高島節男

三井金属・元代表取締役社長

Takashima Setsuo(敬称略)

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社長就任 1978年
生年月日 —
学歴 東京帝国大学法学部
出自 —
社長就任までの出自
出自

1940年に東京帝国大学法学部を卒業して官界へ進み、1966年5月に通商産業省重工業局長、1968年9月に経済企画庁事務次官を務め、1969年12月に退官した。1971年6月に三井金属鉱業の顧問となり、1972年5月に常務取締役、1974年5月に専務取締役、1977年6月に副社長へ進んでいる。東京の出身。三井鉱山から移った生え抜きが社長を務めてきた会社に、官界を歩いた人物が入った。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1979年6月、尾本信平氏が会長へ移ったのを受けて社長に就任した。顧問として入ってから8年、常務・専務・副社長と段を踏んだうえでの昇格である。就任直前の2期は1978年3月期が45億円、1979年3月期が31億円の当期純損失だった。通商産業省重工業局長と経済企画庁事務次官を務めた経歴が、神岡鉱山の縮小をめぐる行政や地元との折衝を見込んだ人選につながったとみられる。

在任中の主な施策
施策

1980年10月に三井金属箔製造と三金レア・アースの2社を吸収合併し、上尾金属箔工場(現・上尾銅箔工場)と三池レアメタル工場を新設して国内の銅箔生産体制を構築した。翌11月には台湾へ銅箔製造拠点の台湾銅箔股份有限公司を設立している。1981年には再建計画を策定し、神岡鉱山を段階的に縮小する方針を定めた。単体では1980年3月期に当期純利益31億円へ戻したものの、1982年3月期は54億円の当期純損失となる。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1978〜1983年
在任中の業績
就任前(FY77)1,882億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 1件

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