第1章 年〜年

アルペン:アルペンの設立とスキー用品のプライベートブランド開発

1972年〜名古屋市押切に資本金300万円で開いたスポーツ用品店と、一宮インター店で始めた郊外出店

1972年7月、水野泰三氏は名古屋市押切で資本金300万円の株式会社アルペンを設立し、代表取締役に就任した。会社の目的はスポーツ用品の販売で、本店は名古屋市西区に置いた。水野泰三氏は1948年11月の生まれで、23歳で開いたスポーツ用品店が事業の出発点となった。母の影響で小学6年からスキーを始め、20歳でインストラクターの資格を取得。東邦大学経済学部を卒業後はスポーツ用品店「シロヤ」に入社し、1年余りの勤務で得た商売の要領を元手に独立した。社名は、八方のスキー場でアルペンリフトに乗った際に決めたものである。資金も取引先も乏しい創業で、手持ちの資源はスキーの知識と短い店員経験に限られていたのだろう。

  • Yano news 1459 1993年5月20日「アルペン未来への道」 企業概要〈沿革〉
    • [1]1972年7月、水野泰三がスポーツ用品の小売を目的に押切で資本金300万円の当社を設立し代表取締役に就任
  • アルペン 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1972年7月、名古屋市西区にスポーツ用品の販売を目的として株式会社アルペンを設立
  • 中部財界 新春特大31(2) 1988年2月「"ドロボウ"のおかげで年商1000億円も夢じゃない。――快進撃カンパニー「アルペン」」
    • [3]水野泰三は1948年11月8日生まれ、23歳で名古屋市押切にスポーツ用品店を開店。小6でスキー開始、20歳で指導員資格、東邦大経済卒後シロヤに就職し1年少々で独立。社名は八方のアルペンリフトから
    • [4]水野泰三は1948年11月8日生まれ、23歳で名古屋市押切にスポーツ用品店を開店。小6でスキー開始、20歳で指導員資格、東邦大経済卒後シロヤに就職し1年少々で独立。社名は八方のアルペンリフトから
    • [5]水野泰三は1948年11月8日生まれ、23歳で名古屋市押切にスポーツ用品店を開店。小6でスキー開始、20歳で指導員資格、東邦大経済卒後シロヤに就職し1年少々で独立。社名は八方のアルペンリフトから
    • [6]水野泰三は1948年11月8日生まれ、23歳で名古屋市押切にスポーツ用品店を開店。小6でスキー開始、20歳で指導員資格、東邦大経済卒後シロヤに就職し1年少々で独立。社名は八方のアルペンリフトから

アルペンの安売りは、開業2年目の5月に20坪の店へ入った泥棒が発端だった。被害は300万円に上り、8月の手形期日に備える資金を工面するため、水野泰三氏は商品を値引きして売り出した。スキー用品は高価という通念が強い時期で、値引きした店には客が押し寄せた。のちにメーカーから無償で得た長いスキーを切り詰めて500円で売り出した際は、メーカーの圧力で供給を断たれた。1976年12月、アルペンは一宮にスポーツ業界で初めての郊外店を出店した。同じ月に、スキー用品のプライベートブランド商品の開発に着手。矢野経済研究所は1985年、有力な仕入先の支援を得られなかった過去が自社ブランドの開発を促したと分析した。値引きで量を売る広い郊外店と仕入先に左右されない自社品は、メーカーとの摩擦から一対で生まれたと推察される。

  • 中部財界 新春特大31(2) 1988年2月「"ドロボウ"のおかげで年商1000億円も夢じゃない。――快進撃カンパニー「アルペン」」
    • [7]20坪の店を開いて2年目の5月に盗難(被害300万円)、8月の手形期日の資金確保のため安売りし客が殺到。後にメーカーから無償で得たロングスキーを切り500円で販売、メーカーの圧力で止まり韓国で同等品を生産
    • [8]20坪の店を開いて2年目の5月に盗難(被害300万円)、8月の手形期日の資金確保のため安売りし客が殺到。後にメーカーから無償で得たロングスキーを切り500円で販売、メーカーの圧力で止まり韓国で同等品を生産
    • [9]20坪の店を開いて2年目の5月に盗難(被害300万円)、8月の手形期日の資金確保のため安売りし客が殺到。後にメーカーから無償で得たロングスキーを切り500円で販売、メーカーの圧力で止まり韓国で同等品を生産
    • [10]20坪の店を開いて2年目の5月に盗難(被害300万円)、8月の手形期日の資金確保のため安売りし客が殺到。後にメーカーから無償で得たロングスキーを切り500円で販売、メーカーの圧力で止まり韓国で同等品を生産
  • Yano news 1459 1993年5月20日「アルペン未来への道」 企業概要〈沿革〉
    • [11]1976年12月、一宮へスポーツ業界初の郊外店を出店
  • アルペン 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1976年12月、スキー用品のプライベートブランド商品開発開始
  • Yano news 1225 1985年7月25日「ディスカウンターと高収益――スポーツ専門店アルペンの急成長」
    • [13]有力仕入先の十分な支援を得られなかった過去が、自社ブランド開発と中小下請メーカー育成の充実を必然にしたとの分析
参考文献[1]-[13]
  • Yano news 1459 1993年5月20日「アルペン未来への道」 企業概要〈沿革〉
    • [1]1972年7月、水野泰三がスポーツ用品の小売を目的に押切で資本金300万円の当社を設立し代表取締役に就任
    • [11]1976年12月、一宮へスポーツ業界初の郊外店を出店
  • アルペン 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1972年7月、名古屋市西区にスポーツ用品の販売を目的として株式会社アルペンを設立
    • [12]1976年12月、スキー用品のプライベートブランド商品開発開始
  • 中部財界 新春特大31(2) 1988年2月「"ドロボウ"のおかげで年商1000億円も夢じゃない。――快進撃カンパニー「アルペン」」
    • [3]水野泰三は1948年11月8日生まれ、23歳で名古屋市押切にスポーツ用品店を開店。小6でスキー開始、20歳で指導員資格、東邦大経済卒後シロヤに就職し1年少々で独立。社名は八方のアルペンリフトから
    • [4]水野泰三は1948年11月8日生まれ、23歳で名古屋市押切にスポーツ用品店を開店。小6でスキー開始、20歳で指導員資格、東邦大経済卒後シロヤに就職し1年少々で独立。社名は八方のアルペンリフトから
    • [5]水野泰三は1948年11月8日生まれ、23歳で名古屋市押切にスポーツ用品店を開店。小6でスキー開始、20歳で指導員資格、東邦大経済卒後シロヤに就職し1年少々で独立。社名は八方のアルペンリフトから
    • [6]水野泰三は1948年11月8日生まれ、23歳で名古屋市押切にスポーツ用品店を開店。小6でスキー開始、20歳で指導員資格、東邦大経済卒後シロヤに就職し1年少々で独立。社名は八方のアルペンリフトから
    • [7]20坪の店を開いて2年目の5月に盗難(被害300万円)、8月の手形期日の資金確保のため安売りし客が殺到。後にメーカーから無償で得たロングスキーを切り500円で販売、メーカーの圧力で止まり韓国で同等品を生産
    • [8]20坪の店を開いて2年目の5月に盗難(被害300万円)、8月の手形期日の資金確保のため安売りし客が殺到。後にメーカーから無償で得たロングスキーを切り500円で販売、メーカーの圧力で止まり韓国で同等品を生産
    • [9]20坪の店を開いて2年目の5月に盗難(被害300万円)、8月の手形期日の資金確保のため安売りし客が殺到。後にメーカーから無償で得たロングスキーを切り500円で販売、メーカーの圧力で止まり韓国で同等品を生産
    • [10]20坪の店を開いて2年目の5月に盗難(被害300万円)、8月の手形期日の資金確保のため安売りし客が殺到。後にメーカーから無償で得たロングスキーを切り500円で販売、メーカーの圧力で止まり韓国で同等品を生産
  • Yano news 1225 1985年7月25日「ディスカウンターと高収益――スポーツ専門店アルペンの急成長」
    • [13]有力仕入先の十分な支援を得られなかった過去が、自社ブランド開発と中小下請メーカー育成の充実を必然にしたとの分析

1978年〜ジャパーナの設立と広州でのスキー衣料の生産、1982年度に入ったスポーツ専門店売上ランキング3位

1978年2月、アルペンは仕入部門を分離し、資本金1,000万円でジャパーナインターナショナル株式会社を設立した。初代の代表は水野泰三氏、本社は名古屋市千種区。設立の目的を、矢野経済研究所の1993年の企業概要は仕入会社と記している。一方、有価証券報告書の沿革はプライベートブランド商品の開発を目的に挙げた。1979年以降は商社の伊藤萬から強い支援を受け、矢野経済研究所は1985年に仕入れの不安はなくなったと評した。1992年時点のジャパーナは、アルペンの全取扱商品の卸と製造部門を担い、海外からの輸入や中国・韓国での賃加工も手掛けていた。仕入れの集約と自社品の企画を一つの会社に置いたことで、二つの説明は同じ機能の両面になったと思われる。

  • Yano news 1459 1993年5月20日「アルペン未来への道」「ジャパーナの現状と展望」
    • [14]1978年2月、アルペンの仕入部門を分離し資本金1,000万円でジャパーナインターナショナル(株)を設立、初代代表は水野泰三、本社は名古屋市千種区。企業概要の沿革は「仕入会社として」設立と記載
    • [15]1978年2月、アルペンの仕入部門を分離し資本金1,000万円でジャパーナインターナショナル(株)を設立、初代代表は水野泰三、本社は名古屋市千種区。企業概要の沿革は「仕入会社として」設立と記載
    • [16]1978年2月、アルペンの仕入部門を分離し資本金1,000万円でジャパーナインターナショナル(株)を設立、初代代表は水野泰三、本社は名古屋市千種区。企業概要の沿革は「仕入会社として」設立と記載
  • アルペン 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1978年2月、プライベートブランド商品の開発を目的としてジャパーナインターナショナル株式会社を設立
  • Yano news 1225 1985年7月25日「ディスカウンターと高収益――スポーツ専門店アルペンの急成長」
    • [18]昭和54年以降、伊藤萬の強力な支援を得て仕入体制を整えた
  • Yano news 1440 1992年8月5日「アルペン未来への道――アメリカ型オーナーカンパニーとしての成功と明日の経営課題」
    • [19]ジャパーナはアルペンの全取扱商品の卸業務と製造部門を担当し、米伊からの輸入、中国・韓国での賃加工、国内下請への発注、自社工場運営を担う

1980年10月、アルペンは中国広州服装公司と契約し、スキー衣料の中国生産を始めた。水野泰三氏はそれ以前にも、メーカーに供給を断たれたスキーの同等品を韓国で作らせていた。矢野経済研究所は1985年、アルペンが中小の下請メーカーを育てて自社ブランド品の質を高めたと評した。1993年時点では開発輸入をジャパーナが担い、材料を支給して中国・韓国の工場のラインを占有する方式で縫製させていた。安値の販売でも利幅を残せる原価を、海外の工賃で実現する狙いがあったとみられる。

  • アルペン 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1980年10月、中国広州服装公司と契約しスキー衣料の中国生産開始
  • 中部財界 新春特大31(2) 1988年2月「"ドロボウ"のおかげで年商1000億円も夢じゃない。――快進撃カンパニー「アルペン」」
    • [21]メーカーの圧力でロングスキーの供給が止まり、水野泰三は韓国で同じものを作らせた
  • Yano news 1225 1985年7月25日「ディスカウンターと高収益――スポーツ専門店アルペンの急成長」
    • [22]有力仕入先の支援を得られなかったため自社ブランド開発と中小下請メーカーの徹底育成を進め、商品の質が向上した
  • Yano news 1459 1993年5月20日「アルペン未来への道」
    • [23]開発輸入はジャパーナが担当し、材料支給の縫製加工を中国・韓国の工場のライン占有で生産

アルペンは1980年度のスポーツ専門店売上ランキングで4位に入り、1982年度には3位へ上がった。1981年6月期の売上高は8,470百万円、利益高は432百万円だった。1982年6月期の売上高は11,368百万円と前期比134.2%に増えた。一方で利益高は300百万円と前期の69.4%にとどまり、売上に対する比率は5.6%から2.6%に低下した。店舗は1976年の一宮インター店を皮切りに増え続けた。1980年3月には名古屋圏の外に東京事務所を開設した。スキー関連の売上はのちの1988年時点でも全体の70%を占め、品目の偏りはこの時期から続いていた。規模の拡大に利益が伴わなかった1982年6月期の経験が、スキー以外の品目を育てる動機になったのではないか。

  • 中部財界 新春特大31(2) 1988年2月「"ドロボウ"のおかげで年商1000億円も夢じゃない。――快進撃カンパニー「アルペン」」
    • [24]昭和55年度にスポーツ専門店売上ランキング4位、57年度に3位。51年の一宮インター店を皮切りに店舗を増設。1988年時点でスキー関連が売上高の70%
    • [28]昭和55年度にスポーツ専門店売上ランキング4位、57年度に3位。51年の一宮インター店を皮切りに店舗を増設。1988年時点でスキー関連が売上高の70%
    • [30]昭和55年度にスポーツ専門店売上ランキング4位、57年度に3位。51年の一宮インター店を皮切りに店舗を増設。1988年時点でスキー関連が売上高の70%
  • Yano news 1225 1985年7月25日「ディスカウンターと高収益――スポーツ専門店アルペンの急成長」
    • [25]56/6期 売上高8,470・利益高432・収益率5.6%、57/6期 売上高11,368(前年比134.2)・利益高300(同69.4)・収益率2.6%
    • [26]56/6期 売上高8,470・利益高432・収益率5.6%、57/6期 売上高11,368(前年比134.2)・利益高300(同69.4)・収益率2.6%
    • [27]56/6期 売上高8,470・利益高432・収益率5.6%、57/6期 売上高11,368(前年比134.2)・利益高300(同69.4)・収益率2.6%
  • Yano news 1459 1993年5月20日「アルペン未来への道」 企業概要〈沿革〉
    • [29]1980年3月東京事務所を開設
参考文献[14]-[30]
  • Yano news 1459 1993年5月20日「アルペン未来への道」「ジャパーナの現状と展望」
    • [14]1978年2月、アルペンの仕入部門を分離し資本金1,000万円でジャパーナインターナショナル(株)を設立、初代代表は水野泰三、本社は名古屋市千種区。企業概要の沿革は「仕入会社として」設立と記載
    • [15]1978年2月、アルペンの仕入部門を分離し資本金1,000万円でジャパーナインターナショナル(株)を設立、初代代表は水野泰三、本社は名古屋市千種区。企業概要の沿革は「仕入会社として」設立と記載
    • [16]1978年2月、アルペンの仕入部門を分離し資本金1,000万円でジャパーナインターナショナル(株)を設立、初代代表は水野泰三、本社は名古屋市千種区。企業概要の沿革は「仕入会社として」設立と記載
  • アルペン 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1978年2月、プライベートブランド商品の開発を目的としてジャパーナインターナショナル株式会社を設立
    • [20]1980年10月、中国広州服装公司と契約しスキー衣料の中国生産開始
  • Yano news 1225 1985年7月25日「ディスカウンターと高収益――スポーツ専門店アルペンの急成長」
    • [18]昭和54年以降、伊藤萬の強力な支援を得て仕入体制を整えた
    • [22]有力仕入先の支援を得られなかったため自社ブランド開発と中小下請メーカーの徹底育成を進め、商品の質が向上した
    • [25]56/6期 売上高8,470・利益高432・収益率5.6%、57/6期 売上高11,368(前年比134.2)・利益高300(同69.4)・収益率2.6%
    • [26]56/6期 売上高8,470・利益高432・収益率5.6%、57/6期 売上高11,368(前年比134.2)・利益高300(同69.4)・収益率2.6%
    • [27]56/6期 売上高8,470・利益高432・収益率5.6%、57/6期 売上高11,368(前年比134.2)・利益高300(同69.4)・収益率2.6%
  • Yano news 1440 1992年8月5日「アルペン未来への道――アメリカ型オーナーカンパニーとしての成功と明日の経営課題」
    • [19]ジャパーナはアルペンの全取扱商品の卸業務と製造部門を担当し、米伊からの輸入、中国・韓国での賃加工、国内下請への発注、自社工場運営を担う
  • 中部財界 新春特大31(2) 1988年2月「"ドロボウ"のおかげで年商1000億円も夢じゃない。――快進撃カンパニー「アルペン」」
    • [21]メーカーの圧力でロングスキーの供給が止まり、水野泰三は韓国で同じものを作らせた
    • [24]昭和55年度にスポーツ専門店売上ランキング4位、57年度に3位。51年の一宮インター店を皮切りに店舗を増設。1988年時点でスキー関連が売上高の70%
    • [28]昭和55年度にスポーツ専門店売上ランキング4位、57年度に3位。51年の一宮インター店を皮切りに店舗を増設。1988年時点でスキー関連が売上高の70%
    • [30]昭和55年度にスポーツ専門店売上ランキング4位、57年度に3位。51年の一宮インター店を皮切りに店舗を増設。1988年時点でスキー関連が売上高の70%
  • Yano news 1459 1993年5月20日「アルペン未来への道」
    • [23]開発輸入はジャパーナが担当し、材料支給の縫製加工を中国・韓国の工場のライン占有で生産
  • Yano news 1459 1993年5月20日「アルペン未来への道」 企業概要〈沿革〉
    • [29]1980年3月東京事務所を開設

出典・参考

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出典・参考
  • アルペン 有価証券報告書【沿革】
  • Yano news 1225 1985年7月25日「ディスカウンターと高収益――スポーツ専門店アルペンの急成長」
  • 中部財界 新春特大31(2) 1988年2月「"ドロボウ"のおかげで年商1000億円も夢じゃない。――快進撃カンパニー「アルペン」」
  • Yano news 1440 1992年8月5日「アルペン未来への道――アメリカ型オーナーカンパニーとしての成功と明日の経営課題」
  • Yano news 1459 1993年5月20日「アルペン未来への道」 企業概要〈沿革〉
  • Yano news 1459 1993年5月20日「アルペン未来への道」「ジャパーナの現状と展望」
  • Yano news 1459 1993年5月20日「アルペン未来への道」

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