上組 の歴史

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創業 1867年
母体 神戸浜仲
創業地 兵庫県神戸市
創業
1867年、神戸港の開港にあたり運上所出入の貨物運搬を請け負う神戸浜仲として創業した。一人の商人ではなく、伊豆半七郎を判頭とする人夫の団体で、波止場から得意先の倉庫まで荷を運ぶ、現在の沿岸荷役にあたる作業を一手に扱った。1873年に業務によって二派へ分かれ、神戸港の上方に寄場を置いた一派が上組を名乗った。1906年5月、当時の組合員だけの出資により出資金20万円で上組合資会社を設立し、1909年には船内荷役とはしけ運送を加えて、本船から艀、岸、倉庫までを一社で通す港湾運送になった。1941年9月、戦時の諸法令により沿岸荷役を除く港湾運送事業を各港の統制会社へ譲渡し、1948年9月に再開している。
決断
請け負うために設備を先に取得する会社へ、1960年代に移った。港の作業を人手で請け負ってきた上組は、製鉄所の位置に合わせて拠点を置き、1964年に福山、1969年に東海・八幡・大分の各支店を開設した。重量物を扱うため天井クレーンに約3億6,000万円、岸壁の船積み用起重機に約5億円を投じ、1970年10月期の設備投資額は20億6,500万円に達する。同じ期には兼業事業の作業収入151億7,671万円が、港湾運送部門の151億5,777万円を初めて上回った。1971年3月の上場で約20億円を得たため、下半期に予定した15億円余りの設備資金は全額を自己資本で賄っている。大手メーカーが受注の条件に設備の格を求めたことが、人夫を出す請負を、資本を先に置く会社へ変えた。
現況
物流事業一本で営業収益の88%を稼ぎ、利益率は12%を保つ。2026年3月期の連結営業収益は2,947億円、営業利益365億円、経常利益406億円、純利益312億円である。物流事業が営業収益2,608億円・利益315億円、その他事業が339億円・49億円で、物流が利益でも86%を占める。海外は本邦の比率が90%を超えるため地域別の開示を省き、稼ぎ先は国内の港と工場に偏る。自己資本は総資産5,384億円の73%にあたる3,955億円である。2022年3月期まで有利子負債を持たなかった財務は2023年3月期の200億円から2026年3月期の705億円へ変わり、同期にはのれん110億円も計上した。借入を持たない状態を守ってきた会社が、投資のために負債を積む側へ移った。
競合
倉庫から岸壁へ下りた相手に対し、上組は岸壁から倉庫へ上がった。神戸港では港の整備が進むにつれて三井・住友・三菱倉庫が倉庫業へ参入し、その倉庫へ荷を運ぶために港湾運送を兼営した。上組は岸壁の現場作業から始め、1950年7月に通運事業免許と貨物自動車運送、倉庫業を同じ月にそろえ、1954年11月に倉庫証券の発行許可を得た。1971年の上場時には6大港の貿易貨物荷役の約50%を扱い、運輸省の港湾近代化基金の拠出額では日本通運に次ぐ第2位を占めている。三菱倉庫が利益のほぼ半分を賃貸不動産から返すのに対し、上組には賃料へ替えられる都心の土地がない。港の設備で稼ぐ位置に残ったことが、次の成長事業を洋上風力の取扱いと系統用蓄電池という、岸壁と設備を使う新しい荷の側へ寄せた。
長期業績の推移 1965〜2026年
上組:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2026年3月期

設立ストーリー 神戸浜仲が上組合資会社となり、戦時統制で本業を手放すまで (1867年〜)

設立ストーリー(1)

運上所出入の貨物運搬を請負う神戸浜仲の創業

上組は1867年、神戸港開港当時に運上所(税関)出入の貨物運搬を請負う神戸浜仲として創業した[1]。神戸市の記録では、慶応3年12月7日(1868年1月1日)に兵庫として開港し、翌1868年に運上所(現神戸税関)が業務を始めている[2]。創業したのは一人の商人ではなく、港で人手を出す団体で、伊豆半七郎が判頭となって神戸浜仲を組織し、外国人交易の運上所の御用常人夫を仰せつかって、出入貨物の運搬を一手に扱った[3]。当時の業務は、神戸港での輸移出入貨物を波止場から荷揚げして得意先の倉庫へ運搬することで、いまの沿岸荷役業務にあたる[4]

  • 株式会社上組 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1867年、神戸港開港当時に運上所(税関)出入の貨物運搬を請負う神戸浜仲として創業した
    • [2]慶応3年12月7日(1868年1月1日)に「兵庫」として開港し、1868年に運上所(現神戸税関)が業務を開始した
  • 経済知識 1971年
    • [3]慶応3年、神戸港開港に当たって伊豆半七郎が判頭となり「神戸浜仲」という団体を組織、外国人交易の運上所の御用常人夫を仰せつかって出入貨物の運搬を一手に扱った
  • 証券 1971年 23巻4号(新規上場会社紹介)
    • [4]発足当時の業務内容は神戸港での輸移出入貨物を波止場から荷揚して得意先の倉庫へ運搬すること(現在の沿岸荷役業務)であった

1873年、神戸浜仲は業務によって二派に分かれ[5]、港における運搬業に従事する浜仲と、薪炭を専門とする岡仲の二つになった[6]。分けたのは資本でも地縁でもなく、扱う貨物と職場の位置で、浜仲となった側は神戸港の上方(東部)に寄場をつくり、上方の組、すなわち上組の名が生じた[7]。上組という呼び名も、のちに設立する上組合資会社を縮めたものではなく、神戸港の上方に職場を持つ組であることを指す[8]。改称から先も荷役の請負は組合組織のまま続き[9]、明治の開化から日清・日露両戦役、第一次大戦を通じて取扱いを伸ばした[10]

  • 株式会社上組 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1873年、業務によって二派に分れ、神戸港の上方に職場を持つ組として「上組」と改称した
    • [8]「上組」は神戸港の上方に職場を持つ組としての改称であり、上組合資会社の設立は1906年5月である
  • 経済知識 1971年
    • [6]明治6年、「神戸浜仲」が港における運搬業に従事する浜仲と薪炭を専門とする岡仲の二つに分離した
    • [7]浜仲となった前身は神戸港の上方(東部)に寄場をつくった関係から上方の組、すなわち現社名「上組」の名が生じた
    • [10]明治開化、日清日露両戦役、第一次大戦を通ずる国運の進展のなかで社業が向上した
  • 証券 1971年 23巻4号(新規上場会社紹介)
    • [9]前身は慶応3年(1867年)神戸港開港と同時に組合組織として発足し、上組合資会社の設立は明治39年である

戦前の港湾荷役は、荷主が人夫を直に雇う形では回らず、荷主と直接契約する請負業者と、その下で人夫を集める小頭の二層が現場を担った[11]。若松港では、仲仕請負業者(大親方)が荷主から直接受注して仲仕を雇用せず、請負業者と特定の従属関係にある小頭(親方)と呼ばれた下請けの人夫供給者が現場に立ち、各小頭は権造部屋を所有して子方の仲仕で独立の組をつくった[12]。1920年代半ばの若松港では、請負業者が荷主受取額の約1割を差し引いて小頭に払い、小頭が残額から陸仲仕約2割5分・沖仲仕3割5分を差し引いて仲仕へ日払いした[13]

    • [11]若松港では仲仕請負業者(大親方)が荷主から直接受注して仲仕を雇用せず、従属関係にある小頭(親方)が権造部屋を所有して子方の仲仕で独立の「組」を形成した
    • [12]若松港では仲仕請負業者(大親方)が荷主から直接受注して仲仕を雇用せず、従属関係にある小頭(親方)が権造部屋を所有して子方の仲仕で独立の「組」を形成した
    • [13]1920年代半ばの若松港では、請負業者が荷主受取額の約1割を差し引いて小頭に払い、小頭が残額から陸仲仕約2割5分・沖仲仕3割5分を差し引いて仲仕に日払いした
  • 株式会社上組 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1867年、神戸港開港当時に運上所(税関)出入の貨物運搬を請負う神戸浜仲として創業した
    • [5]1873年、業務によって二派に分れ、神戸港の上方に職場を持つ組として「上組」と改称した
    • [8]「上組」は神戸港の上方に職場を持つ組としての改称であり、上組合資会社の設立は1906年5月である
    • [2]慶応3年12月7日(1868年1月1日)に「兵庫」として開港し、1868年に運上所(現神戸税関)が業務を開始した
  • 経済知識 1971年
    • [3]慶応3年、神戸港開港に当たって伊豆半七郎が判頭となり「神戸浜仲」という団体を組織、外国人交易の運上所の御用常人夫を仰せつかって出入貨物の運搬を一手に扱った
    • [6]明治6年、「神戸浜仲」が港における運搬業に従事する浜仲と薪炭を専門とする岡仲の二つに分離した
    • [7]浜仲となった前身は神戸港の上方(東部)に寄場をつくった関係から上方の組、すなわち現社名「上組」の名が生じた
    • [10]明治開化、日清日露両戦役、第一次大戦を通ずる国運の進展のなかで社業が向上した
  • 証券 1971年 23巻4号(新規上場会社紹介)
    • [4]発足当時の業務内容は神戸港での輸移出入貨物を波止場から荷揚して得意先の倉庫へ運搬すること(現在の沿岸荷役業務)であった
    • [9]前身は慶応3年(1867年)神戸港開港と同時に組合組織として発足し、上組合資会社の設立は明治39年である
    • [11]若松港では仲仕請負業者(大親方)が荷主から直接受注して仲仕を雇用せず、従属関係にある小頭(親方)が権造部屋を所有して子方の仲仕で独立の「組」を形成した
    • [12]若松港では仲仕請負業者(大親方)が荷主から直接受注して仲仕を雇用せず、従属関係にある小頭(親方)が権造部屋を所有して子方の仲仕で独立の「組」を形成した
    • [13]1920年代半ばの若松港では、請負業者が荷主受取額の約1割を差し引いて小頭に払い、小頭が残額から陸仲仕約2割5分・沖仲仕3割5分を差し引いて仲仕に日払いした
設立ストーリー(2)

組合員だけの出資による上組合資会社の設立と支店網

1906年5月、当時の組合員だけの出資によって上組合資会社を設立した[14]。神戸浜仲としての創業から39年、上組への改称から33年が経っていた[15]。神戸港における港湾運送会社としての出資金は20万円で[16]、組の外から資本を入れずに会社の形へ移したため、出資者は現場を差配してきた組合員のままだった。1909年には、それまでの沿岸荷役業務に、はしけ運送業務と船内荷役業務を新たに加え[17]、本船の船内から艀へ、艀から岸へ、岸から倉庫へと続く工程を、一つの会社で通して引き受ける一貫した港湾運送になった[18]

  • 株式会社上組 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1906年5月、当時の組合員だけの出資によって上組合資会社を設立した
    • [15]創業は1867年、「上組」への改称は1873年、上組合資会社の設立は1906年5月である
  • 証券 1971年 23巻4号(新規上場会社紹介)
    • [16](旧)上組合資会社は明治39年に神戸港における港湾運送会社として出資金20万円で設立された
    • [17]明治42年には従来の沿岸荷役業務に、はしけ運送業務、船内荷役業務を新たに加えた
    • [18]明治42年に沿岸荷役・はしけ運送・船内荷役を揃え、一貫した港湾運送を行う体になった

神戸の外へ拠点を出す動きは大阪築港から始まり、1909年3月に大阪築港出張所を開設して1925年に支店へ昇格させた[19]。名古屋では1922年6月に営業を開始して翌1923年に支店とし、東京では1923年5月に出張所を開設して1947年に支店とした[20]。横浜支店は1927年4月、門司支店は1934年4月、広畑出張所は1937年2月の開設で、広畑は1939年に支店となった[21]。大阪・東京・広畑は出張所から始めて支店へ改め、横浜と門司は開設の時点から支店に据えており[22]、大正末年にはそれまでの阪神中心から東京・横浜・名古屋・門司へ駒を進め、全国的に営業基盤をひろげた[23]

  • 株式会社上組 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1909年3月に大阪築港出張所を開設し、1925年に支店へ昇格した
    • [20]1922年6月に名古屋にて営業を開始(1923年支店に昇格)、1923年5月に東京出張所を開設(1947年支店に昇格)した
    • [21]1927年4月に横浜支店、1934年4月に門司支店、1937年2月に広畑出張所(1939年支店に昇格)を開設した
    • [22]大阪築港・東京・広畑は出張所として開設し、のちに支店へ昇格した。横浜と門司は支店として開設した
  • 経済知識 1971年
    • [23]大正末年にはそれまでの阪神中心から東京、横浜、名古屋、門司などにも駒を進めて、全国的に営業基盤をひろげた
  • 株式会社上組 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1906年5月、当時の組合員だけの出資によって上組合資会社を設立した
    • [15]創業は1867年、「上組」への改称は1873年、上組合資会社の設立は1906年5月である
    • [19]1909年3月に大阪築港出張所を開設し、1925年に支店へ昇格した
    • [20]1922年6月に名古屋にて営業を開始(1923年支店に昇格)、1923年5月に東京出張所を開設(1947年支店に昇格)した
    • [21]1927年4月に横浜支店、1934年4月に門司支店、1937年2月に広畑出張所(1939年支店に昇格)を開設した
    • [22]大阪築港・東京・広畑は出張所として開設し、のちに支店へ昇格した。横浜と門司は支店として開設した
  • 証券 1971年 23巻4号(新規上場会社紹介)
    • [16](旧)上組合資会社は明治39年に神戸港における港湾運送会社として出資金20万円で設立された
    • [17]明治42年には従来の沿岸荷役業務に、はしけ運送業務、船内荷役業務を新たに加えた
    • [18]明治42年に沿岸荷役・はしけ運送・船内荷役を揃え、一貫した港湾運送を行う体になった
  • 経済知識 1971年
    • [23]大正末年にはそれまでの阪神中心から東京、横浜、名古屋、門司などにも駒を進めて、全国的に営業基盤をひろげた
設立ストーリー(3)

沿岸荷役だけを残した戦時統制と1948年の再開

港ごとに一つの会社へ荷役を集める仕組みが上組から本業の大半を取り上げ、1941年9月、戦時の諸法令により、港湾運送事業のうち沿岸荷役を除いて各港統制会社へ譲渡した[24]。根拠となった港湾運送業等統制令は国家総動員法にもとづいて発令され、戦争目的の遂行を掲げて一港一社を原則とし、事業を許可制に置いた[25]。それまで港湾運送事業として様々な業態に区分されていた業者は、一港一社を原則に各港湾で単一の事業組織へ集約された[26]。1909年に加えた船内荷役とはしけ運送を上組は32年で失い、手元には創業時から扱ってきた沿岸荷役だけが残った[27]

本業の大半を譲渡したのち、上組は周辺の事業を別会社へ切り出し、1943年11月には造船部門を分離して東神戸造船鉄工(現カミックス)を設立した[28]。同社はいまも連結子会社として残る[29]。1947年2月に設けた上組土建は[30]、上組合資会社の倉庫・社宅等の建設および増改築を主たる業務とし、上組合資会社社員の出資による資本金19万5千円で発足した[31]。組合員の出資で会社を興す形は1906年の上組合資会社設立と変わらず、この19万5千円は、41年前の上組合資会社設立時の出資金20万円をわずかに下回る[32]

  • 株式会社上組 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1943年11月、造船部門を分離して東神戸造船鉄工(現 カミックス)を設立した
    • [29]東神戸造船鉄工は現在の株式会社カミックスで、連結子会社である
    • [30]1947年2月に上組土建を設立した
  • 証券 1971年 23巻4号(新規上場会社紹介)
    • [31]上組土建は(旧)上組合資会社の倉庫、社宅等の建設および増改築を主たる業務として、昭和22年に(旧)上組合資会社社員の出資によって資本金19万5千円で設立された
    • [32]上組土建の設立時資本金は19万5千円、(旧)上組合資会社の設立時出資金は20万円である

港湾運送業等統制令は1945年9月に廃止され、港湾運送事業は自由営業に戻った[33]。1946年、GHQは独占解体指令を発令して一港一社制を廃止し[34]、東京2社・京浜2社・名古屋3社・大阪4社・神戸3社・関門1社の計15社が解体された一方、地方港湾では一港一社が解体されずに存続した[35]。統制の解けた港湾運送事業は無規制となり、荷役量が急増するなかで零細事業者が乱立して、荷物の奪い合いによる荷役の混乱や暴力労務手配師の跋扈を招いたうえ[36]、はしけや荷役機械の維持修理すら行われない状態も生じている[37]。この港で、1948年9月、上組は港湾における運送事業を統合的に再開し、商号を上津合資会社と改称した[38]

  • 株式会社上組 有価証券報告書【沿革】
    • [24]1941年9月、戦時の諸法令により港湾運送事業のうち沿岸荷役を除き各港統制会社へ譲渡した
    • [27]譲渡の対象は港湾運送事業のうち沿岸荷役を除く部分で、はしけ運送業務と船内荷役業務は1909年に加えたものである
    • [28]1943年11月、造船部門を分離して東神戸造船鉄工(現 カミックス)を設立した
    • [29]東神戸造船鉄工は現在の株式会社カミックスで、連結子会社である
    • [30]1947年2月に上組土建を設立した
    • [38]1948年9月、港湾における運送事業を統合的に再開し、商号を上津合資会社と改称した
    • [25]1941年の港湾運送業等統制令は国家総動員法に基づき発令され、戦争目的の遂行のため一港一社を原則とし事業を許可制とした
    • [33]港湾運送業等統制令は1945年9月に廃止され、港湾運送事業は自由営業となった
    • [26]それまで「港湾運送事業」として様々な業態に区分されていた業者が、「一港一社」を原則に各港湾に単一の事業組織に集約された
    • [34]1946年、GHQが独占解体指令を発令し「一港一社」制が廃止された
    • [35]解体は東京2社・京浜2社・名古屋3社・大阪4社・神戸3社・関門1社の計15社で、地方港湾は「一港一社」が解体されずに存続した
  • 証券 1971年 23巻4号(新規上場会社紹介)
    • [31]上組土建は(旧)上組合資会社の倉庫、社宅等の建設および増改築を主たる業務として、昭和22年に(旧)上組合資会社社員の出資によって資本金19万5千円で設立された
    • [32]上組土建の設立時資本金は19万5千円、(旧)上組合資会社の設立時出資金は20万円である
    • [36]戦後統制が解除されて無規制となり、荷役量が急増するなかで零細事業者が乱立して荷物の奪い合いなどにより荷役が混乱し、暴力労務手配師が跋扈する状況となった
    • [37]ダンピングその他の過当競争が行われ、はしけや荷役機械の維持修理すら行われない危険な状態が生じた
設立ストーリー(4)

通運事業免許の取得と貨物自動車運送・倉庫業への参入

1950年7月、上津合資会社は通運事業免許を取得し、貨物自動車運送事業を再開するとともに倉庫業を始めた[39]。通運事業は汽車を使って荷を運ぶ営業を、倉庫業は荷を預かって保管する営業を指す[40]。船内荷役、はしけ運送、沿岸荷役という港の中の3工程を本業とし、それを一括して請け負う元請けの立場も併せ持ってきた会社が、鉄道の駅とトラックと倉庫を同じ年にそろえた[41]。港湾運送事業そのものは、戦時中の港湾運送業等統制令が解かれて以来まだ無規制のもとにあり、この年の時点では登録も免許も求められていなかった[42]

  • 株式会社上組 有価証券報告書【沿革】
    • [39]1950年7月 通運事業免許取得、貨物自動車運送事業再開、倉庫業を開始
  • 証券アナリストジャーナル 1971年6月号(武内右近・村尾一夫)
    • [40]汽車を利用して輸送する通運事業、荷物を保管する倉庫業
    • [41]港湾運送事業は船内荷役事業・はしけ運送事業・沿岸荷役事業の3系列に分かれ、上組はこの3つを総括して元請業務を行う一般港湾運送事業の免許も得ていた
    • [42]戦時中の統制解除後、港湾運送事業は無規制となり、規制が入るのは1951年の港湾運送事業法制定から

港の中と外を続けて請け負う形は、その後も崩れなかった。1971年の時点でも、港湾運送は港の中で完結せず、内陸への輸送、港に着くまでの輸送、港での貨物の保管と荷捌きが派生するものとして扱われていた[43]。上組はそこから、汽車を使う通運事業、荷を預かる倉庫業、倉庫や工場の中の荷役請負、貨物自動車による運送、大きな重量品の運搬と据付、梱包業、通関業、船会社の代理店業までを兼営し、ひとつの総合した運輸業態を組み立てた[44]。1950年7月にそろえた3つの営業は、この並びのうち通運事業と倉庫業と貨物自動車運送にあたる[45]

  • 証券アナリストジャーナル 1971年6月号(武内右近・村尾一夫)
    • [43]港湾運送は港だけの仕事ではなく、内陸への輸送、港へ来るまでの仕事、港における貨物の保管・荷捌きが派生する
    • [44]通運事業・倉庫業・倉庫内および工場内の荷役請負・貨物自動車運送・重量品運搬・据付・機工作業・梱包業・通関業・船会社代理店業を兼営し、ひとつの総合した運輸業態をつくっている
  • 株式会社上組 有価証券報告書【沿革】
    • [45]1950年7月に通運事業免許を取得し、貨物自動車運送事業を再開、倉庫業を開始
  • 株式会社上組 有価証券報告書【沿革】
    • [39]1950年7月 通運事業免許取得、貨物自動車運送事業再開、倉庫業を開始
    • [45]1950年7月に通運事業免許を取得し、貨物自動車運送事業を再開、倉庫業を開始
  • 証券アナリストジャーナル 1971年6月号(武内右近・村尾一夫)
    • [40]汽車を利用して輸送する通運事業、荷物を保管する倉庫業
    • [41]港湾運送事業は船内荷役事業・はしけ運送事業・沿岸荷役事業の3系列に分かれ、上組はこの3つを総括して元請業務を行う一般港湾運送事業の免許も得ていた
    • [43]港湾運送は港だけの仕事ではなく、内陸への輸送、港へ来るまでの仕事、港における貨物の保管・荷捌きが派生する
    • [44]通運事業・倉庫業・倉庫内および工場内の荷役請負・貨物自動車運送・重量品運搬・据付・機工作業・梱包業・通関業・船会社代理店業を兼営し、ひとつの総合した運輸業態をつくっている
    • [42]戦時中の統制解除後、港湾運送事業は無規制となり、規制が入るのは1951年の港湾運送事業法制定から
設立ストーリー(5)

1951年の港湾運送事業法制定と上組合資会社への商号復元

戦時中の港湾運送業等統制令が解かれると港湾運送事業は無規制になり、荷役量が急増するなかで零細事業者が乱立し、荷物の奪い合いによって荷役が混乱し、暴力労務手配師が横行する状況が生じた[46]。ダンピングをはじめとする過当競争も続き、はしけや荷役機械の維持修理すら行われない危険な状態に至った[47]。これに対して1951年、事業登録制と料金届出制を内容とする港湾運送事業法が法律第161号として制定された[48]。同法が事業免許制と料金認可制へ切り替わるのは1959年の改正からで、この時点の規制は事業の登録と料金の届出にとどまった[49]

港湾運送事業法の登録は、それまで届出も許可も要らなかった港での作業を、事業者ごとに国へ届け出させる仕組みだった[50]。上組は1923年までに東京・大阪・横浜・名古屋・門司へ支店を開き、事業区域を5大港まで広げており、神戸のほかにも登録の要る港を抱えていた[51]。1952年4月に商号を上組合資会社へ復元し[52]、1948年9月に港湾における運送事業を統合的に再開したときの上津合資会社から、3年7か月で元の名に戻した勘定になる[53]。上組合資会社は、1906年5月に神戸港の港湾運送会社として出資金20万円で設立された会社の名である[54]

    • [50]1951年制定の港湾運送事業法は事業登録制および料金届出制を内容とする
  • 証券 1971年 23巻4号(新規上場会社紹介)
    • [51]大正12年には東京・大阪・横浜・名古屋・門司に各支店を開設し、事業区域は5大港にまで拡大した
    • [54]実質上の存続会社である(旧)上組合資会社は、明治39年に神戸港における港湾運送会社として出資金20万円で設立された
  • 株式会社上組 有価証券報告書【沿革】
    • [52]1952年4月 商号を上組合資会社に復元
    • [53]1948年9月 港湾における運送事業を統合的に再開、商号を上津合資会社と改称

通運と倉庫の免許をそろえた翌年の1951年4月、上組は神戸の外へ徳山出張所を開き、この出張所は1992年に支店へ昇格した[55]。徳山は瀬戸内海に面した山口県の港で、上組はここで徳山曹達の構内作業を請け負ったが、工場の構内作業を引き受ける道は1937年の日本製鉄広畑工場に始まり、その後は丸善石油や日本鋼管の構内へも広がっていた[56]。荷主の工場の中で行う構内作業は港湾運送事業ではなく兼業に数えられ、倉庫工場荷役請負業として上組の重要な部門に育った[57]。1971年の時点で、上組は徳山下松港での一般荷役も手がけていた[58]

  • 株式会社上組 有価証券報告書【沿革】
    • [55]1951年4月 徳山出張所を開設(1992年支店に昇格)
  • 証券 1971年 23巻4号(新規上場会社紹介)
    • [56]1937年(昭和12年)に日本製鉄広畑工場の構内作業を請け負って以降、徳山曹達・丸善石油・日本鋼管など他のメーカーの構内作業も随時請け負うようになった
    • [57]兼業事業のなかでは倉庫工場荷役請負業がその後の同社の重要部門となった
  • 経済知識 1971年
    • [58]神戸・大阪・姫路・福山・関門・博多・徳山下松・名古屋・京浜の各港で一般荷役を行っている
    • [46]戦時中の統制解除後、港湾運送事業は無規制となり、荷役量が急増するなかで零細事業者が乱立して荷物の奪い合いなどにより荷役が混乱し、暴力労務手配師が跋扈する状況となった
    • [47]ダンピングその他の過当競争が行われ、はしけや荷役機械の維持修理すら行われない危険な状態が生じた
    • [48]1951年(昭和26年)、事業登録制および料金届出制を内容とする港湾運送事業法(法律第161号)が制定された
    • [49]港湾運送事業法は1959年(昭和34年)の改正で事業免許制・料金認可制になった
    • [50]1951年制定の港湾運送事業法は事業登録制および料金届出制を内容とする
  • 証券 1971年 23巻4号(新規上場会社紹介)
    • [51]大正12年には東京・大阪・横浜・名古屋・門司に各支店を開設し、事業区域は5大港にまで拡大した
    • [54]実質上の存続会社である(旧)上組合資会社は、明治39年に神戸港における港湾運送会社として出資金20万円で設立された
    • [56]1937年(昭和12年)に日本製鉄広畑工場の構内作業を請け負って以降、徳山曹達・丸善石油・日本鋼管など他のメーカーの構内作業も随時請け負うようになった
    • [57]兼業事業のなかでは倉庫工場荷役請負業がその後の同社の重要部門となった
  • 株式会社上組 有価証券報告書【沿革】
    • [52]1952年4月 商号を上組合資会社に復元
    • [53]1948年9月 港湾における運送事業を統合的に再開、商号を上津合資会社と改称
    • [55]1951年4月 徳山出張所を開設(1992年支店に昇格)
  • 経済知識 1971年
    • [58]神戸・大阪・姫路・福山・関門・博多・徳山下松・名古屋・京浜の各港で一般荷役を行っている
設立ストーリー(6)

岸壁の現場作業の側から伸びた倉庫業と上組陸運の設立

神戸港では、港の整備が進むにつれて三井・住友・三菱が倉庫業を開き、その倉庫へ荷を運ぶ仕事を自社へ引き寄せるために港湾運送を兼営した[59]。上組はこれと逆の順をたどり、岸壁の現場作業の側から倉庫業へ伸びたため、生成の過程がまったく違った[60]。上組が倉庫業を始めたのは1950年7月、通運事業免許の取得と貨物自動車運送事業の再開と同じ月にあたる[61]。倉庫業は荷を預かって保管する営業であり、寄託された貨物を表す倉庫証券を出せると、荷主は荷を倉庫に置いたまま証券の裏書だけで売買や担保の差し入れができ、港で降ろした荷を自社の倉庫へ収めれば、荷主が引き取るまでの間も荷を動かさずに商いを立てられる[62]

  • 証券アナリストジャーナル 1971年6月号(武内右近・村尾一夫)
    • [59]港が整備されるとともに三井・住友・三菱が倉庫業を港で開くようになり、その倉庫に荷を持ってくる仕事を誘致するため港湾運送事業を兼営するようになった
    • [60]現在の倉庫業者が倉庫業から港湾運送へ手を伸ばしたのに対し、上組は現場作業の方から倉庫業へ伸びていったので、生成の過程が全く違う
  • 株式会社上組 有価証券報告書【沿革】
    • [61]1950年7月 倉庫業を開始
    • [62]1950年7月 倉庫業を開始

1961年8月、上組は本店自動車部の業務を分離して上組陸運を設立した[63]。1950年7月に再開した貨物自動車運送事業は11年で別会社として切り出す規模に達しており[64]、港で降ろした荷を鉄道の駅へ、倉庫へ、荷主の工場へと運ぶ経路のうち、道路を走る部分がここで独立した会社の仕事になった。上組陸運はその後も上組のもとに残り、現在は連結子会社である[65]。1970年10月期の作業収入では、自動車運送事業が3.8%、通運業が0.3%、純然たる倉庫業が1.7%を占め、港湾運送事業と兼業の比率はちょうど50%ずつだった[66]

  • 株式会社上組 有価証券報告書【沿革】
    • [63]1961年8月 本店自動車部の業務を分離して上組陸運株式会社を設立
    • [64]1950年7月 貨物自動車運送事業を再開
    • [65]上組陸運株式会社は現・連結子会社
  • 証券アナリストジャーナル 1971年6月号(武内右近・村尾一夫)
    • [66]1970年10月期の売上実績で港湾運送事業50%・兼業50%、内訳は自動車運送事業3.8%、通運業0.3%、純然たる倉庫業1.7%
  • 証券アナリストジャーナル 1971年6月号(武内右近・村尾一夫)
    • [59]港が整備されるとともに三井・住友・三菱が倉庫業を港で開くようになり、その倉庫に荷を持ってくる仕事を誘致するため港湾運送事業を兼営するようになった
    • [60]現在の倉庫業者が倉庫業から港湾運送へ手を伸ばしたのに対し、上組は現場作業の方から倉庫業へ伸びていったので、生成の過程が全く違う
    • [66]1970年10月期の売上実績で港湾運送事業50%・兼業50%、内訳は自動車運送事業3.8%、通運業0.3%、純然たる倉庫業1.7%
  • 株式会社上組 有価証券報告書【沿革】
    • [61]1950年7月 倉庫業を開始
    • [62]1950年7月 倉庫業を開始
    • [63]1961年8月 本店自動車部の業務を分離して上組陸運株式会社を設立
    • [64]1950年7月 貨物自動車運送事業を再開
    • [65]上組陸運株式会社は現・連結子会社

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沿革年表 1867〜2024年

上組の沿革1867〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1867〜1949年神戸浜仲が上組合資会社となり、戦時統制で本業を手放すまで神戸港開港にあたり運上所出入の貨物運搬を請け負う神戸浜仲として創業★★★
業務によって二派に分かれ、神戸港の上方に職場を持つ組として商号を上組に変更★★
組合員だけの出資により上組合資会社に改組★★
大阪築港出張所を開設
名古屋で営業を開始
東京出張所を開設
横浜支店を開設
門司支店を開設
戦時の諸法令により、沿岸荷役を除く港湾運送事業を各港の統制会社に譲渡★★★
造船部門を分離して東神戸造船鉄工(現カミックス)を設立★★
上組土建を設立
港湾における運送事業を統合的に再開★★
1950〜1962年通運免許と倉庫業を取り、神戸港の外へ荷を運ぶ会社になる通運事業免許の取得により貨物自動車運送事業と倉庫業に参入★★★
倉庫証券の発行許可を取得
本店自動車部の業務を分離して上組陸運を設立
1963〜1971年株式会社上組への改組とコンテナー扱いの開始、設備が要る会社への転換上組土建との合併により株式会社上組に改組★★★
コンテナー課を発足させ、コンテナ貨物の取り扱いを開始★★
上組海運を設立
大阪証券取引所および東京証券取引所市場第二部に上場★★
シベリアランドブリッジによる欧州向け輸送を開始★★
ドッドウエル上組エアカーゴ(現上組航空サービス)を設立
大阪証券取引所および東京証券取引所市場第一部に指定★★
泉包装作業(現泉産業)を設立
エル・ハジャール製鉄所のプラント工事を受注★★
神戸支店を開設
上組(香港)有限公司を設立
尾崎睦決算期を9月から3月に変更
尾崎睦大分港運の全株式を取得
尾崎睦上組神戸コンテナターミナルを開設★★★
尾崎睦上組東京コンテナターミナルを開設★★
久保昌三東京本社を開設★★
久保昌三サニープレイス事業部を開設
深井義博太陽光発電事業を開始★★
深井義博飼料・穀物事業本部を開設
深井義博エムビー・サービス日本の株式を取得
深井義博日本ポート産業の株式を追加取得
深井義博東京証券取引所の市場区分の見直しによりプライム市場に移行★★
深井義博系統用蓄電池事業に参入★★
出典・参考 10件

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