決断
値引きを断れる位置を作るために、部品の規格そのものを握った。1960年6月に冷間鍛造を内製化し、切削では両立しない軽量と耐久を自前の工程で確保する。1973年には変速機・ブレーキ・ハブを統合した最上位コンポーネントDURA-ACEを発表し、個別部品の供給者から自転車駆動系の規格を決める側へ移った。1977年から1978年にかけて円相場が1ドル290円台から222円台まで進んだ局面では、輸出比率6割のまま値引きを拒み、高付加価値部品と海外直販で採算を守った。値上げは米国向けの5〜6%にとどめ、年11億円の合理化投資で為替の負担を吸収している。規格を自社で決めたことが、円高の年でも値引きを求められない価格の裁量を残した。
1978年4月 部品の高付加価値化で円高対応
部品の高付加価値化で円高対応急速な円高で輸出採算が悪化するなか、価格競争に加わらず、値引きを拒んで高付加価値部品と海外直販を貫き、米国向けの小幅値上げと合理化で為替を吸収して増収増益を守った輸出戦略。業績の推移1977 1978 1983 売上高(億円) 323 299 441 経常利益率(%) 9.3 7.0 4.8