藤原秀次郎
経歴1970〜2005年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1970年主要役職の状況(推定含む目安)2005年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | しまむら | 1970 | 入社 | ||
| 1975 | 取締役 | ||||
| 1981 | 専務取締役 | ||||
| 1989 | 代表取締役専務 | ||||
| 1990 | 代表取締役社長 | ||||
| 2005 | 社長 退任 |
中興ストーリー
中興ストーリー
藤原秀次郎氏が1970年9月に島村呉服店へ入社したとき、店は埼玉県内の3店だけで、男子社員は10人に満たなかった。創業者の島村恒俊氏は大手スーパーのような総合チェーンを志向していたが、藤原秀次郎氏は後発では追いつけないとみて、主婦向けの衣料品に絞った多店舗展開を選んだ。全国チェーンを目指すにあたって島村恒俊氏に同族経営との決別を進言し、入社10年ほどの1980年ごろには新規出店の標準モデルを一通り仕上げている。
- 日経ビジネス 1996年6月10日号
- [1]1970年に29歳で入社した時、店は埼玉県下の3つだけで男子社員は10人もいなかった。創業者の島村恒俊・現相談役はダイエーやイトーヨーカ堂のようなスーパーのチェーンをやりたかったようだが、後発では追いつかないと思い、主婦向けの衣料品に絞って多店舗展開をしようと決めた。新規出店のモデルは80年くらい、入社して10年でひと通り標準化が完成。店舗数が100を超えて関東圏から脱出することになり、情報と物流の両方のシステムを見直す必要があった。100店舗を超えるときに300店舗を想定してシステムをつくり直し、300店舗を超える時は500店舗を想定して全面的に換えた。製造小売業には全く関心ない。小売業は工場を持ってはいけない
- [2]1970年に29歳で入社した時、店は埼玉県下の3つだけで男子社員は10人もいなかった。創業者の島村恒俊・現相談役はダイエーやイトーヨーカ堂のようなスーパーのチェーンをやりたかったようだが、後発では追いつかないと思い、主婦向けの衣料品に絞って多店舗展開をしようと決めた。新規出店のモデルは80年くらい、入社して10年でひと通り標準化が完成。店舗数が100を超えて関東圏から脱出することになり、情報と物流の両方のシステムを見直す必要があった。100店舗を超えるときに300店舗を想定してシステムをつくり直し、300店舗を超える時は500店舗を想定して全面的に換えた。製造小売業には全く関心ない。小売業は工場を持ってはいけない
- [3]1970年に29歳で入社した時、店は埼玉県下の3つだけで男子社員は10人もいなかった。創業者の島村恒俊・現相談役はダイエーやイトーヨーカ堂のようなスーパーのチェーンをやりたかったようだが、後発では追いつかないと思い、主婦向けの衣料品に絞って多店舗展開をしようと決めた。新規出店のモデルは80年くらい、入社して10年でひと通り標準化が完成。店舗数が100を超えて関東圏から脱出することになり、情報と物流の両方のシステムを見直す必要があった。100店舗を超えるときに300店舗を想定してシステムをつくり直し、300店舗を超える時は500店舗を想定して全面的に換えた。製造小売業には全く関心ない。小売業は工場を持ってはいけない
- 日経ビジネス 1995年2月27日号
- [4]20年ほど前のしまむらは埼玉県東松山市の衣料品店にすぎず、そのころに全国チェーン展開を決意。多店舗化には経営の効率化が必要で、藤原社長は当時社長だった島村恒俊・現取締役相談役に同族経営との決別を進言した。完全買い取りによって卸値を安くさせる戦略を取っている
1990年5月に社長を継いだ時点の店舗網は、大宮の商品センターからトラックで1日に運べる範囲を限度としていた。1989年1月時点の店舗は埼玉県を中心とする1都6県の109店で、長期ビジョンは1994年までに250店・売上高1000億円であった。店舗数が100を超えて関東圏を出る段階で、情報と物流の仕組みは作り直しを迫られた。
- 証券アナリストジャーナル 1989年27巻2号(島村恒俊、1989年1月20日講演)
- [5]現在は埼玉県を中心とする1都6県に109店舗を展開。長期ビジョンとして平成6年までに250店舗、売上高1,000億円の達成を目標に掲げ、大宮市に新商品センターを建設。商勢圏は大宮の商品センターから商品をトラックで1日で運べる範囲が限度
- [6]現在は埼玉県を中心とする1都6県に109店舗を展開。長期ビジョンとして平成6年までに250店舗、売上高1,000億円の達成を目標に掲げ、大宮市に新商品センターを建設。商勢圏は大宮の商品センターから商品をトラックで1日で運べる範囲が限度
- 日経ビジネス 1996年6月10日号
- [7]1970年に29歳で入社した時、店は埼玉県下の3つだけで男子社員は10人もいなかった。創業者の島村恒俊・現相談役はダイエーやイトーヨーカ堂のようなスーパーのチェーンをやりたかったようだが、後発では追いつかないと思い、主婦向けの衣料品に絞って多店舗展開をしようと決めた。新規出店のモデルは80年くらい、入社して10年でひと通り標準化が完成。店舗数が100を超えて関東圏から脱出することになり、情報と物流の両方のシステムを見直す必要があった。100店舗を超えるときに300店舗を想定してシステムをつくり直し、300店舗を超える時は500店舗を想定して全面的に換えた。製造小売業には全く関心ない。小売業は工場を持ってはいけない
打った手は、出店に先立って物流を自前で敷くことであった。1991年11月に中国・四国への出店を始め、1993年8月に福島、1994年10月に岡山、同年12月に愛知県犬山に商品センターを開設した。犬山センターは入出荷を自動化し、79店への配送を7人のパート社員で賄った。100店を超える際には300店を、300店を超える際には500店を想定して仕組みを全面的に作り替えている。一方で企画から製造までを抱える製造小売業には向かわず、工場は持たずに商品は完全買取で仕入れる路線を守った。1994年5月の大店法の緩和後は新店より既存店の増床を先に進め、1店舗当たりの平均面積を634㎡から860㎡へ広げた。
- 日経ビジネス 1996年9月9日号
- [8]店舗の全国展開に先だって物流システムを整えた。犬山センターは入出荷を完全自動化し、79店舗への配送をパート社員7人で運営。94年5月の大店法緩和で既存店の増床に乗り出し、1店舗当たりの平均面積を5年前の634㎡から860㎡まで拡大
- [10]店舗の全国展開に先だって物流システムを整えた。犬山センターは入出荷を完全自動化し、79店舗への配送をパート社員7人で運営。94年5月の大店法緩和で既存店の増床に乗り出し、1店舗当たりの平均面積を5年前の634㎡から860㎡まで拡大
- [14]店舗の全国展開に先だって物流システムを整えた。犬山センターは入出荷を完全自動化し、79店舗への配送をパート社員7人で運営。94年5月の大店法緩和で既存店の増床に乗り出し、1店舗当たりの平均面積を5年前の634㎡から860㎡まで拡大
- しまむら 有価証券報告書(2026年2月期)【沿革】
- [9]1991年11月 中国・四国地方への出店を開始/1993年8月 福島商品センター/1994年10月 岡山商品センター/1994年12月 犬山商品センター/1996年4月 子会社アベイルを設立/1997年10月 台湾に思夢樂を設立、アベイル1・2号店を開設/1997年11月 九州地方への出店を開始/1997年12月 店舗数500店舗/1998年7月 思夢樂1号店/1999年1月 桶川商品センター稼働/2000年7月 シャンブル1号店/2000年11月 バースデイ1号店/2002年10月 47全都道府県への出店を完了/2003年10月 しまむらグループ1000店舗を達成
- 日経ビジネス 1996年6月10日号
- [11]1970年に29歳で入社した時、店は埼玉県下の3つだけで男子社員は10人もいなかった。創業者の島村恒俊・現相談役はダイエーやイトーヨーカ堂のようなスーパーのチェーンをやりたかったようだが、後発では追いつかないと思い、主婦向けの衣料品に絞って多店舗展開をしようと決めた。新規出店のモデルは80年くらい、入社して10年でひと通り標準化が完成。店舗数が100を超えて関東圏から脱出することになり、情報と物流の両方のシステムを見直す必要があった。100店舗を超えるときに300店舗を想定してシステムをつくり直し、300店舗を超える時は500店舗を想定して全面的に換えた。製造小売業には全く関心ない。小売業は工場を持ってはいけない
- [12]1970年に29歳で入社した時、店は埼玉県下の3つだけで男子社員は10人もいなかった。創業者の島村恒俊・現相談役はダイエーやイトーヨーカ堂のようなスーパーのチェーンをやりたかったようだが、後発では追いつかないと思い、主婦向けの衣料品に絞って多店舗展開をしようと決めた。新規出店のモデルは80年くらい、入社して10年でひと通り標準化が完成。店舗数が100を超えて関東圏から脱出することになり、情報と物流の両方のシステムを見直す必要があった。100店舗を超えるときに300店舗を想定してシステムをつくり直し、300店舗を超える時は500店舗を想定して全面的に換えた。製造小売業には全く関心ない。小売業は工場を持ってはいけない
- 日経ビジネス 1995年2月27日号
- [13]20年ほど前のしまむらは埼玉県東松山市の衣料品店にすぎず、そのころに全国チェーン展開を決意。多店舗化には経営の効率化が必要で、藤原社長は当時社長だった島村恒俊・現取締役相談役に同族経営との決別を進言した。完全買い取りによって卸値を安くさせる戦略を取っている
1996年4月に子会社アベイルを設立して1997年10月に1号店を開設し、同月には台湾に思夢樂を設けて1998年7月に1号店を出した。1997年11月に九州へ進み、同年12月に500店に達した。1999年1月の時点で店舗は577店、売上高は約1700億円となり、店長577人のうち約290人が女性であった。同月に桶川商品センターを稼働させ、2000年7月にシャンブル、同年11月にバースデイの1号店を開設した。2002年10月に47都道府県への出店を終え、2003年10月にグループで1000店舗に達した。関東の婦人衣料チェーンは、全国に複数の業態と台湾の子会社を持つ企業集団に変わった。
- しまむら 有価証券報告書(2026年2月期)【沿革】
- [15]1991年11月 中国・四国地方への出店を開始/1993年8月 福島商品センター/1994年10月 岡山商品センター/1994年12月 犬山商品センター/1996年4月 子会社アベイルを設立/1997年10月 台湾に思夢樂を設立、アベイル1・2号店を開設/1997年11月 九州地方への出店を開始/1997年12月 店舗数500店舗/1998年7月 思夢樂1号店/1999年1月 桶川商品センター稼働/2000年7月 シャンブル1号店/2000年11月 バースデイ1号店/2002年10月 47全都道府県への出店を完了/2003年10月 しまむらグループ1000店舗を達成
- [16]1991年11月 中国・四国地方への出店を開始/1993年8月 福島商品センター/1994年10月 岡山商品センター/1994年12月 犬山商品センター/1996年4月 子会社アベイルを設立/1997年10月 台湾に思夢樂を設立、アベイル1・2号店を開設/1997年11月 九州地方への出店を開始/1997年12月 店舗数500店舗/1998年7月 思夢樂1号店/1999年1月 桶川商品センター稼働/2000年7月 シャンブル1号店/2000年11月 バースデイ1号店/2002年10月 47全都道府県への出店を完了/2003年10月 しまむらグループ1000店舗を達成
- [18]1991年11月 中国・四国地方への出店を開始/1993年8月 福島商品センター/1994年10月 岡山商品センター/1994年12月 犬山商品センター/1996年4月 子会社アベイルを設立/1997年10月 台湾に思夢樂を設立、アベイル1・2号店を開設/1997年11月 九州地方への出店を開始/1997年12月 店舗数500店舗/1998年7月 思夢樂1号店/1999年1月 桶川商品センター稼働/2000年7月 シャンブル1号店/2000年11月 バースデイ1号店/2002年10月 47全都道府県への出店を完了/2003年10月 しまむらグループ1000店舗を達成
- [19]1991年11月 中国・四国地方への出店を開始/1993年8月 福島商品センター/1994年10月 岡山商品センター/1994年12月 犬山商品センター/1996年4月 子会社アベイルを設立/1997年10月 台湾に思夢樂を設立、アベイル1・2号店を開設/1997年11月 九州地方への出店を開始/1997年12月 店舗数500店舗/1998年7月 思夢樂1号店/1999年1月 桶川商品センター稼働/2000年7月 シャンブル1号店/2000年11月 バースデイ1号店/2002年10月 47全都道府県への出店を完了/2003年10月 しまむらグループ1000店舗を達成
- [21]1991年11月 中国・四国地方への出店を開始/1993年8月 福島商品センター/1994年10月 岡山商品センター/1994年12月 犬山商品センター/1996年4月 子会社アベイルを設立/1997年10月 台湾に思夢樂を設立、アベイル1・2号店を開設/1997年11月 九州地方への出店を開始/1997年12月 店舗数500店舗/1998年7月 思夢樂1号店/1999年1月 桶川商品センター稼働/2000年7月 シャンブル1号店/2000年11月 バースデイ1号店/2002年10月 47全都道府県への出店を完了/2003年10月 しまむらグループ1000店舗を達成
- 日経ビジネス 1999年1月25日号
- [17]全国に577店舗。現在の売り上げは約1700億円。全国577人の店長のうち約290人が女性
- 証券アナリストジャーナル 1989年27巻2号(島村恒俊、1989年1月20日講演)
- [20]現在は埼玉県を中心とする1都6県に109店舗を展開。長期ビジョンとして平成6年までに250店舗、売上高1,000億円の達成を目標に掲げ、大宮市に新商品センターを建設。商勢圏は大宮の商品センターから商品をトラックで1日で運べる範囲が限度
2005年5月、藤原秀次郎氏は代表取締役会長に退き、社長の座を1984年入社の野中正人氏に渡した。退任後最初の決算となる2006年2月期の連結売上高は3620億円である。2009年5月に取締役相談役、2011年5月に相談役へ退いたが、2020年5月に取締役相談役として取締役会に戻った。
- しまむら 有価証券報告書 第53期(2006年2月期)【役員の状況】
- [22]藤原秀次郎 平成2年5月 当社代表取締役社長、平成17年5月 当社代表取締役会長。野中正人 昭和59年3月 株式会社しまむら入社、平成17年5月 当社代表取締役社長
- しまむら 有価証券報告書 第53期(2006年2月期)
- [23]2006年2月期 連結売上高3620億円
- しまむら 有価証券報告書(2023年2月期)【役員の状況】
- [24]2005年5月 当社代表取締役会長/2009年5月 当社取締役相談役/2011年5月 当社相談役/2020年5月 当社取締役相談役(現任)
選任賛成率
藤原秀次郎氏:取締役選任の賛成率
| 株主総会 | 賛成率 | 賛成(個) | 反対(個) | 棄権(個) | 書類管理番号 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2024年5月17日 | 258,947 | 10,221 | 567 |
参考文献2件
参考文献
- しまむら 有価証券報告書 第53期(2006年2月期)【役員の状況】
- 国立国会図書館サーチ 記事書誌「キーパーソン トップインタビュー 藤原秀次郎 しまむら社長」ほか(タイトル読み フジワラ ヒデジロウ)
事実根拠:出所(しまむら)