決断
分離で生まれ、合併で北九州を加え、その区域を守り抜いた会社である。発足前の1930年2月22日、東邦瓦斯は九州4地区の熱量を3,100kcalから3,600kcalへ上げて料金を据え置き、実質16%の値下げを済ませた。1937年7月の日華事変の後は軍需が増加し、長崎支店では三菱4社の使用量が販売量の50%を超えた。軍が求めた4製造所の同時建設は1社の手に余り、1943年2月10日に九州瓦斯と合併契約を締結している。1945年には軍の圧力で九州8事業者の合併に同意したが、8月15日の調印は玉音放送で中止となった。1948年2月22日の集中排除法の指定にも説明書と中央折衝で抗い、5月4日付で取消しの通知を受けた。