アルプス技研:松井設計事務所の開業とアルプス技研の設立
1968年〜25歳の松井利夫氏が相模原市相武台で開いた松井設計事務所と、石油危機で考えた会社の売却
1968年7月、松井利夫氏は神奈川県相模原市相武台で松井設計事務所を開業した。掲げた看板は、機械と電気の一体設計。松井利夫氏は1961年に高校を出て、昼は工員として働き、夜は専修学校で電気を学んだ。1964年には機械科に入り直し、勤め先は電機メーカーの設計部へ移した。設計部で松井利夫氏は外部へ図面を発注する立場にあり、当時は機械と電気の技術者をともに抱える事務所が見当たらなかった。分野ごとに発注した図面を一つにまとめる段で不具合が出やすく、納期の直前に徹夜で整合を取ることもあった。両分野を学んだ松井利夫氏は、まとめて引き受ける会社に需要があると見込み、制約なく力を試したい思いも重なって25歳で独立した。
- アルプス技研 有価証券報告書【沿革】
- [1]1968年7月 相模原市相武台で松井設計事務所開業
- 証券アナリストジャーナル 1996年9月 別冊付録 アルプス技研(松井利夫社長)
- [2]1968年に相模原市で「機械と電気の一体設計」の松井設計事務所として創業
- 東海総研マネジメント 113 1997年5月「企業最前線――株式会社アルプス技研」p38-39(松井利夫会長の回顧)
- [3]電機メーカー設計部で機械・電気を別発注し統合時に不具合が多かった経験と自由に働きたい思いから、25歳で松井設計事務所を設立
- [4]電機メーカー設計部で機械・電気を別発注し統合時に不具合が多かった経験と自由に働きたい思いから、25歳で松井設計事務所を設立
- [5]電機メーカー設計部で機械・電気を別発注し統合時に不具合が多かった経験と自由に働きたい思いから、25歳で松井設計事務所を設立
- [6]電機メーカー設計部で機械・電気を別発注し統合時に不具合が多かった経験と自由に働きたい思いから、25歳で松井設計事務所を設立
- [7]電機メーカー設計部で機械・電気を別発注し統合時に不具合が多かった経験と自由に働きたい思いから、25歳で松井設計事務所を設立
1971年1月、松井利夫氏は相模原市相武台に資本金1,000千円で有限会社アルプス技研を設立した。個人の設計事務所を法人組織へ改め、社名にはアルプス山脈の姿を重ねた。大地に深く根を張り、雲を抜けて高くそびえる山並みのように大きな企業へ育てたいという願いを込めた名である。法人化の翌年、1972年から受注が少しずつ入るようになった。その時点で、アルプス技研は設計の請負と技術者の派遣を両方手がけていた。請負と派遣の2本立てで取引先と契約を交わすには、個人の名義より法人の名義のほうが信用を得やすかったと考えられる。
- アルプス技研 有価証券報告書【沿革】
- [8]1971年1月 相模原市相武台に有限会社アルプス技研(資本金1,000千円)設立
- 証券アナリストジャーナル 1996年9月 別冊付録 アルプス技研(松井利夫社長)
- [9]1971年に法人組織化。社名にアルプス山脈のように雄大な企業に成長する思いを込めた
- [10]1971年に法人組織化。社名にアルプス山脈のように雄大な企業に成長する思いを込めた
- 東海総研マネジメント 113 1997年5月「企業最前線――株式会社アルプス技研」p38-39(松井利夫会長の回顧)
- [11]1971年に有限会社アルプス技研へ改組、翌年から仕事が入り始め、当時すでに設計請負と技術者派遣を両方手がけていた
- [12]1971年に有限会社アルプス技研へ改組、翌年から仕事が入り始め、当時すでに設計請負と技術者派遣を両方手がけていた
有限会社アルプス技研は1971年1月の設立から日が浅く、受注が入り始めた段階である。経営の基盤が固まらないうちに、アルプス技研は石油危機に見舞われた。苦境は深く、松井利夫氏は一時、会社を売却することまで考えた。売却先は現れず、松井利夫氏は景気が上向くまで事業を続けた。景気の好転を境に、アルプス技研は成長の時期に入った。売却が成立していれば技術者派遣の会社としてのアルプス技研は残らず、買い手の不在が結果として事業の継続を決めたのだろう。
- アルプス技研 有価証券報告書【沿革】
- [13]1971年1月 有限会社アルプス技研設立
- 東海総研マネジメント 113 1997年5月「企業最前線――株式会社アルプス技研」p38-39(松井利夫会長の回顧)
- [14]経営安定前にオイルショックで苦境、一時は会社の売却も考えたが買い手がなく、景気好転後に成長期へ(年の特定なし)
- [15]経営安定前にオイルショックで苦境、一時は会社の売却も考えたが買い手がなく、景気好転後に成長期へ(年の特定なし)
- [16]経営安定前にオイルショックで苦境、一時は会社の売却も考えたが買い手がなく、景気好転後に成長期へ(年の特定なし)
- [17]経営安定前にオイルショックで苦境、一時は会社の売却も考えたが買い手がなく、景気好転後に成長期へ(年の特定なし)
参考文献[1]-[17]
- アルプス技研 有価証券報告書【沿革】
- [1]1968年7月 相模原市相武台で松井設計事務所開業
- [8]1971年1月 相模原市相武台に有限会社アルプス技研(資本金1,000千円)設立
- [13]1971年1月 有限会社アルプス技研設立
- 証券アナリストジャーナル 1996年9月 別冊付録 アルプス技研(松井利夫社長)
- [2]1968年に相模原市で「機械と電気の一体設計」の松井設計事務所として創業
- [9]1971年に法人組織化。社名にアルプス山脈のように雄大な企業に成長する思いを込めた
- [10]1971年に法人組織化。社名にアルプス山脈のように雄大な企業に成長する思いを込めた
- 東海総研マネジメント 113 1997年5月「企業最前線――株式会社アルプス技研」p38-39(松井利夫会長の回顧)
- [3]電機メーカー設計部で機械・電気を別発注し統合時に不具合が多かった経験と自由に働きたい思いから、25歳で松井設計事務所を設立
- [4]電機メーカー設計部で機械・電気を別発注し統合時に不具合が多かった経験と自由に働きたい思いから、25歳で松井設計事務所を設立
- [5]電機メーカー設計部で機械・電気を別発注し統合時に不具合が多かった経験と自由に働きたい思いから、25歳で松井設計事務所を設立
- [6]電機メーカー設計部で機械・電気を別発注し統合時に不具合が多かった経験と自由に働きたい思いから、25歳で松井設計事務所を設立
- [7]電機メーカー設計部で機械・電気を別発注し統合時に不具合が多かった経験と自由に働きたい思いから、25歳で松井設計事務所を設立
- [11]1971年に有限会社アルプス技研へ改組、翌年から仕事が入り始め、当時すでに設計請負と技術者派遣を両方手がけていた
- [12]1971年に有限会社アルプス技研へ改組、翌年から仕事が入り始め、当時すでに設計請負と技術者派遣を両方手がけていた
- [14]経営安定前にオイルショックで苦境、一時は会社の売却も考えたが買い手がなく、景気好転後に成長期へ(年の特定なし)
- [15]経営安定前にオイルショックで苦境、一時は会社の売却も考えたが買い手がなく、景気好転後に成長期へ(年の特定なし)
- [16]経営安定前にオイルショックで苦境、一時は会社の売却も考えたが買い手がなく、景気好転後に成長期へ(年の特定なし)
- [17]経営安定前にオイルショックで苦境、一時は会社の売却も考えたが買い手がなく、景気好転後に成長期へ(年の特定なし)
1980年〜社員の増加で顕在化した教育の課題と、資本金1,000万円の株式会社アルプス技研
社員が増えた1980年ごろ、アルプス技研では技術者の意思疎通の力や社会常識の不足から生じる問題が目立ち始めた。松井利夫氏は対策を教育に求め、『技術力と人材しか経営資源のないわが社にとって、教育はまさに生命線なんです』と後年の回顧で位置づけた。公的機関から招いた講師が社員の応対を見て初日に講師を辞退した出来事も、松井利夫氏は回顧で挙げた。教育の根にあったのは、人の成長も会社の成長も人と人との関係に根ざすとする理念「Heart to Heart」。松井利夫氏は創業当初から、この理念を経営の基本に置いたとしている。2005年の年報も、この理念を共同体や企業の繁栄と技術の発展に人間関係が欠かせないという意味だと説明した。派遣先では技術者の応対が会社の評価になるため、技術教育だけでは足りないと松井利夫氏は判断したとみられる。
- 東海総研マネジメント 113 1997年5月「企業最前線――株式会社アルプス技研」p38-39(松井利夫会長の回顧)
- [18]1980年ごろ社員増加でコミュニケーション能力や常識の欠如による問題が表面化、克服策は教育。講師が社員の応接態度を見て辞退した逸話(時期不明)
- [19]1980年ごろ社員増加でコミュニケーション能力や常識の欠如による問題が表面化、克服策は教育。講師が社員の応接態度を見て辞退した逸話(時期不明)
- [20]1980年ごろ社員増加でコミュニケーション能力や常識の欠如による問題が表面化、克服策は教育。講師が社員の応接態度を見て辞退した逸話(時期不明)
- 証券アナリストジャーナル 1996年9月 別冊付録 アルプス技研(松井利夫社長)
- [21]創業当初から人と人の心のつながりを大切にする経営理念「Heart to Heart」を基本としてきた
- [22]創業当初から人と人の心のつながりを大切にする経営理念「Heart to Heart」を基本としてきた
- アルプス技研 The Annual Report of the 25th Business Year(2005年)創業者の退任メッセージ
- [23]「Heart to Heart」は人間関係が共同体・企業の繁栄と技術発展に不可欠という意味
1981年1月、アルプス技研は本店を相模原市共和へ移し、同年3月に資本金10,000千円の株式会社へ組織を変えた。経営者として10数年を経て、社員が50人から100人に増えた時期に、松井利夫氏は会社や組織とは何か、経営者として何をなすべきかを自問した。自問から得た答えは、強い会社、優良企業と呼ばれる会社になることである。松井利夫氏は株式公開を中堅企業へ進む最初の段階とみなし、1987年に公開の計画をおおむね固めた。1996年6月の店頭公開を、松井利夫氏は創業から28年、会社設立から15年の節目と記した。設立15年を逆算した起点は1981年の株式会社化にあたり、松井利夫氏はこの組織変更を強い会社への足場とみなしていたと思われる。
- アルプス技研 有価証券報告書【沿革】
- [24]1981年1月 相模原市共和に本店移転、1981年3月 株式会社アルプス技研に組織変更(資本金10,000千円)
- 証券アナリストジャーナル 1996年9月 別冊付録 アルプス技研(松井利夫社長)
- [25]社員50人→100人の時期に経営を自問し「強い会社」「優良企業」を目指すと決め、株式公開構想を1987年に固め、1996年6月に創業28年・会社設立15年で店頭公開
- [26]社員50人→100人の時期に経営を自問し「強い会社」「優良企業」を目指すと決め、株式公開構想を1987年に固め、1996年6月に創業28年・会社設立15年で店頭公開
- [27]社員50人→100人の時期に経営を自問し「強い会社」「優良企業」を目指すと決め、株式公開構想を1987年に固め、1996年6月に創業28年・会社設立15年で店頭公開
- [28]社員50人→100人の時期に経営を自問し「強い会社」「優良企業」を目指すと決め、株式公開構想を1987年に固め、1996年6月に創業28年・会社設立15年で店頭公開
1985年7月、アルプス技研は社屋を相模原市西橋本一丁目に建設し、本店を移した。翌1986年4月には、技術研修部門を資本金20,000千円の子会社、株式会社技術研修センターとして独立させた。研修の子会社はのちにアルプスビジネスサービスへ社名を改め、社外からも受講者を迎えた。1997年5月時点でも、アルプス技研の本社所在地は西橋本1-16-18。松井利夫氏は、専任の担当者が年間を通じて続けない限り人材は育たないという持論を持っていた。社屋の完成から1年足らずで研修部門を分社した順序から、西橋本の社屋は増えた人員と研修の場を収めるために建てたと推察される。
- アルプス技研 有価証券報告書【沿革】
- [29]1985年7月 相模原市西橋本一丁目に社屋建設・本店移転、1986年4月 技術研修部門を子会社「株式会社技術研修センター」(資本金20,000千円、現アルプスビジネスサービス)として設立
- [30]1985年7月 相模原市西橋本一丁目に社屋建設・本店移転、1986年4月 技術研修部門を子会社「株式会社技術研修センター」(資本金20,000千円、現アルプスビジネスサービス)として設立
- 東海総研マネジメント 113 1997年5月「企業最前線――株式会社アルプス技研」p38-39(松井利夫会長の回顧)
- [31]1997年時点の本社所在地は西橋本1-16-18。社員教育の子会社アルプスビジネスサービスは「人材育成は専任者を置き365日続けなければ実らない」という持論の具体化で社外受講者も受け入れ
- [32]1997年時点の本社所在地は西橋本1-16-18。社員教育の子会社アルプスビジネスサービスは「人材育成は専任者を置き365日続けなければ実らない」という持論の具体化で社外受講者も受け入れ
- [33]1997年時点の本社所在地は西橋本1-16-18。社員教育の子会社アルプスビジネスサービスは「人材育成は専任者を置き365日続けなければ実らない」という持論の具体化で社外受講者も受け入れ
参考文献[18]-[33]
- 東海総研マネジメント 113 1997年5月「企業最前線――株式会社アルプス技研」p38-39(松井利夫会長の回顧)
- [18]1980年ごろ社員増加でコミュニケーション能力や常識の欠如による問題が表面化、克服策は教育。講師が社員の応接態度を見て辞退した逸話(時期不明)
- [19]1980年ごろ社員増加でコミュニケーション能力や常識の欠如による問題が表面化、克服策は教育。講師が社員の応接態度を見て辞退した逸話(時期不明)
- [20]1980年ごろ社員増加でコミュニケーション能力や常識の欠如による問題が表面化、克服策は教育。講師が社員の応接態度を見て辞退した逸話(時期不明)
- [31]1997年時点の本社所在地は西橋本1-16-18。社員教育の子会社アルプスビジネスサービスは「人材育成は専任者を置き365日続けなければ実らない」という持論の具体化で社外受講者も受け入れ
- [32]1997年時点の本社所在地は西橋本1-16-18。社員教育の子会社アルプスビジネスサービスは「人材育成は専任者を置き365日続けなければ実らない」という持論の具体化で社外受講者も受け入れ
- [33]1997年時点の本社所在地は西橋本1-16-18。社員教育の子会社アルプスビジネスサービスは「人材育成は専任者を置き365日続けなければ実らない」という持論の具体化で社外受講者も受け入れ
- 証券アナリストジャーナル 1996年9月 別冊付録 アルプス技研(松井利夫社長)
- [21]創業当初から人と人の心のつながりを大切にする経営理念「Heart to Heart」を基本としてきた
- [22]創業当初から人と人の心のつながりを大切にする経営理念「Heart to Heart」を基本としてきた
- [25]社員50人→100人の時期に経営を自問し「強い会社」「優良企業」を目指すと決め、株式公開構想を1987年に固め、1996年6月に創業28年・会社設立15年で店頭公開
- [26]社員50人→100人の時期に経営を自問し「強い会社」「優良企業」を目指すと決め、株式公開構想を1987年に固め、1996年6月に創業28年・会社設立15年で店頭公開
- [27]社員50人→100人の時期に経営を自問し「強い会社」「優良企業」を目指すと決め、株式公開構想を1987年に固め、1996年6月に創業28年・会社設立15年で店頭公開
- [28]社員50人→100人の時期に経営を自問し「強い会社」「優良企業」を目指すと決め、株式公開構想を1987年に固め、1996年6月に創業28年・会社設立15年で店頭公開
- アルプス技研 The Annual Report of the 25th Business Year(2005年)創業者の退任メッセージ
- [23]「Heart to Heart」は人間関係が共同体・企業の繁栄と技術発展に不可欠という意味
- アルプス技研 有価証券報告書【沿革】
- [24]1981年1月 相模原市共和に本店移転、1981年3月 株式会社アルプス技研に組織変更(資本金10,000千円)
- [29]1985年7月 相模原市西橋本一丁目に社屋建設・本店移転、1986年4月 技術研修部門を子会社「株式会社技術研修センター」(資本金20,000千円、現アルプスビジネスサービス)として設立
- [30]1985年7月 相模原市西橋本一丁目に社屋建設・本店移転、1986年4月 技術研修部門を子会社「株式会社技術研修センター」(資本金20,000千円、現アルプスビジネスサービス)として設立
出典・参考
4件
- アルプス技研 有価証券報告書【沿革】
- 証券アナリストジャーナル 1996年9月 別冊付録 アルプス技研(松井利夫社長)
- 東海総研マネジメント 113 1997年5月「企業最前線――株式会社アルプス技研」p38-39(松井利夫会長の回顧)
- アルプス技研 The Annual Report of the 25th Business Year(2005年)創業者の退任メッセージ