決断
大蔵省の求めに応じて、県内の小口預金の窓口を一つずつ引き取ってきた銀行である。1935年6月に産業貯蓄銀行が業務停止を命じられると、県知事の要請で小口預金の支払いを引き受け、12月21日には大蔵省の案に沿って大和貯蓄銀行を創立した。1943年に兼営法が施行されると同年8月に自ら貯蓄銀行業務を開始し、1944年2月に大和貯蓄銀行を合併している。戦後の再建整備では1946年8月に新旧勘定を分け、県内に軍需産業が少なかったため切捨率は全国平均の約4分の1で済んだ。その結果、県内の預金は一つの窓口に集まり、1952年5月末には総預金が100億円を超えた。