尾本信平

三井金属・元代表取締役社長

Omoto Shinpei(敬称略)

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社長就任 1969年
生年月日 1908年1月1日
学歴 東京商科大学
出自 —
社長就任までの出自
出自

1933年3月に東京商科大学を卒業し、同年4月に三井鉱山へ入社した。1958年5月に三井金属鉱業の取締役、同年11月に常務取締役、1964年5月に副社長へ進んだ。千葉県の出身で、九州帝国大学と東京帝国大学の工学部を出た二代が続いたあとに、商科出身者として社長まで上がった。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1970年5月、高林敏巳氏が会長へ移ったのを受けて社長に就任した。三井鉱山へ入って37年、副社長を6年務めたうえでの昇格である。就任年度にあたる1971年3月期は単体売上高1169億円に対し経常利益11億円にとどまり、亜鉛地金の市況に収益が振られる構造が残っていた。設備の拡張が一巡し、採算と資金繰りが課題となる時期に商科出身者が充てられたとみられる。

在任中の主な施策
施策

1972年に神岡鉱山の排水を原因とするイタイイタイ病の補償に応じ、円高も重なって鉱山の国際競争力が下がった。並行して1976年2月に米国ニューヨーク州へOak-Mitsui,Inc.を設立し、プリント基板向け銅箔の現地生産を開始した。単体の当期純損益は1978年3月期がマイナス45億円、1979年3月期がマイナス31億円である。1978年には神岡で一時帰休に踏み切り、これが2001年の採掘中止まで23年続く縮小の出発点になった。 イタイイタイ病賠償受諾

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1908〜1978年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件

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