配電線の工事から出発し、戦後に工事の種類を一つずつ増やした会社である。1945年7月に配電線に次いで屋内配線工事の請負を始め、終戦後は戦災復興と民需の工事を取り込んだ。1953年8月には東北電力の電源開発を見込んで送電線工事に入り、1955年3月に発変電工事、1956年4月に通信工事へと範囲を広げた。一方で電源開発の工事量の波が業績を揺らし、1955年11月に東北電力常務の中田繁次氏を第3代社長に迎えた。1957年3月の払込で資本金を5,000万円とし、1959年5月には年1割の配当を復活させた。