牛山善政
ヤシカ・元社長
社長就任 1949年
生年月日 —
学歴 —
出自 —
社長就任までの出自
出自
1922年、長野県の諏訪湖畔に生まれた。生家は洋酒や缶詰を商っていたが3歳のときに破産し、母は片倉製糸の女工、本人と弟は新聞配達をして育った。1939年に上諏訪の軍需工場である東洋バルブへ工員として入り、1年たらずで一部署の責任者、21歳で300人から400人を使う一工場の責任者になった。ここで工程の組み替えと原価の見積りを身につけ、1945年5月に計器部品の下請けとして八洲精機製作所を興した。
社長に選ばれた経緯
抜擢
八洲精機製作所は4年で従業員250名の計器部品メーカーになったが、世の中が正常化するにつれ親工場が部品を内製へ戻し、下請けの伸びしろが尽きた。牛山氏は完成品への転換を決めて置時計を試作したものの、販売ルートで行き詰まった。共同出資者との対立も重なったため事業をいったん清算し、1949年12月に八洲精機株式会社を諏訪で設立して自ら社長に就任した。以後1973年9月末まで、ヤシカの筆頭株主は牛山氏だった。
在任中の主な施策
施策
1951年に二眼レフでカメラへ参入し、1955年のヤシカフレックスA型を、当時2万円近かった二眼レフに対し9,500円で発売した。月産500台から1000台を前提に値を決めるのが業界の常識だったところ、初めから月産3000台の量産を見込んで価格を組んだ。8ミリのヤシカエイトも従来の半値にあたる1万5000円で出した。1954年の渡米を機に年2回海外へ出て販売網を築き、1960年に米ポラロイド社との提携をまとめ、1963年には輸出が売上高の6割に迫った。
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1949〜1971年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 5件
- 企業の現代史『世界にあわせた焦点』(1961年)「ヤシカ」
- 『ダイヤモンド会社産業総覧』1964年版「ヤシカ」【役員】
- 日経ビジネス 1976年10月25日号「敗軍の将、兵を語る スカウトのやり過ぎは分裂招く 前ヤシカ会長・牛山善政氏(上)」
- 日経ビジネス 1976年11月8日号「敗軍の将、兵を語る 公私混同、社内の人は言ってくれぬ 元ヤシカ会長・牛山善政氏(下)」
- 実業往来 1974年「〝自分の城・ヤシカ〟から追放された牛山善政氏の悲劇」