御幸毛織:売上高経常利益率34%と婦人服地・電子事業への多角化
1978年〜経常利益35億円を生んだ受注生産と2社の一次問屋
1978年4月期の御幸毛織は、売上高102億円に対して経常利益35億円を計上し、売上高経常利益率は約34%に達した。自己資本比率は85.5%、1株当たり純資産は535円、長短借入金も支払手形もゼロに保った。上場企業1537社と比べると、自己資本比率で2位、売上高純金利負担率で2位、使用総資本経常利益率で40位に並んだ。同期の任意積立金は資本金の6倍にあたる114億円、利益準備金などを合わせた純資産は194億円に積み上がった。売上高は1976年4月期の91億円から102億円へ、経常利益は同じ期間に25億円から35億円へ増えた。
- 日経ビジネス 1978年10月9日号
- [1]1978年4月期 売上高102億円・経常利益35億円・売上高経常利益率約34%
- [2]自己資本比率85.5%、1株当たり純資産535円、長短借入金・支払手形ともゼロ
- [3]上場企業1537社中で自己資本比率2位・売上高純金利負担率2位・使用総資本経常利益率40位
- [4]1978年4月期の任意積立金114億円(資本金の6倍)、純資産194億円
- 会社年鑑 1986年版「御幸毛織」
- [5]1976年4月期 売上高91億円・経常利益25億円/1978年4月期 売上高102億円・経常利益35億円
原料の毛糸は東洋紡績と中央毛織の2社から仕入れ、御幸毛織は紡績部門を自社に置かなかった。紡績から毛織までの一貫生産をとる大同毛織や大東紡織とは、この点で工程の持ち方が分かれる。仕入れた毛糸から数千種の毛織物を織り分ける多品種少量生産で、毎年の設備投資のほとんどを機械化と合理化に充てた。設備投資は利益と減価償却を合わせた自己資金の範囲に収め、1970年9月に竣工した城北工場の10億円も自己資金でまかなった。1976年6月には、製織関係協力工場の中継基地として尾西出張所が操業を開始した。受注生産のため製品在庫を持たず、1978年4月期の商品回転日数は15.3日にとどまった。
- 日経ビジネス 1978年10月9日号
- [6]原料の毛糸は東洋紡績と中央毛織の2社から仕入れ、自社では紡績部門を持たない
- [7]大同毛織・大東紡織など同業他社は紡績から毛織までの一貫生産体制をとる
- [8]数千種にのぼる毛織物を生産する完全な多品種少量生産、設備投資のほとんどが機械化・合理化投資
- [9]設備投資資金は利益と減価償却を合わせた自己資金内で調達。1970年の城北工場建設の10億円も自己資金
- [11]受注生産のため製品在庫を持たず、1978年4月期の商品回転日数は15.3日
- 御幸毛織 有価証券報告書【沿革】
- [10]1976年6月 尾西出張所竣工、製織関係協力工場の中継基地として操業開始
販売先は100%出資子会社のミユキ販売と関係会社の鷹岡(大阪市)の2社に限り、ミユキ販売には"ミユキテックス"、鷹岡には"ファンシィテックス"のブランドで同一製品を流した。毛織物メーカーが普通は握れない二次問屋の服地卸商まで結び付きを強め、既製服メーカーとイージーオーダーメーカーへの生地の流出を防いだ。伸び盛りの婦人服市場には、流行の移り変わりが速く生産や販売の見通しを組みにくいとして手を出さなかった。生産はテーラーと百貨店の注文だけを受けて作る完全受注で、能力に限りがあることを理由に供給をわざとやや足りない状態に置き、輸出は数年前に英国をはじめ欧州へ一度だけ試したものの1年で打ち切った。
- 日経ビジネス 1978年10月9日号
- [12]販売先を100%出資子会社のミユキ販売と関係会社の鷹岡(大阪市)の2社に限り、ミユキテックスとファンシィテックスのブランドで同一製品を流した
- [13]二次問屋である服地卸商との結び付きを強め、既製服メーカー・イージーオーダーメーカーへの生地流出を防いだ
- [14]急速に拡大する婦人服市場に、流行が激しく生産・販売計画を立てにくいとして進出しなかった
- [15]テーラー・百貨店経由の注文だけを作る完全な受注生産、生産能力の限界を理由に常に若干の供給不足の状態
- [16]数年前に一度だけ英国はじめ欧州へ試験的に輸出し、1年でやめた
参考文献[1]-[16]
- 日経ビジネス 1978年10月9日号
- [1]1978年4月期 売上高102億円・経常利益35億円・売上高経常利益率約34%
- [2]自己資本比率85.5%、1株当たり純資産535円、長短借入金・支払手形ともゼロ
- [3]上場企業1537社中で自己資本比率2位・売上高純金利負担率2位・使用総資本経常利益率40位
- [4]1978年4月期の任意積立金114億円(資本金の6倍)、純資産194億円
- [6]原料の毛糸は東洋紡績と中央毛織の2社から仕入れ、自社では紡績部門を持たない
- [7]大同毛織・大東紡織など同業他社は紡績から毛織までの一貫生産体制をとる
- [8]数千種にのぼる毛織物を生産する完全な多品種少量生産、設備投資のほとんどが機械化・合理化投資
- [9]設備投資資金は利益と減価償却を合わせた自己資金内で調達。1970年の城北工場建設の10億円も自己資金
- [11]受注生産のため製品在庫を持たず、1978年4月期の商品回転日数は15.3日
- [12]販売先を100%出資子会社のミユキ販売と関係会社の鷹岡(大阪市)の2社に限り、ミユキテックスとファンシィテックスのブランドで同一製品を流した
- [13]二次問屋である服地卸商との結び付きを強め、既製服メーカー・イージーオーダーメーカーへの生地流出を防いだ
- [14]急速に拡大する婦人服市場に、流行が激しく生産・販売計画を立てにくいとして進出しなかった
- [15]テーラー・百貨店経由の注文だけを作る完全な受注生産、生産能力の限界を理由に常に若干の供給不足の状態
- [16]数年前に一度だけ英国はじめ欧州へ試験的に輸出し、1年でやめた
- 会社年鑑 1986年版「御幸毛織」
- [5]1976年4月期 売上高91億円・経常利益25億円/1978年4月期 売上高102億円・経常利益35億円
- 御幸毛織 有価証券報告書【沿革】
- [10]1976年6月 尾西出張所竣工、製織関係協力工場の中継基地として操業開始
1986年〜営業利益3億7000万円への落ち込みと電子事業部
1986年になっても売上高の50%はオーダーメード用紳士服地が占めたが、オーダーメードは背広の全需要の10%に満たず、減る一方だった。婦人服地事業に御幸毛織が参入したのは1979年12月のことである。1980年3月にはオーストラリアにMIYUKI PASTORAL CO.PTY LIMITEDを置き、1985年3月には英国のミノバリミテッドを傘下に収めた。これと並行して、1975年頃からは繊維に関連する多角化も進めていた。自社開発した既製服のブランドが"ミユキラン"で、これを売る"I&YOU"という小売店を神戸・名古屋・東京に出したほか、カシミアやベストなど高級紳士衣料をカタログで売る事業も始めた。だがどれも本格的な事業と呼べる段階に届かずにしぼみ、売上高は外に示せる規模にならなかった。店舗も最後は東京の1店を残すのみとなった。そのわずか1店でさえ、"ミユキラン"は取扱商品の2割に満たなかった。
- 日経ビジネス 1986年9月29日号
- [17]1986年時点で主力商品はオーダーメード用紳士服地で売上高の50%を占める。オーダーメードの需要は背広の全需要の10%に満たず減る一方
- [19]1975年頃から繊維関係の多角化を試みた。独自ブランドの既製服「ミユキラン」、小売店「I&YOU」を神戸・名古屋・東京に展開、カシミア・ベストなど高級紳士衣料のカタログ販売
- [20]いずれも本格的な事業化の軌道に乗らないまま下火となり、公表できるほどの売上高を上げられず、小売店は東京の1店を残すのみ
- [21]「ミユキラン」は小売店の取扱商品のうち2割にも達していない
- 御幸毛織 有価証券報告書【沿革】
- [18]1979年12月 婦人服地へ進出/1980年3月 MIYUKI PASTORAL CO.PTY LIMITED(オーストラリア)設立/1985年3月 ミノバリミテッド(英国)買収
営業利益は1973年度の29億8000万円を最盛期として、1980年度から5期続けて減り、1984年度には3億7000万円まで減少した。売上高も1979年4月期の102億円から1981年4月期の83億円へ下がり、1984年4月期も84億円で止まった。豊富な余資の運用で得た金融収支の黒字がこれを支え、1986年4月期も経常利益15億円を確保したが、営業利益はその5分の2にとどまった。積み上がった剰余金で、同期の自己資本比率は92.1%と一部上場企業で最高の水準に達した。東洋紡績の持株は御幸毛織の発行株式の約10%、1984年4月時点では7.9%だったが、東洋紡績は関連事業本部が経営権を持つグループ会社として御幸毛織を扱い、佐藤五郎社長は1984年に東洋紡績常務から移った。
- 日経ビジネス 1986年9月29日号
- [22]営業利益は1973年度の29億8000万円が最盛期、1980年度から5期連続で減少し1984年度に3億7000万円まで落ち込んだ
- [24]余資運用による金融収支の黒字で支え、1986年4月期の経常利益15億円、営業利益はその5分の2
- [25]1986年4月期の自己資本比率92.1%は一部上場企業中最高
- [26]東洋紡の持株は発行株式の約10%だが東洋紡関連事業本部が経営権を持つグループ会社として扱う。佐藤五郎社長は1984年に東洋紡常務から移った/1984年4月時点の東洋紡績の持株比率7.9%
- 会社年鑑 1986年版「御幸毛織」
- [23]1979年4月期 売上高102億円/1981年4月期 売上高83億円/1984年4月期 売上高84億円
1986年5月、御幸毛織は電子事業部を発足させ、電子事業へ進出した。部長には須加井喬取締役が就任し、初年度投資2000万円で日本電気製の16ビットパソコン6台やロジックアナライザー、オシロスコープなどを買い揃えた。技術者は11人で、うち6人は1984年から採り始めた新卒者、残る5人は事務部門や毛織の製造部門からの配置転換で埋めた。業務はソフトウェアの開発代行で、須加井喬取締役が自ら上京し、松下電器産業など大手電機メーカーと計測器メーカー数社を顧客にした。手がけたのはVTRの番組予約やカセットデッキの選曲ソフトで、計画は初年度売上5000万円、3年目の1988年度に1億5000万円とした。
- 御幸毛織 有価証券報告書【沿革】
- [27]1986年5月 電子事業へ進出し電子事業部を発足
- 日経ビジネス 1986年9月29日号
- [28]電子事業部長は須加井喬取締役。初年度投資2000万円で日本電気製16ビットパソコン6台、ロジックアナライザー、オシロスコープなどを購入
- [29]技術者11人。6人は1984年から採用した新卒者、5人は事務部門・毛織の製造部門からの配置転換
- [30]業務はソフトウェアの開発代行。須加井取締役が自ら上京してセールスし、松下電器産業など大手総合電機メーカーや計測器メーカー数社を顧客にした
- [31]VTRの番組予約やカセットデッキの選曲ソフトを開発。計画は初年度売上5000万円、3年目の昭和63年度に1億5000万円
参考文献[17]-[31]
- 日経ビジネス 1986年9月29日号
- [17]1986年時点で主力商品はオーダーメード用紳士服地で売上高の50%を占める。オーダーメードの需要は背広の全需要の10%に満たず減る一方
- [19]1975年頃から繊維関係の多角化を試みた。独自ブランドの既製服「ミユキラン」、小売店「I&YOU」を神戸・名古屋・東京に展開、カシミア・ベストなど高級紳士衣料のカタログ販売
- [20]いずれも本格的な事業化の軌道に乗らないまま下火となり、公表できるほどの売上高を上げられず、小売店は東京の1店を残すのみ
- [21]「ミユキラン」は小売店の取扱商品のうち2割にも達していない
- [22]営業利益は1973年度の29億8000万円が最盛期、1980年度から5期連続で減少し1984年度に3億7000万円まで落ち込んだ
- [24]余資運用による金融収支の黒字で支え、1986年4月期の経常利益15億円、営業利益はその5分の2
- [25]1986年4月期の自己資本比率92.1%は一部上場企業中最高
- [26]東洋紡の持株は発行株式の約10%だが東洋紡関連事業本部が経営権を持つグループ会社として扱う。佐藤五郎社長は1984年に東洋紡常務から移った/1984年4月時点の東洋紡績の持株比率7.9%
- [28]電子事業部長は須加井喬取締役。初年度投資2000万円で日本電気製16ビットパソコン6台、ロジックアナライザー、オシロスコープなどを購入
- [29]技術者11人。6人は1984年から採用した新卒者、5人は事務部門・毛織の製造部門からの配置転換
- [30]業務はソフトウェアの開発代行。須加井取締役が自ら上京してセールスし、松下電器産業など大手総合電機メーカーや計測器メーカー数社を顧客にした
- [31]VTRの番組予約やカセットデッキの選曲ソフトを開発。計画は初年度売上5000万円、3年目の昭和63年度に1億5000万円
- 御幸毛織 有価証券報告書【沿革】
- [18]1979年12月 婦人服地へ進出/1980年3月 MIYUKI PASTORAL CO.PTY LIMITED(オーストラリア)設立/1985年3月 ミノバリミテッド(英国)買収
- [27]1986年5月 電子事業へ進出し電子事業部を発足
- 会社年鑑 1986年版「御幸毛織」
- [23]1979年4月期 売上高102億円/1981年4月期 売上高83億円/1984年4月期 売上高84億円
1993年〜テーラー職人の高齢化とミユキモールの開業
御幸毛織が生産・販売するのは紳士服地を軸とした超高級品に限られ、ブランドはミユキテックス、ファンシィテックス、ナポレナシャーリーの3つを持つ。1993年3月期には売上が5.1%減、利益が17.6%減となり、13年ぶりの減収減益を記録した。バブル崩壊で個人消費が落ち込み、既製服はひどく売れなくなっていた。郊外型の紳士服店が安売りを仕掛け、百貨店まで巻き込んで値下げ合戦が起きていた。1993年7月に受注販売を始めたナポレナ貝紫染のジャケットは、1着95万円ながら百貨店に予約が相次ぎ、1か月足らずで10着が完売した。谷口雄一郎社長を委員長とする新商品対策委員会を設置し、水にぬれにくい服地や通気性の良い涼しい服地の研究を続けた。
- 中部財界 1993年「縫製会社との一体化進める「御幸毛織」――不況下でも高級品で勝負」(伊勢三郎)
- [32]紳士服地を中心に超高級品だけを生産・販売。ブランドはミユキテックス、ファンシィテックス、ナポレナシャーリー
- [33]1993年3月期は5.1%減収・17.6%減益で13年ぶりの減収減益
- [34]バブル崩壊後の個人消費の落ち込みで既製服業界の売れ行きは極度の不振。郊外型紳士服店の安売り攻勢や百貨店も含めた値崩れ競争が始まった
- [35]1993年7月から受注販売したナポレナ貝紫染のジャケット(1着95万円)は百貨店に予約が殺到し1か月もたたないうちに10着全部が売れ切れた
- [36]新商品対策委員会(委員長・谷口雄一郎社長)を設置。水にぬれにくい服地、通気性の良い涼しい服地の研究
洋服地はミユキ販売と鷹岡を通じてアパレルと羅紗店へ売っていたが、この数年はテーラーの人手不足と職人の高齢化が進み、平均年齢は59歳に達した。御幸毛織は縫製会社のラン・クロージング(大阪府東大阪市)とミユキソーイング(長崎県西彼杵郡)に縫製加工を寄せた。紳士服地主体の大手メーカーが縫製会社を抱えるのは珍しい。ミユキソーイングは従業員183人で、上着を日産240着、スラックスを60着、仕上げプレスを240着こなした。服飾デザイナーの繁田勇氏と組んだオーダースーツ"マンブリス"を本格販売し、繁田氏が創作した5型のパターンから消費者が選び、裁断・縫製・仕上げをこの2社が担った。取扱テーラーは約200店で、500店へ増やす計画を立てた。
- 中部財界 1993年「縫製会社との一体化進める「御幸毛織」――不況下でも高級品で勝負」(伊勢三郎)
- [37]洋服地をミユキ販売と鷹岡を通じてアパレル・羅紗店向けに販売。テーラーの人手不足と職人の高齢化、テーラー職人の平均年齢は59歳
- [38]縫製会社のラン・クロージング(大阪府東大阪市)とミユキソーイング(長崎県西彼杵郡)の縫製加工体制を強化
- [39]紳士服地主体の大手メーカーが縫製会社を置くのは珍しい
- [40]ミユキソーイングは従業員183人、上着日産240着・スラックス60着・仕上げプレス240着
- [41]服飾デザイナーの繁田勇氏とタイアップした新しいタイプのオーダースーツ「マンブリス」を本格販売。繁田デザイナーが5型のパターンオーダーを創作し、消費者が選んだものを系列のラン・クロージング、ミユキソーイングが裁断・縫製・仕上げまで担当
- [42]「マンブリス」の取扱テーラーは約200店、将来は500店へ増やす計画
1993年12月、御幸毛織は本社を名古屋市西区市場木町390番地へ移した。1996年12月には名古屋市の都市計画により西志賀工場を閉鎖し、城北工場へ集約した。西志賀は、1918年11月に資本金50万円で御幸毛織を設立した際の所在地の地名でもある。集約先の城北工場は、1970年9月に染色・仕上工場として竣工した拠点である。1998年11月には、都市型店舗住宅複合施設"ミユキモール"を開業した。保有不動産を店舗・事務所・住宅へ賃貸する不動産事業は、のちに繊維事業・電子関連事業と並ぶ事業区分となった。
- 御幸毛織 有価証券報告書【沿革】
- [43]1993年12月 本社を名古屋市西区市場木町390番地に移転
- [44]1996年12月 西志賀工場を名古屋市の都市計画により閉鎖し城北工場に集約
- [45]1918年11月 愛知県西春日井郡金城村大字西志賀字中流1916番地に資本金50万円をもって設立
- [46]1970年9月 城北工場竣工、染色・仕上工場として操業開始
- [47]1998年11月 都市型店舗住宅複合施設「ミユキモール」を開業
- 御幸毛織 有価証券報告書【事業の内容】
- [48]不動産事業は保有不動産の店舗・事務所・住宅などへの賃貸事業で、繊維事業・電子関連事業と並ぶ事業区分
参考文献[32]-[48]
- 中部財界 1993年「縫製会社との一体化進める「御幸毛織」――不況下でも高級品で勝負」(伊勢三郎)
- [32]紳士服地を中心に超高級品だけを生産・販売。ブランドはミユキテックス、ファンシィテックス、ナポレナシャーリー
- [33]1993年3月期は5.1%減収・17.6%減益で13年ぶりの減収減益
- [34]バブル崩壊後の個人消費の落ち込みで既製服業界の売れ行きは極度の不振。郊外型紳士服店の安売り攻勢や百貨店も含めた値崩れ競争が始まった
- [35]1993年7月から受注販売したナポレナ貝紫染のジャケット(1着95万円)は百貨店に予約が殺到し1か月もたたないうちに10着全部が売れ切れた
- [36]新商品対策委員会(委員長・谷口雄一郎社長)を設置。水にぬれにくい服地、通気性の良い涼しい服地の研究
- [37]洋服地をミユキ販売と鷹岡を通じてアパレル・羅紗店向けに販売。テーラーの人手不足と職人の高齢化、テーラー職人の平均年齢は59歳
- [38]縫製会社のラン・クロージング(大阪府東大阪市)とミユキソーイング(長崎県西彼杵郡)の縫製加工体制を強化
- [39]紳士服地主体の大手メーカーが縫製会社を置くのは珍しい
- [40]ミユキソーイングは従業員183人、上着日産240着・スラックス60着・仕上げプレス240着
- [41]服飾デザイナーの繁田勇氏とタイアップした新しいタイプのオーダースーツ「マンブリス」を本格販売。繁田デザイナーが5型のパターンオーダーを創作し、消費者が選んだものを系列のラン・クロージング、ミユキソーイングが裁断・縫製・仕上げまで担当
- [42]「マンブリス」の取扱テーラーは約200店、将来は500店へ増やす計画
- 御幸毛織 有価証券報告書【沿革】
- [43]1993年12月 本社を名古屋市西区市場木町390番地に移転
- [44]1996年12月 西志賀工場を名古屋市の都市計画により閉鎖し城北工場に集約
- [45]1918年11月 愛知県西春日井郡金城村大字西志賀字中流1916番地に資本金50万円をもって設立
- [46]1970年9月 城北工場竣工、染色・仕上工場として操業開始
- [47]1998年11月 都市型店舗住宅複合施設「ミユキモール」を開業
- 御幸毛織 有価証券報告書【事業の内容】
- [48]不動産事業は保有不動産の店舗・事務所・住宅などへの賃貸事業で、繊維事業・電子関連事業と並ぶ事業区分
1975年〜1998年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1975年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1976年04月期 | 単体 | 91 | n/a | n/a | 25 | 14 | 15.4% | n/a |
| 1977年04月期 | 単体 | 100 | +9.9% | n/a | 34 | 18 | 18.0% | n/a |
| 1978年04月期 | 単体 | 102 | +2.0% | n/a | 35 | 19 | 18.6% | n/a |
| 1979年04月期 | 単体 | 102 | 0.0% | n/a | 34 | 19 | 18.6% | n/a |
| 1980年04月期 | 単体 | 97 | ▲4.9% | n/a | 31 | 17 | 17.5% | n/a |
| 1981年04月期 | 単体 | 83 | ▲14.4% | n/a | 25 | 13 | 15.7% | n/a |
| 1982年04月期 | 単体 | 85 | +2.4% | n/a | 25 | 13 | 15.3% | n/a |
| 1983年04月期 | 単体 | 84 | ▲1.2% | 6 | 19 | 11 | 13.1% | n/a |
| 1984年04月期 | 単体 | 84 | 0.0% | 4 | 17 | 10 | 11.9% | n/a |
| 1985年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1986年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1987年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1988年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1989年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1990年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1991年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1992年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1993年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1994年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1995年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1996年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1997年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1998年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
出所:会社年鑑 1986年版
出典・参考
6件
- 御幸毛織 有価証券報告書【沿革】
- 御幸毛織 有価証券報告書【事業の内容】
- 会社年鑑 1986年版「御幸毛織」
- 日経ビジネス 1978年10月9日号
- 日経ビジネス 1986年9月29日号
- 中部財界 1993年「縫製会社との一体化進める「御幸毛織」――不況下でも高級品で勝負」(伊勢三郎)