京セラ:第二電電への出資とAVXの子会社化
1984年〜第二電電企画への出資と、安城欽寿氏に譲った社長の座
1984年6月、京セラは電気通信事業への参入を目ざす第二電電企画を設立した。参加企業は京セラを中心に25社を数え、社長には京セラ副社長の森山信吾氏を迎えた。社長の稲盛和夫氏は、セコムの飯田亮氏やウシオ電機の牛尾治朗氏ら出資者に推されて新会社の会長を兼ね、京セラからは専務も送り込んだ。電電公社の民営化に伴う通信事業の開放を、稲盛和夫氏は投資の好機と位置づけた。新会社が上場すれば出資額は大きく膨らみ、事業に失敗しても損失は出資額の範囲に限られるという計算である。本業の部品から離れた第二電電企画への出資は、京セラが資本で企業群を緩やかに結ぶ投資会社へ性格を変える第一歩だったとみられる。
- 日経ビジネス 1985年3月18日
- [1]1984年6月に第二電電企画を設立。電電公社民営化による通信開放を投資会社京セラの事業機会と位置づけ、稲盛社長が会長、京セラから社長・専務を送る。上場で投資が化け、失敗でも損失は出資分にとどまる。牛尾治朗・飯田亮氏らが経営を稲盛氏に委ねた
- [3]1984年6月に第二電電企画を設立。電電公社民営化による通信開放を投資会社京セラの事業機会と位置づけ、稲盛社長が会長、京セラから社長・専務を送る。上場で投資が化け、失敗でも損失は出資分にとどまる。牛尾治朗・飯田亮氏らが経営を稲盛氏に委ねた
- [4]1984年6月に第二電電企画を設立。電電公社民営化による通信開放を投資会社京セラの事業機会と位置づけ、稲盛社長が会長、京セラから社長・専務を送る。上場で投資が化け、失敗でも損失は出資分にとどまる。牛尾治朗・飯田亮氏らが経営を稲盛氏に委ねた
- [5]1984年6月に第二電電企画を設立。電電公社民営化による通信開放を投資会社京セラの事業機会と位置づけ、稲盛社長が会長、京セラから社長・専務を送る。上場で投資が化け、失敗でも損失は出資分にとどまる。牛尾治朗・飯田亮氏らが経営を稲盛氏に委ねた
- 日経ビジネス 1984年7月23日
- [2]第2電電企画は京セラを中心に25社が参加し、社長は京セラ副社長の森山信吾氏
1986年10月、副社長の安城欽寿氏が京セラの社長に就任し、稲盛和夫氏は会長となった。安城欽寿氏は1960年に従業員30人足らずの京都セラミックへ入社し、総務から営業へ移り、1980年に代表取締役副社長へ昇格。交代の1年半前、稲盛和夫氏は自らの後継者探しを今後の第一の仕事に挙げた。社員が1万2000人に膨らみ、京セラフィロソフィを末端まで浸透させる難しさが増したためである。会長となった稲盛和夫氏は、関連会社育成本部を通じた新しい企業グループ作りに専念する方針を示した。本体の経営を安城欽寿氏に、第二電電と出資先の育成を稲盛和夫氏自身が担う分担だったと推察される。
- 日経ビジネス 1986年12月22日
- [6]安城欽寿氏は1960年京都セラミック入社、1980年代表取締役副社長、1986年10月社長就任。稲盛和夫氏は会長
- [7]安城欽寿氏は1960年京都セラミック入社、1980年代表取締役副社長、1986年10月社長就任。稲盛和夫氏は会長
- 日経ビジネス 1985年3月18日
- [8]1985年3月時点で稲盛社長は後継者を見つけることを今後の第一の仕事とし、社員1万2000人規模でフィロソフィの浸透が幾何級数的に難しくなったと認識
- [9]1985年3月時点で稲盛社長は後継者を見つけることを今後の第一の仕事とし、社員1万2000人規模でフィロソフィの浸透が幾何級数的に難しくなったと認識
- 日経ビジネス 1988年2月15日
- [10]稲盛会長は関連会社育成本部で出資先を育て、自身は新しい企業グループ作りに専念するとした(1988年2月の談)
第二電電は1986年10月24日、東京・名古屋・大阪を結ぶ企業向け専用回線のサービスを始めた。一般家庭も対象とする市外電話サービスは、翌1987年夏の開始予定だった。回線はディジタルマイクロウェーブの無線で中継し、市内の区間だけNTTの回線を借りた。300億円を超える設備投資は全額を借入金で賄い、5年後の単年度黒字化を目標とした。社長は元資源エネルギー庁長官の森山信吾氏、専務は電電公社から京セラへ移った千本倖生氏で、会長の稲盛和夫氏とともに経営の中枢を占めた。会長の稲盛和夫氏は、第二電電の原点を『「通信コストを下げねば、真の情報化社会は到来しない」』という考えに置いた。
- 中部財界 29巻12号 1986年11月「10月24日から営業スタートした京セラ系「第二電電」」
- [11]第二電電は1986年10月24日に東京・名古屋・大阪間で企業向け専用サービスを開始。市外電話は翌夏予定。マイクロ波で中継し市内はNTT回線を借用。設備投資約三百数十億円は全額借入、5年後単年度黒字化の計画
- [12]第二電電は1986年10月24日に東京・名古屋・大阪間で企業向け専用サービスを開始。市外電話は翌夏予定。マイクロ波で中継し市内はNTT回線を借用。設備投資約三百数十億円は全額借入、5年後単年度黒字化の計画
- [13]第二電電は1986年10月24日に東京・名古屋・大阪間で企業向け専用サービスを開始。市外電話は翌夏予定。マイクロ波で中継し市内はNTT回線を借用。設備投資約三百数十億円は全額借入、5年後単年度黒字化の計画
- [14]第二電電は1986年10月24日に東京・名古屋・大阪間で企業向け専用サービスを開始。市外電話は翌夏予定。マイクロ波で中継し市内はNTT回線を借用。設備投資約三百数十億円は全額借入、5年後単年度黒字化の計画
- [16]第二電電は1986年10月24日に東京・名古屋・大阪間で企業向け専用サービスを開始。市外電話は翌夏予定。マイクロ波で中継し市内はNTT回線を借用。設備投資約三百数十億円は全額借入、5年後単年度黒字化の計画
- Decide 4巻3号 1986年
- [15]第二電電は会長に稲盛和夫氏、社長に元資源エネルギー庁長官の森山信吾氏、専務に電電公社出身の千本倖生氏を置いた
参考文献[1]-[16]
- 日経ビジネス 1985年3月18日
- [1]1984年6月に第二電電企画を設立。電電公社民営化による通信開放を投資会社京セラの事業機会と位置づけ、稲盛社長が会長、京セラから社長・専務を送る。上場で投資が化け、失敗でも損失は出資分にとどまる。牛尾治朗・飯田亮氏らが経営を稲盛氏に委ねた
- [3]1984年6月に第二電電企画を設立。電電公社民営化による通信開放を投資会社京セラの事業機会と位置づけ、稲盛社長が会長、京セラから社長・専務を送る。上場で投資が化け、失敗でも損失は出資分にとどまる。牛尾治朗・飯田亮氏らが経営を稲盛氏に委ねた
- [4]1984年6月に第二電電企画を設立。電電公社民営化による通信開放を投資会社京セラの事業機会と位置づけ、稲盛社長が会長、京セラから社長・専務を送る。上場で投資が化け、失敗でも損失は出資分にとどまる。牛尾治朗・飯田亮氏らが経営を稲盛氏に委ねた
- [5]1984年6月に第二電電企画を設立。電電公社民営化による通信開放を投資会社京セラの事業機会と位置づけ、稲盛社長が会長、京セラから社長・専務を送る。上場で投資が化け、失敗でも損失は出資分にとどまる。牛尾治朗・飯田亮氏らが経営を稲盛氏に委ねた
- [8]1985年3月時点で稲盛社長は後継者を見つけることを今後の第一の仕事とし、社員1万2000人規模でフィロソフィの浸透が幾何級数的に難しくなったと認識
- [9]1985年3月時点で稲盛社長は後継者を見つけることを今後の第一の仕事とし、社員1万2000人規模でフィロソフィの浸透が幾何級数的に難しくなったと認識
- 日経ビジネス 1984年7月23日
- [2]第2電電企画は京セラを中心に25社が参加し、社長は京セラ副社長の森山信吾氏
- 日経ビジネス 1986年12月22日
- [6]安城欽寿氏は1960年京都セラミック入社、1980年代表取締役副社長、1986年10月社長就任。稲盛和夫氏は会長
- [7]安城欽寿氏は1960年京都セラミック入社、1980年代表取締役副社長、1986年10月社長就任。稲盛和夫氏は会長
- 日経ビジネス 1988年2月15日
- [10]稲盛会長は関連会社育成本部で出資先を育て、自身は新しい企業グループ作りに専念するとした(1988年2月の談)
- 中部財界 29巻12号 1986年11月「10月24日から営業スタートした京セラ系「第二電電」」
- [11]第二電電は1986年10月24日に東京・名古屋・大阪間で企業向け専用サービスを開始。市外電話は翌夏予定。マイクロ波で中継し市内はNTT回線を借用。設備投資約三百数十億円は全額借入、5年後単年度黒字化の計画
- [12]第二電電は1986年10月24日に東京・名古屋・大阪間で企業向け専用サービスを開始。市外電話は翌夏予定。マイクロ波で中継し市内はNTT回線を借用。設備投資約三百数十億円は全額借入、5年後単年度黒字化の計画
- [13]第二電電は1986年10月24日に東京・名古屋・大阪間で企業向け専用サービスを開始。市外電話は翌夏予定。マイクロ波で中継し市内はNTT回線を借用。設備投資約三百数十億円は全額借入、5年後単年度黒字化の計画
- [14]第二電電は1986年10月24日に東京・名古屋・大阪間で企業向け専用サービスを開始。市外電話は翌夏予定。マイクロ波で中継し市内はNTT回線を借用。設備投資約三百数十億円は全額借入、5年後単年度黒字化の計画
- [16]第二電電は1986年10月24日に東京・名古屋・大阪間で企業向け専用サービスを開始。市外電話は翌夏予定。マイクロ波で中継し市内はNTT回線を借用。設備投資約三百数十億円は全額借入、5年後単年度黒字化の計画
- Decide 4巻3号 1986年
- [15]第二電電は会長に稲盛和夫氏、社長に元資源エネルギー庁長官の森山信吾氏、専務に電電公社出身の千本倖生氏を置いた
1987年〜タイトーなど約20社への資本参加と、株式交換で得た米AVX
京セラは1982年にサイバネット工業、1983年にヤシカを合併し、外から事業を移植して多角化を進めた。移植した事業が根づくまでに6〜7年を要し、稲盛和夫氏は新事業を育てる難しさを痛感した。1985年3月の時点で、稲盛和夫氏は外様の企業を周りに配して本体の強すぎる求心力を和らげる体制を描いた。1988年2月には、持ち株比率30%以下で出資先と結ぶ「グレーター京セラ」構想を掲げた。関連会社育成本部が第二電電を第一号に、タイトーや米LSIロジックなど約20社へ資本参加し、育てば上場させる方針である。合併で一体化を図るより、資本でつなぐほうが出資先の自主性を損なわないと考えられる。
- 日経ビジネス 1988年2月15日
- [17]サイバネット工業・ヤシカの合併で事業移植の難しさを知り、持ち株30%以下の緩やかな関係の「グレーター京セラ」構想へ。関連会社育成本部が第2電電を第一号にタイトー・LSIロジックなど約20社に資本参加し、育てば上場
- [18]サイバネット工業・ヤシカの合併で事業移植の難しさを知り、持ち株30%以下の緩やかな関係の「グレーター京セラ」構想へ。関連会社育成本部が第2電電を第一号にタイトー・LSIロジックなど約20社に資本参加し、育てば上場
- [20]サイバネット工業・ヤシカの合併で事業移植の難しさを知り、持ち株30%以下の緩やかな関係の「グレーター京セラ」構想へ。関連会社育成本部が第2電電を第一号にタイトー・LSIロジックなど約20社に資本参加し、育てば上場
- [21]サイバネット工業・ヤシカの合併で事業移植の難しさを知り、持ち株30%以下の緩やかな関係の「グレーター京セラ」構想へ。関連会社育成本部が第2電電を第一号にタイトー・LSIロジックなど約20社に資本参加し、育てば上場
- 日経ビジネス 1985年3月18日
- [19]1985年3月、強すぎる求心力が自己革新を阻むとして、稲盛社長は外様企業を配する幕藩体制を構想
1989年、伊藤謙介氏が京セラの社長に就任した。同じ1989年8月、京セラはコネクタ事業を営むエルコインターナショナルを連結子会社に加えた。エルコインターナショナルは後に京セラコネクタプロダクツへ社名を改め、2017年4月に京セラ本体へ吸収合併された。当時の京セラ本体の売上高は、1985年3月期に2832億円を計上して以降、増収と減収の波を挟みつつ3000億円前後で推移。1982年10月のサイバネット工業、1983年10月のヤシカの合併で部品から完成品へ多角化を広げても、本体の売上高は伸び悩んだ。セラミック部品だけでは得られない電子部品の品揃えを、外部から加える狙いだったと思われる。
- 日経ビジネス 1994年1月3日
- [22]伊藤謙介社長は1989年に就任。本体売上高は1985年3月期2832億円、1993年3月期3005億円で、合併後もほぼ3000億円程度に落ち着く。年表にエルコグループ買収。82年10月サイバネット工業を吸収合併、83年10月ヤシカを買収し川下へ多角化したが売上は伸び悩む
- [25]伊藤謙介社長は1989年に就任。本体売上高は1985年3月期2832億円、1993年3月期3005億円で、合併後もほぼ3000億円程度に落ち着く。年表にエルコグループ買収。82年10月サイバネット工業を吸収合併、83年10月ヤシカを買収し川下へ多角化したが売上は伸び悩む
- [26]伊藤謙介社長は1989年に就任。本体売上高は1985年3月期2832億円、1993年3月期3005億円で、合併後もほぼ3000億円程度に落ち着く。年表にエルコグループ買収。82年10月サイバネット工業を吸収合併、83年10月ヤシカを買収し川下へ多角化したが売上は伸び悩む
- 京セラ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [23]1989年8月にコネクタ事業の㈱エルコインターナショナルを連結子会社化(後に京セラコネクタプロダクツ、2017年4月に京セラへ吸収合併)
- [24]1989年8月にコネクタ事業の㈱エルコインターナショナルを連結子会社化(後に京セラコネクタプロダクツ、2017年4月に京セラへ吸収合併)
1990年1月、京セラは米国のセラミック・コンデンサー会社AVXを株式交換で連結子会社とした。AVXは京セラの競合で、交渉は会長の稲盛和夫氏が経営者のバトラー氏を訪ね、買収を申し出たことに始まる。過去4年間16〜20ドルで推移していたAVX株に、稲盛和夫氏は1株30ドルを示し、最終的に32ドルで合意。対価には現金を使わず、ニューヨーク証券取引所に上場する京セラの米国預託証券とAVX株を交換し、AVXの株主は京セラの株主となった。株式交換による買収額は5億8000万ドルに上った。前章で発行を重ねた米国預託証券が、現金に代わる買収の対価として生きたと推測される。
- 京セラ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [27]1990年1月、3回目の米国預託証券を発行し、AVX Corporationを株式交換方式で連結子会社化(NY証取上場廃止)
- 証券アナリストジャーナル 33巻11号 1995年
- [28]稲盛氏がAVX経営者バトラー氏を訪ね買収を提案。株価16〜20ドルに30ドルを提示し32ドルで合意。現金でなく京セラADRとの株式交換とし、AVX株主は京セラ株主に。1990年に株式交換で5億8000万ドルで買収
- [29]稲盛氏がAVX経営者バトラー氏を訪ね買収を提案。株価16〜20ドルに30ドルを提示し32ドルで合意。現金でなく京セラADRとの株式交換とし、AVX株主は京セラ株主に。1990年に株式交換で5億8000万ドルで買収
- [30]稲盛氏がAVX経営者バトラー氏を訪ね買収を提案。株価16〜20ドルに30ドルを提示し32ドルで合意。現金でなく京セラADRとの株式交換とし、AVX株主は京セラ株主に。1990年に株式交換で5億8000万ドルで買収
- [31]稲盛氏がAVX経営者バトラー氏を訪ね買収を提案。株価16〜20ドルに30ドルを提示し32ドルで合意。現金でなく京セラADRとの株式交換とし、AVX株主は京セラ株主に。1990年に株式交換で5億8000万ドルで買収
参考文献[17]-[31]
- 日経ビジネス 1988年2月15日
- [17]サイバネット工業・ヤシカの合併で事業移植の難しさを知り、持ち株30%以下の緩やかな関係の「グレーター京セラ」構想へ。関連会社育成本部が第2電電を第一号にタイトー・LSIロジックなど約20社に資本参加し、育てば上場
- [18]サイバネット工業・ヤシカの合併で事業移植の難しさを知り、持ち株30%以下の緩やかな関係の「グレーター京セラ」構想へ。関連会社育成本部が第2電電を第一号にタイトー・LSIロジックなど約20社に資本参加し、育てば上場
- [20]サイバネット工業・ヤシカの合併で事業移植の難しさを知り、持ち株30%以下の緩やかな関係の「グレーター京セラ」構想へ。関連会社育成本部が第2電電を第一号にタイトー・LSIロジックなど約20社に資本参加し、育てば上場
- [21]サイバネット工業・ヤシカの合併で事業移植の難しさを知り、持ち株30%以下の緩やかな関係の「グレーター京セラ」構想へ。関連会社育成本部が第2電電を第一号にタイトー・LSIロジックなど約20社に資本参加し、育てば上場
- 日経ビジネス 1985年3月18日
- [19]1985年3月、強すぎる求心力が自己革新を阻むとして、稲盛社長は外様企業を配する幕藩体制を構想
- 日経ビジネス 1994年1月3日
- [22]伊藤謙介社長は1989年に就任。本体売上高は1985年3月期2832億円、1993年3月期3005億円で、合併後もほぼ3000億円程度に落ち着く。年表にエルコグループ買収。82年10月サイバネット工業を吸収合併、83年10月ヤシカを買収し川下へ多角化したが売上は伸び悩む
- [25]伊藤謙介社長は1989年に就任。本体売上高は1985年3月期2832億円、1993年3月期3005億円で、合併後もほぼ3000億円程度に落ち着く。年表にエルコグループ買収。82年10月サイバネット工業を吸収合併、83年10月ヤシカを買収し川下へ多角化したが売上は伸び悩む
- [26]伊藤謙介社長は1989年に就任。本体売上高は1985年3月期2832億円、1993年3月期3005億円で、合併後もほぼ3000億円程度に落ち着く。年表にエルコグループ買収。82年10月サイバネット工業を吸収合併、83年10月ヤシカを買収し川下へ多角化したが売上は伸び悩む
- 京セラ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [23]1989年8月にコネクタ事業の㈱エルコインターナショナルを連結子会社化(後に京セラコネクタプロダクツ、2017年4月に京セラへ吸収合併)
- [24]1989年8月にコネクタ事業の㈱エルコインターナショナルを連結子会社化(後に京セラコネクタプロダクツ、2017年4月に京セラへ吸収合併)
- [27]1990年1月、3回目の米国預託証券を発行し、AVX Corporationを株式交換方式で連結子会社化(NY証取上場廃止)
- 証券アナリストジャーナル 33巻11号 1995年
- [28]稲盛氏がAVX経営者バトラー氏を訪ね買収を提案。株価16〜20ドルに30ドルを提示し32ドルで合意。現金でなく京セラADRとの株式交換とし、AVX株主は京セラ株主に。1990年に株式交換で5億8000万ドルで買収
- [29]稲盛氏がAVX経営者バトラー氏を訪ね買収を提案。株価16〜20ドルに30ドルを提示し32ドルで合意。現金でなく京セラADRとの株式交換とし、AVX株主は京セラ株主に。1990年に株式交換で5億8000万ドルで買収
- [30]稲盛氏がAVX経営者バトラー氏を訪ね買収を提案。株価16〜20ドルに30ドルを提示し32ドルで合意。現金でなく京セラADRとの株式交換とし、AVX株主は京セラ株主に。1990年に株式交換で5億8000万ドルで買収
- [31]稲盛氏がAVX経営者バトラー氏を訪ね買収を提案。株価16〜20ドルに30ドルを提示し32ドルで合意。現金でなく京セラADRとの株式交換とし、AVX株主は京セラ株主に。1990年に株式交換で5億8000万ドルで買収
1991年〜成熟を自覚した京セラと、ニューヨークに再上場させたAVX
京セラ本体の売上高は1985年3月期に2832億円を計上した後、1993年3月期でも3005億円にとどまった。売上高営業利益率は1985年3月期の21.29%から、1992年3月期以降は2期続けて7%台へ低下した。売上高の約30%と営業利益の約半分を占めるセラミック製ICパッケージも、円高と国内の競争で売上高が横ばいになった。伊藤謙介氏は1989年の社長就任以来、京セラフィロソフィを社員に説き、1990年からはそれを題にした社員論文を募った。1995年には円高による価格の下落を受け、京セラは賃金の安い国での生産の検討にも入った。京セラ・DDI・タイトーの上場3社を合算すれば、売上高と利益はなお高い成長を保った。
- 日経ビジネス 1994年1月3日
- [32]本体売上高1985年3月期2832億円→1993年3月期3005億円。営業利益率は85年3月期21.29%から92年3月期以降2年連続7%台。ICパッケージ(売上の約30%・営業利益の約半分)は円高と競争で横ばい。伊藤謙介氏は1989年の社長就任以来フィロソフィを訴え90年から論文募集。上場3社合算では高成長
- [33]本体売上高1985年3月期2832億円→1993年3月期3005億円。営業利益率は85年3月期21.29%から92年3月期以降2年連続7%台。ICパッケージ(売上の約30%・営業利益の約半分)は円高と競争で横ばい。伊藤謙介氏は1989年の社長就任以来フィロソフィを訴え90年から論文募集。上場3社合算では高成長
- [34]本体売上高1985年3月期2832億円→1993年3月期3005億円。営業利益率は85年3月期21.29%から92年3月期以降2年連続7%台。ICパッケージ(売上の約30%・営業利益の約半分)は円高と競争で横ばい。伊藤謙介氏は1989年の社長就任以来フィロソフィを訴え90年から論文募集。上場3社合算では高成長
- [35]本体売上高1985年3月期2832億円→1993年3月期3005億円。営業利益率は85年3月期21.29%から92年3月期以降2年連続7%台。ICパッケージ(売上の約30%・営業利益の約半分)は円高と競争で横ばい。伊藤謙介氏は1989年の社長就任以来フィロソフィを訴え90年から論文募集。上場3社合算では高成長
- [37]本体売上高1985年3月期2832億円→1993年3月期3005億円。営業利益率は85年3月期21.29%から92年3月期以降2年連続7%台。ICパッケージ(売上の約30%・営業利益の約半分)は円高と競争で横ばい。伊藤謙介氏は1989年の社長就任以来フィロソフィを訴え90年から論文募集。上場3社合算では高成長
- 証券アナリストジャーナル 33巻11号 1995年
- [36]1995年、円高による価格破壊で賃金の安い国での生産も検討
1995年8月、京セラは子会社AVXをニューヨーク証券取引所に再上場させた。AVXの税引前利益は、買収直前の1989年度の2000万ドルから、1995年3月期には1億1000万ドルへ拡大した。再上場の目的は、AVXの経営幹部と従業員に向けた誘因づくりにあった。京セラは持株の一部を放出して265億円の売却益を得、手元に残した株式には1460億円の含み益が生じた。1990年に5億8000万ドルで取得したAVXは、再上場後の株価で評価すると28億7000万ドルの企業に育った。1995年9月には、中国の東莞に製造会社Dongguan Shilong Kyocera Optics Co.,Ltd.を設立した。
- 京セラ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [38]1995年8月にAVXがNY証取に再上場。1995年9月に中国東莞に製造会社Dongguan Shilong Kyocera Optics Co.,Ltd.を設立
- [43]1995年8月にAVXがNY証取に再上場。1995年9月に中国東莞に製造会社Dongguan Shilong Kyocera Optics Co.,Ltd.を設立
- 証券アナリストジャーナル 33巻11号 1995年
- [39]AVXをNY証取に再上場。税引前利益は89年度2000万ドル→95年3月期1億1000万ドル。幹部・従業員のインセンティブが目的。一部放出で売却益265億円、含み益1460億円。買収額5億8000万ドルに対し時価28億7000万ドル
- [40]AVXをNY証取に再上場。税引前利益は89年度2000万ドル→95年3月期1億1000万ドル。幹部・従業員のインセンティブが目的。一部放出で売却益265億円、含み益1460億円。買収額5億8000万ドルに対し時価28億7000万ドル
- [41]AVXをNY証取に再上場。税引前利益は89年度2000万ドル→95年3月期1億1000万ドル。幹部・従業員のインセンティブが目的。一部放出で売却益265億円、含み益1460億円。買収額5億8000万ドルに対し時価28億7000万ドル
- [42]AVXをNY証取に再上場。税引前利益は89年度2000万ドル→95年3月期1億1000万ドル。幹部・従業員のインセンティブが目的。一部放出で売却益265億円、含み益1460億円。買収額5億8000万ドルに対し時価28億7000万ドル
1996年9月30日、京セラ会長の稲盛和夫氏は、経営の第一線を離れて仏門に入る考えを明らかにした。翌1997年1月に満65歳となるのを機に、京セラやDDIの会長職を閑職に改めてもらう意向である。修行の場は京都府八幡市にある臨済宗妙心寺派の円福寺で、剃髪の介添えも老師に依頼した。65歳で一線から身を引く考えは、稲盛和夫氏のかねての持論でもあった。京都商工会議所の会頭として臨んだ会見では、今後について『「個人の哲学の完成と人の役に立つ活動に力を入れていきたい」』という意思を示した。第二電電を育てた創業者が抜けたあとの京セラを誰が率いるかが、京セラの次の課題として浮上したのだろう。
- 日経ビジネス 1996年10月14日
- [44]1996年9月30日、京都商工会議所会頭の会見で、来年1月満65歳を機に京セラ・DDI会長などを閑職に変え、八幡市の臨済宗の寺で修行僧になると表明
- [45]1996年9月30日、京都商工会議所会頭の会見で、来年1月満65歳を機に京セラ・DDI会長などを閑職に変え、八幡市の臨済宗の寺で修行僧になると表明
- [48]1996年9月30日、京都商工会議所会頭の会見で、来年1月満65歳を機に京セラ・DDI会長などを閑職に変え、八幡市の臨済宗の寺で修行僧になると表明
- Decide 14巻8号 1996年
- [46]修行先は臨済宗妙心寺派円福寺(京都府八幡市)で西片擔雪老師に剃髪の介添えを依頼。65歳で一線を退くのはかねての持論
- [47]修行先は臨済宗妙心寺派円福寺(京都府八幡市)で西片擔雪老師に剃髪の介添えを依頼。65歳で一線を退くのはかねての持論
参考文献[32]-[48]
- 日経ビジネス 1994年1月3日
- [32]本体売上高1985年3月期2832億円→1993年3月期3005億円。営業利益率は85年3月期21.29%から92年3月期以降2年連続7%台。ICパッケージ(売上の約30%・営業利益の約半分)は円高と競争で横ばい。伊藤謙介氏は1989年の社長就任以来フィロソフィを訴え90年から論文募集。上場3社合算では高成長
- [33]本体売上高1985年3月期2832億円→1993年3月期3005億円。営業利益率は85年3月期21.29%から92年3月期以降2年連続7%台。ICパッケージ(売上の約30%・営業利益の約半分)は円高と競争で横ばい。伊藤謙介氏は1989年の社長就任以来フィロソフィを訴え90年から論文募集。上場3社合算では高成長
- [34]本体売上高1985年3月期2832億円→1993年3月期3005億円。営業利益率は85年3月期21.29%から92年3月期以降2年連続7%台。ICパッケージ(売上の約30%・営業利益の約半分)は円高と競争で横ばい。伊藤謙介氏は1989年の社長就任以来フィロソフィを訴え90年から論文募集。上場3社合算では高成長
- [35]本体売上高1985年3月期2832億円→1993年3月期3005億円。営業利益率は85年3月期21.29%から92年3月期以降2年連続7%台。ICパッケージ(売上の約30%・営業利益の約半分)は円高と競争で横ばい。伊藤謙介氏は1989年の社長就任以来フィロソフィを訴え90年から論文募集。上場3社合算では高成長
- [37]本体売上高1985年3月期2832億円→1993年3月期3005億円。営業利益率は85年3月期21.29%から92年3月期以降2年連続7%台。ICパッケージ(売上の約30%・営業利益の約半分)は円高と競争で横ばい。伊藤謙介氏は1989年の社長就任以来フィロソフィを訴え90年から論文募集。上場3社合算では高成長
- 証券アナリストジャーナル 33巻11号 1995年
- [36]1995年、円高による価格破壊で賃金の安い国での生産も検討
- [39]AVXをNY証取に再上場。税引前利益は89年度2000万ドル→95年3月期1億1000万ドル。幹部・従業員のインセンティブが目的。一部放出で売却益265億円、含み益1460億円。買収額5億8000万ドルに対し時価28億7000万ドル
- [40]AVXをNY証取に再上場。税引前利益は89年度2000万ドル→95年3月期1億1000万ドル。幹部・従業員のインセンティブが目的。一部放出で売却益265億円、含み益1460億円。買収額5億8000万ドルに対し時価28億7000万ドル
- [41]AVXをNY証取に再上場。税引前利益は89年度2000万ドル→95年3月期1億1000万ドル。幹部・従業員のインセンティブが目的。一部放出で売却益265億円、含み益1460億円。買収額5億8000万ドルに対し時価28億7000万ドル
- [42]AVXをNY証取に再上場。税引前利益は89年度2000万ドル→95年3月期1億1000万ドル。幹部・従業員のインセンティブが目的。一部放出で売却益265億円、含み益1460億円。買収額5億8000万ドルに対し時価28億7000万ドル
- 京セラ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [38]1995年8月にAVXがNY証取に再上場。1995年9月に中国東莞に製造会社Dongguan Shilong Kyocera Optics Co.,Ltd.を設立
- [43]1995年8月にAVXがNY証取に再上場。1995年9月に中国東莞に製造会社Dongguan Shilong Kyocera Optics Co.,Ltd.を設立
- 日経ビジネス 1996年10月14日
- [44]1996年9月30日、京都商工会議所会頭の会見で、来年1月満65歳を機に京セラ・DDI会長などを閑職に変え、八幡市の臨済宗の寺で修行僧になると表明
- [45]1996年9月30日、京都商工会議所会頭の会見で、来年1月満65歳を機に京セラ・DDI会長などを閑職に変え、八幡市の臨済宗の寺で修行僧になると表明
- [48]1996年9月30日、京都商工会議所会頭の会見で、来年1月満65歳を機に京セラ・DDI会長などを閑職に変え、八幡市の臨済宗の寺で修行僧になると表明
- Decide 14巻8号 1996年
- [46]修行先は臨済宗妙心寺派円福寺(京都府八幡市)で西片擔雪老師に剃髪の介添えを依頼。65歳で一線を退くのはかねての持論
- [47]修行先は臨済宗妙心寺派円福寺(京都府八幡市)で西片擔雪老師に剃髪の介添えを依頼。65歳で一線を退くのはかねての持論
1984年〜1996年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1984年03月期 | 単体 | 2,197 | n/a | 516 | 240 | 10.9% | n/a |
| 1985年03月期 | 単体 | 2,832 | +28.9% | 723 | 316 | 11.2% | n/a |
| 1986年03月期 | 単体 | 2,466 | ▲12.9% | n/a | 194 | 7.9% | n/a |
| 1987年03月期 | 単体 | 2,425 | ▲1.7% | n/a | 164 | 6.8% | n/a |
| 1988年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1989年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1990年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1991年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1992年03月期 | 連結 | 4,535 | n/a | 580 | 271 | 6.0% | n/a |
| 1993年03月期 | 連結 | 4,316 | ▲4.8% | 492 | 239 | 5.5% | n/a |
| 1994年03月期 | 連結 | 4,277 | ▲0.9% | 684 | 368 | 8.6% | n/a |
| 1995年03月期 | 連結 | 4,986 | +16.6% | 812 | 433 | 8.7% | n/a |
| 1996年03月期 | 連結 | 6,472 | +29.8% | 1,638 | 825 | 12.7% | n/a |
出所:会社年鑑、証券調査
出典・参考
11件
- 京セラ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- 日経ビジネス 1984年7月23日
- 日経ビジネス 1985年3月18日
- 日経ビジネス 1986年12月22日
- 中部財界 29巻12号 1986年11月「10月24日から営業スタートした京セラ系「第二電電」」
- Decide 4巻3号 1986年
- 日経ビジネス 1988年2月15日
- 日経ビジネス 1994年1月3日
- 証券アナリストジャーナル 33巻11号 1995年
- 日経ビジネス 1996年10月14日
- Decide 14巻8号 1996年