第1章 年〜年

西部ガスホールディングス:西部瓦斯の設立と九州瓦斯の吸収合併

1930年〜東邦瓦斯の九州区域から分かれた資本金1000万円の西部瓦斯と、実質16%の値下げ

東邦瓦斯は1930年12月1日、福岡・熊本・佐世保・長崎の4地区のガス事業を分け、資本金1,000万円の西部瓦斯を設立した。4地区はもと西部合同瓦斯の事業で、経営の悪化した同社を東邦瓦斯が1927年4月に合併し、直接立て直しにあたった。東邦瓦斯社長の岡本櫻氏は合併の時点から、4地区を再び独立会社とする構想を抱いた。合併差益で資産を整理し施設を改めた結果、九州区域は自立に支障のない状態に達した。分離の根拠は、設立理由書の『其地方ノ実情ニ応ジテ適当ニ分合経営スルヲ本義トスベキナリ』という一文に置かれた。新会社の20万株のうち19万9,000株は東邦瓦斯が現物出資で引き受け、投資は株式として手元に残る仕組みである。経営は地元に返し、資本の系列は東邦瓦斯に残す分離だったとみられる。

  • 西部瓦斯株式会社史(1982)
    • [1]設立理由書:合併差益で九州区域の資産を整理し施設を改善、自立可能に。地方の実情に応じた分合経営を本義とし、西部瓦斯を新設して営業を継承。20万株中19万9,000株を東邦瓦斯が現物出資で引受
    • [3]西部合同瓦斯は1927年4月東邦瓦斯に合併。岡本櫻社長は当時から同地域を再び分離独立させる構想を持つ
    • [5]西部合同瓦斯は1927年4月東邦瓦斯に合併。岡本櫻社長は当時から同地域を再び分離独立させる構想を持つ
    • [6]設立理由書:合併差益で九州区域の資産を整理し施設を改善、自立可能に。地方の実情に応じた分合経営を本義とし、西部瓦斯を新設して営業を継承。20万株中19万9,000株を東邦瓦斯が現物出資で引受
    • [7]設立理由書:合併差益で九州区域の資産を整理し施設を改善、自立可能に。地方の実情に応じた分合経営を本義とし、西部瓦斯を新設して営業を継承。20万株中19万9,000株を東邦瓦斯が現物出資で引受
    • [8]設立理由書:合併差益で九州区域の資産を整理し施設を改善、自立可能に。地方の実情に応じた分合経営を本義とし、西部瓦斯を新設して営業を継承。20万株中19万9,000株を東邦瓦斯が現物出資で引受
  • 証券アナリストジャーナル 34巻8号(1996年7月)別冊付録 西部ガス(副社長 平山良明)
    • [2]西部ガスは1930年12月1日設立。福岡・熊本・長崎・佐世保の事業を東邦ガスから継承
  • 証券 26巻2号(1974)
    • [4]前身の西部合同瓦斯は経営悪化から東邦瓦斯に吸収合併。西部瓦斯は東邦瓦斯から同事業部分を切り離し資本金1,000万円で福岡市に設立

東邦瓦斯は1930年2月22日、九州4地区の公示熱量を3,100kcalから3,600kcalへ引き上げ、料金は据え置いた。1期で約11万円の減益を伴う実質16%の値下げ。狙いは、石炭の値下がりで生じる利益を自ら需要家に還元し、料金をめぐる世論に先手を打つことにあった。そこへ1930年1月の金解禁による不況と、ニューヨーク株式市場の暴落に始まる世界恐慌の波が重なった。収支の見通しが危うくなり、東邦瓦斯は4月24日に設立延期願を出して6月10日に年末までの延期を認められた。3,600kcalの熱量はその後、原料を石油系に切り替える1964年まで変わらなかった。減益を承知で値下げを先に済ませたのは、新会社の発足後に料金をめぐる対立を避ける意図だったと推察される。

  • 西部瓦斯株式会社史(1982)
    • [9]設立に先立ち公示熱量を3,100kcalから3,600kcalへ引上げ料金据置き=実質16%値下げ、1期約11万円の減益。金解禁・世界恐慌で1930年4月24日設立延期願、6月10日許可
    • [10]1930年2月22日から東邦瓦斯九州管区(福岡・熊本・佐世保・長崎)の熱量を3,600kcalに変更
    • [11]設立に先立ち公示熱量を3,100kcalから3,600kcalへ引上げ料金据置き=実質16%値下げ、1期約11万円の減益。金解禁・世界恐慌で1930年4月24日設立延期願、6月10日許可
    • [12]熱量引上げ・料金据置きは石炭値下りの利益を自発的に需要家へ還元し、世論の動向に事前に対処する措置
    • [13]設立に先立ち公示熱量を3,100kcalから3,600kcalへ引上げ料金据置き=実質16%値下げ、1期約11万円の減益。金解禁・世界恐慌で1930年4月24日設立延期願、6月10日許可
    • [14]設立に先立ち公示熱量を3,100kcalから3,600kcalへ引上げ料金据置き=実質16%値下げ、1期約11万円の減益。金解禁・世界恐慌で1930年4月24日設立延期願、6月10日許可
  • 証券アナリストジャーナル 35巻7号(1997年6月)別冊付録 西部ガス(副社長 平山良明)
    • [15]1964年に原料を石炭から石油系へ切り替え、熱量を3,600kcalから4,500kcalへ変更

西部瓦斯は1934年2月23日に社長制を敷き、専務取締役の山脇正次氏が初代社長に就任した。設立時の定款は社長制を予定しながら発足の際に改め、会社を代表する専務取締役に山脇正次氏を置いた。岡本櫻氏は東邦瓦斯社長のまま、東邦電力社長の松永安左衛門氏とともに西部瓦斯の相談役に名を連ねた。山脇正次氏は北九州の九州瓦斯の代表者も兼ね、両社は同じ代表者を持つ兄弟会社として並んだ。重要事項は岡本櫻氏の指示を仰ぎつつ、設立以来の経営は山脇正次氏が現地で掌握した。東邦瓦斯の事業を継いで生まれた経緯から、設立当初の西部瓦斯は東邦瓦斯と深い結びつきを持った。社長制への移行は、方針を示す岡本櫻氏と現地を率いる山脇正次氏の分担を形にしたものと思われる。

  • 西部瓦斯株式会社史(1982)
    • [16]両社とも定款に社長制を予定したが設立時に変更。山脇正次は九州瓦斯・西部瓦斯の代表。西部瓦斯は1934年2月に社長制、23日に山脇が初代社長
    • [17]両社とも定款に社長制を予定したが設立時に変更。山脇正次は九州瓦斯・西部瓦斯の代表。西部瓦斯は1934年2月に社長制、23日に山脇が初代社長
    • [18]設立時の役員:代表専務取締役 山脇正次、相談役 松永安左衛門・岡本櫻
    • [19]両社とも定款に社長制を予定したが設立時に変更。山脇正次は九州瓦斯・西部瓦斯の代表。西部瓦斯は1934年2月に社長制、23日に山脇が初代社長
    • [20]山脇正次は専務として設立以来の経営を掌握し、重要事項は岡本相談役の指示を仰いだ
  • 証券アナリストジャーナル 34巻8号(1996年7月)別冊付録 西部ガス(副社長 平山良明)
    • [21]東邦ガスから事業を継承して設立したため、設立当初は東邦ガスと深いつながりがあった
参考文献[1]-[21]
  • 西部瓦斯株式会社史(1982)
    • [1]設立理由書:合併差益で九州区域の資産を整理し施設を改善、自立可能に。地方の実情に応じた分合経営を本義とし、西部瓦斯を新設して営業を継承。20万株中19万9,000株を東邦瓦斯が現物出資で引受
    • [3]西部合同瓦斯は1927年4月東邦瓦斯に合併。岡本櫻社長は当時から同地域を再び分離独立させる構想を持つ
    • [5]西部合同瓦斯は1927年4月東邦瓦斯に合併。岡本櫻社長は当時から同地域を再び分離独立させる構想を持つ
    • [6]設立理由書:合併差益で九州区域の資産を整理し施設を改善、自立可能に。地方の実情に応じた分合経営を本義とし、西部瓦斯を新設して営業を継承。20万株中19万9,000株を東邦瓦斯が現物出資で引受
    • [7]設立理由書:合併差益で九州区域の資産を整理し施設を改善、自立可能に。地方の実情に応じた分合経営を本義とし、西部瓦斯を新設して営業を継承。20万株中19万9,000株を東邦瓦斯が現物出資で引受
    • [8]設立理由書:合併差益で九州区域の資産を整理し施設を改善、自立可能に。地方の実情に応じた分合経営を本義とし、西部瓦斯を新設して営業を継承。20万株中19万9,000株を東邦瓦斯が現物出資で引受
    • [9]設立に先立ち公示熱量を3,100kcalから3,600kcalへ引上げ料金据置き=実質16%値下げ、1期約11万円の減益。金解禁・世界恐慌で1930年4月24日設立延期願、6月10日許可
    • [10]1930年2月22日から東邦瓦斯九州管区(福岡・熊本・佐世保・長崎)の熱量を3,600kcalに変更
    • [11]設立に先立ち公示熱量を3,100kcalから3,600kcalへ引上げ料金据置き=実質16%値下げ、1期約11万円の減益。金解禁・世界恐慌で1930年4月24日設立延期願、6月10日許可
    • [12]熱量引上げ・料金据置きは石炭値下りの利益を自発的に需要家へ還元し、世論の動向に事前に対処する措置
    • [13]設立に先立ち公示熱量を3,100kcalから3,600kcalへ引上げ料金据置き=実質16%値下げ、1期約11万円の減益。金解禁・世界恐慌で1930年4月24日設立延期願、6月10日許可
    • [14]設立に先立ち公示熱量を3,100kcalから3,600kcalへ引上げ料金据置き=実質16%値下げ、1期約11万円の減益。金解禁・世界恐慌で1930年4月24日設立延期願、6月10日許可
    • [16]両社とも定款に社長制を予定したが設立時に変更。山脇正次は九州瓦斯・西部瓦斯の代表。西部瓦斯は1934年2月に社長制、23日に山脇が初代社長
    • [17]両社とも定款に社長制を予定したが設立時に変更。山脇正次は九州瓦斯・西部瓦斯の代表。西部瓦斯は1934年2月に社長制、23日に山脇が初代社長
    • [18]設立時の役員:代表専務取締役 山脇正次、相談役 松永安左衛門・岡本櫻
    • [19]両社とも定款に社長制を予定したが設立時に変更。山脇正次は九州瓦斯・西部瓦斯の代表。西部瓦斯は1934年2月に社長制、23日に山脇が初代社長
    • [20]山脇正次は専務として設立以来の経営を掌握し、重要事項は岡本相談役の指示を仰いだ
  • 証券アナリストジャーナル 34巻8号(1996年7月)別冊付録 西部ガス(副社長 平山良明)
    • [2]西部ガスは1930年12月1日設立。福岡・熊本・長崎・佐世保の事業を東邦ガスから継承
    • [21]東邦ガスから事業を継承して設立したため、設立当初は東邦ガスと深いつながりがあった
  • 証券 26巻2号(1974)
    • [4]前身の西部合同瓦斯は経営悪化から東邦瓦斯に吸収合併。西部瓦斯は東邦瓦斯から同事業部分を切り離し資本金1,000万円で福岡市に設立
  • 証券アナリストジャーナル 35巻7号(1997年6月)別冊付録 西部ガス(副社長 平山良明)
    • [15]1964年に原料を石炭から石油系へ切り替え、熱量を3,600kcalから4,500kcalへ変更

1937年〜日華事変後の軍需急増と、6つの供給区域ごと吸収した姉妹会社の九州瓦斯

1937年7月の日華事変を境に、北九州と長崎で軍需工場向けのガス需要が急増した。姉妹会社の九州瓦斯の小倉営業所では、1939年2月時点で小倉陸軍工廠が月間販売量の69%を占めた。九州瓦斯は自社の小倉製造所を1938年4月に日産3万9,000m3へ拡げ、同年9月に第2製造所を完工させて両所で6万9,000m3とした。西部瓦斯の長崎支店でも、三菱4社の使用量が総販売量の50%を上回った。特殊鋼の熱処理に加えて1938年からの重油ボイラーの使用禁止が効き、総供給量は1936年から1940年までの5年間に30%以上伸びた。他方で需要家戸数は1930年の3万弱から1935年の2万9,777戸へとほぼ横ばいであり、増えたのは工業用の量だった。不況で伸び悩んだ家庭向けに代わり、軍需が苦境からの浮揚を支えたのである。

  • 西部瓦斯株式会社史(1982)
    • [22]1937年7月の日華事変を機に経済は戦時体制へ移行し、軍需工業向けのガス需要が急増
    • [23]小倉製造所は九州瓦斯の設備。1938年4月に日産3万9,000m3へ増強、第2製造所を1938年9月完工し両所で日産6万9,000m3。1939年2月の小倉営業所月間販売量の69%が小倉工廠
    • [24]小倉製造所は九州瓦斯の設備。1938年4月に日産3万9,000m3へ増強、第2製造所を1938年9月完工し両所で日産6万9,000m3。1939年2月の小倉営業所月間販売量の69%が小倉工廠
    • [25]西部瓦斯長崎支店は三菱4社の使用量が総販売量の50%超。特殊金属の熱処理、1938年からの工業用重油ボイラー禁止でガス需要拡大、総供給量は1936-1940年に各地30%以上増
    • [26]西部瓦斯長崎支店は三菱4社の使用量が総販売量の50%超。特殊金属の熱処理、1938年からの工業用重油ボイラー禁止でガス需要拡大、総供給量は1936-1940年に各地30%以上増
    • [28]西部瓦斯の需要家戸数は1935年2万9,777戸、1942年3万7,281戸
  • 証券アナリストジャーナル 35巻7号(1997年6月)別冊付録 西部ガス(副社長 平山良明)
    • [27]西部ガスは1930年に顧客戸数3万弱から出発

西部瓦斯は1943年7月1日付で九州瓦斯の権利義務を継承し、小倉・門司・八幡・若松・戸畑・島原を供給区域に加えた。発端は軍の要請にあり、1941年4月に大村製造所、1942年9月に熊本の春竹製造所の新設を求められた。西部瓦斯は1941年上期から長崎の大橋供給所と福岡の春日製造所にも着工しており、人員と資金の両面で4製造所の同時建設は1社の手に余った。主力銀行の三井銀行も第一銀行と合併して帝国銀行となり、政府の監督下で資金調達への締めつけが進行。両社は1943年2月10日に合併契約を結び、分立の不合理を除くことと、人事・技術の交流と資本の合同を合併の理由とした。販売量の伸びで西部瓦斯を上回った九州瓦斯の業績も、設備投資の負担を分け合う相手として合併を後押ししたと考えられる。

  • 西部瓦斯株式会社史(1982)
    • [29]1943年6月28日許可、7月1日付で九州瓦斯の財産・権利義務を継承、26日合併完了で400万円の資本増加。九州瓦斯の事業地は小倉・門司・八幡・若松・戸畑・島原
    • [31]軍が1941年4月に大村製造所、1942年9月に春竹製造所の新設を要請。西部瓦斯は1941年上期から大橋供給所・春日製造所に着工。4製造所同時は負担過重で大村は九州瓦斯が施工。三井銀行は第一銀行と合併し帝国銀行に、資金調達が厳格化
    • [32]軍が1941年4月に大村製造所、1942年9月に春竹製造所の新設を要請。西部瓦斯は1941年上期から大橋供給所・春日製造所に着工。4製造所同時は負担過重で大村は九州瓦斯が施工。三井銀行は第一銀行と合併し帝国銀行に、資金調達が厳格化
    • [33]軍が1941年4月に大村製造所、1942年9月に春竹製造所の新設を要請。西部瓦斯は1941年上期から大橋供給所・春日製造所に着工。4製造所同時は負担過重で大村は九州瓦斯が施工。三井銀行は第一銀行と合併し帝国銀行に、資金調達が厳格化
    • [34]1943年2月10日合併契約。申請書の理由:分立の不合理を退け、人事・技術の交流と資本の合同で社礎を強固に。1935→1942年の販売量の伸びは九州瓦斯261・西部瓦斯158(1935年=100)
  • 証券 26巻2号(1974)
    • [30]資本の変遷に九州瓦斯(株)の吸収合併、沿革に1943年の九州瓦斯合併で供給区域拡大
参考文献[22]-[34]
  • 西部瓦斯株式会社史(1982)
    • [22]1937年7月の日華事変を機に経済は戦時体制へ移行し、軍需工業向けのガス需要が急増
    • [23]小倉製造所は九州瓦斯の設備。1938年4月に日産3万9,000m3へ増強、第2製造所を1938年9月完工し両所で日産6万9,000m3。1939年2月の小倉営業所月間販売量の69%が小倉工廠
    • [24]小倉製造所は九州瓦斯の設備。1938年4月に日産3万9,000m3へ増強、第2製造所を1938年9月完工し両所で日産6万9,000m3。1939年2月の小倉営業所月間販売量の69%が小倉工廠
    • [25]西部瓦斯長崎支店は三菱4社の使用量が総販売量の50%超。特殊金属の熱処理、1938年からの工業用重油ボイラー禁止でガス需要拡大、総供給量は1936-1940年に各地30%以上増
    • [26]西部瓦斯長崎支店は三菱4社の使用量が総販売量の50%超。特殊金属の熱処理、1938年からの工業用重油ボイラー禁止でガス需要拡大、総供給量は1936-1940年に各地30%以上増
    • [28]西部瓦斯の需要家戸数は1935年2万9,777戸、1942年3万7,281戸
    • [29]1943年6月28日許可、7月1日付で九州瓦斯の財産・権利義務を継承、26日合併完了で400万円の資本増加。九州瓦斯の事業地は小倉・門司・八幡・若松・戸畑・島原
    • [31]軍が1941年4月に大村製造所、1942年9月に春竹製造所の新設を要請。西部瓦斯は1941年上期から大橋供給所・春日製造所に着工。4製造所同時は負担過重で大村は九州瓦斯が施工。三井銀行は第一銀行と合併し帝国銀行に、資金調達が厳格化
    • [32]軍が1941年4月に大村製造所、1942年9月に春竹製造所の新設を要請。西部瓦斯は1941年上期から大橋供給所・春日製造所に着工。4製造所同時は負担過重で大村は九州瓦斯が施工。三井銀行は第一銀行と合併し帝国銀行に、資金調達が厳格化
    • [33]軍が1941年4月に大村製造所、1942年9月に春竹製造所の新設を要請。西部瓦斯は1941年上期から大橋供給所・春日製造所に着工。4製造所同時は負担過重で大村は九州瓦斯が施工。三井銀行は第一銀行と合併し帝国銀行に、資金調達が厳格化
    • [34]1943年2月10日合併契約。申請書の理由:分立の不合理を退け、人事・技術の交流と資本の合同で社礎を強固に。1935→1942年の販売量の伸びは九州瓦斯261・西部瓦斯158(1935年=100)
  • 証券アナリストジャーナル 35巻7号(1997年6月)別冊付録 西部ガス(副社長 平山良明)
    • [27]西部ガスは1930年に顧客戸数3万弱から出発
  • 証券 26巻2号(1974)
    • [30]資本の変遷に九州瓦斯(株)の吸収合併、沿革に1943年の九州瓦斯合併で供給区域拡大

1943年〜春日・大橋・大村・春竹の4製造所と長崎の被爆、集中排除指定の取消し

九州瓦斯を合併した西部瓦斯は、軍の要請に応えて春日・大橋・大村・春竹の4製造所の完成を急いだ。供給先は小倉造兵廠春日製造所、大村第21海軍航空廠、三菱の電機・造船・兵器・航空機の各工場である。大橋は三菱4工場の需要急増でガスホルダーの容量が足りず、三菱と軍の要請を受けてホルダーから工事を始めた。資材の配給が滞り、軍の計画管理にも一貫性を欠いたため、春竹製造所の完成には3年4カ月を要した。合併で北九州6地区の収益を加えた西部瓦斯は、九州の都市ガス事業の大部分を1社で担う規模になっていた。4製造所の同時建設は、合併で得た北九州の収益を前提にした投資だったのだろう。

  • 西部瓦斯株式会社史(1982)
    • [35]合併後、軍の要請に応えて春日・大橋・大村・春竹の4製造所の完成を急ぐ。供給先は小倉造兵廠春日製造所・三菱電機・大村第21海軍航空廠・三菱航空機・三菱造船・三菱兵器
    • [36]合併後、軍の要請に応えて春日・大橋・大村・春竹の4製造所の完成を急ぐ。供給先は小倉造兵廠春日製造所・三菱電機・大村第21海軍航空廠・三菱航空機・三菱造船・三菱兵器
    • [37]春竹製造所は3年4カ月を要す。資材配給の不順と軍の計画管理の不一貫が原因。大橋は1939年からホルダー容量不足で三菱・軍の要請でホルダーから着工
    • [38]春竹製造所は3年4カ月を要す。資材配給の不順と軍の計画管理の不一貫が原因。大橋は1939年からホルダー容量不足で三菱・軍の要請でホルダーから着工
    • [39]合併許可申請書:合併により九州の瓦斯事業の大部分が統一される
  • 証券 26巻2号(1974)
    • [40]1943年の九州瓦斯合併で供給区域を拡大

1945年8月9日の長崎への原爆投下で、軍の要請で新設した大橋製造所は壊滅した。大村製造所は供給先の海軍航空廠の休止で終戦とともに閉鎖し、春日製造所も廃止となった。空襲では福岡・門司・佐世保・熊本・八幡・長崎の6都市で計1万8,515戸に及ぶ需要家の喪失。軍需省は1944年11月に全国のガス業界を11ブロックの協力集団に分け、さらにブロックごとの1社統合を進めた。西部瓦斯は最後まで抵抗したものの、経営者を罷免しかねない軍の圧力で九州8事業者の合併に応じた。8月15日の調印当日、昼の玉音放送で終戦を知った各社は調印を中止し、会議を解散した。全九州の合併構想は消え、1943年に北九州を加えた区域が西部瓦斯の事業の形として残った。

  • 西部瓦斯株式会社史(1982)
    • [41]大橋製造所は原爆で壊滅、大村製造所は供給先の航空廠休止で終戦時閉鎖、春竹は戦災復旧中止、春日は廃止。空襲で失った需要家は6都市計1万8,515戸
    • [42]大橋製造所は原爆で壊滅、大村製造所は供給先の航空廠休止で終戦時閉鎖、春竹は戦災復旧中止、春日は廃止。空襲で失った需要家は6都市計1万8,515戸
    • [43]大橋製造所は原爆で壊滅、大村製造所は供給先の航空廠休止で終戦時閉鎖、春竹は戦災復旧中止、春日は廃止。空襲で失った需要家は6都市計1万8,515戸
    • [44]軍需省は1944年11月に全国11ブロックの協力集団を結成させ、ブロックごと1社統合を図る。当社は最後まで抵抗したが罷免の圧力で同意。1945年8月15日の九州8事業者の調印は玉音放送で中止
    • [45]軍需省は1944年11月に全国11ブロックの協力集団を結成させ、ブロックごと1社統合を図る。当社は最後まで抵抗したが罷免の圧力で同意。1945年8月15日の九州8事業者の調印は玉音放送で中止
    • [46]軍需省は1944年11月に全国11ブロックの協力集団を結成させ、ブロックごと1社統合を図る。当社は最後まで抵抗したが罷免の圧力で同意。1945年8月15日の九州8事業者の調印は玉音放送で中止
  • 証券アナリストジャーナル 34巻8号(1996年7月)別冊付録 西部ガス(副社長 平山良明)
    • [47]1943年に北九州地区を営業エリアに加え、現在の形が整った

持株会社整理委員会は1948年2月22日、過度経済力集中排除法にもとづいて西部瓦斯を指定した。理由は、1943年の九州瓦斯合併で事業を広げ、配給とサービスの分野で支配力を持つ独占企業という点にあった。八幡・門司が被災した後も北九州の営業収入は復興の支えであり、切り離しは会社の存続にかかわる問題だった。西部瓦斯は3月5日の役員会で排除指定対策委員会を設け、3月23日に指定の不当を論じる説明書を提出した。説明書の結論は『当社には御指定の条件に該当する事態は全然なく、従って再編成する事は本法の趣旨に反するものと確信致します』の一文に置いた。社長の山脇正次氏は役員・社員十数名と上京し、約20日間にわたりGHQや持株会社整理委員会と折衝した。占領政策の転換も重なり、西部瓦斯は5月4日付で指定取消しの通知を受けた。北九州の区域を保ったことが、戦後の復興の足場になったとみてよい。

  • 西部瓦斯株式会社史(1982)
    • [48]1948年2月22日持株会社整理委員会が集中排除法で指定(第304号)。理由は1943年の九州瓦斯合併で配給・サービス分野の支配力を持つ独占企業。北九州の営業収入は復興の支え。3月5日役員会で対策委員会設置
    • [49]1948年2月22日持株会社整理委員会が集中排除法で指定(第304号)。理由は1943年の九州瓦斯合併で配給・サービス分野の支配力を持つ独占企業。北九州の営業収入は復興の支え。3月5日役員会で対策委員会設置
    • [51]1948年2月22日持株会社整理委員会が集中排除法で指定(第304号)。理由は1943年の九州瓦斯合併で配給・サービス分野の支配力を持つ独占企業。北九州の営業収入は復興の支え。3月5日役員会で対策委員会設置
    • [52]1948年2月22日持株会社整理委員会が集中排除法で指定(第304号)。理由は1943年の九州瓦斯合併で配給・サービス分野の支配力を持つ独占企業。北九州の営業収入は復興の支え。3月5日役員会で対策委員会設置
    • [53]1948年3月23日に説明書提出。占領政策の転換で集排政策が緩和され、5月4日付で指定取消しの通知
    • [54]1948年3月23日に説明書提出。占領政策の転換で集排政策が緩和され、5月4日付で指定取消しの通知
    • [55]山脇社長が十数名を従え上京、約20日間GHQ・持株会社整理委員会・公正取引委員会と中央折衝
    • [56]1948年3月23日に説明書提出。占領政策の転換で集排政策が緩和され、5月4日付で指定取消しの通知
  • 証券 26巻2号(1974)
    • [50]1943年の九州瓦斯合併で供給区域を拡大
参考文献[35]-[56]
  • 西部瓦斯株式会社史(1982)
    • [35]合併後、軍の要請に応えて春日・大橋・大村・春竹の4製造所の完成を急ぐ。供給先は小倉造兵廠春日製造所・三菱電機・大村第21海軍航空廠・三菱航空機・三菱造船・三菱兵器
    • [36]合併後、軍の要請に応えて春日・大橋・大村・春竹の4製造所の完成を急ぐ。供給先は小倉造兵廠春日製造所・三菱電機・大村第21海軍航空廠・三菱航空機・三菱造船・三菱兵器
    • [37]春竹製造所は3年4カ月を要す。資材配給の不順と軍の計画管理の不一貫が原因。大橋は1939年からホルダー容量不足で三菱・軍の要請でホルダーから着工
    • [38]春竹製造所は3年4カ月を要す。資材配給の不順と軍の計画管理の不一貫が原因。大橋は1939年からホルダー容量不足で三菱・軍の要請でホルダーから着工
    • [39]合併許可申請書:合併により九州の瓦斯事業の大部分が統一される
    • [41]大橋製造所は原爆で壊滅、大村製造所は供給先の航空廠休止で終戦時閉鎖、春竹は戦災復旧中止、春日は廃止。空襲で失った需要家は6都市計1万8,515戸
    • [42]大橋製造所は原爆で壊滅、大村製造所は供給先の航空廠休止で終戦時閉鎖、春竹は戦災復旧中止、春日は廃止。空襲で失った需要家は6都市計1万8,515戸
    • [43]大橋製造所は原爆で壊滅、大村製造所は供給先の航空廠休止で終戦時閉鎖、春竹は戦災復旧中止、春日は廃止。空襲で失った需要家は6都市計1万8,515戸
    • [44]軍需省は1944年11月に全国11ブロックの協力集団を結成させ、ブロックごと1社統合を図る。当社は最後まで抵抗したが罷免の圧力で同意。1945年8月15日の九州8事業者の調印は玉音放送で中止
    • [45]軍需省は1944年11月に全国11ブロックの協力集団を結成させ、ブロックごと1社統合を図る。当社は最後まで抵抗したが罷免の圧力で同意。1945年8月15日の九州8事業者の調印は玉音放送で中止
    • [46]軍需省は1944年11月に全国11ブロックの協力集団を結成させ、ブロックごと1社統合を図る。当社は最後まで抵抗したが罷免の圧力で同意。1945年8月15日の九州8事業者の調印は玉音放送で中止
    • [48]1948年2月22日持株会社整理委員会が集中排除法で指定(第304号)。理由は1943年の九州瓦斯合併で配給・サービス分野の支配力を持つ独占企業。北九州の営業収入は復興の支え。3月5日役員会で対策委員会設置
    • [49]1948年2月22日持株会社整理委員会が集中排除法で指定(第304号)。理由は1943年の九州瓦斯合併で配給・サービス分野の支配力を持つ独占企業。北九州の営業収入は復興の支え。3月5日役員会で対策委員会設置
    • [51]1948年2月22日持株会社整理委員会が集中排除法で指定(第304号)。理由は1943年の九州瓦斯合併で配給・サービス分野の支配力を持つ独占企業。北九州の営業収入は復興の支え。3月5日役員会で対策委員会設置
    • [52]1948年2月22日持株会社整理委員会が集中排除法で指定(第304号)。理由は1943年の九州瓦斯合併で配給・サービス分野の支配力を持つ独占企業。北九州の営業収入は復興の支え。3月5日役員会で対策委員会設置
    • [53]1948年3月23日に説明書提出。占領政策の転換で集排政策が緩和され、5月4日付で指定取消しの通知
    • [54]1948年3月23日に説明書提出。占領政策の転換で集排政策が緩和され、5月4日付で指定取消しの通知
    • [55]山脇社長が十数名を従え上京、約20日間GHQ・持株会社整理委員会・公正取引委員会と中央折衝
    • [56]1948年3月23日に説明書提出。占領政策の転換で集排政策が緩和され、5月4日付で指定取消しの通知
  • 証券 26巻2号(1974)
    • [40]1943年の九州瓦斯合併で供給区域を拡大
    • [50]1943年の九州瓦斯合併で供給区域を拡大
  • 証券アナリストジャーナル 34巻8号(1996年7月)別冊付録 西部ガス(副社長 平山良明)
    • [47]1943年に北九州地区を営業エリアに加え、現在の形が整った

出典・参考

4件
出典・参考
  • 西部瓦斯株式会社史(1982)
  • 証券 26巻2号(1974)
  • 証券アナリストジャーナル 34巻8号(1996年7月)別冊付録 西部ガス(副社長 平山良明)
  • 証券アナリストジャーナル 35巻7号(1997年6月)別冊付録 西部ガス(副社長 平山良明)

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