第1章 年〜年

第二電電:第二電電企画の設立と東京・大阪間のマイクロ波中継網

1984年〜内輪の会合で通信への参入を切り出した稲盛和夫氏と、中核5社が出資した第二電電企画

1983年暮れ、京セラ社長の稲盛和夫氏は少人数の会合の席で『電気通信をやろうと思う』と切り出した。通信の自由化が決まった後も、電電公社に対抗する事業者として名乗り出る民間企業はなかった。ウシオ電機の牛尾治朗氏が即座に協力を約束し、セコムの飯田亮氏とソニーの盛田昭夫氏も構想に賛同した。稲盛和夫氏が掲げた目的は、高度情報社会に備えて通信コストを引き下げることにあった。翌1984年、第二電電企画の設立は産業界の話題となり、稲盛和夫氏は経済誌の読者調査で今年の経営者の首位に選ばれた。稲盛和夫氏への注目も追い風となり、第二電電企画は資本の調達を滞りなく終えた。大企業が動かない空白に部品会社の創業者が自ら名乗り出たことが、出資者を引き寄せる起点になったとみられる。

  • 日経ビジネス 2000年4月17日号
    • [1]1983年暮れの内輪の会合で稲盛和夫が電気通信への参入を表明し、誰も手を挙げない中で牛尾治朗が協力を即答、飯田亮・盛田昭夫も理解を示した(牛尾治朗「私の履歴書」の引用)
    • [2]1983年暮れの内輪の会合で稲盛和夫が電気通信への参入を表明し、誰も手を挙げない中で牛尾治朗が協力を即答、飯田亮・盛田昭夫も理解を示した(牛尾治朗「私の履歴書」の引用)
    • [3]1983年暮れの内輪の会合で稲盛和夫が電気通信への参入を表明し、誰も手を挙げない中で牛尾治朗が協力を即答、飯田亮・盛田昭夫も理解を示した(牛尾治朗「私の履歴書」の引用)
  • Decide 4(3)(29) 1986年
    • [4]稲盛和夫は高度情報社会の通信コストを下げるため誰かがやらねばならない事業と位置づけた
  • 日経ビジネス 1984年12月24日号
    • [5]1984年、電電公社の独占に挑む第二電電企画の設立が産業界の話題となり、稲盛和夫が読者調査で今年の経営者1位に選ばれた。稲盛神話のお陰で資本調達も順調に済んだ
    • [6]1984年、電電公社の独占に挑む第二電電企画の設立が産業界の話題となり、稲盛和夫が読者調査で今年の経営者1位に選ばれた。稲盛神話のお陰で資本調達も順調に済んだ

1984年6月1日、京セラなどが中心となり、通信事業の事業化を調べる会社として第二電電企画が東京都世田谷区に設立された。出資の中核は京セラ・ソニー・ウシオ電機・セコム・三菱商事の5社で、経営の責任は京セラが負った。盛田昭夫氏、飯田亮氏、牛尾治朗氏、三菱商事社長の三村庸平氏は非常勤取締役に名を連ねた。京セラの高い収益力は、提携先を引き寄せる信用の裏付けとみなされた。月1回の取締役会では本人の出席を義務づけ、非常勤と常勤の役員が新サービスを議論した。5社はいずれも当事者能力を持ち、資金調達の際には5社で融資を保証する案も取り沙汰されていた。一社が巨額の設備投資を背負わず、信用力のある5社が責任を分け合う構成が資金面の不安を和らげたのだろう。

  • 証券 45(11) 1993年(新規上場会社紹介)
    • [7]1984年6月、京セラ等が中心となり電気通信事業の企業化調査を目的に東京都世田谷区に第二電電企画を設立
  • 日経ビジネス 1985年10月14日号
    • [8]経営は京セラが責任を持ち、中核5社の責任が明確。月1回の取締役会は本人出席が義務で、必要なら5社で融資保証とも言われた
    • [11]経営は京セラが責任を持ち、中核5社の責任が明確。月1回の取締役会は本人出席が義務で、必要なら5社で融資保証とも言われた
    • [12]経営は京セラが責任を持ち、中核5社の責任が明確。月1回の取締役会は本人出席が義務で、必要なら5社で融資保証とも言われた
  • Decide 4(3)(29) 1986年
    • [9]盛田昭夫・飯田亮・牛尾治朗・三村庸平が非常勤取締役に就任。飯田亮は京セラの高収益が担保力となりパートナーが集まると評した
    • [10]盛田昭夫・飯田亮・牛尾治朗・三村庸平が非常勤取締役に就任。飯田亮は京セラの高収益が担保力となりパートナーが集まると評した

第二電電企画の社長には、通産省で資源エネルギー庁長官を務め、京セラの副会長に転じていた森山信吾氏が就任した。森山信吾氏は通産省時代、粘り強い根回しの手腕で知られた。会長は稲盛和夫氏が兼ね、電電公社から京セラに移っていた千本倖生氏が専務として経営の中枢に加わった。日常の業務執行は、森山信吾氏と郵政省出身の2人、NTT出身の1人から成る常勤取締役に一任された。森山信吾氏が最初に手がけたのは、出資者と将来の利用者の輪を広げる説得の仕事だった。技術者についてはNTTからの出向をほとんど受けず、独自の募集と引き抜きで20人以上を確保した。許認可を握る郵政省の出身者を常勤に置いた布陣は、規制当局との調整を見据えたものと推察される。

  • Decide 4(3)(29) 1986年
    • [13]社長に通産省資源エネルギー庁長官から京セラ入り(副社長、のち副会長)した森山信吾、会長に稲盛和夫、専務に電電公社出身の千本倖生。森山は通産省時代に寝技師の異名をとった。森山はまずパートナーの輪を広げる説得に当たった
    • [14]社長に通産省資源エネルギー庁長官から京セラ入り(副社長、のち副会長)した森山信吾、会長に稲盛和夫、専務に電電公社出身の千本倖生。森山は通産省時代に寝技師の異名をとった。森山はまずパートナーの輪を広げる説得に当たった
    • [15]社長に通産省資源エネルギー庁長官から京セラ入り(副社長、のち副会長)した森山信吾、会長に稲盛和夫、専務に電電公社出身の千本倖生。森山は通産省時代に寝技師の異名をとった。森山はまずパートナーの輪を広げる説得に当たった
    • [17]社長に通産省資源エネルギー庁長官から京セラ入り(副社長、のち副会長)した森山信吾、会長に稲盛和夫、専務に電電公社出身の千本倖生。森山は通産省時代に寝技師の異名をとった。森山はまずパートナーの輪を広げる説得に当たった
  • 日経ビジネス 1985年10月14日号
    • [16]日常の業務執行は通産省OBの森山社長と郵政省OB2人・NTT OB1人の常勤取締役に一任。NTTからの出向を仰がず独自募集・引き抜きで20人以上の技術者を確保
    • [18]日常の業務執行は通産省OBの森山社長と郵政省OB2人・NTT OB1人の常勤取締役に一任。NTTからの出向を仰がず独自募集・引き抜きで20人以上の技術者を確保
参考文献[1]-[18]
  • 日経ビジネス 2000年4月17日号
    • [1]1983年暮れの内輪の会合で稲盛和夫が電気通信への参入を表明し、誰も手を挙げない中で牛尾治朗が協力を即答、飯田亮・盛田昭夫も理解を示した(牛尾治朗「私の履歴書」の引用)
    • [2]1983年暮れの内輪の会合で稲盛和夫が電気通信への参入を表明し、誰も手を挙げない中で牛尾治朗が協力を即答、飯田亮・盛田昭夫も理解を示した(牛尾治朗「私の履歴書」の引用)
    • [3]1983年暮れの内輪の会合で稲盛和夫が電気通信への参入を表明し、誰も手を挙げない中で牛尾治朗が協力を即答、飯田亮・盛田昭夫も理解を示した(牛尾治朗「私の履歴書」の引用)
  • Decide 4(3)(29) 1986年
    • [4]稲盛和夫は高度情報社会の通信コストを下げるため誰かがやらねばならない事業と位置づけた
    • [9]盛田昭夫・飯田亮・牛尾治朗・三村庸平が非常勤取締役に就任。飯田亮は京セラの高収益が担保力となりパートナーが集まると評した
    • [10]盛田昭夫・飯田亮・牛尾治朗・三村庸平が非常勤取締役に就任。飯田亮は京セラの高収益が担保力となりパートナーが集まると評した
    • [13]社長に通産省資源エネルギー庁長官から京セラ入り(副社長、のち副会長)した森山信吾、会長に稲盛和夫、専務に電電公社出身の千本倖生。森山は通産省時代に寝技師の異名をとった。森山はまずパートナーの輪を広げる説得に当たった
    • [14]社長に通産省資源エネルギー庁長官から京セラ入り(副社長、のち副会長)した森山信吾、会長に稲盛和夫、専務に電電公社出身の千本倖生。森山は通産省時代に寝技師の異名をとった。森山はまずパートナーの輪を広げる説得に当たった
    • [15]社長に通産省資源エネルギー庁長官から京セラ入り(副社長、のち副会長)した森山信吾、会長に稲盛和夫、専務に電電公社出身の千本倖生。森山は通産省時代に寝技師の異名をとった。森山はまずパートナーの輪を広げる説得に当たった
    • [17]社長に通産省資源エネルギー庁長官から京セラ入り(副社長、のち副会長)した森山信吾、会長に稲盛和夫、専務に電電公社出身の千本倖生。森山は通産省時代に寝技師の異名をとった。森山はまずパートナーの輪を広げる説得に当たった
  • 日経ビジネス 1984年12月24日号
    • [5]1984年、電電公社の独占に挑む第二電電企画の設立が産業界の話題となり、稲盛和夫が読者調査で今年の経営者1位に選ばれた。稲盛神話のお陰で資本調達も順調に済んだ
    • [6]1984年、電電公社の独占に挑む第二電電企画の設立が産業界の話題となり、稲盛和夫が読者調査で今年の経営者1位に選ばれた。稲盛神話のお陰で資本調達も順調に済んだ
  • 証券 45(11) 1993年(新規上場会社紹介)
    • [7]1984年6月、京セラ等が中心となり電気通信事業の企業化調査を目的に東京都世田谷区に第二電電企画を設立
  • 日経ビジネス 1985年10月14日号
    • [8]経営は京セラが責任を持ち、中核5社の責任が明確。月1回の取締役会は本人出席が義務で、必要なら5社で融資保証とも言われた
    • [11]経営は京セラが責任を持ち、中核5社の責任が明確。月1回の取締役会は本人出席が義務で、必要なら5社で融資保証とも言われた
    • [12]経営は京セラが責任を持ち、中核5社の責任が明確。月1回の取締役会は本人出席が義務で、必要なら5社で融資保証とも言われた
    • [16]日常の業務執行は通産省OBの森山社長と郵政省OB2人・NTT OB1人の常勤取締役に一任。NTTからの出向を仰がず独自募集・引き抜きで20人以上の技術者を確保
    • [18]日常の業務執行は通産省OBの森山社長と郵政省OB2人・NTT OB1人の常勤取締役に一任。NTTからの出向を仰がず独自募集・引き抜きで20人以上の技術者を確保

1985年〜第一種電気通信事業の許可と、鉄道も道路も持たない新電電が選んだ5ギガヘルツのマイクロ波

1985年4月、公衆電気通信法に代わる電気通信事業法が施行され、国内の電気通信事業に競争原理が持ち込まれた。法改正の土台は、1982年7月に臨時行政調査会がまとめた第三次答申である。第二電電企画は施行に合わせて商号を第二電電に改め、事業目的を電気通信事業へ切り替えた。6月には、自ら回線設備を持つ第一種の電気通信事業者として郵政省の許可を得た。100年余り国家が独占してきた市場で、自由化と同時に参入を表明した民間企業が第二電電だった。同じ地上系では国鉄系の日本テレコムと道路公団系の日本高速通信も名乗りを上げ、衛星系の2社も参入を図った。有力な後続が相次いだことで、許可の取得は開業準備を急がせる契機にもなったと考えられる。

  • 証券 45(11) 1993年(新規上場会社紹介)
    • [19]1985年4月電気通信事業法施行(臨調第三次答申1982年7月を踏まえる)。同月第二電電に商号変更し事業目的を電気通信事業に変更、6月に郵政省から第一種電気通信事業の許可
    • [20]1985年4月電気通信事業法施行(臨調第三次答申1982年7月を踏まえる)。同月第二電電に商号変更し事業目的を電気通信事業に変更、6月に郵政省から第一種電気通信事業の許可
    • [21]1985年4月電気通信事業法施行(臨調第三次答申1982年7月を踏まえる)。同月第二電電に商号変更し事業目的を電気通信事業に変更、6月に郵政省から第一種電気通信事業の許可
    • [22]1985年4月電気通信事業法施行(臨調第三次答申1982年7月を踏まえる)。同月第二電電に商号変更し事業目的を電気通信事業に変更、6月に郵政省から第一種電気通信事業の許可
  • 証券アナリストジャーナル 31(10) 1993年9月
    • [23]1985年4月の通信自由化に対応して真っ先に新規参入したのが第二電電(神田延祐社長の説明)
  • Decide 4(3)(29) 1986年
    • [24]第一種の新規参入は地上系に日本テレコム(国鉄系)・日本高速通信(道路公団系)、衛星系に2社

日本テレコムには国鉄が、日本高速通信には建設省と日本道路公団が後ろ盾として付いていた。両社は線路や高速道路に沿って光ファイバーを敷設でき、第二電電にはその利権がなかった。光ファイバーは地続きの用地を大量に要し、無線は中継所の用地だけで回線を延ばせる。第二電電は5ギガヘルツ帯のマイクロ波を採用し、懸案だった用地の手当てにも1985年秋に見通しが立った。同年9月10日に大阪府茨木市のネットワークセンターを着工し、以後は名古屋、東京の順にセンターと中継所の建設に着手した。無線は不安定だとする批判も出たが、豪雨で障害が起きていたのは26ギガヘルツの準ミリ波で、5ギガヘルツ帯ではない。用地を持たない弱みを、中継所の点を結ぶ無線の機動性で補った選択と思われる。

  • 日経ビジネス 2000年4月17日号
    • [25]日本テレコムには国鉄、日本高速通信(テレウエイ)には建設省・日本道路公団の後ろ盾があり鉄道・高速道路に光ファイバーを敷設しやすかったがDDIにはその利権がない
    • [26]日本テレコムには国鉄、日本高速通信(テレウエイ)には建設省・日本道路公団の後ろ盾があり鉄道・高速道路に光ファイバーを敷設しやすかったがDDIにはその利権がない
  • 証券 45(11) 1993年(新規上場会社紹介)
    • [27]光ファイバーは敷設に地続きの用地が相当必要で、第二電電は用地獲得の支障が少ない無線方式を採用
  • 日経ビジネス 1985年10月14日号
    • [28]5GHzマイクロ波を使用、土地取得にメドが立ち1985年9月10日に大阪・茨木市のネットワークセンターを着工、以後名古屋・東京へ。集中豪雨で障害が出るのは26GHzの準ミリ波
    • [29]5GHzマイクロ波を使用、土地取得にメドが立ち1985年9月10日に大阪・茨木市のネットワークセンターを着工、以後名古屋・東京へ。集中豪雨で障害が出るのは26GHzの準ミリ波
    • [30]5GHzマイクロ波を使用、土地取得にメドが立ち1985年9月10日に大阪・茨木市のネットワークセンターを着工、以後名古屋・東京へ。集中豪雨で障害が出るのは26GHzの準ミリ波

1985年12月、第二電電は市外電話に使う接続番号として「0077」を割り当てられた。利用者は登録を済ませた後、0077に続けて相手先の番号を回すことで第二電電の回線を使う。電話機から第二電電の網までは両端ともNTTの市内網を通り、その区間の料金を足して請求する仕組みである。このため、NTTに払う接続料金の水準は森山信吾氏にとって『死活の問題』となった。NTTの真藤恒社長は市内電話の赤字の分担を求め、決着は郵政大臣の裁定に委ねられる見通しだった。4桁を余分に回す手間に対し、第二電電は東京・大阪間の料金をNTTより3割安くする計画を掲げた。番号を足す負担を料金の差で埋められるかどうかが、乗り換えの成否を左右したのではないか。

  • 証券 45(11) 1993年(新規上場会社紹介)
    • [31]1985年12月に市外電話サービスの接続番号「0077」の指定。登録後「0077+相手先番号」で利用し、4桁を余計にダイヤルする短所がある
    • [32]1985年12月に市外電話サービスの接続番号「0077」の指定。登録後「0077+相手先番号」で利用し、4桁を余計にダイヤルする短所がある
  • 証券アナリストジャーナル 31(10) 1993年9月
    • [33]両端にNTTの市内回線を利用し、自社網の料金とNTT回線部分を合算する足し算方式
  • Decide 4(3)(29) 1986年
    • [34]アクセスチャージ(接続料金)が森山社長の言う死活の問題。真藤恒NTT社長は市内赤字の負担を主張、最終的に郵政大臣の裁決に委ねられる。東京―大阪の料金はNTTより3割安くする方針
    • [35]アクセスチャージ(接続料金)が森山社長の言う死活の問題。真藤恒NTT社長は市内赤字の負担を主張、最終的に郵政大臣の裁決に委ねられる。東京―大阪の料金はNTTより3割安くする方針
    • [36]アクセスチャージ(接続料金)が森山社長の言う死活の問題。真藤恒NTT社長は市内赤字の負担を主張、最終的に郵政大臣の裁決に委ねられる。東京―大阪の料金はNTTより3割安くする方針
参考文献[19]-[36]
  • 証券 45(11) 1993年(新規上場会社紹介)
    • [19]1985年4月電気通信事業法施行(臨調第三次答申1982年7月を踏まえる)。同月第二電電に商号変更し事業目的を電気通信事業に変更、6月に郵政省から第一種電気通信事業の許可
    • [20]1985年4月電気通信事業法施行(臨調第三次答申1982年7月を踏まえる)。同月第二電電に商号変更し事業目的を電気通信事業に変更、6月に郵政省から第一種電気通信事業の許可
    • [21]1985年4月電気通信事業法施行(臨調第三次答申1982年7月を踏まえる)。同月第二電電に商号変更し事業目的を電気通信事業に変更、6月に郵政省から第一種電気通信事業の許可
    • [22]1985年4月電気通信事業法施行(臨調第三次答申1982年7月を踏まえる)。同月第二電電に商号変更し事業目的を電気通信事業に変更、6月に郵政省から第一種電気通信事業の許可
    • [27]光ファイバーは敷設に地続きの用地が相当必要で、第二電電は用地獲得の支障が少ない無線方式を採用
    • [31]1985年12月に市外電話サービスの接続番号「0077」の指定。登録後「0077+相手先番号」で利用し、4桁を余計にダイヤルする短所がある
    • [32]1985年12月に市外電話サービスの接続番号「0077」の指定。登録後「0077+相手先番号」で利用し、4桁を余計にダイヤルする短所がある
  • 証券アナリストジャーナル 31(10) 1993年9月
    • [23]1985年4月の通信自由化に対応して真っ先に新規参入したのが第二電電(神田延祐社長の説明)
    • [33]両端にNTTの市内回線を利用し、自社網の料金とNTT回線部分を合算する足し算方式
  • Decide 4(3)(29) 1986年
    • [24]第一種の新規参入は地上系に日本テレコム(国鉄系)・日本高速通信(道路公団系)、衛星系に2社
    • [34]アクセスチャージ(接続料金)が森山社長の言う死活の問題。真藤恒NTT社長は市内赤字の負担を主張、最終的に郵政大臣の裁決に委ねられる。東京―大阪の料金はNTTより3割安くする方針
    • [35]アクセスチャージ(接続料金)が森山社長の言う死活の問題。真藤恒NTT社長は市内赤字の負担を主張、最終的に郵政大臣の裁決に委ねられる。東京―大阪の料金はNTTより3割安くする方針
    • [36]アクセスチャージ(接続料金)が森山社長の言う死活の問題。真藤恒NTT社長は市内赤字の負担を主張、最終的に郵政大臣の裁決に委ねられる。東京―大阪の料金はNTTより3割安くする方針
  • 日経ビジネス 2000年4月17日号
    • [25]日本テレコムには国鉄、日本高速通信(テレウエイ)には建設省・日本道路公団の後ろ盾があり鉄道・高速道路に光ファイバーを敷設しやすかったがDDIにはその利権がない
    • [26]日本テレコムには国鉄、日本高速通信(テレウエイ)には建設省・日本道路公団の後ろ盾があり鉄道・高速道路に光ファイバーを敷設しやすかったがDDIにはその利権がない
  • 日経ビジネス 1985年10月14日号
    • [28]5GHzマイクロ波を使用、土地取得にメドが立ち1985年9月10日に大阪・茨木市のネットワークセンターを着工、以後名古屋・東京へ。集中豪雨で障害が出るのは26GHzの準ミリ波
    • [29]5GHzマイクロ波を使用、土地取得にメドが立ち1985年9月10日に大阪・茨木市のネットワークセンターを着工、以後名古屋・東京へ。集中豪雨で障害が出るのは26GHzの準ミリ波
    • [30]5GHzマイクロ波を使用、土地取得にメドが立ち1985年9月10日に大阪・茨木市のネットワークセンターを着工、以後名古屋・東京へ。集中豪雨で障害が出るのは26GHzの準ミリ波

1986年〜東京・大阪間を結んだマイクロ波中継網と、10月24日に始めた専用サービスの営業

1986年8月、着工から1年足らずで東京・大阪間のネットワークが完成した。東京・大阪間には8か所の中継局を置き、交換機を含む設備をすべて高速デジタル方式でそろえた。サービス開始は当初1987年と見込んでいたが、後続の2社が参入したことで予定が早まった。名古屋のネットワークセンターは地形の都合で愛知県一宮市に置かれ、名古屋駅前のビル屋上のアンテナで中継した。10月1日に第1期の建設工事を終え、営業前の試験に入った。設備投資は約300数十億円を全額借入金で賄い、5年後の単年度黒字化と7年後の累積赤字解消を計画に掲げた。借入金だけで幹線を急いだ背景には、競合より先に顧客を押さえる必要があったとうかがえる。

  • 証券 45(11) 1993年(新規上場会社紹介)
    • [37]東京・大阪間のネットワーク建設に着手し、1986年8月に同ネットワークが完成
  • Decide 4(3)(29) 1986年
    • [38]東京―大阪間はマイクロ無線で8カ所の中継局、設備は高速デジタル化。当初1987年開始と踏んだが後続NCC2社の参入で早まった
    • [39]東京―大阪間はマイクロ無線で8カ所の中継局、設備は高速デジタル化。当初1987年開始と踏んだが後続NCC2社の参入で早まった
  • 中部財界 29(12) 1986年「10月24日から営業スタートした京セラ系「第二電電」名古屋事務所」
    • [40]名古屋ネットワークセンターは一宮市、名駅前ビル屋上のアンテナで中継。10月1日に第一期建設工事完了し試験中。設備投資約300数十億円は全額借入、5年後単年度黒字・7年後累損一掃の計画
    • [41]名古屋ネットワークセンターは一宮市、名駅前ビル屋上のアンテナで中継。10月1日に第一期建設工事完了し試験中。設備投資約300数十億円は全額借入、5年後単年度黒字・7年後累損一掃の計画
    • [42]名古屋ネットワークセンターは一宮市、名駅前ビル屋上のアンテナで中継。10月1日に第一期建設工事完了し試験中。設備投資約300数十億円は全額借入、5年後単年度黒字・7年後累損一掃の計画

1986年10月24日、第二電電は東京・名古屋・大阪の間で企業向け専用サービスの営業を始めた。対象は通信量の多い大手・中堅企業に限り、一般向けの市外電話は翌年夏に始める予定とした。料金は名古屋本社と東京支社を結ぶ例で月額27万4000円とし、NTTの35万円を22%下回った。日本テレコムは8月1日に営業を始めており、日本高速通信の開業も11月に迫っていた。1985年10月時点で、第二電電はすでに100社近くと専用回線の仮契約を結んだ。幹部の狙いは公衆回線の電話市場にあり、専用回線の貸し出しは確実でも利幅の薄い商売とみなされていた。一般向けの市外電話の営業は、1987年9月に始まった。大口顧客との取引を先に固め、市外電話の開業へ顧客をつなぐ順序を選んだのだろう。

  • 中部財界 29(12) 1986年「10月24日から営業スタートした京セラ系「第二電電」名古屋事務所」
    • [43]1986年10月24日から東京―名古屋―大阪間で企業向け専用回線サービスを開始。対象は大手・中堅企業のみ、市外電話は来夏開始予定。名古屋本社―東京支社の例でDDI月額27万4000円、NTT35万円で22%安い。日本テレコムは8月1日開業、日本高速通信は11月開業
    • [44]1986年10月24日から東京―名古屋―大阪間で企業向け専用回線サービスを開始。対象は大手・中堅企業のみ、市外電話は来夏開始予定。名古屋本社―東京支社の例でDDI月額27万4000円、NTT35万円で22%安い。日本テレコムは8月1日開業、日本高速通信は11月開業
    • [45]1986年10月24日から東京―名古屋―大阪間で企業向け専用回線サービスを開始。対象は大手・中堅企業のみ、市外電話は来夏開始予定。名古屋本社―東京支社の例でDDI月額27万4000円、NTT35万円で22%安い。日本テレコムは8月1日開業、日本高速通信は11月開業
    • [46]1986年10月24日から東京―名古屋―大阪間で企業向け専用回線サービスを開始。対象は大手・中堅企業のみ、市外電話は来夏開始予定。名古屋本社―東京支社の例でDDI月額27万4000円、NTT35万円で22%安い。日本テレコムは8月1日開業、日本高速通信は11月開業
  • 日経ビジネス 1985年10月14日号
    • [47]1985年10月時点で100社近くと専用回線の仮契約。基本戦略は専用より公衆回線の電話で、回線貸しは確実だが利は薄いとの見方
    • [48]1985年10月時点で100社近くと専用回線の仮契約。基本戦略は専用より公衆回線の電話で、回線貸しは確実だが利は薄いとの見方
  • 証券 45(11) 1993年(新規上場会社紹介)
    • [49]1986年10月に専用サービス、1987年9月に一般の市外電話サービスの営業を開始
参考文献[37]-[49]
  • 証券 45(11) 1993年(新規上場会社紹介)
    • [37]東京・大阪間のネットワーク建設に着手し、1986年8月に同ネットワークが完成
    • [49]1986年10月に専用サービス、1987年9月に一般の市外電話サービスの営業を開始
  • Decide 4(3)(29) 1986年
    • [38]東京―大阪間はマイクロ無線で8カ所の中継局、設備は高速デジタル化。当初1987年開始と踏んだが後続NCC2社の参入で早まった
    • [39]東京―大阪間はマイクロ無線で8カ所の中継局、設備は高速デジタル化。当初1987年開始と踏んだが後続NCC2社の参入で早まった
  • 中部財界 29(12) 1986年「10月24日から営業スタートした京セラ系「第二電電」名古屋事務所」
    • [40]名古屋ネットワークセンターは一宮市、名駅前ビル屋上のアンテナで中継。10月1日に第一期建設工事完了し試験中。設備投資約300数十億円は全額借入、5年後単年度黒字・7年後累損一掃の計画
    • [41]名古屋ネットワークセンターは一宮市、名駅前ビル屋上のアンテナで中継。10月1日に第一期建設工事完了し試験中。設備投資約300数十億円は全額借入、5年後単年度黒字・7年後累損一掃の計画
    • [42]名古屋ネットワークセンターは一宮市、名駅前ビル屋上のアンテナで中継。10月1日に第一期建設工事完了し試験中。設備投資約300数十億円は全額借入、5年後単年度黒字・7年後累損一掃の計画
    • [43]1986年10月24日から東京―名古屋―大阪間で企業向け専用回線サービスを開始。対象は大手・中堅企業のみ、市外電話は来夏開始予定。名古屋本社―東京支社の例でDDI月額27万4000円、NTT35万円で22%安い。日本テレコムは8月1日開業、日本高速通信は11月開業
    • [44]1986年10月24日から東京―名古屋―大阪間で企業向け専用回線サービスを開始。対象は大手・中堅企業のみ、市外電話は来夏開始予定。名古屋本社―東京支社の例でDDI月額27万4000円、NTT35万円で22%安い。日本テレコムは8月1日開業、日本高速通信は11月開業
    • [45]1986年10月24日から東京―名古屋―大阪間で企業向け専用回線サービスを開始。対象は大手・中堅企業のみ、市外電話は来夏開始予定。名古屋本社―東京支社の例でDDI月額27万4000円、NTT35万円で22%安い。日本テレコムは8月1日開業、日本高速通信は11月開業
    • [46]1986年10月24日から東京―名古屋―大阪間で企業向け専用回線サービスを開始。対象は大手・中堅企業のみ、市外電話は来夏開始予定。名古屋本社―東京支社の例でDDI月額27万4000円、NTT35万円で22%安い。日本テレコムは8月1日開業、日本高速通信は11月開業
  • 日経ビジネス 1985年10月14日号
    • [47]1985年10月時点で100社近くと専用回線の仮契約。基本戦略は専用より公衆回線の電話で、回線貸しは確実だが利は薄いとの見方
    • [48]1985年10月時点で100社近くと専用回線の仮契約。基本戦略は専用より公衆回線の電話で、回線貸しは確実だが利は薄いとの見方

出典・参考

7件
出典・参考
  • 日経ビジネス 1984年12月24日号
  • 日経ビジネス 1985年10月14日号
  • 証券アナリストジャーナル 31(10) 1993年9月
  • 日経ビジネス 2000年4月17日号
  • Decide 4(3)(29) 1986年
  • 中部財界 29(12) 1986年「10月24日から営業スタートした京セラ系「第二電電」名古屋事務所」
  • 証券 45(11) 1993年(新規上場会社紹介)

免責事項およびポリシー