1921年2月、当時26歳の島野庄三郎氏が大阪府堺市東湊町のセルロイド工場跡地12坪を月5円で借り、懇意にしていた佐野鉄工所から借りた六尺旋盤1台を元手に島野鉄工所を創立した。創業時の事業は機械の修繕屋であったが、創業翌年の1922年には自転車部品の中で最も技術難度が高いフリーホイールの生産に着手した。堺は当時から自転車産業が盛んな地域であったが、特にフリーホイールの内製は難しく品質改善の余地が多くあった。庄三郎氏は創業時点でこの一点突破を決めていた。 [1][2][3][4]
フリーホイールはペダルを止めても後輪が空転する自転車の基幹部品で、当時はベルギーやドイツからの輸入品が市場の主流を占めていた。庄三郎氏は職人気質の修繕屋の評判をテコに、輸入品の代替となる国産フリーホイールの品質を磨いた。1936年6月には現在地の堺市堺区老松町に工場を新設移転し、量産体制を整備した。1939年時点でシマノは工作機械200台、雇用人員200名を数える日本最大のフリーホイールメーカーへと成長し、創業18年で国内市場の主導地位を得た。 [5][6]
1940年1月、資本金150万円で株式会社化し社名を株式会社島野鉄工所に変更した。戦時統制下の鋼材配給の制約を受けつつも、自転車部品事業を中核に据えた経営の輪郭が固まった時期である。第二次世界大戦中は軍需向け部品製造へ切り替えたが、戦後の自転車需要回復に備えた製造技術の蓄積は途切れなかった。 [7][8]
1951年2月には島野自転車を吸収合併し、資本金3,200万円に増資、社名を島野工業に変更した。完成車事業との統合は、部品メーカーから完成車組み立てまでを内包する垂直統合体制への移行を意味した。当時の日本の自転車市場は実用車中心で、戦後復興期の通勤・通学需要が急拡大していた局面である。島野工業はこの内需拡大に乗り、フリーホイールから変速機・ブレーキ等のドライブトレイン全般へと製品領域を広げた。 [9][10]
1960年6月、シマノは冷間鍛造を開始した。冷間鍛造は金属を常温で加圧成形する技術で、切削加工に比べて材料歩留まりが高く、強度と寸法精度を両立できる。自転車部品は走行中の繰り返し荷重にさらされるため、軽量化と耐久性の両立が要件となるが、冷間鍛造の内製化はこの要件を満たす基幹技術の自前化であった。シマノが後にデュラエース等の高精度コンポーネントを世界供給できた背景には、この1960年の技術選択がある。 [11]
職人技に頼った量産体制から、機械化された精度生産への移行を意味し、後の世界市場展開の前提となる製造基盤が固まった。1958年に庄三郎氏は社長を退任し、長男の島野尚三氏(2代目)が社長に就任、戦中・戦後の混乱期を経た経営承継が完了している。 [12]
1965年3月、シマノは米国ニューヨークに現地法人Shimano American Corporationを設立した。国内市場の伸び悩みに直面した3代目島野敬三氏(庄三郎氏次男、後の3代目社長)と4代目島野喜三氏(庄三郎氏三男、後の4代目社長)の決断で、喜三氏自らが社長として渡米した。当初の予定は3年程度であったが結果として27年間に延び、全米6,000店余りの自転車専門店を自ら訪問してアフターケアとクレーム処理を担い、現地の自転車文化に深く食い込む販売体制を築いた。 [13][14][15]
喜三氏は当時を振り返って自身の好む立地で好む製品を作り嫌なら買わなければいいという強気の姿勢で米国市場に挑んだと語っており、現場では一切妥協せず、創業の精神である『和して、厳しく』[引用元]が社内に浸透していたことで社員一同に諦めや妥協がなかったと振り返っている。創業者・庄三郎氏の品質第一主義と、喜三氏の現場主義が組み合わさることで、輸入代替品ではなく一次サプライヤーとしての地位を米国で得た。
1970年2月、シマノは釣用リールの製造を開始した。自転車部品で培った冷間鍛造と精密加工の技術を、釣具の駆動部に転用する事業多角化の起点であった。翌1971年1月には島野足立を設立し釣用竿の製造も開始、リール+ロッドの両輪で釣具事業を立ち上げた。シマノにとって釣具は自転車部品に並ぶ第二の事業の柱となり、後にステラ等の世界ブランドへと発展する基盤が置かれた。 [16][17]
1972年8月には西ドイツ・デュッセルドルフに現地法人Shimano(Europa)GmbHを設立し、欧州市場進出の起点とした。同年11月には大阪証券取引所市場第二部に上場、翌1973年5月には東京証券取引所市場第二部に上場、同時にシンガポールにも現地法人を設立した。さらに同年10月、大証・東証ともに市場第一部へ昇格、創業から半世紀でグローバル展開の資金基盤を確保する資本市場への完全アクセスを獲得した。 [18][19][20][21]
1973年は製品史でも転換点となった。シマノ初のアルミ合金素材ジュラルミンを採用したロードバイク用最上位コンポーネント『DURA-ACE』(デュラエース)を発表し、変速機・ブレーキ・ハブ・チェーンホイール等を統合する『コンポーネント』という製品概念を業界に提示した。それまで個別部品の組み合わせであった自転車駆動系を、シマノが規格設計したセットとして供給することで、自転車組立メーカーは設計工数を圧縮でき、エンドユーザーは互換性と整備容易性を得た。このコンポーネント発想が、シマノを単なる部品メーカーから自転車駆動系の規格策定者へと押し上げた起点である。 [22]
1970年代後半、4代目喜三氏が率いる米国販売会社の現場では、カリフォルニアの若者たちが既存のロードバイクを改造して野山を走るマウンテンバイクの動きが現れていた。1980年代にMTBは米国西海岸から欧州へ普及し、自転車市場の主力商品の一角となる。シマノは初期段階から専用部品で参入したため、ブームが世界へ広がる過程でMTB部品の標準供給メーカーとなり、ロードバイクのデュラエースとあわせて二大製品ラインで世界シェアを高めた。 [23]
製造と販売のグローバル化も並行した。1989年2月にオランダへUltegra Nederland B.V.、1990年1月にマレーシアへShimano Components (Malaysia)を設立して東南アジア生産拠点を構え、1992年10月には中国江蘇省昆山市にShimano(Kunshan)Bicycle Componentsを設立して現地一貫生産体制を確立した。後の中国華北拠点(2003年Shimano(Tianjin)Bicycle Components)とあわせ、中国は世界向けの生産拠点となった。販売網の各極と生産拠点の分散が、デュラエース・DEORE系を世界供給する物流基盤を支えた。 [24][25][26][27]
1991年3月、社名を島野工業から株式会社シマノへ変更した。創業者の名字『島野』をカタカナ表記の『シマノ』へ切り替えることで、堺の地場部品メーカーから世界市場でブランド認知される自転車部品企業への再定義を済ませた。同年、4代目喜三氏は米国滞在を切り上げて本社経営に復帰し、翌1992年に3代目敬三氏が社長を島野尚三氏(2代目)から正式に承継した。1995年10月には喜三氏が社長に就任、同年シマノ臨海・島野山口・シマノ釣具販売・エヌエフテーの再編で釣具事業の販社統合を終えた。 [28][29][30][31]
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|---|---|---|---|---|
| 1921〜1965年堺の鉄工所から日本最大のフリーホイールメーカーへ──創業から戦中復興 | 島野庄三郎氏が島野鉄工所を創立 | ★ | ||
| 翌年に自転車部品のフリーホイール製造を開始 | ★★ | |||
| 現在地の工場を新設移転 | ★ | |||
| 化、社名を島野鉄工所に変更 | ★ | |||
| 島野自転車を吸収合併しに増資、社名を島野工業に変更 | ★ | |||
| 冷間鍛造を開始 | ★★ | |||
| ニューヨークにShimano American Corporationを設立 | ★★ | |||
| 1965〜1995年米国進出から世界の自転車部品メーカーへ──シマノ確立期 | 釣用リールの製造を開始 | ★★ | ||
| 島野足立を設立し釣用竿の製造を開始 | ★ | |||
| ドイツ・デュッセルドルフにShimano(Europa)GmbHを設立 | ★ | |||
| 大阪証券取引所市場第二部に上場 | ★ | |||
| 子会社を設立 | ★ | |||
| 円高下で値引きを拒む「プロの商法」——高付加価値部品と海外直販で輸出採算を守る 1977〜78年の急速な円高下で、輸出比率6割の島野工業が価格競争に加わらず、値引きを拒んで高付加価値部品と海外直販を貫き、増収増益を守った経営。米国向けの小幅値上げと徹底した合理化で為替の負担を吸収した。 詳細を読む | ★★★ | |||
| Ultegra Nederland B.V.を設立 | ★ | |||
| Shimano Components(Malaysia)を設立 | ★ | |||
| 社名をシマノに変更 | ★ | |||
| Shimano(Kunshan)Bicycle Componentsを設立 | ★ | |||
| 島野喜三 | シマノ臨海が島野山口・シマノ釣具販売・エヌエフテーを吸収合併 | ★ | ||
| 1995〜2021年容三社長20年とBeyond Digital──グローバル王者の確立と100年企業へ | 島野喜三 | Shimano Europe Holding B.V.を設立 | ★ | |
| 島野容三 | Shimano(Tianjin)Bicycle Componentsを設立 | ★ | ||
| 島野容三 | Shimano Europe Bike Holdingを設立 | ★ | ||
| 島野容三 | シマノ臨海をシマノセールスに商号変更 | ★ | ||
| 島野容三 | 本社新工場が竣工 | ★ | ||
| 島野容三 | 本社臨海ロジスティクスセンターが竣工 | ★ | ||
| 島野容三 | 下関新工場が竣工 | ★ | ||
| 島野容三 | Shimano Europe Bike Holdingが欧州子会社を吸収合併しShimano Europe B.V.に改組 | ★ | ||
| 島野容三 | Shimano Europe Holdingが欧州各社を吸収合併しShimano Europe B.V.に統合 | ★ | ||
| 島野容三 | 本社研究開発棟完成 | ★ | ||
| 2021年〜コロナ特需と流通在庫調整──100年企業の次の100年へ(2021〜現在) | 島野泰三 | プライム市場に移行 | ★ | |
| 島野泰三 | 本社新社屋竣工 | ★ |
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事実根拠:出所(シマノ)