第1章 年〜年

山水電気:山水電気製作所のトランス製造からステレオアンプへの転換

1944年〜代々木上原の変成器工場と、資本金18万円の株式会社

菊池幸作氏は1944年12月、東京都渋谷区代々木上原で個人経営の山水電気製作所を開業した。扱う品目は変成器(トランス)に絞り、電機の部品を専門に製造する工場として事業を始めた。1947年に株式会社へ改めた時点でも、陣容は菊池幸作氏を含む10名、社屋は木造2階建て。1960年11月から1961年8月の販売実績では、製品の約52%を弱電機の大手メーカーと官庁へ直接納めた。1962年時点の主な販売先には、ソニー、日本電気、日本ビクター、松下電器産業、東京芝浦電気が名を連ねた。最終製品を持たず、大手の組立工程へ部品を供給する位置から事業が始まったとみられる。

  • 証券 14(1)(152) 1962年 p88-89
    • [1]1944年12月に菊池幸作が渋谷区代々木上原で個人経営の山水電気製作所を開業し変成器専門メーカーとして発足。1960年11月〜1961年8月の販売の約52%は弱電機大手メーカー・官庁への直接販売
    • [2]1944年12月に菊池幸作が渋谷区代々木上原で個人経営の山水電気製作所を開業し変成器専門メーカーとして発足。1960年11月〜1961年8月の販売の約52%は弱電機大手メーカー・官庁への直接販売
    • [4]1944年12月に菊池幸作が渋谷区代々木上原で個人経営の山水電気製作所を開業し変成器専門メーカーとして発足。1960年11月〜1961年8月の販売の約52%は弱電機大手メーカー・官庁への直接販売
  • 企業の歴史(明治百年・1968)「山水電気」
    • [3]1947年6月3日の創立時、社長菊池幸作以下10名・木造2階建ての社屋
  • 株式会社年鑑 1963年版「山水電気」
    • [5]1962年時点の主な販売先はソニー・日本電気・日本ビクター・松下電器産業・東京芝浦電気など

菊池幸作氏は1947年6月3日、山水電気製作所を改組して資本金18万円の山水電気株式会社を設立した。設立後は増資を重ね、資本金は1952年に72万円、同年9月に180万円、1955年10月に360万円となった。品目では1951年にBWシリーズのアウトプット・トランスを量産し始め、テレビ用トランスの製造と販売にも参入した。1952年には自動電圧安定装置の研究に着手。この装置は1961年に船舶レーダー用や電子計算機用として売上の10.0%を占める製品に育った。個人経営のままでは外部の出資を受けにくく、株式会社への改組が民需向けの増産に要る資本を積む足場になったと推察される。

  • 山水電気 有価証券報告書 第69期(2005年12月期)【沿革】
    • [6]1947年6月に山水電気製作所を改組し資本金18万円で山水電気株式会社を設立
  • 証券 14(1)(152) 1962年 p88-89
    • [7]資本金は1952年に72万円、1952年9月に180万円、1955年10月に360万円へ増資。1960年11月〜1961年8月の販売で自動電圧安定装置(船舶レーダー用・電子計算機用など)が10.0%
    • [10]資本金は1952年に72万円、1952年9月に180万円、1955年10月に360万円へ増資。1960年11月〜1961年8月の販売で自動電圧安定装置(船舶レーダー用・電子計算機用など)が10.0%
  • 企業の歴史(明治百年・1968)「山水電気」
    • [8]1951年にBWシリーズのアウトプット・トランスの生産を開始し、テレビ用トランスの生産・販売に進出。1952年に自動電圧安定装置の研究を開始
    • [9]1951年にBWシリーズのアウトプット・トランスの生産を開始し、テレビ用トランスの生産・販売に進出。1952年に自動電圧安定装置の研究を開始
参考文献[1]-[10]
  • 証券 14(1)(152) 1962年 p88-89
    • [1]1944年12月に菊池幸作が渋谷区代々木上原で個人経営の山水電気製作所を開業し変成器専門メーカーとして発足。1960年11月〜1961年8月の販売の約52%は弱電機大手メーカー・官庁への直接販売
    • [2]1944年12月に菊池幸作が渋谷区代々木上原で個人経営の山水電気製作所を開業し変成器専門メーカーとして発足。1960年11月〜1961年8月の販売の約52%は弱電機大手メーカー・官庁への直接販売
    • [4]1944年12月に菊池幸作が渋谷区代々木上原で個人経営の山水電気製作所を開業し変成器専門メーカーとして発足。1960年11月〜1961年8月の販売の約52%は弱電機大手メーカー・官庁への直接販売
    • [7]資本金は1952年に72万円、1952年9月に180万円、1955年10月に360万円へ増資。1960年11月〜1961年8月の販売で自動電圧安定装置(船舶レーダー用・電子計算機用など)が10.0%
    • [10]資本金は1952年に72万円、1952年9月に180万円、1955年10月に360万円へ増資。1960年11月〜1961年8月の販売で自動電圧安定装置(船舶レーダー用・電子計算機用など)が10.0%
  • 企業の歴史(明治百年・1968)「山水電気」
    • [3]1947年6月3日の創立時、社長菊池幸作以下10名・木造2階建ての社屋
    • [8]1951年にBWシリーズのアウトプット・トランスの生産を開始し、テレビ用トランスの生産・販売に進出。1952年に自動電圧安定装置の研究を開始
    • [9]1951年にBWシリーズのアウトプット・トランスの生産を開始し、テレビ用トランスの生産・販売に進出。1952年に自動電圧安定装置の研究を開始
  • 株式会社年鑑 1963年版「山水電気」
    • [5]1962年時点の主な販売先はソニー・日本電気・日本ビクター・松下電器産業・東京芝浦電気など
  • 山水電気 有価証券報告書 第69期(2005年12月期)【沿革】
    • [6]1947年6月に山水電気製作所を改組し資本金18万円で山水電気株式会社を設立

1954年〜トランジスタ用トランスの武蔵工場と、山水音研の吸収

山水電気は1954年8月、増幅器(アンプ)の生産を始めた。同じ1954年には、トランジスタ用トランスの研究にも着手した。トランジスタが真空管に代わる時代を見込み、アンプと合わせてトランス専業から製品を広げる最初の一歩と位置づけた。トランジスタ用トランスは1955年7月に生産へ移った。アンプについては1955年10月、増幅器部門を拡張するために音研工業(のちの山水音研)を別会社として設立した。1956年8月には杉並区和泉町に杉並工場を新設し、代々木上原の本社工場もここへ移転。部品の新しい需要と完成品の両方に早めに足場を置き、トランスの需要の変化に備えたとうかがえる。

  • 証券 14(1)(152) 1962年 p88-89
    • [11]1954年8月に増幅器の生産を開始。1955年10月に増幅器部門拡張のため音研工業(のち山水音研)を設立。1956年8月に杉並区和泉町に杉並工場を新設し本社工場を移転
    • [15]1954年8月に増幅器の生産を開始。1955年10月に増幅器部門拡張のため音研工業(のち山水音研)を設立。1956年8月に杉並区和泉町に杉並工場を新設し本社工場を移転
    • [16]1954年8月に増幅器の生産を開始。1955年10月に増幅器部門拡張のため音研工業(のち山水音研)を設立。1956年8月に杉並区和泉町に杉並工場を新設し本社工場を移転
  • 企業の歴史(明治百年・1968)「山水電気」
    • [12]1954年、トランジスタ時代の到来を見越してトランジスタ用トランスの研究を開始し、アンプ生産に着手して多角経営への第一歩とした
    • [13]1954年、トランジスタ時代の到来を見越してトランジスタ用トランスの研究を開始し、アンプ生産に着手して多角経営への第一歩とした
  • 山水電気 有価証券報告書 第69期(2005年12月期)【沿革】
    • [14]1955年7月にトランジスタ用トランスの生産を開始

山水電気は1959年7月、トランジスタ用変成器を増産するため埼玉県入間郡に武蔵工場を新設した。1962年時点の所在地は入間郡武蔵町で、杉並工場と三鷹工場に並ぶ生産拠点となった。1960年4月には別会社の山水音研を吸収合併し、その工場を三鷹工場とした。武蔵工場の新設は、1959年2月に資本金を2,000万円へ増やした直後にあたる。合併に伴う増資で、資本金は4,220万円から4,500万円に増えた。三鷹工場は東京都三鷹市下連雀にあり、1963年時点で音響機器の製造を担った。部品は武蔵、完成品は三鷹と工場ごとに受け持ちを分け、別会社だった音響部門を本体の管理の下に置いたと思われる。

  • 証券 14(1)(152) 1962年 p88-89
    • [17]1959年7月にトランジスタ用変成器増産のため埼玉県入間郡に武蔵工場を新設。1960年4月に山水音研を吸収合併し三鷹工場とした
    • [19]1959年7月にトランジスタ用変成器増産のため埼玉県入間郡に武蔵工場を新設。1960年4月に山水音研を吸収合併し三鷹工場とした
  • 株式会社年鑑 1963年版「山水電気」
    • [18]1962年時点の工場は杉並・三鷹・武蔵(埼玉県入間郡武蔵町)。1959年2月に資本金2,000万円、1960年4月の合併で4,220万円→4,500万円
    • [20]1962年時点の工場は杉並・三鷹・武蔵(埼玉県入間郡武蔵町)。1959年2月に資本金2,000万円、1960年4月の合併で4,220万円→4,500万円
    • [21]1962年時点の工場は杉並・三鷹・武蔵(埼玉県入間郡武蔵町)。1959年2月に資本金2,000万円、1960年4月の合併で4,220万円→4,500万円
  • 株式会社年鑑 1964年版「山水電気」
    • [22]1963年時点で三鷹工場(東京都三鷹市下連雀)は音響機器を製造

山水電気は1961年12月20日、東京証券取引所市場第2部に上場した。上場時の資本金は、1961年11月の減資と12月の増資を経た1億5000万円である。上場株式数は300万株、1961年8月末の従業員数は901名だった。1960年11月から1961年8月の販売実績では、音響機器とトランジスタ用変成器が各32.4%を占めた。通信機用変成器は25.2%で3番目にあたる。輸出の比率は7%程度で、主な仕向け先は米国と中南アジアである。上場直前の1961年8月末には、菊池幸作氏が89万8000株を保有する筆頭株主だった。増資を重ねてきた資本の調達先を個人の株主から市場へ広げることが、上場の狙いだったのだろう。

  • 山水電気 有価証券報告書 第69期(2005年12月期)【沿革】
    • [23]1961年12月に東京証券取引所市場第2部に上場
  • 証券 14(1)(152) 1962年 p88-89
    • [24]1961年12月20日上場。1961年11月減資・12月増資で資本金1億5000万円・上場株式数300万株・従業員901名(1961年8月末)。1960年11月〜1961年8月の販売は音響機器32.4%・トランジスタ用変成器32.4%・通信機用変成器25.2%、輸出7%程度で米国・中南アジア向け。菊池幸作が898,000株の筆頭株主
    • [25]1961年12月20日上場。1961年11月減資・12月増資で資本金1億5000万円・上場株式数300万株・従業員901名(1961年8月末)。1960年11月〜1961年8月の販売は音響機器32.4%・トランジスタ用変成器32.4%・通信機用変成器25.2%、輸出7%程度で米国・中南アジア向け。菊池幸作が898,000株の筆頭株主
    • [26]1961年12月20日上場。1961年11月減資・12月増資で資本金1億5000万円・上場株式数300万株・従業員901名(1961年8月末)。1960年11月〜1961年8月の販売は音響機器32.4%・トランジスタ用変成器32.4%・通信機用変成器25.2%、輸出7%程度で米国・中南アジア向け。菊池幸作が898,000株の筆頭株主
    • [27]1961年12月20日上場。1961年11月減資・12月増資で資本金1億5000万円・上場株式数300万株・従業員901名(1961年8月末)。1960年11月〜1961年8月の販売は音響機器32.4%・トランジスタ用変成器32.4%・通信機用変成器25.2%、輸出7%程度で米国・中南アジア向け。菊池幸作が898,000株の筆頭株主
    • [28]1961年12月20日上場。1961年11月減資・12月増資で資本金1億5000万円・上場株式数300万株・従業員901名(1961年8月末)。1960年11月〜1961年8月の販売は音響機器32.4%・トランジスタ用変成器32.4%・通信機用変成器25.2%、輸出7%程度で米国・中南アジア向け。菊池幸作が898,000株の筆頭株主
    • [29]1961年12月20日上場。1961年11月減資・12月増資で資本金1億5000万円・上場株式数300万株・従業員901名(1961年8月末)。1960年11月〜1961年8月の販売は音響機器32.4%・トランジスタ用変成器32.4%・通信機用変成器25.2%、輸出7%程度で米国・中南アジア向け。菊池幸作が898,000株の筆頭株主
参考文献[11]-[29]
  • 証券 14(1)(152) 1962年 p88-89
    • [11]1954年8月に増幅器の生産を開始。1955年10月に増幅器部門拡張のため音研工業(のち山水音研)を設立。1956年8月に杉並区和泉町に杉並工場を新設し本社工場を移転
    • [15]1954年8月に増幅器の生産を開始。1955年10月に増幅器部門拡張のため音研工業(のち山水音研)を設立。1956年8月に杉並区和泉町に杉並工場を新設し本社工場を移転
    • [16]1954年8月に増幅器の生産を開始。1955年10月に増幅器部門拡張のため音研工業(のち山水音研)を設立。1956年8月に杉並区和泉町に杉並工場を新設し本社工場を移転
    • [17]1959年7月にトランジスタ用変成器増産のため埼玉県入間郡に武蔵工場を新設。1960年4月に山水音研を吸収合併し三鷹工場とした
    • [19]1959年7月にトランジスタ用変成器増産のため埼玉県入間郡に武蔵工場を新設。1960年4月に山水音研を吸収合併し三鷹工場とした
    • [24]1961年12月20日上場。1961年11月減資・12月増資で資本金1億5000万円・上場株式数300万株・従業員901名(1961年8月末)。1960年11月〜1961年8月の販売は音響機器32.4%・トランジスタ用変成器32.4%・通信機用変成器25.2%、輸出7%程度で米国・中南アジア向け。菊池幸作が898,000株の筆頭株主
    • [25]1961年12月20日上場。1961年11月減資・12月増資で資本金1億5000万円・上場株式数300万株・従業員901名(1961年8月末)。1960年11月〜1961年8月の販売は音響機器32.4%・トランジスタ用変成器32.4%・通信機用変成器25.2%、輸出7%程度で米国・中南アジア向け。菊池幸作が898,000株の筆頭株主
    • [26]1961年12月20日上場。1961年11月減資・12月増資で資本金1億5000万円・上場株式数300万株・従業員901名(1961年8月末)。1960年11月〜1961年8月の販売は音響機器32.4%・トランジスタ用変成器32.4%・通信機用変成器25.2%、輸出7%程度で米国・中南アジア向け。菊池幸作が898,000株の筆頭株主
    • [27]1961年12月20日上場。1961年11月減資・12月増資で資本金1億5000万円・上場株式数300万株・従業員901名(1961年8月末)。1960年11月〜1961年8月の販売は音響機器32.4%・トランジスタ用変成器32.4%・通信機用変成器25.2%、輸出7%程度で米国・中南アジア向け。菊池幸作が898,000株の筆頭株主
    • [28]1961年12月20日上場。1961年11月減資・12月増資で資本金1億5000万円・上場株式数300万株・従業員901名(1961年8月末)。1960年11月〜1961年8月の販売は音響機器32.4%・トランジスタ用変成器32.4%・通信機用変成器25.2%、輸出7%程度で米国・中南アジア向け。菊池幸作が898,000株の筆頭株主
    • [29]1961年12月20日上場。1961年11月減資・12月増資で資本金1億5000万円・上場株式数300万株・従業員901名(1961年8月末)。1960年11月〜1961年8月の販売は音響機器32.4%・トランジスタ用変成器32.4%・通信機用変成器25.2%、輸出7%程度で米国・中南アジア向け。菊池幸作が898,000株の筆頭株主
  • 企業の歴史(明治百年・1968)「山水電気」
    • [12]1954年、トランジスタ時代の到来を見越してトランジスタ用トランスの研究を開始し、アンプ生産に着手して多角経営への第一歩とした
    • [13]1954年、トランジスタ時代の到来を見越してトランジスタ用トランスの研究を開始し、アンプ生産に着手して多角経営への第一歩とした
  • 山水電気 有価証券報告書 第69期(2005年12月期)【沿革】
    • [14]1955年7月にトランジスタ用トランスの生産を開始
    • [23]1961年12月に東京証券取引所市場第2部に上場
  • 株式会社年鑑 1963年版「山水電気」
    • [18]1962年時点の工場は杉並・三鷹・武蔵(埼玉県入間郡武蔵町)。1959年2月に資本金2,000万円、1960年4月の合併で4,220万円→4,500万円
    • [20]1962年時点の工場は杉並・三鷹・武蔵(埼玉県入間郡武蔵町)。1959年2月に資本金2,000万円、1960年4月の合併で4,220万円→4,500万円
    • [21]1962年時点の工場は杉並・三鷹・武蔵(埼玉県入間郡武蔵町)。1959年2月に資本金2,000万円、1960年4月の合併で4,220万円→4,500万円
  • 株式会社年鑑 1964年版「山水電気」
    • [22]1963年時点で三鷹工場(東京都三鷹市下連雀)は音響機器を製造

1962年〜輸出用のFMマルチ内蔵アンプと、ニューヨークのサンスイ・エレクトロニクス

山水電気は1962年4月、セパレート・ステレオの発売を始めた。1955年からの10年間には、スピーカーの大型の箱にアンプを内蔵したコンソール型の高級HIFIアンプを製品に加えた。ステレオプリアンプのSP-220も同じ時期の製品にあたる。1961年時点の音響機器はステレオハイファイアンプ、ミクサーアンプ、トランジスタアンプで構成した。販売の約41%は全国150の代理店を経由しており、部品の直販とは別の売り先を持った。1962年時点の主な事業内容は、音響機器、電源機器、トランジスタ用変成器の3つである。業務用アンプで蓄えた技術と代理店網が、サンスイの名を付けた家庭向けステレオを売り出す下地になったと考えられる。

  • 山水電気 有価証券報告書 第69期(2005年12月期)【沿革】
    • [30]1962年4月にセパレート・ステレオの発売を開始
  • 企業の歴史(明治百年・1968)「山水電気」
    • [31]昭和30年代に大型スピーカーボックスにアンプを組み込んだ高級コンソール型HIFIアンプ、ステレオプリアンプSP-220などを生産
    • [32]昭和30年代に大型スピーカーボックスにアンプを組み込んだ高級コンソール型HIFIアンプ、ステレオプリアンプSP-220などを生産
  • 証券 14(1)(152) 1962年 p88-89
    • [33]1961年時点の音響機器はステレオハイファイアンプ・ミクサーアンプ・トランジスタアンプ。製品の約41%を全国150の代理店経由で販売
    • [34]1961年時点の音響機器はステレオハイファイアンプ・ミクサーアンプ・トランジスタアンプ。製品の約41%を全国150の代理店経由で販売
  • 株式会社年鑑 1963年版「山水電気」
    • [35]1962年時点の主な事業内容は音響機器・電源機器・トランジスタ用変成器

1963年に業界でFMマルチ方式が定まると、山水電気はFMマルチを内蔵した総合アンプを量産した。最初の機種となったM-500とM-1000は、いずれも海外で販売する輸出向けの製品である。1961年時点の輸出比率は7%程度で、輸出は売上の一部にとどまっていた。1966年には海外市場の拠点として米国サンフランシスコに駐在所を開設し、その機能をニューヨークへ移した。これに先立つ1965年4月には、関係会社のサンスイ・トランスを国内に設けていた。1966年10月、関係会社としてサンスイ・エレクトロニクス・コーポレーションを米国に設立した。輸出向けの機種が先に売れたことで、米国での販売を自社の現地法人で管理する必要が生じたとうかがえる。

  • 企業の歴史(明治百年・1968)「山水電気」
    • [36]1963年に業界でFMマルチ方式が定まりFMマルチ内蔵総合アンプを量産。最初のM-500・M-1000は輸出用として海外で販売。1966年に米国サンフランシスコに駐在所を開設し、ニューヨークに移してサンスイ・エレクトロニクス・コーポレーションを設立
    • [37]1963年に業界でFMマルチ方式が定まりFMマルチ内蔵総合アンプを量産。最初のM-500・M-1000は輸出用として海外で販売。1966年に米国サンフランシスコに駐在所を開設し、ニューヨークに移してサンスイ・エレクトロニクス・コーポレーションを設立
    • [39]1963年に業界でFMマルチ方式が定まりFMマルチ内蔵総合アンプを量産。最初のM-500・M-1000は輸出用として海外で販売。1966年に米国サンフランシスコに駐在所を開設し、ニューヨークに移してサンスイ・エレクトロニクス・コーポレーションを設立
  • 証券 14(1)(152) 1962年 p88-89
    • [38]1960年11月〜1961年8月の輸出比率は7%程度
  • 山水電気 有価証券報告書 第69期(2005年12月期)【沿革】
    • [40]1965年4月に関係会社サンスイ・トランスを設立。1966年10月に関係会社サンスイ・エレクトロニクス・コーポレーション(米国)を設立
    • [41]1965年4月に関係会社サンスイ・トランスを設立。1966年10月に関係会社サンスイ・エレクトロニクス・コーポレーション(米国)を設立

山水電気は1967年3月、関係会社のサンスイ音響とサンスイ・ステレオを設立した。1968年5月には大阪証券取引所市場第2部に上場し、1965年設立のサンスイ・トランスとサンスイ音響を合併させ、山水音響に改めた。1968年時点の年間売上高は80億円強、利益は3億円台である。資本金は1961年の上場時の1億5000万円から6億円に増え、従業員は1034名を数えた。1970年3月には東京証券取引所と大阪証券取引所の市場第1部に上場した。1972年3月、山水音響とサンスイ・ステレオを吸収合併し、それぞれを福島事業所と長野事業所に改めた。生産を別会社で立ち上げ、規模が整った段階で本体に取り込む手順を踏んだと読み取れる。

  • 山水電気 有価証券報告書 第69期(2005年12月期)【沿革】
    • [42]1967年3月にサンスイ音響・サンスイ・ステレオを設立。1968年5月に大証2部上場、サンスイ・トランスとサンスイ音響を合併し山水音響に。1970年3月に東証・大証1部上場。1972年3月に山水音響・サンスイ・ステレオを吸収合併し福島事業所・長野事業所とした
    • [43]1967年3月にサンスイ音響・サンスイ・ステレオを設立。1968年5月に大証2部上場、サンスイ・トランスとサンスイ音響を合併し山水音響に。1970年3月に東証・大証1部上場。1972年3月に山水音響・サンスイ・ステレオを吸収合併し福島事業所・長野事業所とした
    • [46]1967年3月にサンスイ音響・サンスイ・ステレオを設立。1968年5月に大証2部上場、サンスイ・トランスとサンスイ音響を合併し山水音響に。1970年3月に東証・大証1部上場。1972年3月に山水音響・サンスイ・ステレオを吸収合併し福島事業所・長野事業所とした
    • [47]1967年3月にサンスイ音響・サンスイ・ステレオを設立。1968年5月に大証2部上場、サンスイ・トランスとサンスイ音響を合併し山水音響に。1970年3月に東証・大証1部上場。1972年3月に山水音響・サンスイ・ステレオを吸収合併し福島事業所・長野事業所とした
  • 企業の歴史(明治百年・1968)「山水電気」
    • [44]1968年時点で年間売上高80億円強・利益3億円台、資本金6億円(1961年公開時1億5000万円)、従業員1034名
    • [45]1968年時点で年間売上高80億円強・利益3億円台、資本金6億円(1961年公開時1億5000万円)、従業員1034名
参考文献[30]-[47]
  • 山水電気 有価証券報告書 第69期(2005年12月期)【沿革】
    • [30]1962年4月にセパレート・ステレオの発売を開始
    • [40]1965年4月に関係会社サンスイ・トランスを設立。1966年10月に関係会社サンスイ・エレクトロニクス・コーポレーション(米国)を設立
    • [41]1965年4月に関係会社サンスイ・トランスを設立。1966年10月に関係会社サンスイ・エレクトロニクス・コーポレーション(米国)を設立
    • [42]1967年3月にサンスイ音響・サンスイ・ステレオを設立。1968年5月に大証2部上場、サンスイ・トランスとサンスイ音響を合併し山水音響に。1970年3月に東証・大証1部上場。1972年3月に山水音響・サンスイ・ステレオを吸収合併し福島事業所・長野事業所とした
    • [43]1967年3月にサンスイ音響・サンスイ・ステレオを設立。1968年5月に大証2部上場、サンスイ・トランスとサンスイ音響を合併し山水音響に。1970年3月に東証・大証1部上場。1972年3月に山水音響・サンスイ・ステレオを吸収合併し福島事業所・長野事業所とした
    • [46]1967年3月にサンスイ音響・サンスイ・ステレオを設立。1968年5月に大証2部上場、サンスイ・トランスとサンスイ音響を合併し山水音響に。1970年3月に東証・大証1部上場。1972年3月に山水音響・サンスイ・ステレオを吸収合併し福島事業所・長野事業所とした
    • [47]1967年3月にサンスイ音響・サンスイ・ステレオを設立。1968年5月に大証2部上場、サンスイ・トランスとサンスイ音響を合併し山水音響に。1970年3月に東証・大証1部上場。1972年3月に山水音響・サンスイ・ステレオを吸収合併し福島事業所・長野事業所とした
  • 企業の歴史(明治百年・1968)「山水電気」
    • [31]昭和30年代に大型スピーカーボックスにアンプを組み込んだ高級コンソール型HIFIアンプ、ステレオプリアンプSP-220などを生産
    • [32]昭和30年代に大型スピーカーボックスにアンプを組み込んだ高級コンソール型HIFIアンプ、ステレオプリアンプSP-220などを生産
    • [36]1963年に業界でFMマルチ方式が定まりFMマルチ内蔵総合アンプを量産。最初のM-500・M-1000は輸出用として海外で販売。1966年に米国サンフランシスコに駐在所を開設し、ニューヨークに移してサンスイ・エレクトロニクス・コーポレーションを設立
    • [37]1963年に業界でFMマルチ方式が定まりFMマルチ内蔵総合アンプを量産。最初のM-500・M-1000は輸出用として海外で販売。1966年に米国サンフランシスコに駐在所を開設し、ニューヨークに移してサンスイ・エレクトロニクス・コーポレーションを設立
    • [39]1963年に業界でFMマルチ方式が定まりFMマルチ内蔵総合アンプを量産。最初のM-500・M-1000は輸出用として海外で販売。1966年に米国サンフランシスコに駐在所を開設し、ニューヨークに移してサンスイ・エレクトロニクス・コーポレーションを設立
    • [44]1968年時点で年間売上高80億円強・利益3億円台、資本金6億円(1961年公開時1億5000万円)、従業員1034名
    • [45]1968年時点で年間売上高80億円強・利益3億円台、資本金6億円(1961年公開時1億5000万円)、従業員1034名
  • 証券 14(1)(152) 1962年 p88-89
    • [33]1961年時点の音響機器はステレオハイファイアンプ・ミクサーアンプ・トランジスタアンプ。製品の約41%を全国150の代理店経由で販売
    • [34]1961年時点の音響機器はステレオハイファイアンプ・ミクサーアンプ・トランジスタアンプ。製品の約41%を全国150の代理店経由で販売
    • [38]1960年11月〜1961年8月の輸出比率は7%程度
  • 株式会社年鑑 1963年版「山水電気」
    • [35]1962年時点の主な事業内容は音響機器・電源機器・トランジスタ用変成器

出典・参考

5件
出典・参考
  • 山水電気 有価証券報告書 第69期(2005年12月期)【沿革】
  • 株式会社年鑑 1963年版「山水電気」
  • 株式会社年鑑 1964年版「山水電気」
  • 企業の歴史(明治百年・1968)「山水電気」
  • 証券 14(1)(152) 1962年 p88-89

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