第1章 年〜年

丹青社:丹青社の設立とモスクワ日本産業見本市の現地施工

1959年〜百貨店装飾の個人商店を改組した資本金100万円の丹青社と、モスクワ日本産業見本市の現地施工

丹青社は1959年12月25日、東京都千代田区神田司町に資本金100万円の株式会社として発足した。前身は1946年10月に渡辺正治氏が興した個人経営の丹青社で、百貨店の展示と催事の飾り付けを請け負っていた。創業そのものは戦前にさかのぼるものの、のちの経営陣は渡辺正治氏がインドネシアから復員した1946年を実質的な起点に置いた。個人経営の時代に仕事は百貨店から見本市や博覧会の装飾にまで及び、事業の規模が大きくなったことを受けて法人に改めた。設立の目的は、百貨店・専門店などの商業施設に加え、博物館などの文化施設からの受注。取引先が百貨店の外へ広がるにつれ、官公庁や主催団体と契約を結ぶ相手として法人格が必要になったとみられる。

  • 有価証券報告書 2026年3月期 沿革
    • [1]1959年12月、東京都千代田区神田司町に株式会社丹青社を設立(資本金100万円)。商業施設と博物館等の文化施設の受注が設立目的
    • [5]1959年12月、東京都千代田区神田司町に株式会社丹青社を設立(資本金100万円)。商業施設と博物館等の文化施設の受注が設立目的
  • 証券 39(5)(458) 1987年5月(新規上場会社紹介・NDL pid2730345 コマ35-43)
    • [2]1946年10月、渡辺正治氏が百貨店の展示・催事の装飾を目的に個人経営の丹青社を創業。百貨店を軸に見本市・博覧会等へ業容が拡大したため1959年12月に株式会社へ改組
    • [4]1946年10月、渡辺正治氏が百貨店の展示・催事の装飾を目的に個人経営の丹青社を創業。百貨店を軸に見本市・博覧会等へ業容が拡大したため1959年12月に株式会社へ改組
  • 証券アナリストジャーナル 29(6) 1991年5月
    • [3]創業は戦前だが実質的には渡辺正治氏が1946年にインドネシアから復員してからで、1959年12月設立の株式会社丹青社として出発した(専務の説明)

1960年8月、丹青社は東京国立博物館の指定業者となり、文部省が主催した「日本国宝展」の施工を受け持った。この仕事を機に、丹青社は美術展をはじめとする学芸展の会場づくりを継続して請けるようになった。1959年の設立の際、丹青社は博物館などの文化施設からの受注を事業の目的に加えていた。同じ1960年8月には、ソ連で開かれたモスクワ日本産業見本市の現地施工も担当した。法人化から8か月のうちに、国内の文化施設と海外の見本市という性格の異なる2つの現場を同じ月に抱えたことになる。国の機関の指定業者という肩書きは、百貨店以外の発注者から信用を得る裏付けとして働いたと推察される。

  • 証券 39(5)(458) 1987年5月(新規上場会社紹介・NDL pid2730345 コマ35-43)
    • [6]1960年8月、東京国立博物館の指定業者となり文部省主催「日本国宝展」の施工を担当。以後の美術展等の学芸展を手がける契機
    • [7]1960年8月、東京国立博物館の指定業者となり文部省主催「日本国宝展」の施工を担当。以後の美術展等の学芸展を手がける契機
    • [10]1960年8月、東京国立博物館の指定業者となり文部省主催「日本国宝展」の施工を担当。以後の美術展等の学芸展を手がける契機
  • 有価証券報告書 2026年3月期 沿革
    • [8]1959年12月の設立目的に博物館等の文化施設の受注を含む。1960年8月、モスクワ日本産業見本市をJETROの一員として現地施工
    • [9]1959年12月の設立目的に博物館等の文化施設の受注を含む。1960年8月、モスクワ日本産業見本市をJETROの一員として現地施工

1960年8月、丹青社は日本貿易振興会(JETRO)の一員として、ソ連で開かれたモスクワ日本産業見本市の会場を現地で施工した。1962年6月には、鉄道開通90周年を記念して毎日新聞社が主催した「伸びゆく鉄道科学大博覧会」で企画と施工の両方を担当。百貨店の装飾から出発した仕事は、この時期に博覧会・見本市・展覧会・展示・催事へと領域を広げた。1991年に経営陣が示した時期区分では、1959年から1964年を企業化に着手した期間としている。海外の現場で施工を受け持った2年後に企画から任されており、見本市・博覧会の仕事が施工だけの受注から企画を含む受注へ移る段階にあたるのだろう。

  • 有価証券報告書 2026年3月期 沿革
    • [11]1960年8月、ソ連のモスクワ日本産業見本市をJETROの一員として現地施工。1962年6月、鉄道開通90周年記念「伸びゆく鉄道科学大博覧会」(主催・毎日新聞社)の企画・施工を担当
    • [12]1960年8月、ソ連のモスクワ日本産業見本市をJETROの一員として現地施工。1962年6月、鉄道開通90周年記念「伸びゆく鉄道科学大博覧会」(主催・毎日新聞社)の企画・施工を担当
  • 証券アナリストジャーナル 30(6) 1992年5月
    • [13]1946年に百貨店の装飾で起業し、1959年12月の会社設立後、博覧会・見本市・展覧会・展示・催事へ業容を拡大した(専務の説明)
  • 証券アナリストジャーナル 29(6) 1991年5月
    • [14]1959〜64年を企業化に着手した期間、1965〜70年を業域拡大の期間と区分(専務の説明)
参考文献[1]-[14]
  • 有価証券報告書 2026年3月期 沿革
    • [1]1959年12月、東京都千代田区神田司町に株式会社丹青社を設立(資本金100万円)。商業施設と博物館等の文化施設の受注が設立目的
    • [5]1959年12月、東京都千代田区神田司町に株式会社丹青社を設立(資本金100万円)。商業施設と博物館等の文化施設の受注が設立目的
    • [8]1959年12月の設立目的に博物館等の文化施設の受注を含む。1960年8月、モスクワ日本産業見本市をJETROの一員として現地施工
    • [9]1959年12月の設立目的に博物館等の文化施設の受注を含む。1960年8月、モスクワ日本産業見本市をJETROの一員として現地施工
    • [11]1960年8月、ソ連のモスクワ日本産業見本市をJETROの一員として現地施工。1962年6月、鉄道開通90周年記念「伸びゆく鉄道科学大博覧会」(主催・毎日新聞社)の企画・施工を担当
    • [12]1960年8月、ソ連のモスクワ日本産業見本市をJETROの一員として現地施工。1962年6月、鉄道開通90周年記念「伸びゆく鉄道科学大博覧会」(主催・毎日新聞社)の企画・施工を担当
  • 証券 39(5)(458) 1987年5月(新規上場会社紹介・NDL pid2730345 コマ35-43)
    • [2]1946年10月、渡辺正治氏が百貨店の展示・催事の装飾を目的に個人経営の丹青社を創業。百貨店を軸に見本市・博覧会等へ業容が拡大したため1959年12月に株式会社へ改組
    • [4]1946年10月、渡辺正治氏が百貨店の展示・催事の装飾を目的に個人経営の丹青社を創業。百貨店を軸に見本市・博覧会等へ業容が拡大したため1959年12月に株式会社へ改組
    • [6]1960年8月、東京国立博物館の指定業者となり文部省主催「日本国宝展」の施工を担当。以後の美術展等の学芸展を手がける契機
    • [7]1960年8月、東京国立博物館の指定業者となり文部省主催「日本国宝展」の施工を担当。以後の美術展等の学芸展を手がける契機
    • [10]1960年8月、東京国立博物館の指定業者となり文部省主催「日本国宝展」の施工を担当。以後の美術展等の学芸展を手がける契機
  • 証券アナリストジャーナル 29(6) 1991年5月
    • [3]創業は戦前だが実質的には渡辺正治氏が1946年にインドネシアから復員してからで、1959年12月設立の株式会社丹青社として出発した(専務の説明)
    • [14]1959〜64年を企業化に着手した期間、1965〜70年を業域拡大の期間と区分(専務の説明)
  • 証券アナリストジャーナル 30(6) 1992年5月
    • [13]1946年に百貨店の装飾で起業し、1959年12月の会社設立後、博覧会・見本市・展覧会・展示・催事へ業容を拡大した(専務の説明)

1963年〜施工部門を分けた丹青社工作所と、東急百貨店本店の全館新装の一貫受注

丹青社は1960年代前半から1970年代前半にかけ、大阪や名古屋などに営業所を設けて東京の外へ営業網を広げた。1966年9月に東京都知事の建設業者登録を受け、翌1967年3月には施工部門を切り出して子会社の丹青社工作所を設立した。丹青社工作所は現在の丹青TDCにあたり、連結子会社として残っている。営業網の拡充と施工部門の分離によって、企画・営業と施工を分けて担う現在の体制が固まった。1991年に経営陣が示した時期区分では、1965年から1970年を業域拡大の期間としている。受注の地域と件数が増えるなかで、営業と施工を1つの組織に抱えたままでは現場の管理が追いつかなくなったと思われる。

  • 証券 39(5)(458) 1987年5月(新規上場会社紹介・NDL pid2730345 コマ35-43)
    • [15]昭和30年代後半から40年代に大阪・名古屋などに営業所を開設し営業網を拡充。1967年に子会社丹青社工作所を設立して施工部門を分離し、現在の体制を確立
    • [18]昭和30年代後半から40年代に大阪・名古屋などに営業所を開設し営業網を拡充。1967年に子会社丹青社工作所を設立して施工部門を分離し、現在の体制を確立
  • 有価証券報告書 2026年3月期 沿革
    • [16]1966年9月、建設業者登録(都知事登録)。1967年3月、施工部門として株式会社丹青社工作所(現・丹青TDC、連結子会社)を設立
    • [17]1966年9月、建設業者登録(都知事登録)。1967年3月、施工部門として株式会社丹青社工作所(現・丹青TDC、連結子会社)を設立
  • 証券アナリストジャーナル 29(6) 1991年5月
    • [19]1965〜70年を業域拡大の期間と区分(専務の説明)

1967年10月、丹青社は東急百貨店本店の全館新装工事を受注し、企画から設計、施工までを一括で引き受けた。同じ年の3月に施工を受け持つ丹青社工作所を設けており、企画・設計と施工をグループ内で分担できる状態にあった。1969年5月、丹青社は建設業者の登録を都知事登録から大臣登録に切り替えた。1970年3月の日本万国博覧会では、日本政府館やソ連館をはじめ内外の多数のパビリオンでディスプレイ工事を担当した。この万博を機にディスプレイという仕事が世間に知られるようになり、丹青社の事業も少しずつ広がった。百貨店1店の全館を一括で請けた実績と大臣登録が、翌年の万博で多数のパビリオンを同時に受注する前提になったと考えられる。

  • 証券 39(5)(458) 1987年5月(新規上場会社紹介・NDL pid2730345 コマ35-43)
    • [20]1967年10月、東急百貨店本店の全館新装工事を企画から設計・施工全般まで受注。1970年3月の日本万国博覧会を契機にディスプレイへの社会的認識が高まり業容拡大
    • [24]1967年10月、東急百貨店本店の全館新装工事を企画から設計・施工全般まで受注。1970年3月の日本万国博覧会を契機にディスプレイへの社会的認識が高まり業容拡大
  • 有価証券報告書 2026年3月期 沿革
    • [21]1967年3月に施工部門の丹青社工作所を設立。1969年5月、建設業者登録を都知事登録から大臣登録に変更。1970年3月、日本万国博覧会で日本政府館・ソ連館をはじめ多数のパビリオンのディスプレイ工事を担当
    • [22]1967年3月に施工部門の丹青社工作所を設立。1969年5月、建設業者登録を都知事登録から大臣登録に変更。1970年3月、日本万国博覧会で日本政府館・ソ連館をはじめ多数のパビリオンのディスプレイ工事を担当
    • [23]1967年3月に施工部門の丹青社工作所を設立。1969年5月、建設業者登録を都知事登録から大臣登録に変更。1970年3月、日本万国博覧会で日本政府館・ソ連館をはじめ多数のパビリオンのディスプレイ工事を担当
参考文献[15]-[24]
  • 証券 39(5)(458) 1987年5月(新規上場会社紹介・NDL pid2730345 コマ35-43)
    • [15]昭和30年代後半から40年代に大阪・名古屋などに営業所を開設し営業網を拡充。1967年に子会社丹青社工作所を設立して施工部門を分離し、現在の体制を確立
    • [18]昭和30年代後半から40年代に大阪・名古屋などに営業所を開設し営業網を拡充。1967年に子会社丹青社工作所を設立して施工部門を分離し、現在の体制を確立
    • [20]1967年10月、東急百貨店本店の全館新装工事を企画から設計・施工全般まで受注。1970年3月の日本万国博覧会を契機にディスプレイへの社会的認識が高まり業容拡大
    • [24]1967年10月、東急百貨店本店の全館新装工事を企画から設計・施工全般まで受注。1970年3月の日本万国博覧会を契機にディスプレイへの社会的認識が高まり業容拡大
  • 有価証券報告書 2026年3月期 沿革
    • [16]1966年9月、建設業者登録(都知事登録)。1967年3月、施工部門として株式会社丹青社工作所(現・丹青TDC、連結子会社)を設立
    • [17]1966年9月、建設業者登録(都知事登録)。1967年3月、施工部門として株式会社丹青社工作所(現・丹青TDC、連結子会社)を設立
    • [21]1967年3月に施工部門の丹青社工作所を設立。1969年5月、建設業者登録を都知事登録から大臣登録に変更。1970年3月、日本万国博覧会で日本政府館・ソ連館をはじめ多数のパビリオンのディスプレイ工事を担当
    • [22]1967年3月に施工部門の丹青社工作所を設立。1969年5月、建設業者登録を都知事登録から大臣登録に変更。1970年3月、日本万国博覧会で日本政府館・ソ連館をはじめ多数のパビリオンのディスプレイ工事を担当
    • [23]1967年3月に施工部門の丹青社工作所を設立。1969年5月、建設業者登録を都知事登録から大臣登録に変更。1970年3月、日本万国博覧会で日本政府館・ソ連館をはじめ多数のパビリオンのディスプレイ工事を担当
  • 証券アナリストジャーナル 29(6) 1991年5月
    • [19]1965〜70年を業域拡大の期間と区分(専務の説明)

出典・参考

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出典・参考
  • 有価証券報告書 2026年3月期 沿革
  • 証券アナリストジャーナル 29(6) 1991年5月
  • 証券アナリストジャーナル 30(6) 1992年5月
  • 証券 39(5)(458) 1987年5月(新規上場会社紹介・NDL pid2730345 コマ35-43)

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