大谷竹次郎
松竹・元社長
社長就任1921年3月
生年月日—
学歴—
出自—
経歴1895〜1963年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1895年主要役職の状況(推定含む目安)1969年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | 松竹合名社 | 1895 | 創業 | ||
| 1902 | 設立 | ||||
| 1910 | 東京本社を築地に設置 | ||||
| 松竹(旧・松竹キネマ) | 1921 | 社長 | |||
| 1925 | 社長 退任 | ||||
| 1926 | 副社長 | ||||
| 1937 | 社長 | ||||
| 1945 | 社長 退任 | ||||
| 1945 | 社長 | ||||
| 1954 | 会長 退任 | ||||
| 1962 | 社長 | ||||
| 1963 | 会長 退任 | ||||
| 松竹興行 | 1931 | 設立 |
社長就任までの出自
出自
1877年12月13日、京都の三条柳馬場で大谷栄吉氏の次男として生まれ、双子の兄が白井松次郎氏である。一家は劇場に付く売店の権利で生計を立て、兄弟は祇園館の客席を売り歩きながら、幕の合間に舞台をのぞいて育った。1895年、阪井座の金主に加わった父の代理として興行の仕事場に入り、売り子から興行主へ転じた。松竹は、この阪井座への参加を自社の創業と位置づけている。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1902年1月に兄の白井松次郎氏と松竹合名社を興し、東西の劇場を2人で分けて経営した。1921年3月、映画事業を担う松竹キネマ株式会社の社長に就任した。1925年9月には白井松次郎氏が同社の社長に就任し、大谷竹次郎氏は1926年に専務から副社長へ移った。1937年4月、松竹キネマが松竹興行を吸収合併して松竹株式会社へ商号を改めた際、白井松次郎氏が一線を退き、大谷竹次郎氏が社長に就任した。
在任中の主な施策
施策
1931年7月、東西の松竹に分かれていた演劇の事業を集めた松竹興行株式会社を設立し、社長に就任した。1937年4月の合併で資本金3,740万円余の松竹株式会社が生まれ、演劇と映画を1社で営む体制が整った。1945年3月に社団法人映画公社の社長へ転じ、同年10月に松竹の社長へ戻った。戦災で失った歌舞伎座は1951年1月に復興開場した。1954年10月に社長を退任して会長となったのち、1962年3月に再び社長に就任し、1963年12月に会長へ戻った。
創業ストーリー
創業ストーリー
参考文献5件
参考文献
- 松竹七十年史(松竹, 1964)序 大谷竹次郎 略歴
- 松竹七十年史(松竹, 1964)巻頭 白井松次郎・前会長 略歴
- 松竹七十年史(松竹, 1964)「松竹演劇七十年の歩み」壱・「松竹」の名のおこり
- 私の履歴書 経済人1(日本経済新聞社, 1980)大谷竹次郎
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)2篇 日本会社史 48_興行娛樂「松竹」
事実根拠:出所(松竹)