式会社十五年史(1959年)コマ1-50
- [12]起業費予算は資本金80万円・借入金20万円で、引継工事買収費37万3千円・機械其他譲受費9万円・引継材料買収費8万7千円・運転資金20万円・第2次統合資金20万円などを計上した
- [13]定款で株式を16,000株・1株50円とし、事業設備以外の資金は株式払込金と東北配電からの借入金で充当すると申請した
- [14]起業費予算は資本金80万円・借入金20万円で、引継工事買収費37万3千円・機械其他譲受費9万円・引継材料買収費8万7千円・運転資金20万円・第2次統合資金20万円などを計上した
- [15]起業費予算は資本金80万円・借入金20万円で、引継工事買収費37万3千円・機械其他譲受費9万円・引継材料買収費8万7千円・運転資金20万円・第2次統合資金20万円などを計上した
- [16]1944年10月1日、旧業者から引き継いだ資産・仕掛工事・従業員で各店一斉に営業を開始し、本社は仙台駅前の旧佐藤電気工業所の2階に置いた
- [18]創業第1期(1944年10月〜1945年3月)の工事収入は537,034円
- ユアテック 有価証券報告書【沿革】
- [17]1944年10月、配電線工事の請負施工を開始
参考文献[1]-[18]
- 東北電気工事株式会社十五年史(1959年)コマ1-50
- [1]1944年3月29日、軍需省電力局長より電気工事業整備要綱が政府の方針として発せられた
- [2]要綱は配電関係を考慮して全国9地区に電気工事株式会社を設立し、労務の動員・技術の向上・資材の活用を図ると定めた
- [3]1937年の日支事変勃発を契機に電気工事業者が多数乱立し、無責任な不良工事を行う者が続出した
- [4]1943年9月に逓信省電力局が配電会社の地区別に工事会社の設立を立案したが軍需産業方面の反対で成立せず、1943年11月の軍需省設立後に軍も必要性を認めた
- [5]統合は法制上の措置を取らず、業者の自主的な統合参加による任意統合の形式で発足させた
- [7]設立委員会・発起人会を東北配電本社会議室で開催し、会社は1944年9月30日に成立した
- [8]発起人は東北電工・応用電気・佐藤電気工業所・大東工業・小松原電気商会と佐藤団治・鈴木保太郎・松沢国三・窪田哲郎の個人業者に、東北配電が参加した
- [9]1944年9月12日の発起人会で定款を作成し、資本金は100万円の予定から80万円に決定した
- [10]1944年9月30日、発起人一同は役員の指名を東北配電社長の橋本万之助に一任し、佐藤佐蔵が専務取締役・会社の代表者となり、橋本万之助は相談役に委嘱された
- [12]起業費予算は資本金80万円・借入金20万円で、引継工事買収費37万3千円・機械其他譲受費9万円・引継材料買収費8万7千円・運転資金20万円・第2次統合資金20万円などを計上した
- [13]定款で株式を16,000株・1株50円とし、事業設備以外の資金は株式払込金と東北配電からの借入金で充当すると申請した
- [14]起業費予算は資本金80万円・借入金20万円で、引継工事買収費37万3千円・機械其他譲受費9万円・引継材料買収費8万7千円・運転資金20万円・第2次統合資金20万円などを計上した
- [15]起業費予算は資本金80万円・借入金20万円で、引継工事買収費37万3千円・機械其他譲受費9万円・引継材料買収費8万7千円・運転資金20万円・第2次統合資金20万円などを計上した
- [16]1944年10月1日、旧業者から引き継いだ資産・仕掛工事・従業員で各店一斉に営業を開始し、本社は仙台駅前の旧佐藤電気工業所の2階に置いた
- [18]創業第1期(1944年10月〜1945年3月)の工事収入は537,034円
- ユアテック 有価証券報告書【沿革】
- [6]1944年10月、配電線工事の請負施工を開始
- [17]1944年10月、配電線工事の請負施工を開始
- ユアテック お知らせ 2014年「ユアテック創立70周年記念事業について」
- [11]ユアテックは2014年10月に創立70周年を迎えた
1945年〜仙台空襲で焼けた本社と、屋内配線に広げた戦災復興の工事
1945年7月10日の仙台空襲で、東北電気工事は本社と宮城支社を焼失し、書類も資材も失った。本社は同年7月1日に仙台市東二番丁の東北電業会館へ移ったばかりで、移転から10日で拠点を失う結果となった。会社は北二番丁と東七番丁の個人宅に本社と宮城支社の仮事務所を置き、焼けた書類の整備と資材・労務の手配を急いだ。終戦後の1946年1月には、仙台市土樋の東北配電変電所の構内への仮事務所の移転。同年8月に仙台市南町の土地と煉瓦造2階建ての建物を取得し、改造を経て1947年1月に本社を移した。仮住まいを3度重ねた経緯は、創業期の東北電気工事が配電会社の支えなしに拠点を保てなかったことを示すと思われる。
- 東北電気工事株式会社十五年史(1959年)コマ1-50
- [19]1945年7月1日に本店を仙台市東二番丁102番地(東北電業会館)に移転したが、7月10日の仙台大空襲で本社・宮城支社が被災しすべてを失った
- [20]1945年7月1日に本店を仙台市東二番丁102番地(東北電業会館)に移転したが、7月10日の仙台大空襲で本社・宮城支社が被災しすべてを失った
- [21]本社仮事務所を北二番丁、宮城支社仮事務所を東七番丁の個人宅に設け、焼失書類の整備と資材・労務の手配にあたった。株券は納入直前に焼失し新潟市の印刷所に再注文した
- [22]1946年1月に仮事務所を仙台市土樋300番地(東北配電土樋変電所構内)に移し、1946年8月に仙台市南町29番の1の土地228坪42と煉瓦造2階建の建物を取得して改造した
- [23]1946年1月に仮事務所を仙台市土樋300番地(東北配電土樋変電所構内)に移し、1946年8月に仙台市南町29番の1の土地228坪42と煉瓦造2階建の建物を取得して改造した
- ユアテック 有価証券報告書【沿革】
- [24]1947年1月、本社を仙台市南町29番地の1に移転
東北電気工事は1945年7月に屋内配線工事の請負施工を始め、配電線に次ぐ事業とした。終戦後は戦災復興の工事、未点灯の集落への配電線の延長、一般の民需工事が日ごとに増えた。1946年1月には戦時統制下で生まれた工事会社の存続が商工省と配電会社・工事会社の首脳の会合で論じられ、存続が決まった。1946年には宮城・山形・青森で進駐軍関係の工事が本格化し、住宅と事務所の復興建築も活発化した。1948年には鉄道と逓信の大口工事を受注し、同年9月決算の工事収入は5,309万円となった。1949年8月には建設業法に基づく建設大臣登録第11号を受けた。復興需要を配電会社の外からも獲得したことで、東北電気工事は統制会社から一般の工事業者へ性格を移したと推察される。
- ユアテック 有価証券報告書【沿革】
- [25]1945年7月、屋内配線工事の請負施工を開始
- [30]1949年8月、建設業法により建設大臣登録第11号の登録を受けた
- 東北電気工事株式会社十五年史(1959年)コマ1-50
- [26]終戦後、戦災復興工事・未点灯部落の延長工事・一般民需工事が日毎に増加した
- [27]1946年1月、商工省電力局・各配電会社・各工事会社の首脳者が会同して工事会社の将来の在り方を論じ、存続させることに衆議一決した
- [28]1946年に宮城・山形・青森地区の進駐軍関係工事が本格化し、一般住宅や事務所の復興建築も活発化した
- [29]1948年に鉄道・逓信関係の大口工事を受注し、1948年9月決算の工事収入は5,309万円となった
東北電気工事の従業員は1947年4月に従業員組合を結成し、全社で一つの単一組合とした。会社は同年9月に組合と労働協約を結び、社業の健全な発展と従業員の地位の向上を目的に掲げた。1946年の時点で組合は待遇の改善を求めており、運転資金の不足と重なって会社の資金繰りを圧迫した。単一の組織は1951年5月に解かれ、協約のない時期を経て、1953年8月に東北電気工事労働組合が結成された。会社は同年12月10日に新しい組合と協約を結び直した。再結成の月は、会社が送電線工事の請負施工を始めた月と重なった。1955年5月の月1,000円の賃上げ要求は宮城地方労働委員会の調停に持ち込まれた。労使は同年11月、基準賃金の月300円の増額と1人平均1,000円の一時金を示した調停案を受け入れた。
- 東北電気工事株式会社十五年史(1959年)コマ51-91
- [31]1947年4月、東北電気工事株式会社従業員組合を単一組合として結成した
- [32]1947年9月、会社と労働協約を締結し、社業の健全な発展と従業員の地位の向上を期した
- [34]1951年5月に単一組織を解いて組合は解散し無協約時代を生じ、1953年8月に東北電気工事労働組合を結成、1953年12月10日に会社と労働協約を締結した
- [35]1951年5月に単一組織を解いて組合は解散し無協約時代を生じ、1953年8月に東北電気工事労働組合を結成、1953年12月10日に会社と労働協約を締結した
- [37]1955年5月7日に月1,000円の賃上げを要求し、8月9日に宮城地方労働委員会へ調停を申請、11月28日の調停案(基準賃金月300円増額・一時金1人平均1,000円)を双方が受諾した
- [38]1955年5月7日に月1,000円の賃上げを要求し、8月9日に宮城地方労働委員会へ調停を申請、11月28日の調停案(基準賃金月300円増額・一時金1人平均1,000円)を双方が受諾した
- 東北電気工事株式会社十五年史(1959年)コマ1-50
- [33]1946年、工事量の増加に伴い運転資金が窮屈となるなか、従業員組合から要求が出された
- ユアテック 有価証券報告書【沿革】
- [36]1953年8月、送電線工事の請負施工を開始
参考文献[19]-[38]
- 東北電気工事株式会社十五年史(1959年)コマ1-50
- [19]1945年7月1日に本店を仙台市東二番丁102番地(東北電業会館)に移転したが、7月10日の仙台大空襲で本社・宮城支社が被災しすべてを失った
- [20]1945年7月1日に本店を仙台市東二番丁102番地(東北電業会館)に移転したが、7月10日の仙台大空襲で本社・宮城支社が被災しすべてを失った
- [21]本社仮事務所を北二番丁、宮城支社仮事務所を東七番丁の個人宅に設け、焼失書類の整備と資材・労務の手配にあたった。株券は納入直前に焼失し新潟市の印刷所に再注文した
- [22]1946年1月に仮事務所を仙台市土樋300番地(東北配電土樋変電所構内)に移し、1946年8月に仙台市南町29番の1の土地228坪42と煉瓦造2階建の建物を取得して改造した
- [23]1946年1月に仮事務所を仙台市土樋300番地(東北配電土樋変電所構内)に移し、1946年8月に仙台市南町29番の1の土地228坪42と煉瓦造2階建の建物を取得して改造した
- [26]終戦後、戦災復興工事・未点灯部落の延長工事・一般民需工事が日毎に増加した
- [27]1946年1月、商工省電力局・各配電会社・各工事会社の首脳者が会同して工事会社の将来の在り方を論じ、存続させることに衆議一決した
- [28]1946年に宮城・山形・青森地区の進駐軍関係工事が本格化し、一般住宅や事務所の復興建築も活発化した
- [29]1948年に鉄道・逓信関係の大口工事を受注し、1948年9月決算の工事収入は5,309万円となった
- [33]1946年、工事量の増加に伴い運転資金が窮屈となるなか、従業員組合から要求が出された
- ユアテック 有価証券報告書【沿革】
- [24]1947年1月、本社を仙台市南町29番地の1に移転
- [25]1945年7月、屋内配線工事の請負施工を開始
- [30]1949年8月、建設業法により建設大臣登録第11号の登録を受けた
- [36]1953年8月、送電線工事の請負施工を開始
- 東北電気工事株式会社十五年史(1959年)コマ51-91
- [31]1947年4月、東北電気工事株式会社従業員組合を単一組合として結成した
- [32]1947年9月、会社と労働協約を締結し、社業の健全な発展と従業員の地位の向上を期した
- [34]1951年5月に単一組織を解いて組合は解散し無協約時代を生じ、1953年8月に東北電気工事労働組合を結成、1953年12月10日に会社と労働協約を締結した
- [35]1951年5月に単一組織を解いて組合は解散し無協約時代を生じ、1953年8月に東北電気工事労働組合を結成、1953年12月10日に会社と労働協約を締結した
- [37]1955年5月7日に月1,000円の賃上げを要求し、8月9日に宮城地方労働委員会へ調停を申請、11月28日の調停案(基準賃金月300円増額・一時金1人平均1,000円)を双方が受諾した
- [38]1955年5月7日に月1,000円の賃上げを要求し、8月9日に宮城地方労働委員会へ調停を申請、11月28日の調停案(基準賃金月300円増額・一時金1人平均1,000円)を双方が受諾した
1951年〜送電・発変電・通信へ広げた工事と、資本金5000万円への増資
東北電気工事は1950年代の前半、東北電力の電源開発を見込んで工事の体制を組み替えた。1952年までに本社へ工事部を新設して発変電課・線路課を置き、同年6月には東北電力電気部次長の高木清二氏を部長に迎えた。会社は1953年8月に送電線工事、1955年3月に発変電工事の請負施工を始めた。1953年には東北電力の日和田―平間間の15万ボルト送電線の建設を担い、同年8月15日の新株発行で資本金を2,000万円とした。一方で政府の引締めにより只見の電源開発工事も一段落し、1954年9月決算の工事収入は約2億3千万円に減った。電源開発の工事量の波が、そのまま業績の振れとなって表れたとうかがえる。
- 東北電気工事株式会社十五年史(1959年)コマ51-91
- [39]東北電力の電源開発に備え、本社に工事部を新設して業務課・発変電課・線路課を置いた
- [40]東北電力の電源開発に備え、本社に工事部を新設して業務課・発変電課・線路課を置いた
- [41]1952年6月23日、東北電力電気部次長の高木清二を工事部長に迎えた
- [43]1953年に東北電力の日和田―平間15万ボルト送電線(日平線)の建設工事を施工し架線車などの機械工具を整備、8月15日に新株10万株の払込で資本金2,000万円となった
- [44]政府の金融引締めで只見電源開発工事も一段落し、1954年9月決算の工事収入は約2億3千万円で約1千万円減少した
- ユアテック 有価証券報告書【沿革】
- [42]1953年8月に送電線工事、1955年3月に発変電工事の請負施工を開始
東北電気工事は1955年11月、東北電力常務取締役の中田繁次氏を第3代社長に迎え、停滞した業績の立て直しに着手した。中田繁次氏は東北電力の常務を兼ねたまま就任し、経理規程と資金統制規程を改めた。1956年4月には通信工事の請負施工を始めた。1957年2月6日の臨時株主総会は、事業の進展を妨げていた資金面の制約を解くため、3,000万円の増資を決めた。3月17日の払込で資本金は5,000万円となった。1959年3月決算の完成工事高は5億9千余万円に達し、同年5月に年1割の配当を復活させた。資本と人員を厚くした中田繁次氏の施策が、空調管・土木工事への進出の足場になったと推測される。
- 東北電気工事株式会社十五年史(1959年)コマ51-91
- [45]1955年11月29日の定時株主総会で東北電力常務取締役の中田繁次が取締役に選任され、第3代社長に就任した
- [46]中田繁次は東北電力常務を兼ねたまま社長に就任し、経理規程・資金統制規程の改正や機構改革を進めた
- [48]1957年2月6日の臨時株主総会で3,000万円の増資を決議し、3月17日に払込・登記を完了して資本金5,000万円となった。目的は業績停滞の一掃と資金面の打開
- [49]1957年2月6日の臨時株主総会で3,000万円の増資を決議し、3月17日に払込・登記を完了して資本金5,000万円となった。目的は業績停滞の一掃と資金面の打開
- [50]1959年3月決算で完成工事高5億9千余万円、5月29日の定時株主総会で年1割配当を復活した
- ユアテック 有価証券報告書【沿革】
- [47]1956年4月、通信工事の請負施工を開始
参考文献[39]-[50]
- 東北電気工事株式会社十五年史(1959年)コマ51-91
- [39]東北電力の電源開発に備え、本社に工事部を新設して業務課・発変電課・線路課を置いた
- [40]東北電力の電源開発に備え、本社に工事部を新設して業務課・発変電課・線路課を置いた
- [41]1952年6月23日、東北電力電気部次長の高木清二を工事部長に迎えた
- [43]1953年に東北電力の日和田―平間15万ボルト送電線(日平線)の建設工事を施工し架線車などの機械工具を整備、8月15日に新株10万株の払込で資本金2,000万円となった
- [44]政府の金融引締めで只見電源開発工事も一段落し、1954年9月決算の工事収入は約2億3千万円で約1千万円減少した
- [45]1955年11月29日の定時株主総会で東北電力常務取締役の中田繁次が取締役に選任され、第3代社長に就任した
- [46]中田繁次は東北電力常務を兼ねたまま社長に就任し、経理規程・資金統制規程の改正や機構改革を進めた
- [48]1957年2月6日の臨時株主総会で3,000万円の増資を決議し、3月17日に払込・登記を完了して資本金5,000万円となった。目的は業績停滞の一掃と資金面の打開
- [49]1957年2月6日の臨時株主総会で3,000万円の増資を決議し、3月17日に払込・登記を完了して資本金5,000万円となった。目的は業績停滞の一掃と資金面の打開
- [50]1959年3月決算で完成工事高5億9千余万円、5月29日の定時株主総会で年1割配当を復活した
- ユアテック 有価証券報告書【沿革】
- [42]1953年8月に送電線工事、1955年3月に発変電工事の請負施工を開始
- [47]1956年4月、通信工事の請負施工を開始
出典・参考
4件
- ユアテック 有価証券報告書【沿革】
- 東北電気工事株式会社十五年史(1959年)コマ1-50
- 東北電気工事株式会社十五年史(1959年)コマ51-91
- ユアテック お知らせ 2014年「ユアテック創立70周年記念事業について」