決断
独立よりも財閥の信用を選び、その信用で近隣の銀行を引き受けた。1907年の株式暴落後に愛知・岐阜で取り付けが続くと、取締役の古井由之氏が安田保善社の経営参加を求め、1909年7月の株主総会で傘下入りを議決した。頭取に安田善三郎氏を迎え、翌1910年には恐慌時に支えた真利銀行を合併する。1923年には日銀と安田保善社が持ち込んだ愛知県の農産銀行の救済を、支配人がいったん拒んだうえで重役の私財提供の増額を条件に引き受け、県外へ初めて出た。1928年には七十六銀行と本田銀行を合併し、資本金は450万円になった。