レノバ:リサイクルワンの設立
2000年〜ごみゼロの日に生まれたリサイクルワンと、登録300社を超えた廃棄物の電子取引市場
2000年5月30日、木南陽介氏は東京都港区赤坂で株式会社リサイクルワンを資本金1,000万円で設立した。事業目的は、環境・エネルギー分野の調査とコンサルティングに置かれた。木南陽介氏は京都大学総合人間学部で環境経済学と環境化学を学び、在学中の1996年7月にWebシステム開発の有限会社の設立も経験した。卒業後はマッキンゼー・アンド・カンパニーで2年間、新規事業と事業再構築の案件に携わってから退社。事業計画を詰める段階で、2000年4月のリサイクル基本法の制定により、排出企業にまずリサイクルを求める仕組みが整う見通しが立った。環境への関心と事業の経験を、企業に新たな義務が生じる時機に重ねた起業とみられる。
- 有価証券報告書【沿革】(レノバ)
- [1]2000年5月、東京都港区赤坂で環境・エネルギー分野の調査・コンサルティングを目的に株式会社リサイクルワンを資本金1,000万円で設立
- [2]2000年5月、東京都港区赤坂で環境・エネルギー分野の調査・コンサルティングを目的に株式会社リサイクルワンを資本金1,000万円で設立
- ドリームゲート起業家インタビュー 第27回「株式会社リサイクルワン 木南陽介」(2006年10月)
- [3]木南陽介氏は京都大学総合人間学部で環境経済学・環境化学を専攻、1996年7月に有限会社メディアマックスジャパン設立、マッキンゼーで2年間勤務後に退社。2000年4月のリサイクル基本法制定を見込んで事業計画を作成
- [4]木南陽介氏は京都大学総合人間学部で環境経済学・環境化学を専攻、1996年7月に有限会社メディアマックスジャパン設立、マッキンゼーで2年間勤務後に退社。2000年4月のリサイクル基本法制定を見込んで事業計画を作成
- [5]木南陽介氏は京都大学総合人間学部で環境経済学・環境化学を専攻、1996年7月に有限会社メディアマックスジャパン設立、マッキンゼーで2年間勤務後に退社。2000年4月のリサイクル基本法制定を見込んで事業計画を作成
資金の乏しいリサイクルワンは、数十億円の設備投資を要するリサイクル事業の運営を後に回し、情報事業から始める順序を選んだ。当時は排出企業が法改正への対応に要る情報を得る手段に乏しく、処理企業や資源ユーザーとの取引を仲介する場も無かった。2000年8月には3者を結ぶ電子取引市場を稼働させ、資本金のうち400万円を開発費に充てた。設立から1年半ほどで資金繰りが最も悪化し、木南陽介氏は自らと取締役の報酬を約5万円に抑え、受注の拡大で資金不足を埋めた。マッキンゼーの先輩にあたる大前研一氏から請け負った、環境分野の新事業を立ち上げる助言業務も、創業期の収入を支えた。赤坂のベンチャー企業に間借りして始まった本社は、2001年7月に東京都渋谷区へ移転した。
- ドリームゲート起業家インタビュー 第27回「株式会社リサイクルワン 木南陽介」(2006年10月)
- [6]情報事業→サービス事業→リサイクル事業運営の順で展開する計画。2000年8月に電子取引市場を稼働、開発費400万円。設立1年半後が資金面で最も苦しく役員報酬を約5万円に減額、大前研一氏から環境事業立ち上げのコンサルティングを受託。当初は赤坂のベンチャー企業のオフィスに間借り
- [7]情報事業→サービス事業→リサイクル事業運営の順で展開する計画。2000年8月に電子取引市場を稼働、開発費400万円。設立1年半後が資金面で最も苦しく役員報酬を約5万円に減額、大前研一氏から環境事業立ち上げのコンサルティングを受託。当初は赤坂のベンチャー企業のオフィスに間借り
- [8]情報事業→サービス事業→リサイクル事業運営の順で展開する計画。2000年8月に電子取引市場を稼働、開発費400万円。設立1年半後が資金面で最も苦しく役員報酬を約5万円に減額、大前研一氏から環境事業立ち上げのコンサルティングを受託。当初は赤坂のベンチャー企業のオフィスに間借り
- [9]情報事業→サービス事業→リサイクル事業運営の順で展開する計画。2000年8月に電子取引市場を稼働、開発費400万円。設立1年半後が資金面で最も苦しく役員報酬を約5万円に減額、大前研一氏から環境事業立ち上げのコンサルティングを受託。当初は赤坂のベンチャー企業のオフィスに間借り
- [10]情報事業→サービス事業→リサイクル事業運営の順で展開する計画。2000年8月に電子取引市場を稼働、開発費400万円。設立1年半後が資金面で最も苦しく役員報酬を約5万円に減額、大前研一氏から環境事業立ち上げのコンサルティングを受託。当初は赤坂のベンチャー企業のオフィスに間借り
- [11]情報事業→サービス事業→リサイクル事業運営の順で展開する計画。2000年8月に電子取引市場を稼働、開発費400万円。設立1年半後が資金面で最も苦しく役員報酬を約5万円に減額、大前研一氏から環境事業立ち上げのコンサルティングを受託。当初は赤坂のベンチャー企業のオフィスに間借り
- 有価証券報告書【沿革】(レノバ)
- [12]2001年7月、本社を東京都渋谷区に移転
電子取引市場の登録企業は300社を超えたころから口コミで増え、2006年には排出・処理・資源活用の3者で1,500社に達した。木南陽介氏は業界団体の講演会やセミナーに出向き、リサイクルワンの認知を高めた。2002年にはゼロエミッションサービスを始め、コンサルティング事業へ参入。その後も環境デューデリジェンス、土壌汚染対策、アスベスト対策のサービスを順に加えた。調査とコンサルティングは、設立時に掲げた事業目的の一つでもあった。年商は2000年度の1,500万円から2006年度の12億5,000万円へ増え、リサイクルの運営事業にも活動を広げた。設備を持たない仲介とサービスで顧客と資金を積み上げた順序が、のちの再生可能エネルギー事業への転換を支える下地になったと考えられる。
- ドリームゲート起業家インタビュー 第27回「株式会社リサイクルワン 木南陽介」(2006年10月)
- [13]登録300社超から口コミで増加、2006年時点で1,500社登録。講演会・セミナーで認知拡大。2002年ゼロエミッションサービス開始、環境デューデリジェンス・土壌汚染対策・アスベスト対策等を展開。年商は2000年度1,500万円、2006年度12億5,000万円。リサイクルオペレーション事業へ活動拡大
- [14]登録300社超から口コミで増加、2006年時点で1,500社登録。講演会・セミナーで認知拡大。2002年ゼロエミッションサービス開始、環境デューデリジェンス・土壌汚染対策・アスベスト対策等を展開。年商は2000年度1,500万円、2006年度12億5,000万円。リサイクルオペレーション事業へ活動拡大
- [15]登録300社超から口コミで増加、2006年時点で1,500社登録。講演会・セミナーで認知拡大。2002年ゼロエミッションサービス開始、環境デューデリジェンス・土壌汚染対策・アスベスト対策等を展開。年商は2000年度1,500万円、2006年度12億5,000万円。リサイクルオペレーション事業へ活動拡大
- [16]登録300社超から口コミで増加、2006年時点で1,500社登録。講演会・セミナーで認知拡大。2002年ゼロエミッションサービス開始、環境デューデリジェンス・土壌汚染対策・アスベスト対策等を展開。年商は2000年度1,500万円、2006年度12億5,000万円。リサイクルオペレーション事業へ活動拡大
- [18]登録300社超から口コミで増加、2006年時点で1,500社登録。講演会・セミナーで認知拡大。2002年ゼロエミッションサービス開始、環境デューデリジェンス・土壌汚染対策・アスベスト対策等を展開。年商は2000年度1,500万円、2006年度12億5,000万円。リサイクルオペレーション事業へ活動拡大
- 有価証券報告書【沿革】(レノバ)
- [17]設立時の事業目的は環境・エネルギー分野の調査・コンサルティング
参考文献[1]-[18]
- 有価証券報告書【沿革】(レノバ)
- [1]2000年5月、東京都港区赤坂で環境・エネルギー分野の調査・コンサルティングを目的に株式会社リサイクルワンを資本金1,000万円で設立
- [2]2000年5月、東京都港区赤坂で環境・エネルギー分野の調査・コンサルティングを目的に株式会社リサイクルワンを資本金1,000万円で設立
- [12]2001年7月、本社を東京都渋谷区に移転
- [17]設立時の事業目的は環境・エネルギー分野の調査・コンサルティング
- ドリームゲート起業家インタビュー 第27回「株式会社リサイクルワン 木南陽介」(2006年10月)
- [3]木南陽介氏は京都大学総合人間学部で環境経済学・環境化学を専攻、1996年7月に有限会社メディアマックスジャパン設立、マッキンゼーで2年間勤務後に退社。2000年4月のリサイクル基本法制定を見込んで事業計画を作成
- [4]木南陽介氏は京都大学総合人間学部で環境経済学・環境化学を専攻、1996年7月に有限会社メディアマックスジャパン設立、マッキンゼーで2年間勤務後に退社。2000年4月のリサイクル基本法制定を見込んで事業計画を作成
- [5]木南陽介氏は京都大学総合人間学部で環境経済学・環境化学を専攻、1996年7月に有限会社メディアマックスジャパン設立、マッキンゼーで2年間勤務後に退社。2000年4月のリサイクル基本法制定を見込んで事業計画を作成
- [6]情報事業→サービス事業→リサイクル事業運営の順で展開する計画。2000年8月に電子取引市場を稼働、開発費400万円。設立1年半後が資金面で最も苦しく役員報酬を約5万円に減額、大前研一氏から環境事業立ち上げのコンサルティングを受託。当初は赤坂のベンチャー企業のオフィスに間借り
- [7]情報事業→サービス事業→リサイクル事業運営の順で展開する計画。2000年8月に電子取引市場を稼働、開発費400万円。設立1年半後が資金面で最も苦しく役員報酬を約5万円に減額、大前研一氏から環境事業立ち上げのコンサルティングを受託。当初は赤坂のベンチャー企業のオフィスに間借り
- [8]情報事業→サービス事業→リサイクル事業運営の順で展開する計画。2000年8月に電子取引市場を稼働、開発費400万円。設立1年半後が資金面で最も苦しく役員報酬を約5万円に減額、大前研一氏から環境事業立ち上げのコンサルティングを受託。当初は赤坂のベンチャー企業のオフィスに間借り
- [9]情報事業→サービス事業→リサイクル事業運営の順で展開する計画。2000年8月に電子取引市場を稼働、開発費400万円。設立1年半後が資金面で最も苦しく役員報酬を約5万円に減額、大前研一氏から環境事業立ち上げのコンサルティングを受託。当初は赤坂のベンチャー企業のオフィスに間借り
- [10]情報事業→サービス事業→リサイクル事業運営の順で展開する計画。2000年8月に電子取引市場を稼働、開発費400万円。設立1年半後が資金面で最も苦しく役員報酬を約5万円に減額、大前研一氏から環境事業立ち上げのコンサルティングを受託。当初は赤坂のベンチャー企業のオフィスに間借り
- [11]情報事業→サービス事業→リサイクル事業運営の順で展開する計画。2000年8月に電子取引市場を稼働、開発費400万円。設立1年半後が資金面で最も苦しく役員報酬を約5万円に減額、大前研一氏から環境事業立ち上げのコンサルティングを受託。当初は赤坂のベンチャー企業のオフィスに間借り
- [13]登録300社超から口コミで増加、2006年時点で1,500社登録。講演会・セミナーで認知拡大。2002年ゼロエミッションサービス開始、環境デューデリジェンス・土壌汚染対策・アスベスト対策等を展開。年商は2000年度1,500万円、2006年度12億5,000万円。リサイクルオペレーション事業へ活動拡大
- [14]登録300社超から口コミで増加、2006年時点で1,500社登録。講演会・セミナーで認知拡大。2002年ゼロエミッションサービス開始、環境デューデリジェンス・土壌汚染対策・アスベスト対策等を展開。年商は2000年度1,500万円、2006年度12億5,000万円。リサイクルオペレーション事業へ活動拡大
- [15]登録300社超から口コミで増加、2006年時点で1,500社登録。講演会・セミナーで認知拡大。2002年ゼロエミッションサービス開始、環境デューデリジェンス・土壌汚染対策・アスベスト対策等を展開。年商は2000年度1,500万円、2006年度12億5,000万円。リサイクルオペレーション事業へ活動拡大
- [16]登録300社超から口コミで増加、2006年時点で1,500社登録。講演会・セミナーで認知拡大。2002年ゼロエミッションサービス開始、環境デューデリジェンス・土壌汚染対策・アスベスト対策等を展開。年商は2000年度1,500万円、2006年度12億5,000万円。リサイクルオペレーション事業へ活動拡大
- [18]登録300社超から口コミで増加、2006年時点で1,500社登録。講演会・セミナーで認知拡大。2002年ゼロエミッションサービス開始、環境デューデリジェンス・土壌汚染対策・アスベスト対策等を展開。年商は2000年度1,500万円、2006年度12億5,000万円。リサイクルオペレーション事業へ活動拡大
出典・参考
2件
- 有価証券報告書【沿革】(レノバ)
- ドリームゲート起業家インタビュー 第27回「株式会社リサイクルワン 木南陽介」(2006年10月)