梯郁太郎
経歴1960〜1995年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1960年主要役職の状況(推定含む目安)1995年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | エース電子工業 | 1960 | 設立 | ||
| ローランド | 1972 | 設立 取締役社長 | |||
| 1995 | 社長退任 | ||||
| 1995 | 会長 |
社長就任までの出自
出自
梯郁太郎氏は戦後、大阪市内で電器店を創業し、ラジオの修理を手掛けた。近くの教会から米国製の電子オルガンの修理を請けたことを機に電子楽器の製造へ進み、1960年にエース電子工業を設立して12年間経営した。資本の小ささから自ら興した会社を思うように経営できなくなり、同社を売却して再出発した。
社長に選ばれた経緯
抜擢
前任のいない初代社長である。1972年4月、大阪市住吉区(現住之江区)に資本金3,300万円でローランドを設立した。電子オルガンメーカーのエース電子(のちの日本ハモンド)から梯郁太郎氏ら7名が独立した創業であった。社長は1995年まで務め、後任の菊本忠男氏に譲って会長に就任した。
在任中の主な施策
施策
創業当初はジャズ系とプロ向けの楽器に絞り、一般家庭向けと教育用の楽器には参入しなかった。海外では原則として一国一社の合弁販売会社を設け、出資は対等、社長は現地の人材とし、輸出のFOB価格は円建てで統一した。開発グループからエフェクターのボスやCAD/CAM周辺機器のローランド・ディー・ジーを分社として切り出した。
創業ストーリー
創業ストーリー
梯郁太郎氏の戦後は、大阪市内で開いた電器店から始まった。ラジオを修理しながら流れる音楽に引かれ、米国製の電子オルガンの修理を近所の教会から依頼された際、発音の原理は違ってもラジオやテレビと同じ部品で組まれていると知った。「これなら、オレにも作れる」と考えたことが電子楽器づくりの契機となり、1960年に電子楽器メーカーのエース電子工業を興した。
- 日経ビジネス 2000年4月10日号
- [11]戦後、大阪市内で電器店を開き、ラジオ修理の中で音楽に引かれた。教会から米国製電子オルガンの修理を頼まれ、ラジオやテレビと同じ部品を使っていたことから「これなら、オレにも作れる」と思い電子楽器作りへ。1960年エース電子工業を設立、12年間経営したが資本金が少なく自分の思うように経営できなくなり、売却して72年にローランドを設立。失敗の原因は会社経営の知識の乏しさと、先行メーカーの市場に安い製品で入りブランド作りを犠牲にしたこと。ローランドでは最初にブランド確立を考え、ブランドとはナンバー1の製品を作ることと結論付けた。80年代に入って分社化を次々と実行
- [12]戦後、大阪市内で電器店を開き、ラジオ修理の中で音楽に引かれた。教会から米国製電子オルガンの修理を頼まれ、ラジオやテレビと同じ部品を使っていたことから「これなら、オレにも作れる」と思い電子楽器作りへ。1960年エース電子工業を設立、12年間経営したが資本金が少なく自分の思うように経営できなくなり、売却して72年にローランドを設立。失敗の原因は会社経営の知識の乏しさと、先行メーカーの市場に安い製品で入りブランド作りを犠牲にしたこと。ローランドでは最初にブランド確立を考え、ブランドとはナンバー1の製品を作ることと結論付けた。80年代に入って分社化を次々と実行
- [13]戦後、大阪市内で電器店を開き、ラジオ修理の中で音楽に引かれた。教会から米国製電子オルガンの修理を頼まれ、ラジオやテレビと同じ部品を使っていたことから「これなら、オレにも作れる」と思い電子楽器作りへ。1960年エース電子工業を設立、12年間経営したが資本金が少なく自分の思うように経営できなくなり、売却して72年にローランドを設立。失敗の原因は会社経営の知識の乏しさと、先行メーカーの市場に安い製品で入りブランド作りを犠牲にしたこと。ローランドでは最初にブランド確立を考え、ブランドとはナンバー1の製品を作ることと結論付けた。80年代に入って分社化を次々と実行
エース電子工業は12年で行き詰まった。資本金が小さく、自ら創業した会社でありながら経営の主導権を保てなくなったためである。梯郁太郎氏は敗因として、経営の知識が乏しかったことと、先行メーカーのいる市場へ安値の製品で割り込み、売れはしたもののブランドづくりを犠牲にしたことを挙げている。同社を売却して出直すにあたり、最初にブランドを確立すること、すなわち首位の製品をつくることを再出発の方針と定めた。
- 日経ビジネス 2000年4月10日号
- [14]戦後、大阪市内で電器店を開き、ラジオ修理の中で音楽に引かれた。教会から米国製電子オルガンの修理を頼まれ、ラジオやテレビと同じ部品を使っていたことから「これなら、オレにも作れる」と思い電子楽器作りへ。1960年エース電子工業を設立、12年間経営したが資本金が少なく自分の思うように経営できなくなり、売却して72年にローランドを設立。失敗の原因は会社経営の知識の乏しさと、先行メーカーの市場に安い製品で入りブランド作りを犠牲にしたこと。ローランドでは最初にブランド確立を考え、ブランドとはナンバー1の製品を作ることと結論付けた。80年代に入って分社化を次々と実行
- [15]戦後、大阪市内で電器店を開き、ラジオ修理の中で音楽に引かれた。教会から米国製電子オルガンの修理を頼まれ、ラジオやテレビと同じ部品を使っていたことから「これなら、オレにも作れる」と思い電子楽器作りへ。1960年エース電子工業を設立、12年間経営したが資本金が少なく自分の思うように経営できなくなり、売却して72年にローランドを設立。失敗の原因は会社経営の知識の乏しさと、先行メーカーの市場に安い製品で入りブランド作りを犠牲にしたこと。ローランドでは最初にブランド確立を考え、ブランドとはナンバー1の製品を作ることと結論付けた。80年代に入って分社化を次々と実行
- [16]戦後、大阪市内で電器店を開き、ラジオ修理の中で音楽に引かれた。教会から米国製電子オルガンの修理を頼まれ、ラジオやテレビと同じ部品を使っていたことから「これなら、オレにも作れる」と思い電子楽器作りへ。1960年エース電子工業を設立、12年間経営したが資本金が少なく自分の思うように経営できなくなり、売却して72年にローランドを設立。失敗の原因は会社経営の知識の乏しさと、先行メーカーの市場に安い製品で入りブランド作りを犠牲にしたこと。ローランドでは最初にブランド確立を考え、ブランドとはナンバー1の製品を作ることと結論付けた。80年代に入って分社化を次々と実行
1972年4月、大阪市住吉区(現住之江区)に資本金3,300万円でローランドを設立した。エース電子から梯郁太郎氏ら7名が独立しての創業であった。同年8月に第1号商品のリズムマシンを発表し、11月にギターアンプとエフェクターを発売、1973年3月にはエフェクター製造のメグ電子(のちのボス)を設け、同年4月にシンセサイザーを発表した。国産初のシンセサイザーであり、同年に米国シカゴの楽器フェアへ出展して海外の演奏家の関心を集めた。
- ローランド 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
- [17]1972年4月 大阪府大阪市住吉区(現 住之江区)に資本金3,300万円でローランド株式会社設立。8月 ローランドブランド第1号商品となるリズムマシン発表。11月 ギターアンプ、エフェクター発売。1973年3月 エフェクター製造のメグ電子株式会社(後のボス株式会社)設立。4月 シンセサイザー、電子ピアノ発表。1976年5月 オーストラリアに販売会社設立。1978年4月 アメリカに販売会社設立。1981年5月 アムデック株式会社(現 ローランド ディー.ジー.株式会社)設立。1989年12月 大阪証券取引所市場第二部に上場
- [19]1972年4月 大阪府大阪市住吉区(現 住之江区)に資本金3,300万円でローランド株式会社設立。8月 ローランドブランド第1号商品となるリズムマシン発表。11月 ギターアンプ、エフェクター発売。1973年3月 エフェクター製造のメグ電子株式会社(後のボス株式会社)設立。4月 シンセサイザー、電子ピアノ発表。1976年5月 オーストラリアに販売会社設立。1978年4月 アメリカに販売会社設立。1981年5月 アムデック株式会社(現 ローランド ディー.ジー.株式会社)設立。1989年12月 大阪証券取引所市場第二部に上場
- 日経ビジネス 1986年11月17日冬季増刊号
- [18]47年、電子オルガンメーカー、エース電子(現日本ハモンド)から梯社長ら7名が独立して創業。翌年、米国シカゴでの楽器フェアに小型シンセサイザーを出展し、世界の注目を集めた
- [21]47年、電子オルガンメーカー、エース電子(現日本ハモンド)から梯社長ら7名が独立して創業。翌年、米国シカゴでの楽器フェアに小型シンセサイザーを出展し、世界の注目を集めた
- 証券 50巻8号(1998年)
- [20]当社は1972年に電子楽器の専業メーカーとして創業し、翌年には国産初のシンセサイザーを発売
事業の土台はデジタルやLSI、ソフトウェアに置き、創業当初はジャズ系とプロ向けの楽器に絞った。ヤマハと河合楽器が先行する市場で値を下げれば二流と見なされるため、似通った価格帯の中で最も高い値を付けた。顧客層が狭く海外進出は避けられないとして創業時から輸出に力を入れ、1976年5月にオーストラリア、1978年4月に米国へ販売会社を設けた。海外の販売会社は対等出資の合弁とし、社長は現地の人材に任せた。米国企業との合弁で少数株主として「非常に惨めな思いをした」経験が対等出資にこだわる理由であり、輸出のFOB価格も創業時から円建てで通した。
- 証券アナリストジャーナル 28巻2号(1990年2月)梯郁太郎社長講演
- [22]当社の電子楽器はデジタル、LSI、コンピュータ、ソフトウェア等が基本技術。創業当初ジャズ系、プロ向け楽器を中心に事業展開。狭いマーケットのため海外進出が不可避で創業以来輸出に注力。ヤマハ80年・河合50年の歴史がある中、価格で下回れば二流メーカーのらく印を押されるため、似通った価格帯の中で一番高い値段を付けている。ジャズ系だけでは事業の安定性がなく一般家庭向けの楽器を販売するには会社の知名度が必要で、上場することにした
- [23]当社の電子楽器はデジタル、LSI、コンピュータ、ソフトウェア等が基本技術。創業当初ジャズ系、プロ向け楽器を中心に事業展開。狭いマーケットのため海外進出が不可避で創業以来輸出に注力。ヤマハ80年・河合50年の歴史がある中、価格で下回れば二流メーカーのらく印を押されるため、似通った価格帯の中で一番高い値段を付けている。ジャズ系だけでは事業の安定性がなく一般家庭向けの楽器を販売するには会社の知名度が必要で、上場することにした
- [24]当社の電子楽器はデジタル、LSI、コンピュータ、ソフトウェア等が基本技術。創業当初ジャズ系、プロ向け楽器を中心に事業展開。狭いマーケットのため海外進出が不可避で創業以来輸出に注力。ヤマハ80年・河合50年の歴史がある中、価格で下回れば二流メーカーのらく印を押されるため、似通った価格帯の中で一番高い値段を付けている。ジャズ系だけでは事業の安定性がなく一般家庭向けの楽器を販売するには会社の知名度が必要で、上場することにした
- ローランド 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
- [25]1972年4月 大阪府大阪市住吉区(現 住之江区)に資本金3,300万円でローランド株式会社設立。8月 ローランドブランド第1号商品となるリズムマシン発表。11月 ギターアンプ、エフェクター発売。1973年3月 エフェクター製造のメグ電子株式会社(後のボス株式会社)設立。4月 シンセサイザー、電子ピアノ発表。1976年5月 オーストラリアに販売会社設立。1978年4月 アメリカに販売会社設立。1981年5月 アムデック株式会社(現 ローランド ディー.ジー.株式会社)設立。1989年12月 大阪証券取引所市場第二部に上場
- 日経ビジネス 1996年12月23日・30日号
- [26]海外に19社の合弁会社を展開し全部現地の人が社長。設立時は対等出資が原則。以前に米国の会社と合弁会社をつくり少数株主で「非常に惨めな思いをした」経験から対等が絶対にいいと考えた。輸出のFOB価格は創業時から全部円建て
- [27]海外に19社の合弁会社を展開し全部現地の人が社長。設立時は対等出資が原則。以前に米国の会社と合弁会社をつくり少数株主で「非常に惨めな思いをした」経験から対等が絶対にいいと考えた。輸出のFOB価格は創業時から全部円建て
会社の形を決めたのは分社と上場である。1980年代に入ると分野ごとに分社を進め、1981年5月にはコンピュータ周辺機器のアムデック(現ローランド ディー.ジー.)を設立した。1989年12月には大阪証券取引所市場第二部へ上場した。ジャズ系中心の生産では事業が安定せず、一般家庭向けの楽器を売るには会社の知名度が要るという判断による。社長は1995年に菊本忠男氏へ譲り、同氏が9カ月余りで退任すると、1996年4月に営業畑の檀克義氏を第3代社長に指名した。技術で会社を興した創業者が、市場の目を持つ後継へ経営を渡した承継であったと思われる。
- 日経ビジネス 2000年4月10日号
- [28]戦後、大阪市内で電器店を開き、ラジオ修理の中で音楽に引かれた。教会から米国製電子オルガンの修理を頼まれ、ラジオやテレビと同じ部品を使っていたことから「これなら、オレにも作れる」と思い電子楽器作りへ。1960年エース電子工業を設立、12年間経営したが資本金が少なく自分の思うように経営できなくなり、売却して72年にローランドを設立。失敗の原因は会社経営の知識の乏しさと、先行メーカーの市場に安い製品で入りブランド作りを犠牲にしたこと。ローランドでは最初にブランド確立を考え、ブランドとはナンバー1の製品を作ることと結論付けた。80年代に入って分社化を次々と実行
- ローランド 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
- [29]1972年4月 大阪府大阪市住吉区(現 住之江区)に資本金3,300万円でローランド株式会社設立。8月 ローランドブランド第1号商品となるリズムマシン発表。11月 ギターアンプ、エフェクター発売。1973年3月 エフェクター製造のメグ電子株式会社(後のボス株式会社)設立。4月 シンセサイザー、電子ピアノ発表。1976年5月 オーストラリアに販売会社設立。1978年4月 アメリカに販売会社設立。1981年5月 アムデック株式会社(現 ローランド ディー.ジー.株式会社)設立。1989年12月 大阪証券取引所市場第二部に上場
- [30]1972年4月 大阪府大阪市住吉区(現 住之江区)に資本金3,300万円でローランド株式会社設立。8月 ローランドブランド第1号商品となるリズムマシン発表。11月 ギターアンプ、エフェクター発売。1973年3月 エフェクター製造のメグ電子株式会社(後のボス株式会社)設立。4月 シンセサイザー、電子ピアノ発表。1976年5月 オーストラリアに販売会社設立。1978年4月 アメリカに販売会社設立。1981年5月 アムデック株式会社(現 ローランド ディー.ジー.株式会社)設立。1989年12月 大阪証券取引所市場第二部に上場
- 証券アナリストジャーナル 28巻2号(1990年2月)梯郁太郎社長講演
- [31]当社の電子楽器はデジタル、LSI、コンピュータ、ソフトウェア等が基本技術。創業当初ジャズ系、プロ向け楽器を中心に事業展開。狭いマーケットのため海外進出が不可避で創業以来輸出に注力。ヤマハ80年・河合50年の歴史がある中、価格で下回れば二流メーカーのらく印を押されるため、似通った価格帯の中で一番高い値段を付けている。ジャズ系だけでは事業の安定性がなく一般家庭向けの楽器を販売するには会社の知名度が必要で、上場することにした
- 日経ビジネス 1996年4月15日号
- [32]前社長の菊本忠男氏が社長就任から9カ月余りで退任し、創業者の梯郁太郎会長が営業畑一筋の檀克義氏を後任に指名(1996年4月)
参考文献4件
参考文献
- 日経ビジネス 2000年4月10日号「有訓無訓 梯郁太郎 規模が大きくなっても、ひたすら特化する」
- 日経ビジネス 1986年11月17日冬季増刊号「141位ローランド-円高どこ吹く風の輸出快進撃」
- 日経ビジネス 1996年4月15日号「新社長登場 檀克義氏[ローランド]」
- ローランド 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
事実根拠:出所(ローランド)